人気があるようなので料理作品を書こうとしたが書けなかったので理由を考えていたらその時間のほうが長かった
此処一、二年でなろうではとても目立つ「料理」ジャンル。
商業作品をちょっと思い出してみましょう。
今でも色々なところで度々話題があがる「美○しんぼ」も料理作品のジャンルであるし、ドラマ化が大ヒットした「孤○のグルメ」もそうですね。
「○きたてジャぱん」「○ッキングパパ」「中○一番」「鉄○のジャン」「○スター味っ子」「○太の寿司」「○麗なる食卓」「ズ○ラ飯」、アニメ化で話題の「幸○グラフィティ」「食○のソーマ」……挙げていくとキリがない。というか漫画ばっかり多過ぎる。
この「料理」ジャンルが小説、漫画、ドラマでも数多く存在するのは、「食」に関してはうるさいと言われる日本人ならでは、といった見方もあるようです。
「料理」のジャンルというかカテゴリーというか、「料理人・料理店・食レポ・料理バトル・料理は添えるだけの人間ドラマ・食文化の発展・飯エロ」という見せ方の違いをおこなって他作品と差別化を図るのだから増えていくのも当然なのですが。
「○ンジョン飯」「ト○コ」「○長のシェフ」といった変化球を含め考えれば、これからも「食」に関しての作品は増えていくでしょう。
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ところで。
僕が好きな料理「系」漫画に「ハッスルで行こう」という作品があります。これに影響を受けて京都へ行ったのも懐かしいものです。
この漫画は調理師専門学校へ通いながらレストランでアルバイトをしている主人公と、周辺のキャラの成長をストレートに描いています。
料理「系」の恋愛もの漫画であって、料理バトルだの足の引っ張り合いだの素材の薀蓄だの食べたリアクションで引き込むだのと、そうしたものはありません。
そういったいかにもな「漫画」要素もいいのですが──この作品では、刺激的ではないけれど静かで前向きな、優しい世界を味わうことができます。
食材を見つけて解決、技術を身に着けて解決、料理を食べさせて解決、敵を倒して解決といったところの、派手な「アクション」では出せない「味」があると思います。
「ちょっと頑張りたくなる」という、そんな気分にしてくれるお話しです。
アクションの描写重視、ストーリーの展開の速さ、濃厚な設定などを求める方々が多い時代ですし、何より二十年近く昔の作品ですから「最近面白い漫画ない?」に対してこれを答えるといったことはまずないのですが、僕の中ではずっと好きな漫画の一つとしてあり続けるでしょう。
絵柄などで時代の古臭さを感じるかもしれません。
しかし芯がある作品においては絵が古くてもそこは重要な事ではなく、良い作品はいつの時代のものであっても良い物だとわかります。
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「なろう」の話になります。
自分が「なろう」で「料理もの」を書いてみた場合のことを考えたのです。
「なろう」のランキング上位に現れる現代職業系の作品のあらすじやさわりをざっと見ますと
<「異世界」「転移」・「転生」に「職業(知識チート、技術チートを持つ)」の人物が行く>
というのが鉄板として使いやすいようですね。
これは「異世界」と「職業」でストーリーを手早く成り立たせるには「異世界」に「技術職」をぶち込むのが最適解だというのをよくわからせてくれます。
元がそうした特定の技術を持つ職に就いていたのなら、「チート」と扱われる類の能力を最初から発揮しても違和感がありませんから。
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とはいえ、現実世界の職業を何でもやってみればいいというものでもないなと気がついたわけでして。
例えば自身では何も生まない・作らない職、近現代だから存在している職、特定の社会環境・自然環境だから通じる職などは、主人公に「都合が良い異世界」を書くか、よほどの「筆力」が必要になる──ということを、自分で幾つかアイデアを書いていたときに発見しました。
「本の評論家が異世界に行った」としましょう。
「本の評論家」が最低限活躍できる下地を少し考えてみますと以下のものがぱっと思いつきます。
・異世界の文字が読める
・精確な評論が出来る程度には異世界の知識がある
・本というものが何処の人間にも一般的である
・その世界、国、地域では評論が許される自由がある
・有能な上位層がその評論の価値を理解できる
など
わざわざ主人公を「本の評論家」とするなら「評論」が武器となります。
これが「本の知識」を基にした「現代知識」を武器とする主人公ならば、「普通」の「本好き」でいいわけです。
「不動産屋」にしても「銀行員」にしても「ブロガー」にしても同じです。
どれも近代の整った環境だから存在できるのであって、異世界でそれが優遇されるような環境を無理してまで当て嵌めると「ただ都合の良い異世界」になります。
「不動産屋が現代日本の知識を使って異世界で成り上がる」
これの設定を活かすとなると相当の苦労が必要になるのではないでしょうか。一発、二発のネタはできても他は人間ドラマでお茶を濁すだけになるしょう。
それでも押し通すとなれば、異世界の住人が全般的に賢くないというような「都合が良い異世界」が必要になるのです。
言葉のニュアンスで通じない人の為にも書きますと、ここで繰り返し書いている「都合が良い異世界」とは、「主人公アゲ」のためだけにキャラと設定が動く異世界です。
(「主人公すげえ、異世界人よええ」と捉えていただいてもいいです)
主人公が手に職を付けていると、そうしたあからさまに「都合が良い異世界」であることの印象を薄める効果が出ていると推測しています。
主人公本人が何かを個人単位で創りだせる「技術職」というのが主人公の職で人気になるのは当然の帰結なのです。
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随分話がそれましたが「なろう」で「異世界」「料理もの」を書いた場合のことに戻ります。
「食事」は人間にとってとても身近な問題のネタであり、また、職業が「料理・食事」に類したものでなくとも、生きる上では外せない問題であるがゆえに関心が持たれ易いという手堅さもあります。
「突然異世界に来た。戦乱のこの世界で生き残るために渡された食材を使って日本でよく見られるカレーを作った。現地の皆に大好評で料理人として認められ、知らない内に皆の悩みも解決していた。やったぜ」
といったシンプルな内容のものを書いたとしましょう。
・食材になる野菜と動物は日本・地球と同じか?
・怪しい立場の主人公は周囲からの疑惑をどうにかできるのか?
・突然あてがわれた食材をいきなり丁度良い塩梅に調理できるのか?
・火力調整と調理時間、そもそも調理手順は地球と同じか?
・腕前の良さを誰にでもわからせるようなアクションが取れるのか?
・味覚は三者三様、千差万別、十人十色なのに皆に大好評になるか?
・戦乱中ならば使用される食材の入手難易度はどうなるのか?
・住人のエンゲル係数はどんなもんなのか?
・様々なイデオロギーから食べていいもの、いけないもの、好まれるもの、嫌われるものはないのか?
・食器やナイフやフォークは何製で、その素材を加工できる文化レベルはどの程度浸透しているか?
といったようなことを「直接」書かなくとも表現しなくてはならないわけですね。
展開的にすぐは書けず、徐々に明らかにさせることであっても疎かにはできません。
そうした「世界観」を放置しておくとどこかで矛盾を産んだり、話に穴が出来たりしてしまいますから。
便利で誰にでも通じやすく興味を持たれやすいネタだけに、単純な調理知識や素材知識・具材知識は勿論のこと、食文化のレベルやインフラの問題、気候や風土から動植物の生態系、更には政治経済にいたるまで、「食事」に繋がるもの全ての設定を考えておいたほうがよいのでしょう。
たとえ作中でネタとして用いなくとも設定しておくときっと楽なはずです。 (設定、準備したネタ全てを作品内容に流用するような人はいないと思いますが念のために書きますが、設定を全部内容で出すのはダメだと思います)
これら設定の重要性ときたらかなりのものになるのではないかと。
こんなことを書くと「読者はそんな細かいことまで気にしない」と言われそうですし、実際にここまで読んでくれた方々には思われているでしょう。
重箱の隅をつつくような読者よりも、作者の創る世界に浸りたい人が多いはずですし、「なろう」ではそういった設定を極少数の読者しか気にしない傾向があるように見えます。
僕自身も「細かいことは気にしないし、面白ければいいじゃないか」と思う側でした。
しかしそれでは何処かで躓くのだと遅まきながら思い至りました。
そんな手抜きの状態では面白いと思ってもらえるのなんて一時的なものじゃないのかと。
商業作品になって、商売であればそれでもいいのかもしれません。
とにかく瞬間的にでも売れる商品を書くというのがプロの仕事なのだろうと思います。
しかしその一時的な期間が過ぎてしまえば熱狂的だった方々も飽きますし、冷静かそれよりもやや批判的な見方をしてくるでしょう。
作者でそれが問題無いと考えるのであれば、それはそれで良いと思います。
けれど手抜きをした状態で自分が納得できてしまうのでしょうか。
本当に自分が書きたかったのはそんな手抜きの作品だったのか? と。
そこまで考えてしまってから自分で「料理」作品は書けないことに気がつきました。
「料理」作品を書いた場合のことを考え出したのも「人気」というものを気にして考えたからです。
根っこにあるのがそんな理由で書いても長続きしないし、自分で面白いと思えないでしょう。
(今ある自作品は自分である程度納得しています。読まれてないけど)
先ほど書いたような料理作品に必要な設定の量を考えてみますと、精査してまで書く情熱もありません。
書いている自分が面白くない、準備も大変、読まれるかも不明、熱意もない。
目的があるなら別としても──趣味でそんなものを書いている奇特な方は少ないのではないでしょうか。
(書きたくないものでも書く訓練というのなら理解できます)
少なくとも、僕には書くことが不可能でした。
長くなってしまいましたが「タイトル」の通り、自分で書けないことを理解することができました。
「強い関心もなく、情熱もなく、やる気もなく、たいした理由もなく、自分には書けない」
そういうことなのでしょう。
別に北大路魯山人や池波正太郎といった偉人のセンスを目指していたわけでも模倣しようとしたわけでもないのです。
それでも全然書けませんでした。
正直に書きますと、少しばかりですが資料や参考になるような作品に目を通し、初めてプロットなども準備してと、既存作品の続きも書かずに時間をとっていました。
最初にずらずら書いたグルメ漫画のタイトルも、どういったものがあるのか調べるまでほとんどを知りませんでした。
その時間のすべてが、気がついてしまったばかりに無駄となったのです。
皆さんはこのような無駄な時間をとらないためにも、
「なぜそれを書くのか?」
をはっきりさせておくことをおすすめします。
これを自覚しているか、していないかは内容に大きく影響が出ると思います。
丁度書き終わったあたりで少年漫画「銀魂」作者の「努力も結果も~」という名言が目に入ってきて「あ、そうだな」と納得しまして。
このエッセイは努力も結果も出す前から諦めた人間の感想です。