少年、少女に生まれる。
…頭がふわふわしている。
…なんだ…っけ。俺、は? どうした? どうなった?
『ほぁあ…俺の娘…かっ…わいいなぁ』
『変な顔。義姉さんには見せらんないわね』
『オイオイ、秘密だからな。姉貴に見られたらいじり倒されるに決まってる』
『いいじゃない。父親なんてそんなもんよ、きっと』
誰かが何か話している。日本語じゃない。フランス語が、こんな感じだっけ?
『な、なんかおとなしいな…あんまり泣かない子ってやつか?』
『手がかからないのはいいけど…ちょっと拍子抜けね。おっぱいあげとこっか』
こ、困った。どうすんだコレ…ん、なんすか? コレ。押しつけないでくださいよ…あ、ステキな感触…ふにょん、と鼻の先に当たるこの柔らかさはまるでおっ─
『ふぁあああ!?』
『ええー! な、何なの!? 私の胸が気に入らないって言うの!?』
『全く、この大きすぎず小さすぎずの絶妙な大きさの…イテッ、蹴るなよ。誉めてんだぞ?』
『アナタは黙ってて…あ、良かった。ちゃんと吸ってくれてる……んふふ、かわいい。私もこんなだったのかな…』
まあ…だいたい、読めてきた。これはアレか、生まれ変わっちゃったヤツか。死んだ覚えないんですけど。生まれ変わった自覚は無いでもないが、詳しいことはどうにもはっきりしない。頭の中に余計なものが詰まっているような感覚だ。苦痛ではないけども、モヤモヤするなあ…
『ま、またしかめっ面…おお、よしよーし。機嫌直してー』
ああ、顔に出てたか。すいません、お母さん。ニコォ。
『かわぇえ………俺の、娘はァ!世界一いいい!』
たぶん窓開けて外に叫んでるんだろうけど。
『アナタ。気持ちは分かるけど、近所迷惑だから』
わが父と思われる人、声でけえな。わが母も同じツッコミをいれたに違いない。
に、しても転生ですか…参ったね。いろいろ読んだり妄想したりしたもんだけど、自分がいざそうなると…もう、手も足も出ねぇなコレ。実際まだ赤ちゃんみたいだし、首も据わって無さそう…当面は赤ちゃんやってくしかないな。
…てかいつまで吸ってりゃいいんだろう。赤ちゃんも腹一杯になったらゲップ、したよな。てことは気が済むまで吸ってていいのか? …じゃあ仕方無いな。だって俺赤ちゃんだもん。
しばらくすると腹一杯になったのか眠気がきた。今後のことは、起きてからゆっくり、考えるとしよう…おやすみ、父さん。母さん。
─ ─ ─
転生したと思われるあの日からまたしばらく経った。もう自分の目で周りの様子も確認できる。
ベビーベッドから見える壁や天井は漆喰やら木材やらが主な材料か。金属を加工する技術もあるようで、ランプらしき道具も使われている。極端に不便な暮らしということは無さそうだ。というか下手な転生ものよりは余裕のある生活をしているように見受けられた。
両親のこともいくつか。父の名はガル。母はレダ。お互いを呼んでいるときの単語なので間違いないだろう。あんまりにも短いので愛称かも知れない。
父はなかなかに立派な体格をしている人物だ。横幅こそ控えめだが、短く切られた赤毛と口周りの立派なヒゲはどこぞの征服王を彷彿とさせる。ただ、たまにヒゲジョリをしかけてくるのはいただけない。
母はけっこう若く見える。というか少しギャルっぽい。ヒゲおじさんな父の隣にいるとまさしく美女と野獣だ。夫婦の仲は円満なようで、窺える範囲ではじゃれあうことはあっても、本格的な喧嘩は見たことはない。まあ赤ん坊の見てる前だしな。
問題はその赤ん坊、俺だ。自意識的には間違いなく「俺」のはずなんだけど…この身体、あろうことか「女児」のものらしい。転生ヒャッハー!と浮かれていたら、まさかのTSもの…両親ともに俺が娘であることに疑いはないようだ。不気味がられるのは嫌だし、娘としてやっていくしかないか…
─ ─ ─
またある日、知らない女性が訪ねてきた。父以上に真っ赤な赤毛を後ろで簡単に縛り、腰まで垂らしたイケメン…もといイケウーメンだ。
『ガル、レダ。しばらくぶりだ…元気にしていたか?』
『ああ、変わりねぇよ』
『私もよ、義姉さん。そっちこそ怪我とかしてない? ごめんね、いきなり休み取っちゃって』
『こればっかりは仕方ないだろう…まあ、ガルにはもう少し考えてもらいたかったが』
掛け合いのあとシニカルな笑みを浮かべる女性。父はこの女性に頭が上がらないようで苦笑いだ。
にしてもマジイケメン。ゆったりと椅子にもたれかかり、足を組むまでの動作が流れるような見事さで実に絵になる。おそらくその所作は鍛練で鍛え上げたものだろう。露出している腕や腹筋は野性を剥き出しにした獣のようだ。
『それで、だな。その子が、そうなのか?』
『ええ。私たちの娘よ。義姉さんの姪っ子ね』
『おお…抱っこ、抱っこしてみてもいいか?』
む、両親以外にだっこされるのは初めてかもしれない。この人もさっきまでの余裕はどこへやら、おっかなびっくり自分を抱き上げるのでつい笑ってしまう。
『ぁぁ…笑った、笑ったぞぉ…』
にやけた顔が父そっくりだ。あんたら絶対姉弟だろう。
『ぁぁほらまた。かわいいなあ』
『当然だろ。レダの娘だぜ?』
『意外と子煩悩な人だったのね、義姉さん』
おばさま(仮)はさっきからデレデレで軽く揺すりながらあやしてくるのだが。ちょ、一旦下ろそう? な? 今揺すられるとな、ホラあれが、あっ…あー…
『…ん?あっ、あー!しまった!揺らしたのがマズかったか?レダ、オシメオシメ!』
『あーやっちゃったか。ガル、オシメと拭けるもの取ってきて』
うう。赤ちゃんだから仕方ないとは思うが、メンタル男子中学生のこっちとしちゃあ恥ずかしいったらないわ。申し訳ないです、おばさま。
『先にお湯用意しとこうか』
母が視線を横に向けると、顔の隣に水の球が出現する。みるみるうちに水量は増していき、加熱もしたのか湯気まで立ち上る。
『相変わらず見事なものだな』
『私は剣術とかからっきしだから、これくらいはね』
ま、魔法キター!? しかも意識するだけで? かあさま、もうちょいとくわしく!
いやしかし、来たね。やはり転生ものならこうでなくちゃ。…いや、かあさまが極端なチートって線もあるのか。
『どうしたのベル、魔法に興味あるの?』
ハッ! 今のは、魔法に興味があるかと聞かれたのか? あります、ありますとも!
外見的にはただはしゃいでるように見えるだろう。実はすんごくはしゃいでいる! …だがまだだ、まだ焦る時間じゃない。自分が落ちこぼれである可能性だって無くはない。まずは地盤固めだな。発音の練習でもしよう。『まほー』、『まほー』ね…
『ぁ、おーぉ』
『『えっ』』
やべっ、声に出た。
『い、今…喋った?』
『い、いや、いささか早くないか? このくらいの歳なら意味不明な発音もするだろう』
顔を見合わせ、不思議がるご両人。ど、どう出る……いや、まず綺麗にしてくんないかな。さすがに不快ですよ、泣きますよ?
『ベル、まほう。まほう、よ』
続けるんか。一回だけですよ、もー。
『あぁーお』
金属の板を取り落としたような派手な音。父さまがタライを落としたらしい。真顔になった父さまは勢いよく窓を開け、叫ぶ。
『俺の娘は天才だぁーっは!』
『…近所迷惑だ』
おばさまの突っ込みが父さまの後頭部を襲う。
『いや、近所なんかどこらへんの話だよ』
『うるさいよ』
声デカイな、父さまよ。
─ ─ ─
ハイハイが出来るようになったのだが、本能が首をもたげるのかつい家の中を走り回りたくなってしまう。たかがハイハイ。これが案外面白い。子どもの身体とはやはり加減を知らないようで、ちょっと勢いに乗り出すとずんずん前進して訳もなくテンションがあがって、椅子の足に衝突して泣く。学習能力が無いわけではないが、それでもテンションの上がりようは子どもの身体に引っ張られているようだ。そうして配慮なく走り回っていれば“そういう”場面にも出くわす。
(『父』『母』『水』『魔法』『剣』…そこそこ語彙は増えてきたけど、きちんと声に出さないと身に付かないからな…早く大きくなりたいもんだ。そのためにはよく食べ、よく寝る。これだな。かあさまーおなかがすき…ました…よ?)
『ガル、駄目よ…こんなトコで…ベルに聞こえちゃう…っ』
『いいじゃねぇか。口づけだけだから…な?』
口づけだけとか言いながらちょっとがっつきすぎじゃありませんかね。かあさまも実はキライじゃないんでしょう。二人の距離は無くなり、とうさまはかあさまの腰を強く抱き寄せ、かあさまはとうさまの腰から背中へと撫で上げるよう手を回し、一度だけ、しかし糸を引くような熱い口づけを交わしたところで…俺と目が合う。
『ぶーっ!やっ、ちょっと、いつから…!』
すいません。大体、最初から。
『まったく、ませた娘だ。すぐメシにするから、もうちょっとだけ待っててくれよな?』
『ぅあー』
俺を抱えて椅子に座らせ、一旦席を外すとうさま。取り繕ってましたが顔真っ赤でしたね、とうさま。いいんですよぉ? 仲の良い夫婦で羨ましい限りですな。ま、家族計画はしっかり頼みますぜ。年の近いクッソ生意気な弟とかは勘弁な。クッソ生意気な妹なら許容範囲…
『…ベル?どうしたのー?』
こちらに振り向く母に思わず素で返事をしそうになったがなんとかこらえ、何事もなかったように一人遊びしているふりをする。幸い何事も無かろうと判断したのか、いつもの離乳食のような食事の調理にかかる。
(なんで…なんで今まで思い出さなかったんだよ! 妹のこと、家族の、こと………浮かれてたってことか、俺は)
事実だろう。間違いなく浮かれてた。ファンタジーな事実に舞い上がって現実を…
現実…? 俺にとっての現実って、今この瞬間じゃないのか?今から地球に帰って…そもそも、帰れるのか?
今では前世とは性別からして違う外見。自分がこっちに来てからどれほど時間が経ったかも曖昧。もし帰るための手段があったとして、自分は地球に帰るのか? 自分に、『娘』に惜しみ無い笑顔を向けるこの人たちを、置いて。
あー…くそ。どう足掻いても俺親不孝ものじゃんよ。まあ、若くして死んじまったらしいし…
『はい。ベルぅ、ごはんですよぉ?』
へぇ、いただきます。
『ぅああ……がわいいぃ』
『んだよ…お前だって人のこと言えねぇくらいデレデレしてるじゃねぇか』
『い、いいじゃない。母として、惜しみ無い愛情を注いでるだけよ』
照れてますね。生温い視線を向けたくなります。
つか離乳食とか言って普通に味するな。塩分濃すぎない? 異世界なら基準からして違うもんなのか…。
さて、腹も満たされたし眠気が来る前にちっと整理しとくか。今はベッドで寝かされてるが身体が大きくなれば二人と一緒に寝ることもあるかもしれない。そんな状態で下手な行動はとれんしな。
かあさまと、同じベッドか…オゥフ。
落ち着け、俺。あの人は、は、は、お、や。なにも疚しいことはない…ってか疚しいとか考えるのがいけねぇんだよ!
ふぅー、平常心。平常心だ…クールにいこう。
まず、自分は異世界へ転生しちゃったらしい。なんでか女の子に。そういえば神様らしき存在には会ってないな。ホントたまたまこっち来ちゃったってことか。じゃ死因的なものはなんだ。こっち来る前の最後の記憶は……『昨日』、ゲームやってて、風呂上がりの妹に抱きつかれたんだよ。そんで、ああ、コイツもいつまでもコドモじゃないんだなって─
…去れよ、煩悩ォ!
あー…そんで?その日は普通に寝たか。んで、寒ぃ寒ぃ言いながら起きて、妹と一緒に家出て。電車待ってて、ああコイツは快速だから停まんねぇなって…視線を戻したところで後ろからドンって。
そこまで思い出して、唐突にフラッシュバックする光景。完全に不意を突かれたからか、勢いよく飛び込んでしまった。その勢いのまま体は回転し、真顔の運転手が視界に入る。あ、こりゃまだ脳みそが認識してねぇなと思ったタイミングでぐっと押され、壁にぶち当たる感触。次に背中に当たったのは固い、二本のおそらくレール。そしてそのまま音が聞こえなくなり、自分の身体を、電車が通過していく。
(あ、あ、あっ……っ…くそっ、なんてこったよ!こんなことなら…いや、忘れたまんまではいられねぇか……クソが)
かろうじて叫ばなかった、粗相もしてない自分をほめてやりたい。直接的な苦痛を感じなかったからか。この『ベル』の身体の記憶ではないためか。それでも全身を塗り潰すような圧倒的な感覚に鳥肌がたつ。
俺は、殺されたのか。
ろくでもない事実が明らかになってしまったが、意外と心は平静だ。背中に思い出される突き飛ばされた感触は生々しく、許してはいけないとも思うが、強い執着も感じない。むしろ残された家族が心配だ。妹はまだせいぜい小学校高学年、か。感情を抜きにしても、身内の死は堪えるだろう。自棄にならないといいが。
というか、あの場に居合わせたなら目撃者になってる可能性もあるか。朝のラッシュで人は多かったから妹だけが恨みを買うとか無いと思うが、すぐ隣だったしな…あー、きっちり仕事してくれよ? 警察さーん…
今や自分に出来ることはないだろう。法治国家を信じるだけだ。まずは自分がこちらで生活をしていかなければならない。魔法もあるし、おばさまのバリバリに鍛え上げられた身体を見るに、男女の区別なく荒事に身を投じることもあるのかもしれない。地球の常識も通るかはわからない。ふと、自分の両の掌を掲げて見る。
小さい手だなあ…オイ。
自分の手という実感は持てているが、何ほどのこともできそうもない小さな手だ。幼い頃見た妹の手を思い出す。守ってやらんとな……いや、これは俺の手か。
両親の愛にも応えてあげたい。向こうじゃ思春期真っ盛りだったが、生まれ直してからこちら、あのふたりを見ていれば悪感情など湧きもしない。性別が微妙な具合になってしまったのが申し訳ない限りだ。孫の顔とか期待されるんだろうか…うーん、それはまだ気が早いか。いずれ考えよう。
そろそろ眠くなってきた。総括、健康に育つ。いろいろ学んで、身の証を立てる。できれば強くなる。ほどほどでいいだろう。とりあえず家族の力になれればいい。…余裕ができれば地球に赴くことを考えてもいい、期待はしてないが。こんなところか。
あと、しばらくはあちらの細々としたことは内緒だな。あの父親の性格を鑑みるに『そうなのか、すげぇな!』で済ませそうだが、母は個人的な見立てでは保守派なツッコミ役なのかもしれない。
あとは、あとは……いかん、眠いな。明日から…がんばろ…