本屋と異変
明くる日の午後、秀人とアイジスの文官達との会議が終わったので千博、ミーツェ、秀人の3人はアイジスの城下町を歩いて回っていた。
「早めに会議が終わって助かった。正直、昨日の戦いで結構疲れたからさ。」
「まぁ、昨日のうちにかなり話は進んでたからね。王様も昨日のことにはとても感謝してたし、2人を気遣ってくれたんじゃないかな。」
伸びをしながらそう言うと、秀人は笑いながら言った。確かにフランツ国王には部屋に入るなりとても感謝された。最近は群れの発生の頻度も多く、兵も疲弊していたので態勢を立て直すことができて士気が戻りつつあるようだ。
「午後から休みを貰えたのは嬉しいけど、折角ならチヒロと2人きりが良かったなぁ。」
「そこは、すみません……。」
千博の横で頬を膨らませるミーツェに、秀人が謝る。休みをもらえたとはいえ、護衛の任務はまだ終わっていないのだ。秀人の近くにいなければいけない。そのことを申し訳なく思ってか、秀人は町に出ることを2人に提案したのだった。
「それより、なんか今日寒くないか?」
「あ、それ私も思った!なんか冷えてるよね、今日。」
「……ああ、そうだね。」
風が吹いているわけでもないし、天気も悪くないが、なんだか外の空気はひんやりとしている気がした。千博が呟くと2人も賛同した。別に我慢できないほど寒いわけではないし、晴れているのであまり気にならないが、どうも大気がひんやりとした感じがする。どうも変な天気だ。
「で、でもさ、これなら寒くないよねっ!」
「おわっ、ミ、ミーツェ……」
今日の天気を不思議に思っていると、突然ミーツェがぎゅっと千博の腕にしがみついて来た。退院して以来ミーツェはこんな感じだったが、今日は秀人もすぐ近くにいるからか少し恥ずかしそうに頬を赤らめている。恥ずかしいのならしなければ良いのに、と思いつつも腕に当たる少し控えめな柔らかい感触にはつい純粋に喜んでしまう。しかし、流石に恥ずかしい。気まずさから、秀人も何とも言えない表情をしている。
「お、おいミーツェ、あんまりくっつくなって……は、恥ずかしいだろ?」
「むー、しょうがないなぁ。」
千博が空いた方の手で気まずそうに頬をかいているとミーツェもそう言って離れた。人目があるからと思って周りを見ると、ゼウシアに比べてあまり人が出歩いていない気がした。いないわけではないのだが、どこか静かな雰囲気がある。
「町が静かだよな……。いつもこうなのかな。」
「うーん、魔物の影響だと思うよ。男手は防衛戦に回されているし、かなり魔物も近くに来てるから警戒しているのかもね。」
秀人も周りを見ながら分析した。確かに、アイジスの軍に徴兵された人も多いのだろう。よく見ると店も閉まっている所が多い。
「せっかく休みなのにな。どうする?城に戻るか?」
「えーっ、折角だしどこかお店に入ろうよ!」
外は少し冷えるし、空いている店も少ないので城に戻っても良いかなと思い千博は提案するが、ミーツェがむくれて反対した。
「けどなぁ……入れそうな店なんてあるか?」
「あ、あるよ、きっと!えーと、えーっと……あ!あった!ほら、行こっ!」
せっかく出て来てすぐ帰るのは嫌なのか、一生懸命店を探すミーツェ。すると、一軒の店の前で立ち止まった。店の前には『商い中』と書かれた古いプレートが出ている。ミーツェに腕を引かれて店に入ると、そこは書店のようだった。
「本屋ですか。これは嬉しいな。」
店に入ると秀人のテンションが少し上がった。そういえば、本を読むのが好きって言ってたな。店が何か確かめず入ったミーツェは残念そうな顔をしたが、近くで他に空いている店もなさそうなのでしばらく過ごすことにした。
(結構いろんな本があるんだな……)
紙は貴重だからか、本はそこそこいい値段だ。印刷技術が発展していないからだろうが、同じ本が数冊置いてあることすら珍しい。原本を手書きで写したようなものもある。手書きの本ばかりなので文字が多いものは書き手のクセが強いと読めなかった。
(文字が読めるようになったばかりだからな……挿絵なんかがあるののほうがいいんだけど。……お、これは。)
ふらふらと1人で回っていると物語本がおいてある所に出た。子供向けなのだろうか、文字も綺麗で挿絵もある。一冊手にとってパラパラと目を通した。この大陸で有名な英雄の叙事詩らしい。
(これならまだ手が出せる値段だな。ステラも俺も文字が読めるようになったし、ライラも文字の勉強を始めてるみたいだからお土産に一冊買ってみようかな。)
千博は店主のおじいさんに支払いを済ませると上着の内ポケットに本をしまった。そして、土産もできて満足した千博は2人を探すことにした。
(秀人は……げ、なんだあの分厚い本は!?古文書……か?)
秀人は辞書のように分厚い本のページをペラペラとにやにやしながら楽しそうにめくっていた。この国や大陸の歴史書だろうか。その楽しさはどうも理解できそうにないと思った千博はミーツェの方に行くことにした。
(あの変態はほっとくとして、ミーツェは……あ、いた。)
少し店の中を探すと、ミーツェは店の奥の方で一冊の本を真剣な眼差しで眺めていた。
「な、なるほど……」
時たまそう呟きながら熱心にページをめくるミーツェ。
(へぇ、意外と勉強熱心なんだな。何を読んでるんだろ。)
普段の天真爛漫な様子からは想像できない雰囲気で真剣に本を読むミーツェに少し驚き、気になった千博はゆっくりと近づいて後ろから覗いてみた。
(えーっと何々……ロミオの熱く猛ったものをジュリエットは愛おしそうに……って、こ、これは?!)
本の中の一節に目を通し、思わず千博は仰け反った。そして、後ろの棚に軽くぶつかってしまい音を立ててしまう。
「わっ?!チ、チヒロ?!」
千博に気づいたミーツェは慌てて本をパタンと閉じると後ろに隠した。
「よ、よぉ。どうだ、何か面白そうなのはあったか?」
「う、うぅん、何も!今探してるとこ!」
「そ、そうか。なら俺は秀人のとこにいるからゆっくり探してくれ!」
「そ、そっか!うん、分かった!」
そう言うと千博はミーツェのもとを離れて秀人の方へとそそくさと向かった。
(ま、まさかミーツェの方がリアルにそっち系の本を読んでいたとは……驚いたな。)
予想外の展開に戸惑いつつも、見なかったことにしようと思いミーツェから離れて秀人の近くに移動する千博。ミーツェはと言うと、千博が離れたことを確認するとそーっと閉じていた本を開いて顔を真っ赤にしながら続きを読んでいた。
(この世界にも、ああいう本があるのか。なら、文字だけじゃない写真集みたいなのはあるのかな?……って、あったとこでどうすんだよ!そんなもん家に持って帰ってステラとライラに見つかったら生きていけなくなるぞ!)
自然と広がるそちら方面の疑問を頭の中でかき消しつつ、千博は店の中をもう一度見て回った。もちろんミーツェのところには近づかないように。秀人のいる所は分厚い本ばかりだが、本自体は元の世界と同じで色々種類がありそうだ。といっても、千博が興味を持つのは気になった題名か、絵が多そうなものに偏っているのだが。
(お……この辺は絵だけだ。へぇ、画家が描いてるのかな。)
千博は足を止めて薄い冊子が置かれている棚を眺めた。一冊手にとって中身を見ると、ページ一枚一枚に絵が描かれている。風景画や人物画、風刺画のようなものもある。
(江戸時代の人物画とかって特徴的だったりするけどこっちはそんなことなさそうだな。リアルな絵っていうか……見たものをその通りに描く絵が多そうだ。)
様々な絵があり、冊子は絵のジャンルや画家で内容が分けられている。大きなキャンパスに描かれた絵とは違い、サイズは小さいが見たことのない魔物が描かれていたり、魔法を使う様子がファンタジーではなく現実として描かれているので中々面白かった。
(結構面白いな。もしかして、美術館とかもあるのかもな。一回行って見たいかも……さて、次は……むむっ?!)
ひと通り見終わって次の冊子を手にとると、それはまさしく先程千博が考えていた通りのものだった。写真ではないが、肌色の多い絵が描かれている。
(昔でいうところの春画って感じか……?ていうか、こんな普通の本が置いてある所に置いてあるのかよ。……誰もいないよな?)
唐突なエロ本の登場に驚きつつも、この遭遇に少し心を躍らせて千博は本を閉じ、周りを確認する。男なら当然の行動だろう。中身が気にならない方がおかしいのだ。すると、店主のおじいさんとバッチリ目があった。千博は気まずくて目を逸らそうとするが、おじいさんの方は何故かにやっと笑って親指を立てる。その目は、まるで宝を探し当てたことを祝福するかのような目だった。それを見て、千博は何かを察する。
(……まさか、この遭遇は仕組まれたものだったのか?そうか!この店はあえてエロ本コーナーを作っていないんだ!立ち読みしたくても人目が気になってしまう、買いたくても手にとるのがはばかられる、そんな男達の悩みを解決するための商法!本の森に宝を隠し、カモフラージュしているのかっ……!)
そういう本を買ったことのない千博だったが、勿論興味がないわけではなかった。しかし、ひとかたまりに固められているそれは、手にとることは困難で、その場所まで足を運ぶことさえ恥ずかしい。だが、このように普通の本の中に一冊だけ混ざっているようなら、手にとってもそういう本であるとは思われない。見事な戦法だ、千博はしんみりと店主の粋な計らいに感動していた。
(すごいよ、おじいさん!あんた、最高だぜ!)
そう思いながら店主に千博は笑いかける。そしていざ、手にしたものを楽しもうかと思った時だった。
「……ねぇ、チヒロ。それ、買うの……?」
背後から突然声をかけられ、千博はびくっと大きく肩を跳ねさせた。店主と謎のやり取りをしている間にミーツェが近くに来ていたことに全く気がつけなかったのだ。さっきまで一緒に微笑んでいた店主は墓に手を合わせるような顔で目を逸らした。ギギギ、と錆びついたロボットの様にゆっくり振り返ると、ジト目でミーツェが見ていた。
「い、いや、待ってくれミーツェ、これは誤解で……」
普段あんなに慕ってくれているミーツェが何とも言えない表情で自分を見ているのに気づき、冷や汗が出る。
「たまたまなんだ!偶然、ここにこの本があってだな!別に買おうとしてたわけじゃないんだ!」
「ふーん……」
急いで本を棚に仕舞う千博。そして、必死で買うつもりはなかったことを説明する。それを、ミーツェは少し口を尖らせて見ていた。
「いつもあててるつもりなのに……私のは興味ないってこと……?そりゃフェリスやステラちゃんに比べたらちょっと小さいかもだけど……」
あたふたと慌てふためく千博には聞こえない小さな声でミーツェはそう呟くと、自分の控えめな胸を見た。
(……こ、これはもう、直接いくしかないのかも……あ、あの本みたいに……)
そして、先程本を読んでつけた知識を早速活かすべきかどうか、ミーツェは心の中で色々と考えに及ぶのだが、弁解に必死な千博はそれには気付かない。やがて、秀人が読んでいた本を購入し、慌てている千博となにやら考え込んで真っ赤になっているミーツェと合流すると、ようやく落ち着いて3人は店を出て城へと戻ることにした。
アイジス城へ戻ると何やら慌ただしい様子が兵士や使用人から伝わってきた。とりあえず千博達はそれぞれアイジス王から用意された自室へと戻り、そのあと3人で集まった。ちなみに千博と秀人は同室で、ミーツェは別室を用意されていたので2人の部屋にミーツェが来た。
「騒がしいけど……もしかしてまた魔物の群れが来たのかな?」
「多分そうでしょうね。しかし、今まで比べると随分周期が早いというか……」
ミーツェの言葉に同意しながら、秀人は窓から外を眺める。森の方を見るとその辺りだけ黒く大きな雲が空に浮かんでおり、まるで森全体を覆うように広がっていた。
「あの天気は……おかしいよな。何か、やばい気がするんだけど……」
明らかに異様な空模様に千博は身がまえる。ミーツェも秀人も不安げな表情だ。3人が嫌な予感を感じ取っていると、部屋の扉がノックされた。ミーツェが扉を開けると、そこに居たのはゼウシアの兵士数名だった。
「おお、みなさんこちらでしたか。お休みのところ申し訳ありませんが、緊急事態です。ミーツェさん、チヒロさん、ゴラン将軍がお呼びです。」
そのうちの1人が口を開き、要件を告げた。確か彼はゴラン将軍の部下で、部隊長の1人だ。千博とミーツェはそれを聞いて息を呑み、顔を見合わせる。
「……うん、分かった。ただし、アサクラの事はお願いしていいんだよね?」
「えぇ、アサクラ殿の護衛は我々が引き継ぎます。」
ミーツェが尋ねるとゼウシアの兵達は頷く。数名で来たのは護衛を引き継ぐためだったようだ。
「悪い、秀人。そういう事だから後はこの人達に任せる。」
「うん、問題ないよ。2人とも貴重な戦力なんだしね。手伝いに行ってあげて。ただ、気をつけたほうがいいと思う。何か嫌な予感がするから。」
「……あぁ、分かった。それじゃ行きましょう。」
また護衛を離れてしまうことになるが、呼びに来た兵士達の顔を見る限り、それどころじゃなさそうだ。千博は秀人に謝ると、ミーツェと一緒に部隊長の男に着いて行くことにした。
「さ、寒っ!?何だこれ……」
昨日と同じ森の近くに来て、千博は腕をさすりながら辺りを見回した。森は昨日と比べ物もないくらい静かで、暗い雲に覆われており、ひんやりとした冷気が立ちこめていた。
「な、何なのこれ?おじさん、何があったの?!」
あまりの森の変貌に、ミーツェは隣にいるザック兵長に尋ねている。おじさんと呼ぶのは、2人が旧知の仲でありグスタフとザックが友人であるからだ。
「悪いなぁ、俺もわからねぇんだわ。今日になって急に気温が冷え始めてよ。ただ、森を中心にこの国全体が寒くなってるみたいだな。」
「森を中心に?それって……」
「うむ、信じたくはないが、かなり危険なモノがこの森にいるようだ。」
そう言ってミーツェとザックの会話に割って入ったのはゴラン将軍だった。その目は森をまっすぐに睨んでいる。
「ゴラン将軍、それはどういう事ですか?危険なモノって……?」
「今朝、偵察から戻って来た兵に聞いたのだがな。この寒さの原因となっている魔物の存在が確認された。話によるとかなり大きいらしい。身体中から冷気を発しているようだ。」
「そんな魔物が?!」
ゴラン将軍の言葉に千博とミーツェは耳を疑った。この気温の変化は程度の差はあれ、アイジス全体に及ぶほどのものだ。それを引き起こした存在がこの森の中にいるなんて。話を聞くだけで、昨日戦ってきた魔物とは桁違いの存在であることがわかる。すると、突然森のすぐ付近にいた兵士達がこちらへ走り出し、森から沢山の鳥が一斉に飛び立った。
「……来たか!全員、武器を構えろ!」
森から近寄る何かとてつもない存在に、ゴラン将軍の言葉を聞く前にその場の全員がすでに身構えていた。そして、森から溢れる冷気が一気に膨れ上がる。
『ガアァァァァアッ!!』
地面を震わせる咆哮が辺りに響き渡り、そしてその存在はついに姿を現した。
「……信じられん。奴らの見間違いではなかったということか……」
現れた魔物の姿を見て冷静沈着なゴラン将軍でさえ、額に汗を浮かばせた。
大きな翼、鋭い手足の爪、氷柱のように鋭い鱗で覆われた巨体は雪のように真っ白で、太い尻尾を垂らしながら、それはアイジス・ゼウシア連合軍の目の前に降り立った。
「ま、まじかよ?!これって……」
その姿は千博も知っていた。魔物は日本には存在しないが、こいつはあまりにも有名な存在すぎる。空想の世界でよく描かれるその存在を目の当たりにして千博ははっきり言ってどう戦うのかさえ検討がつかなかった。そこにいる誰もを驚愕させ、堂々と人間達を見下ろしたその存在は……
真っ白な体から辺りを凍りつかせんばかりの冷気を放つ一頭の『竜』だった。




