忘れじの庭、ハドモント
のどかな景色が続く。異世界ものならばそろそろ乙女の悲鳴が聞こえてきたり、盗賊の襲撃などがありそうなものだが、そんなものはなかった。そのかわり、なにやら狼らしき動物が数匹、連れ立って近づいてくる。
(父さま、父さまって)
ぺしぺしと叩いて父さまを呼ぶ。が、ニヤニヤと、狼が近づいてくるのを待っている。イヤイヤイヤ。真ん中の奴見ろって。ホレあの顔。マンガみたいにバッテン傷が…って毛並みか、これ。
息がハッハッハッって……近いよ!
『ベル、そんな恐がらんでも大丈夫だぞ。話せる奴だからな』
そうは言うけどもさ。
『久しいな、ガル』
『おう、しばらく』
そういう意味かよ!
喋りやがった。さすが異世界。この狼たちは父さまたちと同じく森とその周辺の警戒を行っているらしく、この辺りがやたらのどかなのは彼らのような人以外の存在が独自の警戒網を持ち、人以上の索敵能力を以てこの辺りを警備しているおかげだそうだ。すげー。ただの子煩悩じゃなかった。
『昨日オース捕まえたんだがよ。食いきれなさそうだったからな。よけりゃ持ってけ』
『ほう…ありがたく。おい』
『はい』
昨日小分けにしてたやつか。隣にいた女の人っぽい声の狼が鞍のようなものに小分けの肉を担ぐ。大丈夫か、落とさんのか?
『こっちの小さいのは娘か?』
『おうよ。可愛かろう?』
『…ああ、そうだな』
気ぃ遣わせてんじゃないよ。
『ベルガモートともうします。よろしくおねがいします』
『ふふふ、そう畏まらずとも。撫でるか?』
『よいのですか?』
『う、うむ。肉の礼ということでな』
実は犬派。おお、この、おお…ああ、癒されるぅ。こっち来てからモフモフ分が足りなかったからな。もふもふもふもふ………
『そろそろ、いいか?ベル』
父さまの声で我に返る。
『ハッ!? はい、満足、狼さん、ありがとうございました』
『ん、んむ。道中気をつけてな』
いかんいかん。つい夢中に。おや? バッテンさんはお見送りしてますが、隣のメスオオカミさんはバッテンさんをガン見ですね。ははあ、そういうことなんです? 心配しなくても、盗ったりしませんよ。
時刻は昼の少し前ぐらいか、街が見えてきた。今日はそれほど込み合っていない日のようだ。馬車を借りるときと同じ身分証で通してもらい、門のそばにある停留所に馬車を停め、通りを進む。
人の往来はまずまずだ。大都市というほどではないのか。最も目を引くのは、街の外からも見えていた大樹だ。この樹を中心に街が栄えてきたのだろう。周囲の空間は広く確保され、ベンチが並んでいる。憩いの場ってやつだな。今も若い男女が初々しくイチャついている。おやおや。
若いおふたりを尻目に、さらに回り込むルートを進むと商店が立ち並ぶ。ここは…なんだろう。農機具やら金属製品やら、調味料やら。さまざまなものが並べられている…雑貨屋?
『ここはミゲルの店だな』
『何屋さんですか?』
『……何屋だろうな?』
『ええー』
『ガル…もう。ここは、そうね。いろんなところで見つけたものを売り買いするところ。よその街や、もっとずっと遠くともやり取りしているのよ。ミサイルの花もここを窓口にしてるのよ』
ほっほー。輸入雑貨、てか? 浮き沈みが激しくも感じるが、当たりゃデカイか。貿易が盛んなら、この世界の情報も拾えるだろう。この店は特にチェックだな。
『ははぁ、やっぱ子どもはこういう所が目新しくていいか。レダ、ちっとお裾分けしてくっからベルを見ててくれよ。なんかあったら中央なり…詰め所までな』
『ええ』
『あ、いってらっしゃい。父さま』
ついつい女の子らしい高い声を出してしまう。父さまは舞い上がり、戸口にぶつかる。大丈夫か。
『おお、これはこれはお揃いで。ガレアスよぅ。ウチを壊さんでくれよ?』
『ははは、すまんすまん! ちょっと回ってくるから、後頼む。嫁と、娘な。俺の、娘! な!』
『わかったわかった。ま、ゆっくりしてこい』
店主さんは赤ら顔の男性で、頭頂部が少し控えめないかにも『おじさん』といった顔立ち。ミゲルさん、だったか。とりあえず愛想よくしとくか。
『あら、どうしましたミゲルさん?』
『は、ああ、いやいや。随分大人びた笑いかただな、と。立ち居振舞いも随分落ち着いてる』
『うふふ、自慢の娘ですよ』
『なるほど。うちの息子にも見習わせんと。実際十は上に見える』
精神年齢はそんなもんです。さすが商人。目ざといな。
『あらあら。女の子だからまだいいものの。女性に、上に見えるなんて』
『や、これは失礼』
どうやらこのおじさんは基本窓口らしい。行商人やら旅人やらが持ち寄った品物を遣り繰りして商売しているとのこと。まあ移動手段は限られているようだし、店主が遠くまで買い出しには行けんか。広く取引しているだけあって品揃えは雑多だ。金額もまちまち…おぅ?
『あの、ミゲルさん。これ、手にとって見てもいいですか?』
『構わんよ。しかし、その歳でもう身なりに気を回すか』
そっと櫛を手に取る。まあ、櫛だ。古式ゆかしい半月型の。艶はあまり無いがこれは元からだろう。金箔ではなさそうだがきらきらと輝く箔が。真鍮とか?金額は地味に高い。輸入物かつそれなりに誂えた品物だろうし、仕方なかろう。
ちなみにこっちは硬貨制。証書やら小切手やらあるかもしれんが庶民が見るものでもなかろう。全ての硬貨の大きさが一緒で、地の色は白。それぞれ金(おっさんの横顔)銀(剣と盾)銅(植物、たぶん麦)の装飾が施されている。なんなの、どんだけコスト掛かってんの?随分前に『貨幣狂』なる人物が今のように取り決めたようだ。狂、て。
『そりゃフソウって国から来たもんだな。洒落てるだろう?』
ふそう。扶桑って言った? あるのか、ヒノモト的文化。方角はここより北東、海上の島国らしい。ニッポンじゃん。他にも西のアルヴァンス法国やら、メイディーク探究都市やらさまざまな話を聞く。話を聞く限り、この世界は結構豊かなのではなかろうか。父さまが戻ってきたので話を切り店を出る。日用品をいくらか買い込んでいた。櫛はまた今度だな。今のところ髪は伸ばすつもりなので、気をつけてやらねば。女の子の身体だし。
『じゃ、そろそろ飯にするか』
『おー』
そういや基本家で食べてるしな。外食は新鮮だわ。酒場っぽい場所が見えてくる。しかしそこは中心にデカイ樹が立っているような街の酒場だ。カフェとしても利用できると思わせる洒落た造りになっている。そりゃおばさまも男連れてくるわな……んですとォ!?
『どうしたベル、わたわたしてよ?』
『ちょ、ま、父さま』
待とうぜ待とうぜ、一旦待とうぜ。昼間だし、もっとこう、大衆食堂的なトコでがっつりいくのも悪くないとベルは思うな!?
『おお、姉貴。男と一緒か。邪魔するぜ』
『ああ』
いや、ああ、っておばさま…あれ、俺が気にしすぎなの? そういうんじゃなかったの? 母さまに視線を向けると、ゆっくり首を横に振る。だめだこりゃ、らしい。若い男に会釈する。苦笑いだ。少なくとも邪魔されたとは、思われてないかな?
どうやら食事を兼ねた面接だったらしい。北の方から流れてきたらしく、知らずに湖沼地帯に入って大変だったとかなんとか。北、か。
『北にはなにがあるんですか?』
『そうだな…やはり最たるものはヴァーラ山脈に囲まれた獣人たちの国、ラズラかな?』
おっ、獣人ですって!? そういう情報待ってましたよ!
『獣人っていうのは!?』
『動物のような耳と尻尾をもつ人たちさ。中には動物と変わらないような顔をした人たちもいる。初めてみるとびっくりするかもしれないね』
バッチコイです。
『あんまり驚いてないね。将来大物になるかな?』
『なんだか見ない間に大きくなった気がする。早いなぁ』
『ホントに。ミゲルさんの店でも大人っぽいなって言われた。もうちょっとゆっくりでもいいのよ?』
何となく笑っておく。料理の注文を忘れていたので父さまが適当に何品か頼む。大きくなった云々で思い出したのか、母さまがおばさまに口を尖らせて言う。
『聞いてよ義姉さん。ガルったらベルに剣を教えるつもりらしいのよ?ベルも乗り気みたいだし』
『え、何かまずいのか?』
しれっと返すおばさま。まあおばさま見るからにガチ前衛ですもんね。
『こんな、こんなかわいらしい手もいつか戦士の手になっちゃうとか思うと、もう、もう』
『それは私の手が…いやなんでもない。まあ、確かに。とても剣を握る手には見えんな』
ふたりして俺の手をぷにぷにもみもみ。くすぐったいんですけど。しかし別に剣を志すと言ったつもりはない。今はあくまで体づくりが基本だ。ここはきちんと言っておかんと。
『母さま、お、わたしは魔法も習いたいです。ワガママですか?』
『…本当? 私が教えてあげられること、ちゃんとある?』
さびしかったんですか? 母さまってば。
『はい、どうかよろしくお願いします』
『もうもう! そんなに畏まらなくても。いっぱい教えてあげるっ! 目指すは法国近従? メイディーク主幹探究師?』
なんか随分な肩書きが並ぶ。そこまで御大層な身分はいらない。って言うかふたりの後を継ぐ場合はここから離れるワケにはいかないからな。
きゃいきゃい盛り上がる母さまを眺めつつ運ばれてきた料理に手をつける。やっぱりウマイ。そこそこ噛みごたえのあるパン。サラダはレタス的なものや紫キャベツ的なものやらの上に、下茹でした根菜か。食いでのあるサラダだ。ラタトゥイュらしき料理に手を伸ばす。鶏肉、ギルースか。その食感と絡むトマトの甘辛な味付けに食がすすむ。
ここが、当面の拠点となるであろうハドモント、か。いいところだよな。のどかで食べ物もうまい。転生してからどうなるやら、だったが、いい人たちに囲まれて幸せものじゃんか。
あとは剣に魔法に、可能ならば、可愛いコとイイ感じに……いやしかし、こちらで女の子同士って、どうなん?親孝行考えるなら子どもの一人や二人、ぐむむむ。