番外、新城悠里の場合
お兄ちゃんが死んだ。
『ねえ、みゅー。中学生になったらお兄ちゃんって呼び方卒業しなきゃかなー…』
『え、い、いいんじゃないかな? 好きな呼び方で。だって、お兄ちゃんだもん』
『そっかー…そうだよね。うん、ありがと。ちょっと自信ついた。あ、からあげ食べる?』
『う、うん、どういたしまして…ソーセージ、食べる?』
お兄ちゃんが─
『悠里、そろそろ俺と一緒に寝たがるのはマズイと思うんだよ』
『ふつうだよ?家族だよ。ヤマしいことなんて無いんだよ?』
『いやしかしな?』
死んだ。
─ ─ ─
「ん…」
あ……宿題してて、寝ちゃったか。時計は、十時少し前。また、昔の夢を見た。昔ってほどでもないけど、どうしても、遠く感じる。
遠く、感じちゃう。
「お風呂入ってから、寝よ…」
着替えを持って一階に降りて、母さんと少し話す。今は普通に話せていると思う。前は『仕方ない』と繰り返す両親にイライラして真っ向から反発してた。
『だってころされたんだよ』
シャワーを浴びて、熱めのお湯に浸かる。でも、あの時を思い出すとお湯に浸かっているにも関わらず、寒気がする。
突然だった。お兄ちゃんが何か言った気がして、振り向くとスーツの腕が引っ込むのだけが見えた。今でも後悔している。そのまま目で追いかけていれば、『犯人』の顔を見れていたかもしれないのに。
何かがぶつかるような音。女の人の叫び声。電車のブレーキ音。止まりきれず車体は進む。線路に目線を戻すと、真っ赤な液体。ピンク色のやわらかそうななにか。中身をぶちまけた学生カバン。それらがなんなのか。
『おにいちゃん…?』
そこで、私の意識は途切れた。
それから、当然立件されて目撃情報を…となったけど、なぜか犯人に繋がりはしなかった。おかしい。あれだけの人数がいて、逃げる犯人も目撃されてて、似顔絵だって。それでも行方不明のまま未だに見つかってない。
警察の人もうちに来た。何か心当たりが無いだろうか。友人たちとの付き合いはどうだったのか。それらの質問が私をイライラさせた。お兄ちゃんが悪く言われているようにしか聞こえなかった。つかみかかった私にあの人は抵抗しなくて、今考えるとあの人はどうしてされるがままだったのか。私が冷静じゃないのはわかっていたはずなのに。
そんなことがあっても、あの人は折を見てうちに来た。進展は無くても、家族を励ますように。私は顔を合わせないようにしていたけど。
二年。私が泣いて、喚いて、知らない間に時間は過ぎて、あの人ももう連絡は無くて、私はただ何となく小学生最後の年を過ごしている。
あの時を思い出しても、もう涙は流れない。これが受け入れるとか割り切るってことなんだろうか。
やだな。
─ ─ ─
次の日。いつもの通学路をみゆと一緒に登校。あんなことがあっても、私がクラスの子たちから腫れ物扱いされてても、変わらず声をかけてくる。
「もう中学生だねぇ」
「うん…」
「同じ中学でよかったよぉ」
「…そだね」
最近では彼女話したことくらいしか覚えがないような。どうして私を気にかけるんだろう。みゆもお兄ちゃんとかいたんだっけ?
「ねぇ……え?」
「ん、なにー?」
目の前に、何かが居た。
「…えっ?」
私が呆気にとられているのを見てようやくみゆも気づいたらしい。何かヤバイのがいる。
あえて言うなら犬をでっかくしたような、そうとしか言いようがない。赤黒い肌がヌメヌメテカって気持ち悪い。そもそも、犬の頭にあんな禍々しい一本角は生えてない。
「け、けい、さつ…」
「警察なんて…」
いや、個人的な感情は置いといて私よりは何かができるはずだ。でもこいつに背中を見せる気にもなれない。
フゥウ、クゥウウ。
獣らしく叫んでくれれば逃げ出してたかもしれないけど。思ったよりも情けない鳴き声に思わず気が抜けた。それがいけなかった。
「燃えてる…?」
何で突然? 発火現象?周りの温度が急激に上がって─
「まずっ!」
咄嗟にみゆを突き飛ばした。その私を横から何かが突き飛ばす。
「ぐえっ」
突き飛ばされて、転がって。痛いし、熱いし。何なのよ。当の炎をぶっぱなしてきたヤツは…何でか苦しんでるし。目は血走って、痛いのはこっちだっての。
「悠里っ」
「ばか、逃げて、よ」
何とか身体を起こそうとして、右手が熱くて。アイツは目から口からいろいろ垂れ流して、痙攣しながらこっちにやってくる。もうダメか。死ぬのか。
…へっ、ざっけんな。
「ダメ、逃げようよ?」
死ぬのは…そっちだ。
「ゆ、ゆうり?」
自分の腕が、自分のものじゃないみたい。身体の中を何かが駆け巡ってる感触。
爆発、しそう。
「うぁあああ」
これまでなら絶対できなかったはずの、腕が壊れそうなほどの力をこめて、すぐそこまで迫っていたアイツの横っ面を、思いっきりぶん殴った。
ぶん殴って、蹴り飛ばして、またぶん殴って。コイツの身体も筋肉の塊なんだろうけど、私の身体はどうなってんの。噛みつかれて、爪で切り裂かれて、血が溢れはするけどその傷も半分以上はふさがってる。治りも、だんだん早くなってる。
これじゃ、どっちが化け物やら。
アイツも傷が治るのは一緒みたいで泥臭い殴り合いになってる。こういうときはやっぱり、頭を潰さないと…
そういえばアイツの角、怪しいな。ラメみたいにきらきら明滅してる赤黒い角。いかにも弱点。迷わず掴む。やっぱり超反応。そのまま目一杯力を込めて…
「大人しく、しろって、の!」
この世の終わりかってくらいの断末魔。血を撒き散らしながら痙攣して、ようやく動かなくなる。
「…悠里っ!」
おおぅ、熱烈な抱擁。でも、私今血まみれだからね。離れよ?
「ゆう…りぃ」
「大丈夫だよ、たぶん死んだから」
うーん、泣き止んでくれない。叩いてくるし。私が何をした。
「なにすんのぉ…痛いなぁ」
「無茶しすぎでしょおがぁ」
まぁね。我ながらどういうことよ、これは。アイツに散々やられた傷も塞がって痛みもしない。
それに、何だろう。どうして、お兄ちゃんのことを思い出すんだろう。ううん。思い出すなんてもんじゃない。感じる。かすかだけど、確かに。
「お兄ちゃん…?」
「どうしたの、悠里」
お兄ちゃんは死んだ。それはわかってる。でもこの感覚は何?まさか、『魂』とか言わないよね?
「悠里、大丈夫?どこか打った?」
「お兄ちゃんを感じる」
「…頭、打った?」
おい。
自分でも馬鹿なことを言ってるのはわかってる。でもそう思い始めたらもう、止められない。
会いたい。いや、会うんだ。
大した根拠も無いのに、お兄ちゃんに会えるかもしれないと伝えた。案の定呆れられて、冷静になれと諭されて。私は私で譲る気は無くて。
「わかんないよ、会えるわけないでしょ!」
「でも、会いたい」
「そんなの、私だって…」
うん……うん?え、今なんて?私のお兄ちゃんに、会いたい?私が言うのとはニュアンス変わってきますけど。え、そういうことなの?ほ、ほっほぉ…
「そ、それにご両親はどうするの…息子さんを亡くして、娘さんまで居なくなったら」
「それ言われたらイタいけど…」
行けるなら、戻ってこれると思う。私の内側の、よくわからない感覚。さっきより弱くなってる気がする。安定してきたっていうならそれでもいいけど、お兄ちゃんの感覚まで感じられなくなりそうで。今諦めたら絶対後悔するし、それが原因で周りの人にあたりそうで。さっきみたいな力で暴れまわったら、きっと傷つけるだけじゃすまない。
「ちゃんと戻ってくるから。お兄ちゃんも連れて」
「それ、お化けってこと?」
「…はは、わかんない」
まだお兄ちゃんの気配は感じられる。わかるのはざっくりとした方角だけ。距離も、きっと遠いんだろうなってなんとなくの感覚。本当に行ける場所なのかも…
いや、考えるのはやめだ。今出せる全力で。真っ直ぐ、真っ直ぐ前へ───
跳んだ。
─ ─ ─
(……あれ、私、寝てた?)
頭がぼーっとする。頭に手をやろうとして、触れない。体が動かない。嘘。なんで、私、どうなった?目も開かない。でも耳だけは聞こえる。私が切羽詰まってるっていうのに周囲からは爽やかな小鳥のさえずりが聞こえる。匂いは…よくわかんないな。
私はどうしたんだっけ……そうだ、お兄ちゃんを追いかけて。目印にしたお兄ちゃんの『魂』らしきものは…さっきよりもずっと強く感じる。確実に近づいてる。思わず笑顔…のはずなんだけど。
体が、動かない。無茶が過ぎたってことなんだろうか。こんなんじゃお兄ちゃんに会っても迷惑かけちゃうよ。
『…来てみれば、この有り様か』
『郊外で良かったですね。もし都市のど真ん中なら…』
『寒気がするな』
『総長。どう見ます?幼く見えますが、地面にこのような大穴を開ける少女など…』
え、誰かいる。現地人?
『まあ落ち着け。思い当たるフシはある。おい、適当な理由をつけて人払いしといてくれ』
『総長。あられもない姿の少女と二人きりになってナニをするつもりです?』
『お前わかって言ってるよな。てかお前は居てくれよ。俺がこの子の服どうこうするわけにはいかんだろうが』
『当然です』
わかんない言葉でもめるのやめてほしいな。ビクビクする。
「ん、んっ…あーマイクテス、テス、テス。本日ハ、晴天ナリ。ニホンゴ、ワッカーリマースカ?」
なんでカタコト?てゆーか、日本語だ!ちょ、何か返さないと!あーっ、もーっ!うごけーっ!
『反応ねぇな』
『そうですね』
待って!ちょ、この、悠里ぃ!根性見せろぉおおお!見て、指先!ピクッて、したぁ!
『こんな有り様では死んでてもおかしくはありませんが』
「縁起でもねぇこというなよ…」
気づいてー…連れの人、縁起でもねぇこと言ったの!?やめてよガンガン生きてるから!
「お前の身に何があったのかはわからねぇからとりあえず独り言で伝えるぞ。『異世界』へようこそ、えと…中学生か?」
はぁ?異世界?
「信じられねぇかもしれねぇが本当に異世界だ。俺は結構前にこっちに飛ばされてな。お前さんも似たクチか?聞こえてたらどうにかリアクションとれねぇか?」
さっきからやってんでしょーがぁー!指、先、ほらァ!
「お?おお、悪ぃ、気づかなかった。よし、話を続けるぞ」
いよいよ洒落にならない話だった。帰る術はわからず、この地には剣と魔法があり、命のやりとりも珍しくないと。戦争などは起こっていないが、資源に満ちたこの世界で、なお独占しようとする『紛争の土壌』は有ると見ているらしい。そのために各地に調査の人員を派遣しているらしい。その人に頼めば、お兄ちゃんも見つけてもらえるかな?
「まあ、その有り様じゃ街も歩けんしな。ああ、心配すんな。最初の方から布を掛けといたから。まあ、その、見えないようにな」
見えないように。私どんな格好してるの。見んな、おっさん。
『ハァ、ハァ……お前よ』
『日頃の行いが悪いのです』
『さすがに子供に手は出さんわ』
『そろそろ味見ごろでは?』
『お前本当に女か?』
私、放置。コレたぶん地面に横たわってるんだよねぇ?いたいけな少女にもう少し配慮を。
『なあ、先ずはこの嬢ちゃんを、街まで連れていこう。んで身なりを整えてやろうぜ』
『着飾らせて、剥くんですね』
『お前詳しいよな!いや、やらん!やらんからな!?』
『念のため、私が。さあ、何か彼女を安心させるような言葉を教えてください』
『じゃあ…ごにょごにょ』
『…なるほど。では』
連れの女性らしき人が日本語で伝える言葉は。
「だいじょうぶ。まちでイイコトしてあげる」
…うおおおお!?
『…ぶはははは!』
『嘘を教えましたねっ!』
『あっぶねっ』
それからしばらくふたりのじゃれあいが続いた。
『…実際どうします。起きませんが』
起きてはいるんだけど。リアクションとれないだけで。
『街で『メイド』長に話を聞こうと思ってな』
え、『メイド』?
『あの『メイドギルド』なる組織ですか。ああいうのがいいんですか?』
中学生にメイド服着せていいことしようっていうの。揃いも揃ってヘンタイどもめ!
『…あれも『あちら』の文化なんだよ』
『ふむ。なかなか、高尚な文化をお持ちで…』
『お前よ、変な見方してねぇか?』
『変なのは総長の頭では?』
『うるせぇよ!』
担ぎ上げられ、たぶん馬車に乗せられ、字幕のない雑談をBGMに私は近くの街へ向かっている…はず。聴覚だけじゃどうしようもない。ああ私の貞操はどうなるのか。メイド服、お兄ちゃんは喜ぶんだろうか。お兄ちゃん、お元気で。私はなんか出荷される牛の気分です。
人々の喧騒が近づく。いよいよ街だ。嗚呼…
『身分証明をお願いします』
『どうぞ』
連れの人が男の人に短く返答する。ああ、門番とか?
『連合総長、お務めご苦労様です!』
『おーそっちもご苦労さん』
なに、デカイ声出さないでよ。びっくりするでしょ。
はぁ。『メイド』さんに会ったら、『メイド服』を着せられて、脱がされるのか。お兄ちゃんが隠し持ってたあの薄い本のように。
『しかしなぜ?メイドはただ家事を代行する仕事でしょう?多少の戦いの心得もあるそうですが、専門職には及ばないはずです』
『末端はな。だが中枢に近づくにしたがって話は変わってくる。その危険度もな。見た目はたいして変わらんが、位階によっては剣や魔法にも長じ、表にも裏にもその名は恐怖と隣り合わせに語られている』
『……はぁ』
あれ、何この空気。メイドの話じゃなかったの?
『お前、あれ覚えてるか。ラクシュ卿の』
『ラクシュ…ああ、大勢の女性を秘密裏に手込めにしていた貴族でしたね。没落、というかお取り潰しでしょう?まさか、あの件に?』
『喧伝されてるわけじゃない。ただ屋敷にメイドが出入りしていた目撃情報はある。基本は金持ち相手の商売だしな。不自然じゃない』
『そしてそれに前後してコトが明るみになった。ひどくやつれていましたね、卿は』
『…知ってたか?卿はもともとクイズのやつとどっこいの体格だったんだぜ』
『嘘でしょう…?』
『本当だよ。精神的にか肉体的にか、何かされたんだろうな。もちろん、色っぽくない意味で』
『あくまで、人間の女性ですよね…?』
ここで、ふたりはさらに小声で話し出す。聞こえても、どうせ意味はわからないんですけど。
『だといいがな。俺はあそこの長、『メイド』長な。その女と会ったことがある。小娘なんだぜ、本当にな。この嬢ちゃんよりも背は低いかも知らん』
『…舐められていたのでは?』
『こっちは見栄えのする精鋭含めて五人、帯剣にも言及無し。相手はその長ともう一人だけ。まあこっちは秘書らしい雰囲気の女だったが無手だった。そいつに茶菓子を出させつつ、一人で俺らに応対したわけだ。どこの小娘にそんな真似ができる?』
『私たちはこれからそんな魔窟へ向かうわけですか…』
『まあ、馬鹿をしなければいいだけだ。だからわざわざ使いも出した。アイツは魔法にも長じているらしい。この嬢ちゃんもどうにか出来るかもしれないな』
『それだけの腕がありながら一組織の長に収まっているのですか。いずこから勧誘でもありそうですが…』
『…とある暗殺部隊の末路を知りたいか?』
『やめておきます』
馬車が止まった。着いた?着いちゃったの?
「ようやくだな。嬢ちゃん、到着だ。まあメイド長どのに期待するとしようや」
何を期待するっていうんでしょうか。
『あー…先に使いを出しといたと思うんだが、連合総長、レンタロウだ。メイド長に取り次ぎを頼めるか?』
『伺っております。身分証明を…確認しました。ようこそ『メイドギルド』へ。案内させていただきますので、こちらへ』
『この有り様を見て何も言われませんね。流石と言いますか…』
『我関せずってだけだろ。かえって怖ぇよ』
たぶん担がれている。女の人だといいけど、おっさんのほうが声が近いんだよなぁ。扉をノックする音。いよいよかぁ。
『メイド長。連合総長レンタロウ様がお出でです。よろしいですか?』
『はい、ご苦労様。お通しして』
『失礼します』
若い声だなぁ。メイド長っていうからおば…妙齢のご婦人だと思ってたんだけど。
『…!』
『な、びっくりだろ?』
『本当に、お若いのですね…』
『うふふ…』
まったくわからん。そろそろどうにかしてもらわないと不安でどうにかなりそうだ。
『そちらのお嬢さん』
『レーンです』
『レーンさん。しばらくご存じないであろう言葉で会話することになるから、寛いでいて?ウルスラ、お願い』
『かしこまりました』
ドアが開き、少し間を置いて閉められる。
「そちらのお嬢さんが、話にあった、空から降ってきたという?」
日本語だっ!そして声可愛い。
「おう。まあ直に見たわけじゃないがな。隕石…ってわかるか?」
「話だけは。空から岩がふってくるんでしょ?怖いわねぇ」
「まあそれが落ちてきたら地面がこう、抉れるわけだが。そういうのから判断してだな」
「ねぇ。どうしてその子は布でくるまれてるのかしら。服は?」
気づくの遅いよぉ……待って、もしかして私、服着てないの!?マッパ!?
「いや着てるよ。ボロいだけで」
「全く…先にその格好をどうにかしないと。『ロットー、何か予備の服あったかしら?』」
『予備のメイド服でしたら』
『無いよりはいいでしょう…じゃあ殿方は部屋の外でお待ちくださいな』
『へいへい』
「さて…あらあら、これはひどい」
衣擦れの音。うう。されるがまま。そもそもどうなっちゃったの私の身体。まさかずっとこのままじゃないよね?
「服はこれでよし。ところで彼女が目覚めないとの話でしたが」
『?』
『失礼。彼女が目覚めないとの話でしたが』
『ええ、そうです』
『思い当たる節はあります。しかし、この方法は当ギルドの機密を晒すことと同義なのです』
『…総長はおそらく同郷のよしみで保護しようとしていただけでしょう。我々も無理にというわけではないのですが』
暇だわー。おかえりなさいませごしゅじんさまー。なんて。
『…そうですか。貴女もいったん外に出ていただけますか。間違っても彼を室内に入れないように。首が飛んでも知りませんよ?』
『…わかりました』
またドアが開いて、閉まる。いよいよか。お兄ちゃん、私はこれからメイドにされます。
「まず、私は貴女の身に起こっている現象を説明することができません」
ええ…
「いえ、何となくはわかっているんですよ?ただ、説明するのが難しいのです。あなたは、以前に絶望したり、危険な目にあったりしましたか?」
確かに絶望して、危険な目にもあった。それで『妙な力』を手にいれたっぽい。お兄ちゃんを追いかけて来てみればこの有り様で。
「私も以前、強く渇望したことがあります。逆境をはね除ける力を。理不尽をただす力を」
メイドさん、ですよね?
「貴女は何を求めたのでしょう?貴女が望むことをもう一度、強く思い浮かべてください」
私が、望むこと。会いたいよ。お兄ちゃんに。
「おそらくあなたは私と同じ力を手にいれた。強い力です。強い力は孤独を生みます。私も力を手に入れてすぐの頃、酷いものでしたから…その話はいずれ機会があれば。では失礼して」
胸に手のひらの感触。そこからぐん、と何かが広がっていく。
「…っ」
「あちらには魔法が無いそうですので、魔力の掴みかたがわからないのでしょう。私の魔力を呼び水にして貴女の魔力を引き起こします。この、感じがわかりますか?」
全身がざわざわする。体の中を何かが走り回っている。気持ち悪くはない。むしろ、高揚感?
「そのまま…その感じを保ったままゆっくり…そう」
視界が開けていく。なんだろう、これ。すごく、すごい!
「お目覚めですね。おかしなところはありませんか?」
メイド服…はまあ置いといて。腕、よし。足、よし。うん、起き上がれる。むしろ身体は軽い。
「あ。そだ。あの、ありがとうござ…」
「ん?」
天使が、そこに。
「メイド…さん?」
「はい、当連合『メイドギルド』の長、アリーと申します」
あんじゃこの可愛らしい生き物は!?ブロンドのカーリーヘア。丸顔で、くりくりの碧眼で、ちっちゃなおてて。
「抱き締めてもいいですかっ」
「落ち着いてくださいね」
「どうかっ」
「頭まで下げないでください…仕方ないですねぇ、少しだけですよ?」
「はい…ああ、すごぉい…ふあふあだあ…」
「………」
堪能した。
「…本当に、すみませんでした」
「もう大丈夫ですから。頭を上げてください?」
いけない。いろいろ感極まって暴走しちゃった。恩人さんに失礼なことしちゃったよ。
「お身体の具合は?」
「快調です。もしかしてあなたが癒しの力か何かを…?」
「いいえ。この力を手に入れた以上、本来病気などとは無縁のはず。先ほどまでの貴女はただ自分を掴みかねていただけ。それが危うかったわけですが」
「い、命の恩人ですね」
「いえいえ」
よし、体が動けばこっちのもの。今いくからね、お兄ちゃん!
「お待ちを」
…え、こんな小さな子に肩掴まれてるだけなのにびくともしないんですけど。でも笑顔。
「当てもなく探しにいくおつもりですか」
「うー…言っても信じてもらえないかもしれませんけど、わかるんです。お兄ちゃんはきっとこっちにいるんです!」
「…ふむ。ですが準備をしてからでも遅くはないでしょう。あと、貴女を拾ってくださった方にもお礼を言うべきでは?」
「あまりいい印象がないんですけど。私を連れ帰ってイイコトしようとしてたみたいですし」
さすがにわかってる。どうせ軽い冗談だったんだろう。
「なるほど」
しかしこの人に冗談は通じなかった。席を立ち、扉を開き、戸口で聞き耳をたてていたオッサンの胸ぐらを掴んで引きずり倒しマウントを取る。マジで!?
『待ってどういうこと?どういうこと!?』
『ウチを何か違う建物と勘違いしていたご様子。確認させていただきます。ひとつ。当方、色事を提供する施設ではありませんよ?』
体重差は明らかでオッサンにまたがるメイド少女はなかなかシュールなんだけど、茶化せる雰囲気ではなさそう。
『ま、待て。何か誤解をしてるな?』
『ふたつ。彼女に何といってここまで連れてきたんです?』
『あっ』
連れの女性が何かに気づいた。あ、この人がイイコトしようの人か。
『…いや、違う!冗談だったんだ。はは、俺がそんなことを許す人間に見えるか!?』
オッサンはたぶん必死の弁解。言葉わかんないけど。
『もちろん、見えません。貴方がそんな腐れ外道だと知っていればこの法国に入る前に殲滅しているところです』
『お、おう』
「一方で、彼女は言葉もままならぬ土地でその手の冗談を言われ、ここまでさぞや怖かったことでしょう。フォローのひとつも必要だったのではないでしょうか、と愚考したわけです連合総長?」
「まったくそのとおり。嬢ちゃんすまんかった!」
「いえ大丈夫です」
お腹の上にメイド少女乗っけて謝罪されても。
「ったく…どいつもこいつも」
「失礼しました。少々、頭に血が上ってしまいましたね」
「違うかんな?嬢ちゃん、ホント冗談だったんだ。俺はそんなことは許さん男だからな」
「はあ」
「女好きではありますよね?」
「フォローしろよ!」
まあ、このオッサ…男の人がまともな人間であるのは信じていいらしい。お礼を言わないと。
「えっと、レンタロウさん。助けていただいてありがとうございました」
「おう、いいってことよ。同じ日本人のよしみってやつだな。久し振りに日本語話せて懐かしいぜ」
「…そうですね」
感傷に浸ってるとこ悪いんですが、今度こそ行かせていただきます。それでは。
「待て待て…おお?ちょ、おい!マジかよ…なんつー馬鹿力」
「女の子に向かって馬鹿力とかやめてください」
「いいから、聞け!」
む、ちょっと重くなった。
「急ぐ気持ちと理由は理解した。だが見知らぬ土地で女の子一人歩かせるわけにはいかん。連合総長としても、大人としてもだ」
「大人、大人って!じゃあどうするの!お兄ちゃんに何かあったら責任とれるの!もし、お兄ちゃんがっ、おに、っく…」
いやだ。考えたくない、そんなの!
「…では貴方が同行してはいかがでしょう、総長?」
「まあ、都合が合えばそれもいいが…どうした?」
アリーさんが、お兄ちゃんがいるであろう方角を見る。さっきまでよりも強く『お兄ちゃん』を感じる。なんで?
「失礼します」
「し、失礼します!連合総長はいらっしゃいますかっ!」
「おう、俺がそうだが。どうしたお揃いで」
メイドさんと係員っぽい雰囲気の人が顔を見合わせ、メイドさんが譲った。
「え、えー、湖沼地帯から巨大な舟が出現、南東へと向かったとのことです!『異世界』の技術の疑い有りとのこと!」
「ご苦労。しかしデカイ舟ならこの世界の技術でも…」
今度はメイドさんが続ける。
「私も同じ報告です。補足しますとその舟は、空を進んでいます」
「あらあら」
「ああ、まあ飛行船ってやつかな。確か、ヘリウムを…」
「お馬鹿」
「いてえ!んだよ、蹴るなよ!」
「平和ボケかしら。ここは日本ではないのよ?」
そうだ。日本なら空を飛ぶ乗り物も珍しくはない。ただこっちは…いや、まだ異世界って実感薄いんだけど。少なくとも科学が発展してる感じはしない。
「あれ?同じような乗り物が無いならどうやって追いかけるの?」
「…馬車かな」
「どうやっても追い付けないでしょ!どうすんのよおじさん!」
「おじさんって…まさか、こっちの住人がこんな真似してくるなんてな…」
「あちらの住人が関わっている可能性は?」
「無くはないが…なあ、さっきの口振りならアンタは直接見たんだな?」
「はい。もっとも一直線に進んでいきましたから、ただ見ていただけですが…果たして、危険な相手なのでしょうか?」
「空を飛べてただはしゃいでるだけなら、それに越したことはないがな。周りの人間が同じように考えるとは限らんよ。俺はそういう連中を少なくない数、見てきたからな」
「空爆、とか?」
「…あくまで、最悪。だがな」
「ねぇ、おじさん」
「レンタロウ、な」
「レンタロウさん。私、行きますから。お兄ちゃんを二度も失うのはごめんだから」
「二度も…ってどういう」
最悪の事態なんて、わたしはもうまっぴらだ。
「総長。これ以上の問答は時間の無駄でしょう。南東というと、ロードラントですね。魔族なるものたちが住まうと聞いていますが」
ちょっと、ヤバそうな単語が聞こえたんですけど!?
「いや魔族っていうと聞こえは悪いかも知らんがな。あくまでその末裔とかそんなのだし、大丈夫だって。いいやつばっかりだよ。ガレアスのやつどうしてっかな…」
そんなとこにお兄ちゃんがいて、空爆の危険性があるっての?異世界ホント忙しないなぁ。
「本当は大人しくしといて欲しいがなぁ…まあいい。おい、各支部へ連絡は密に。状況が動き次第逐一報告するように。『専守防衛』だが、攻撃してくるようなら各自の判断に任せる。俺はこれから…彼女を連れてハドモントへ向かう。支部を経由していくからその都度、情報をまとめておいてくれ」
「了解!」
頷き、部屋を出ていく男の人。報告に来たメイドさんがアリーさんに命令を仰ぐ。
「我々はどうしますか?」
「興味はありますが…まあ、陽動であることを視野に入れて、私たちはここに詰めていることにしましょう。お嬢さん、その服は一旦お預けします。できればメイドギルドの看板に泥を塗らぬような振る舞いをお願い致します」
「は、はい。気を付けますっ」
マウント取られて教育的指導は勘弁ですから。




