土魔法と追跡
「……む?」
杖の先についた水晶を見ていたモーガンは驚きの声を上げる。
「どうした、モーガン。」
それに気づいて両脇に侍らせた美女から果物を食べさせてもらっていた男、ディートリヒ・バルテレモンは顔を上げる。
「いえ……今、彼女につけていた【泥の目】が壊れまして……。」
「どういう事だ?」
「驚きましたね……。彼女は失敗した様です。」
「な、何だと?!」
モーガンの一言にディートリヒは椅子から身を乗り出した。
「さっきまであいつがマナカ・チヒロを圧していたと言っていたじゃないか?!」
「そうなのですがねぇ……」
ライラにつけていた【泥の目】を通して様子を観察していたモーガンも驚いていた。【泥の目】はそう簡単に壊れたりはしない。そもそも、魔力の《変換》による土魔法で作ったものなので物理攻撃で壊れる事はほぼない。魔法に干渉できるのは魔法だけだ。これが壊れるという事は強い魔法をライラが受けたという事なのだ。そして、魔力による《強化》しか出来ない筈のマナカ・チヒロにそれが出来るなどとはモーガンは思いもしていなかった。
「ふむ……詳しくは分かりませんが、ここはひとつ、私が見て参りましょう。」
「だ、大丈夫なのか?」
モーガンの提案にディートリヒが不安げな声で尋ねる。
「ご安心を。彼等にはまだ我々の事はばれておりません。それに、彼女が生きていたとしても我々の事は話さないでしょう。話せばどうなるかは彼女もよく分かっている筈です。」
「お、おお。そうだな。よし、じゃ、頼んだぞ。」
「お任せを、ご主人様。」
モーガンはそう返事をすると部屋から出て行った。
少女との交戦の後、自宅に戻った千博はステラと少女を介抱していた。
「空いている部屋が沢山あって良かったよ。とりあえず、この娘はここで介抱しよう。」
「はい。あの、お医者様をお呼びした方がよろしいでしょうか?」
「あ、そうだな。悪いけど頼めるかな?この娘は俺が見ておいた方が良さそうだし。」
前来た時はステラは襲わなかったけど、今回は状況が違うからな。ステラが人質に取られでもしたら大変だ。
「分かりました。では、行ってきま……」
「おーい、チヒロ!飯食いに来たぞぃ!」
ステラが部屋を出て行こうとドアノブに手をかけた瞬間、玄関の方から声が聞こえてくる。
「ボア様がいらっしゃったようです。どういたしましょう?私、まだ夕飯の支度途中で……」
「あー、そうだったね。……じゃあ、ボアさんだけここに連れて来てくれる?で、ステラにはご飯の準備を頼んでいいかな?ごめんな、ステラばっかりにやらせちゃって……」
「ふふ、何を仰ってるんですか、チヒロさん!私はチヒロさんのお役に立つ為にここにいるんですから!」
ああ、ステラは本当に天使だ……。良いメイドに恵まれて俺は幸せ者だなぁ。部屋から出て行くステラを見送りながらそんな事を考えていると、間も無くしてステラと変わる様にボアさんが入ってきた。
「ほぉ、その娘が噂の……。これはまた、なかなか……」
少女を足先から頭までしげしげと眺めるボア仙人。
「まぁ、ちょっと胸は控えめじゃが、ワシは全然いけるぞぃ?」
「意味のわからない報告はやめて下さい!それより、この娘の状態なんですけど……」
「分かっておる。」
ふざけていたボア仙人だったが千博の問いかけには表情を変えて答えた。
「この娘は魔力生成器官の働きが一時的に弱まっているだけじゃ。以前のお主より症状は軽い。ただ……」
少女の様子を見ただけで状態を把握したボア仙人は千博の方を向いて続けた。
「今回は相手が暗殺者じゃったからよかったがの……気をつけるのじゃぞ?まだお主は魔拳の練習段階じゃからな。これが訓練で、相手が生身の人間じゃったら気絶じゃすまんぞ。」
「……!そんなに……」
ボア仙人の言葉を聞いて心配になり思わず少女を見る。まさかそこまで危険なものだとは思っていなかった。というか、あと少しで少女を殺してしまっていたかもしれないと思うとぞっとする。
「軽率でした……すみません。」
「うむ、今度からは気をつけよ。とにかく、お主が無事でよかったぞぃ。というか、もう魔拳が使え始めているのも驚いたわい。これなら、腕輪の効果も期待どおりじゃ。」
「そうですね……やっぱり、いつもより魔力を扱いやすかったです。」
あの腕輪をつけていると、魔力の流れの中に抵抗を入れられた様な、なんとも言えない感覚になる。まだ遠くに飛ばすことはできないけど、少し自信にもなったな。
「うむ、この調子で……お?」
話している途中でボア仙人が振り返った。
「いい匂いじゃのぅ〜。まぁ、この娘のことは大丈夫そうじゃし、ワシはステラちゃんの所に行ってくるのじゃ。この娘が再び起きても、お主なら対応できるじゃろう。」
「え……結構ぎりぎりなんですけど……。まぁいいや。ステラの邪魔にならない様気をつけてくださいね。」
「分かっとるわい。」
下の階から漂ってくる美味しそうな匂いにつられてボア仙人が食堂へ向かった。もうご飯はできたみたいだな。「ま、俺はあとで食べればいっか。」
この娘が起きるまでは側にいよう。起きたら危険だという理由もあるが、大丈夫だとボアさんに言われたといえまだ体調が心配だ。それにしても、やっぱり魔力の操作は難しい。腕輪を外しても放出するというイメージがつかめなかった。
「手の平から飛ばすなんて経験無いしな……。どんなイメージなんだろ?」
呟きながら魔力を集めて手の平で《可視化》させてみる。丸い球体を手の平に乗せる様に出現させる事はできる。問題はこの先だ。練習では飛ばせる距離は10センチくらい。飛ばしている途中でどんどん小さくなっていってしまう。安定させるにはどうすればいいのか。飛ばす時の勢い?それとも、まだ《可視化》の段階に問題があるのか?
「ぅ……ん……」
「お?」
そんなことを考えていると少女が小さく声を漏らした。意識が戻ったみたいだ。
「……?」
ゆっくりと目を開けて周りを見る少女。まだ状況が飲み込めていないみたいだ。
「……あ………え?」
しかし、千博の姿を見た瞬間目を見開き、パチクリとしてみせる。
「気がついたか。大丈夫か?」
少女に声をかける。よかった。目を覚まさなかったらどうしようかと思ったが、一安心だ。
「……助けたの?……私を?」
段々と今の状況が整理でき始めた様で、少女は体を起こしながら千博に問いかけた。
「助けたっていうか……俺が気絶させちゃったんだから、介抱するのは当然だろ。」
千博が答えるが、少女は反応しない。しかし、目を見れば言いたい事は流石に分かる。
「ほっとけば良かったのに、って顔してるな。けど、俺の目的はお前から逃げることじゃない。お前に手を貸す事だ。だから、それじゃダメなんだよ。」
「……貴方を殺せば、ルチアは助かる。」
少女の目に殺気が戻る。やっぱり、相当追い詰められている感じがするな。ここまで覚悟が決まってたら、簡単には折れない。でも、俺も譲れない。
「けど、お前はその主人の下でこき使われるままだ!それに、本当にお前の主人が妹さんを解放するか分からないぞ!嘘かもしれないだろ?」
「……っ!」
何か思い当たる節でもあるのか、少女は千博の言葉に歯をくいしばった。もし俺が殺されても、少女の妹が解放される可能性は少ないだろう。千博はそう考えていた。多分、餌として釣られているだけだ。確かな根拠はないが、そんな気がする。
「……そんなの、あなたも同じ。あなたは、良い人。あの犬のメイドさんを見れば、分かる。でも、あなたが私達を助ける理由、ない。」
「む、そうか……」
俺も何考えているか信用できないって事か。でも、そんなに深い考えはないんだけどな。そもそも、相手を助けたい時に持ってる理由なんて1つしかないだろ。
「ただ、助けたいと思ったからなんだけど……。それじゃダメなの?」
「っ……そういうこと、違う!私達を助けても、良い事は、ない!」
ああ、そういうことか。助けたい理由じゃなくて、この娘を助けても俺に利益がないのになんで助けるのかってことか。やっぱり何か裏があると思ってるんだ。だから信用しきれないんだな。それなら……そうだな。
「お前を助けるって事は、お前の主人を捕まえるって事だ。成功すれば、俺はもう暗殺の再発を心配しなくて良い。そうだろ?」
「……それは……そう、だけど。」
うん。助ける利益も提示した。これならもう申し分はないはず。
「大丈夫。俺にも利益はちゃんとあるだろ?それとも、俺が嘘ついてるって?」
「……ついてるの?」
「聞いちゃダメだろ?!あと、ついてないって!」
少女が首を傾げて聞くので千博はすかさずツッコミをいれた。この娘は天然なのか?しかし、それを見て少女の顔が少し緩んだのに千博は気づいた。もう、大丈夫みたいだな。
「とにかく、ここからは手伝わせてもらうからな。俺も被害者なんだし、当事者だから関わる権利はある。……ほら、そんなことよりまだ俺たち自己紹介してないよな?俺は真中千博。お前は?」
「私は、ライラ。……よろしく。」
千博は、ライラが最後に小さな声でよろしくと言ったのに合わせて手を差し出した。
「ああ、よろしくな。ライラ。……初対面でも無いのに、今更自己紹介なんて不思議なもんだな。」
「……ふふ。確かに。」
ベットに座ったまま、差し出した手をライラが握り返す。あの怪力が嘘みたいに柔らかく、細い指だった。
「チヒロさん、お食事を……あっ!目が覚めたのですね!待っていて下さい、彼女の分も今お持ちしますから!」
ノックして部屋に入ってきたステラはライラが目を覚ましたのを見ると千博の食事を置いて慌ただしくまた食堂へ戻っていった。そういえば、ボアさんはまだいるのだろうか。静かだし、もう帰ったかな。千博はステラが部屋の扉近くの机の上においた食事を取りに行く。すると、後ろから大きくお腹のなる音が聞こえてきた。
「……美味しそう……」
振り返るとライラが目を輝かせてこちらを見ている。仕方ない……先に食べさせよう。こんな視線に耐えながらの食事なんてとてもじゃないができない。
「はい。先に食べてていいぞ。腹減ってるみたいだし。」
千博は食事ののったトレイをライラに渡すが、なぜかライラは受け取らない。
「どうした?」
「……食べさせて?」
千博が尋ねると逆に疑問形で返事をされた。首を傾げて、何故食べさせてくれないのかと尋ねる様に。
「いや、別に体は動くだろ?」
さっき握手したし。手は動かせていたじゃないか。
「……怪我人。」
「うっ……そ、それは……」
確かにそうだけど。しかも怪我させたのは俺だし。いや、気絶は怪我に入るのか?けど、どちらにせよ俺にも非があるのは事実か。絶対めんどくさがってるだけな気がするけど。
「……分かったよ。ほら、口開けて。」
「あーー……ん。美味しい……」
スプーンでステラの作ったスープを一口食べさせると、ライラは目を細めて味わっていた。
「そうだろ。ステラのご飯はきっとその辺の店より格段に美味いからな!」
訓練場の食堂のご飯は美味いがどちらかといえば量重視。ステラの方が圧倒的に美味いご飯を作る。本当に、俺には勿体無いメイドだ。
「あーーー」
うちのメイド自慢をしていたがライラは全く聞いていなかった。というか、千博が話している間ずっと口を開けて待機していた。
「……お前は雛鳥かよ。」
めんどくさがっているだけなのだろうが、お行儀よく口を開けて待っている姿はちょっと可愛くて照れくさくなってきた。千博は無言の催促に従って次々にライラの口へと食事を運ぶ。ひと口ひと口味わって食べている様子もなんだか可愛い。
「お待たせしました。お食事をお持ちしま……っ?!」
そんな事を考えながら少しドキドキしていると、ドアが開いて食事ののったトレイを持ったステラが現れた。何故か食器が小刻みに震えている。
「ありがとう、ステラ。えっと、そこの机に置いておいてもらえるか?俺もあとで食べるから……」
「い、いえ、私が代わりますっ!チヒロさんはご飯をどうぞっ!」
「え?あ、あぁ。悪いな。」
な、なんだ?なんかステラから断れないオーラを感じた。半ば強引に交代を申し出たステラにより千博もスプーンを手にとった。うん。やっぱりステラのご飯は美味いな。主食がパンの生活も段々と慣れてきた。たまに日本米が恋しいけど。
「……別に、代わらなくてもよかった。」
「そ、そういう訳にはいきませんっ!私はチヒロさんのメイドですから!それに、これ以上はずるいです!」
ふむ。何がずるいのかは分からないけど二人ともすぐに会話ができてるから仲良くなれそうだな。
「仲良いのは良いことだけど、二人とも、自己紹介したらどうだ?まだしてないだろ。」
「あっ、そうでした!」
千博の言葉で気づいたステラはこほんと小さく咳払いする。
「私はチヒロさんのメイドのステラです。あの、もうチヒロさんの命は狙われないのですよね?仲間、ということでよろしいのでしょうか?」
「……私はライラ。うん、チヒロはもう狙わない。だから、よろしく。」
ステラが名乗るとライラもちゃんと応じた。ステラはライラを助けるという俺の考えに賛成してくれた。ライラを連れて帰った時はステラも嫌な顔せず受け入れてくれたけど、最初はやっぱり抵抗があったみたいだったから心配してたが……大丈夫そうだな。
「よし、じゃあお互いの名前も分かったことだし……。次は色々と教えてくれないか?ライラの事について。……もちろん、嫌な事は無理に話さなくてもいいよ。最低限、ライラの主人の居場所と名前は教えて欲しいけど。」
「ん……わかった。なら……全部、話す。チヒロを、信じる事にしたから。」
「それは嬉しいけど大丈夫か?無理をしてるようなら……。いや、やっぱり聞かせてもらおう。きっと、知っておいたほうが良い事なんだろうしな。」
つらい事を話させてしまうのなら無理はして欲しくない。でも、本人が一番話すと言ってくれたのなら聞こうと千博は思い直した。
「うん、それじゃ……」
ライラが話し出そうとした瞬間だった。
「チヒロよ、誰か来たみたいじゃぞ?」
部屋の戸を開けてボアさんが入ってきた。静かだったのは単に食事をしていただけだったからだろうか。
「あれ、まだ居たんですか?」
「チ、チヒロよ、お主ワシの事を本当に師匠と思っておるのか?!」
ボアさんがツッコミをいれてくるがあまり気にせずに玄関へ向かう。
「勿論思ってますよ。じゃ、ちょっと見てきま……」
「待つのじゃ、ワシもついて行こう。」
「え?」
部屋を出ようとするとボアさんにとめられる。珍しく、真面目な顔だ。
「……分かりました。じゃあ、ちょっと見てくるよ。ステラ、ライラを頼んだよ。」
「はい、分かりました。」
チヒロはボア仙人と2人で玄関へ向かった。それにしても、もう夜もそれなりに遅いのだが、一体誰なのだろうか。ひょっとして、こんな時間に訪ねて来たからボアさんは警戒しているのか?そう思いながらチヒロはドアを開ける。と、そこには見知らぬ小太りの老人が立っていた。
「あの、どちら様ですか?」
チヒロはたずねる。後ろには馬車を待たせている様だ。身なりからしても、貴族なのがすぐに分かる。
「いや、こんな時間にすみませんね。私、アレギス国を目指して旅をして来たものなのですが、道に迷いまして……。どちらに進めばいいか教えて頂けませんかね?」
「あぁ、そうでしたか。アレギスですか……」
礼儀正しく尋ねてくる老人。質問に答えようとするが、申し訳ないことにチヒロはアレギスに行ったことはあっても方向も道もよく覚えてはいなかった。何しろ、あの時は無我夢中だったからだ。
「アレギスならあっちのほうじゃよ。森を越えなければならん。もう夜じゃし、時間はかかるが回り道をして森は通らぬ方が良いぞ。」
困っているとボアさんが後ろから代わりに答えてくれた。
「……おや、そうでしたか。これはご丁寧にありがとうございます。それでは、遅くに失礼しました。」
そうボアさんにお礼を言うと、男性は立ち去っていった。
「助かりました。ありがとうございます。」
千博もボアさんにお礼を言う。流石、こういう時に年の功は役に立つものだと思った。
「いいんじゃ。それよりチヒロよ。お主、あやつとは知り合いか?」
「え?いえ、初対面ですが……どうしてですか?」
問いかけられたがその理由がわからなかったチヒロは首を傾げた。が、何も答えていないのにボアさんはその答えを聞いて何かを確信したような顔になった。
「ふむ。つまり、彼女はずっと見張られていたということかのう。」
「……見張られていた?」
さらに首をかしげる千博。彼女とはライラのことだろう。だがなぜあのおじいさんの訪問から見張りの話になるんだ?いつもあのおじいさんがライラを見張っていたのか?でも、俺とライラが戦っているときは別に近くには誰もいなかったし、あの人も初めて会った。
「一体どういう事なんですか?」
全く想像がつかずに千博は尋ねた。そもそもどうしてライラが誰かに見張られているなんて考えが思いついたんだ?
「ふむ、チヒロよ。気づかぬか。まあ確かにかなり上手くつけられておるからのう。じゃが、感覚を研ぎ澄ませばわかるはずじゃぞ?」
「えっ?」
つけられている?千博は言われた通りに感覚を研ぎ澄ませる。すると、右肩のあたりに何か自分とは別の魔力を感じた。魔力を《留化》させて右肩につけられているそれを掴む。すると、
「……?!何だこれ?!気持ち悪っ!」
自分が掴んでいたものは土でできた目玉だった。方についていたときは透明で分からなかったが、外すと姿を現した。
「【泥の目】じゃな。ふむ……なかなか腕の立つ奴じゃの。あの男、去り際にお主にこれをつけていったぞぃ。それに、あの姿も本当の姿ではないのぅ。仮面を被っておったぞ。」
「本当ですか?!ぜ、全然気づかなかった……」
流石ボアさんだ。魔法に関しては本当に長けている。だが、自分も魔力を感じ取る事はできるのに何故今回は感じ取れなかったんだ?
「ま、もっと修業をすればわかる様になるじゃろうな。今回は相手が上手すぎた。魔力の痕跡が残らんように上手く隠してある。じゃが、これで分かったぞぃ。微量ではあったがライラちゃんからも同じ魔力を感じた。今は【泥の目】はついておらんかった様じゃが、多分お主の魔拳を受けた時に衝撃で壊れたのじゃろうな。」
「という事は、今の人がライラをずっと見張っていた?でも、何で俺に【泥の目】をつける必要が……」
「奴が直接来たのはお主の生死の確認とライラちゃんの生死の確認じゃろうな。お主につけた【泥の目】を通してライラちゃんを確認するつもりじゃったのだろうな。」
ボアさんは冷静に分析していく。この推測はおそらく間違っていない気がする。なぜならボアさんの話が筋が通っているだけでなく、たいみんぐも合いすぎているからだ。ライラを倒したその日のうちに【泥の目】をつけに来る人がライラと関係ないとは考えにくい。
「じゃあ、あの人がライラの主人なんでしょうか?でも、ボアさんが言う様にかなりの魔法の使い手なら、何故直接自分で俺のところに来なかったんでしょう。」
それだけではない。ボアさんが褒めるほどの実力なのだ。仮にライラと2人で来られていたら確実に殺されていたかもしれない。
「そうじゃな。それはわからんが、恐らく奴はライラちゃんの主人ではないぞい。暗殺者を差し出す様な相手じゃからのう。直接本人がくることはないじゃろ。じゃから今の男もライラちゃんの主人に雇われた者の可能性が高いじゃろうな。」
「なるほど。なら、あの人はライラの監視役ですか。随分と面倒くさい役ですね。……て、待てよ?!て事はこの【泥の目】で今の会話も聞かれてたんじゃ?!」
迂闊だった。千博は手に持っている気味の悪いザラザラして手触りの目玉を見た。
「いや、それは目玉じゃからな。音は聞く事はできんぞい。じゃが、ワシらが目玉に感づいた事はばれておるじゃろうな。はずしちゃったしの。」
「ま、まずくないですかそれ?!ばれたと知ったら今度はあの人が俺を殺しにくるんじゃ……」
あっさりとボアさんに言われて心配になる。監視しながらこっそり暗殺しようとしていた事がばれた場合、向こうはどう出てくるんだろうか。
「どうじゃろう。まぁ、向こうがやけくそになって攻めてくる事はないじゃろう。ワシらは奴らの顔を知らんしの。じゃが……」
そこまで言うとボアさんは二階へ続く階段を見た。
「お主は安全じゃとしても、ライラちゃんは別じゃ。お主が生きており、ライラちゃんの【泥の目】が壊された事が知られたのじゃ。向こうがライラちゃんの失敗を知るには充分すぎる情報じゃのぅ。……彼女、妹がいるそうじゃな。」
「……ッ!!」
「これは、早めに動く必要がありそうじゃぞ。幸い、ライラちゃんの監視は解けておるのじゃ。今のうちに情報を聞いた方が良いぞ。あぁ、それとその【泥の目】はワシが預かっておく。」
千博はボア仙人の言う通り【泥の目】を渡す。これはライラの監視目的が解けた以上、自分を監視するためにつけられたものなのだろう。なら、馬鹿正直に千博がもっていてやる義理はない。しかし、まずい。このままではライラの妹が危ない。ライラを助けると約束したのだから、絶対に破れない。
「……俺、聞いてきます!」
千博は二階へ走り出す。今すぐにでも行動を起こさないと危険だ。ライラが妹の身柄を盾に従わせられているのなら、ライラは今回で二度失敗した事になる。ゆっくりなどしていられない。
「……ふむ、これはワシも少し手伝ってやるかのぅ。」
千博が去った後、ボア仙人は1人呟く。チヒロは強いが、まだ魔力に関しては未熟だ。それに、この国で魔法を使える者はそれを許可された近衛兵のみと聞いている。仮に先程の男がこの国の者ならば、近衛兵が今回の事件に加担している可能性もあった。
「それにしても、まっすぐな男じゃのう。ま、そんな所が気に入ってもおるがの。」
微笑みながらそう言うと、ボア仙人は【泥の目】を布で包んで懐にしまい、千博とは反対に玄関から出て行った。
「ライラ!さっきの話の続き何だけど……」
ライラを介抱していた部屋に入るなり千博は問いかけるが、言い終わらないうちに異変に気づいた。
「ち、チヒロさん!ライラさんが!」
部屋の窓が開け放たれている。そして、部屋に残されているのは布団のめくれ上がったベッドと食べかけの食事がのったお盆、慌てているステラだけだった。
「ライラも気づいたのか?!まずい、後を追わないと!」
急いで窓の外を見るが、流石に獣人というべきか、既に姿は見えない。
「くそっ!!あいつ、俺を信じるって言っといてこれかよ!ステラ、悪いけど留守を頼めるか?俺はライラの後を追う!」
「は、はい!でも、一体どうやって後を追うんですか?すみません、私、ライラさんが向かった方向も分からなくて……」
ステラに言われて焦っていた千博ははっとする。確かに、このまま闇雲に探してライラが見つかるわけがない。何かないのか……!
「……そうだ。」
辺りを見渡して千博の目に入ったのは先程までライラが寝ていたベッドだった。これは前も使った方法で、個人的にはあまり使いたくないものだったが背に腹は変えられない。以前より変態度が増している気がするが事態は急を要するのだ。
「あぁ、もう!仕方がないんだ、悪い、ライラ!」
千博はライラの寝ていたベッドのシーツをめくり上げ、匂いを嗅いだ。
「……?!チヒロさん?!」
ステラが驚いている。無理もない。緊急事態にいきなり変態行為を始めたように思われているのだろう。これは、後で誤解を晴らさないとな。千博は嗅覚を《強化》して集中する。
「……よし、分かった!ステラ、戸締りをして、気をつけて待っててくれ!」
「……は、はい?」
最後まで不思議そうな顔のステラを後にして千博は匂いの後を追う。大丈夫だ、まだ匂いは新しい。まだ間に合う。千博は窓から飛び出してライラの匂いを手掛かりに後を追い出した。
「速い……姿が全然見えないな。俺も急がないと!」
千博は脚力を《強化》し、スピードを上げる。ライラの匂いの後を追いながら走らなければいけないので魔力を使い過ぎない様に調節が必要だ。千博は数メートル走るごとに嗅覚を《強化》し、嗅覚の《強化》は常には行わない様にした。
「……それにしても、町の小道ばかり通るんだな。やっぱり、人目を避けているのか。」
ライラは町の中を突っ切って主人の元へと帰るようだ。城下町の裏道や小道など、狭く暗い道ばかりを通り、時には屋根の上など道でないところも走っていた。今は周りが暗いから良いが、明るいうちにこんな所を走っていたら泥棒と間違われそうだ。もっと時間が更けてきたらこういう小道は危ない人も多そうだと千博は思いながら走った。夜8時頃だが、すれ違う人はほとんどいない。
「ん、この辺りみたいだな。」
せまい路地裏を抜け、たくさんの店がある城のすぐ近くからは少し離れた住宅の多い場所に出ると匂いが強くなってきた。千博は辺りを見渡す。すると、住宅街からまた少し離れたところに一軒の豪華な屋敷があるのが見えた。匂いもここからしているようだ。
「でかいな。うちよりでかいんじゃないか?どこから入るか……ん?」
周りを探ると匂いが屋敷の裏手の二階の窓へ続いていることに気づいた。窓は開いているようだ。どうやらあそこから入ったらしい。
「高いけど、これなら登れそうだな。」
千博は壁にある小さなでっぱりと窓の枠を利用して登る。二階の窓の枠に手をかけ、枠に足をかけてのり、中をうかがうとそこは広い部屋だった。とても広く、アレギスの王の間くらいの大きさがあるようだ。本当に王の間を意識しているのか、奥には玉座のような椅子に腰をかけた若い男がいる。そしてその側には肉付きの良い男が控えていた。
「ライラは……っ、いた!けど、あれは……!」
中を覗いていると部屋の入り口付近にライラがいるのが見えた。無事なことは確認できたが、状況は良くないことになっていた。ライラは周りを10体近い人型の何かに囲まれていたのだ。そのどれもが顔を持たず、不気味な動きをしていた。
「なんだあれ?!人じゃない……土で出来てるのか?」
見た目では泥人形の様に見える。だが、土で作った人形が動くはずがない。恐らく、魔力が関係している。そういえば、監視のために使われていたのもボアさんは【泥の目】と言っていた。という事は相手は土の魔法の使い手なのか。そう分析していると、中で動きがあった。
「……!」
ライラの足下から突然複数の泥人形の手の様なものが生えてきたのだ。その手は、泥人形を目を取られていたライラの手や足を掴もうとする。
「まずい……!ライラっ!」
千博は窓から入って瞬間的に脚力を《強化》し、ライラの元へ走る。そして近くの泥人形を一体蹴り飛ばすとそのままライラの体を抱えて人形達から距離をとった。脚力を《強化》した千博に蹴られた人形は胴体が半分に折れていた。案外脆い様だ。
「大丈夫か?ライラ。」
「……?!チヒロ!なんで、ここに?!」
大丈夫そうなのを確認すると、千博は驚いているライラの前に立って泥人形達とその奥の2人の男を見据える。
「なっ?!マナカ・チヒロ?!どういう事だ、モーガン!どうして奴がここにいる?!」
若い男は千博を見るなり驚きと焦りを隠せない様子だった。もう1人の小太りの男、モーガンに向かって叫ぶ。
「……驚きましたね、私にも分かりかねます。一体どうしてここが分かったんですか?私がここに着くのとほとんど同時にその奴隷もここへ来たのですが……つけてきたわけでは無いはずでしょう。」
追跡には注意していたのか、モーガンは意外に詳しく問い詰めてくる。が、ここが分かった方法はライラがいる前では口が裂けても言えないな。
「べ、別にそんな事はどうでも良いだろ!それより、あんたかそっちのあんたか、どっちが俺を殺そうとしたライラの主人なんだ。答えてもらおうか。」
千博は両方の男に視線を向けながら尋ねる。そして、少しの沈黙の後、若い方の男が声を立てて笑い始めた。
「フ、フフ、フハハハ!何でここが分かったのかは知らないけどまさか自ら死にに来るとは思ってもみなかった!こいつは良い、目の前で復讐ができるとはなぁ!」
「……は?復讐?なんの?」
千博は眉をひそめて男の言葉を尋ね返す。何故なら、千博は別にこの男の事など知らないし復讐されるいわれは無かったからだ。
「なんの復讐か、だと?!ふざけた事を!忘れたとは言わせないぞ!この、ディートリヒ・バルテレモンに貴様が与えた屈辱を!」
広い部屋の中、若い男は笑うのをやめると、今度は怒りに満ちた目で千博を睨んだ。そして、拳を握りながらそう名乗ったのであった。




