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奴隷少女と千博

私の名前はライラ。獣人の血が3、人の血が1のクォーターだ。私の村は今いるゼウシア国からは少し離れた、大陸の南の方にあった。周りを森に囲まれ、獣人だけで形成された村。といっても、村には人間とのハーフの者も何人かいた。食べ物は狩りや採集を中心に得ていて、生活に必要なものは私達のように見た目が人間に近い人達が耳や尻尾を隠して近くの村へ求めに行った。よく分からないが、耳や尻尾があると物の値段が上がるらしい。

「おねーちゃん!早く行こうよ!」

今年で15歳になった私は、5つ歳下の妹、ルチアにせかされる。

「待って……それじゃ、お母さん。行ってきます。」

「ええ、気をつけてね。行ってらっしゃい。ライラ、ルチア。」

お母さんにあいさつを済ませて家から出た。私のお母さんは獣人と人間のハーフだ。お父さんは虎の獣人で朝から村の人達と狩りに出かけていた。私達は今から森へ木の実や山菜を採りに行く。寒い季節が去り、森には沢山の食べ物があるはずだ。段々と暖かくなってきて天気も良い日だった。私は妹と一緒に、沢山の山菜を採ってきてお母さんを驚かせようと、そう話しながら森へ向かった。





「大人しくしやがれ!」

「おら、さっさと立て!!」

「老いぼれはいらねぇ、若い奴らだけを捕まえろ!!」

ルチアと籠いっぱいの山菜を手に村へ戻った私達が見たのは村のみんなが山賊の様な人間達に襲われている光景だった。

「……っ?!ルチア、隠れて!」

私は近くの食料を保管している小屋の中にルチアと隠れた。周りから聞き慣れた声が悲鳴となって聞こえてくる。お母さんは無事だろうか。扉の隙間から覗くが姿は見当たらない。

「お姉ちゃん……」

不安そうにルチアが私の手を握る。

「大丈夫……私がついてる。」

涙を浮かべるルチアの手を握り返して私は答えた。しかし、内心では自分も恐怖で泣いてしまいそうなくらい恐かった。そして、必死に母の姿を探した。と、隣の家の犬のおじいちゃんが1人の人間の足にしがみついている所が見えた。人間の男はおじいちゃんが大事にしていた古い腕輪を持っている。

「や、やめてくだされ……!それは、わしらの家に代々伝わってきた……」

「ああん?うるせぇ!引っ込んでろジジイ!」

男はおじいちゃんを容赦なく蹴り飛ばす。

「……っ!ひどい……」

助けに行きたいがここにルチアを1人だけ置いていくことはできない。

「やめてください!」

扉の隙間から様子を伺っていると、1人の女の人がおじいちゃんの前に出た。

「!?お母さん!」

「え!お姉ちゃん、ほんとっ?」

思わず声を出してしまい、後ろで怯えていたルチアも扉の隙間から外を覗いた。

「その腕輪はおじいちゃんの大事なものです!だから、どうか、返して頂けませんか……!」

「なんだてめぇ……って、お?お前、綺麗な顔してんな。……こいつは良いや。」

男はにやりといやらしく笑った。

「よし、なら交換だなぁ。てめぇが代わりになってもらおうか!」

男は母に向かって鎖の手錠を差し出す。自分でつけろということだろう。母はそれを無言で受け取る。

「だ、ダメじゃサクヤちゃん!サクヤちゃんがいなくなってしまってはあの子達が……!」

おじいちゃんが鎖を手にかけようとするのを止めようとする。しかし、お母さんは手を止めず、自分で手錠を受け入れてしまった。

「いいんです、おじいちゃん。あの腕輪、私達の村に伝わる秘宝なんでしょう?逃げて来た私達を迎え入れてくれたこの村には、本当に感謝をしています。だから、これは恩返しです。……でも、一生のお願いですから、どうか、あの子達のことだけはよろしくお願いします。しばらくしたら帰ってくるでしょう。だから……」

「おい、なにごちゃごちゃ言ってやがる!おら、立て!さっさと行くぞ!」

男はお母さんの他髪を掴んで立たせる。村の入り口には大きな輸送用の馬車が何台か停めてあった。その中に村のみんなが乗せられていく。

「まって下さい!腕輪をおじいちゃんに……」

「ああん?」

お母さんが男に頼んでいる。男は気持ち悪く笑って思い出したかの様に言った。

「おっと、そうだったなぁ!おらよ!」

そう言って男がおじいちゃんに投げてよこしたのは母と同じ手錠だった。

「こ、これは……」

「ぐはははは!!そら、とっとけ。そっちの方がかっこいいじゃねぇか!」

「……っ!?嘘だったんですか!!」

それを見てお母さんが激昂する。しかし既に手に枷を嵌められて声をあげることしかできない。

「獣人は頭が弱くて助かるぜ。騙しやすいったらありゃしねぇ!!」

「ぐっ…………!!」

お母さんは人間の男を睨みつける。おじいちゃんは取り返しのつかないことになってしまったことに呆然としてしまっていた。男はお母さんの手錠に鎖を繋ぎ引っ張っていく。何故この人達は私達の村を襲うのか。何故ものを奪うのか。何故みんなをさらうのか。何故みんなが嫌がるのに止めないのか。何故、何故……。湧き上がる理不尽への疑問と怒り。身体中が熱くなる。全身の毛が逆立つ。今まで抱いたことのない様な激情に、私はもう我慢が出来なかった。

「止めてっ!!!」

扉から飛び出し、母の元へ駆け寄る。

「ライラっ?!」

「あん?まだガキがいやがったか。おい、こいつを頼む。俺はそのガキを捕まえっからよ。」

私を見て男はお母さんの鎖を別の男に預けた。

「ダメっ!逃げなさい、ライラ!!」

お母さんは涙を浮かべて抵抗するが男に連れられていく。そんな事させない。私が、必ず助ける!

「大人しくしとけよ……」

おじいちゃんとお母さんを騙した男が手を伸ばして近づいてくる。怖かった。でも、お母さんが連れられていくことの方がよっぽど怖いし、嫌だ。だから私はその男の腕を掴んで投げ飛ばした。

「ごふぁ?!」

無我夢中だった。男の体は後ろへ飛んでいき、地面に叩きつけられて悶えていた。

「な、何だあのガキ?!気をつけろ!」

その様子を見ていた他の人間たちが集まってきた。手には棍棒やナイフ、斧などを手にしている。お母さんへの道が塞がれる。

「逃げなさいっ!逃げて!お願いだから…………」

「……待ってて、お母さん!!」

泣いているお母さんに私はそう答え、向かってくる人間と闘った。怒っているせいか、何時もよりも力が湧いてきて、とても早く動けた。人間たちの動きなどスローで見えるくらいに。きっと、私の中の虎の部分が出てきていたんだろう。四つん這いになって、噛んだり、蹴ったり、精一杯暴れた。

「はぁ……はぁ……」

お母さんは馬車の中へ連れて行かれてしまった。しかし、二十人ほどいた男たちの半分ほどを倒した。今は流石に自分に向かってくる者がいなくなった。皆距離を置いて様子をうかがっている。これなら、助けられるかもしれない。そう思った時、馬車の中から1人の太った男が降りてきた。

「何をしてるのです?皆さん。余りお遊びがすぎると男の獣人たちが帰ってきてしまいますよ…………おや?」

太った男は水晶玉のついたステッキをつきながら歩いてきて様子を見る。

「おやおやおや!手練れの盗賊のあなた達が一体どうしたことです!」

「モ、モーガンの旦那……。それが、このガキが随分と強く……」

近くに居た男が答える。どうやらこの男達は盗賊の一団だったらしい。しかし、モーガンと呼ばれた男は彼らとは違い、随分と高価な服を着ていた。そのふくよかな腹からも身分の違いがわかる。

「なるほど、なるほど。見た目も中身も獣とは、実に汚らわしい!しかし、これはいい商品になりますねぇ。……そうだ、あの坊ちゃんの手土産にもなる……。」

モーガンは1人で何か呟いている。多分、この男がこいつらのリーダーだろう。この男を倒せば、みんなを助けられる。そう思った私は、モーガンと呼ばれた男に向かって駆けた。が、

「……?!な……に?!」

足が動かなかった。下を見ると、不気味な土の腕が私の足を足首くらいまで地面に引きずり込んでいた。

「……こんな、もの……!!」

必死に抵抗すれば何とかあしを引き抜けそうだった。しかし、それより早く土の手が腕にも絡みつき、地面に引きずり込んだ。手と足が動かず、身動きが全く取れない。

「さぁ、あとは頼みますよ。私、手が汚れるのは嫌なので。」

モーガンはそう言うと馬車へ戻っていく。盗賊達は私の腕と足に枷をはめた。

「……お姉ちゃんっ!!」

私が拘束されたのを見て、隠れていたルチアがついに声を出してしまった。

「おや?まだいたんですか。それに、お姉ちゃん?……おお、これはついている!!それの妹なら、あれも良い値で売れますよ!!」

ルチアの声に振り返ったモーガンは腹を揺らして愉快そうに笑う。

「……!!やめて!あの子だけは……」

しかしモーガンはすでにあの土の手でルチアを捕まえていた。

「……酷い!!なんで、こんな事……」

私はモーガンを睨みつけた。許せなかった。意味がわからなかった。私達が、何をしたというのか。

「なんで、騙すの?……なんで、攫うの?……なんで、奪うの?なんで……なんで……!!」

モーガンは私の様子を見て面倒くさそうにため息をついた。そして、短くただこう言った。

「それは全て、貴方達が獣人だからだ。」

そして、次の瞬間私は麻袋の様なものを頭から被せられ、視界を失った。






「じゃあ、今日はこの辺にしとくかの。ほれ、腕輪は預かるぞい。」

「はぁ、はぁ……お疲れ様でした……」

イヴァンさんをふまえた夕食の翌日、いつも通り千博はボア仙人と魔拳の特訓をしていた。魔力が戻ってからまずは魔力操作の練習をしていた。魔力の《可視化》により物質的に安定させた魔力を放出する。言うのは容易いが、今まで《強化》にしか魔法を使っていなかった千博にとってこれはなかなか難しかった。身体から何かを放出するイメージというのが掴みにくい。フェリスに見せてもらった《変換》と言うのが放出のイメージに近いんだと思う。《変換》は魔法の上級編らしいから、やっぱり魔拳は一筋縄ではマスターできない様だ。ただ、今日は全く進歩が無かった訳ではない。《可視化》で野球ボールくらいの魔力球を作れた。まあ、それを放出した結果、10

センチくらい飛んで蛍の光の様に消え入ってしまったのだが。

「……も、もうでき始めたのか?嘘じゃろ……?」

と、ボア仙人は少し驚いていた。あの様子なら、センスはないという事はなさそうだな。千博は肩で息をしながら少しほっとした。体というより集中しすぎて頭が疲れた。

「チヒロ殿。少しいいでござるか?」

「うお?!イヴァンさん?!」

タオルで汗を拭いているといつの間にか目の前にイヴァンさんが立っていた。

「ほぉ……大したもんじゃな。随分と上手く気配を消すのう。」

「ははは、御老人こそ、まさか途中で気づかれるとは思わなかったでござるよ。拙者も修行不足でござるな。」

ボア仙人とイヴァンさんが何かお互いを褒め合っている。ていうか、ボアさん気づいてたのか?俺、何も感じなかったけど……。

「それより、チヒロ殿、昨夜の件でござる。ゼウシアにある奴隷商を全て調べたでござるが、チヒロ殿が言う様な奴隷を買い取ったという者はいなかったでござる。面目ない……」

「そうですか………って、え?」

あれ?今、奴隷商を全てあたったって言った?嘘だろ?数が少ないにしても、あの後って言ったら今まで休まずやってたにしても1日ないぞ?

「も、もう調べてくれたんですか?!こんな短時間で?!」

「大した事ではないでござるよ。拙者、それが仕事でござるからな。」

す、すごい………これが、ゼウシアの隠密班の班長の力か……恐るべし。

「それで、調べた結果思ったのでござるが……もしかすると、チヒロ殿を襲ったという獣人の少女は違法に取り引きされた奴隷である可能性があるでござる。」

感心している千博は気にせず、イヴァンは話を続けた。

「最近、奴隷の違法販売が多くなってきたのでござる。本来奴隷になるには手続きがいるし、犯罪奴隷も派遣に手続きが必要なのでござるが、その手続きをしないで売買される奴隷がいるのでござる。」

……うーん、日本から来た身では奴隷自体が違法に思えるが。奴隷に違法と合法があるのか。確かに、奴隷は合法化されてる事は聞いたけど、違法っていうのはどういう事なんだ?手続きの有無だけじゃそんなに問題はなさそうだけど……。そこまで考えて千博ははっとした。自分の所に来た少女は、やりたくない事をやらされている感じがした。奴隷になった時点で主人には逆らえないのだろうが、手続きがあるのならその覚悟はできているはずじゃ?それに、あの娘は主人に反抗して俺を助けようとしてくれたし……。あまり当たって欲しくない予想だが。

「違法奴隷って、手続きがないって事は……無理矢理、って事じゃ……」

「……その通りでござる。そう言った人攫い、誘拐に遭う人達が奴隷として違法に売買されているのでござる。」

千博は言葉を失った。攫って、奴隷に?何でそんな事が起こるんだ?同じ人間じゃないか。何で他人の自由を奪うんだ?

「もちろん、その様な違法奴隷売買を厳しく取り締まるために治安維持隊も捜査をしているでござる。……しかし、その………今回の件、奴隷の違法売買の可能性があります故、治安維持隊も動かざるを得なくなり申して……」

語尾の方になるにつれて申し訳なさそうに声が小さくなるイヴァン。

「……そうですか。でも、そういう事ならしょうがないです。その方が、この国の為になりますしね。」

「よ、よいのでござるか?グッさんからは何かこだわりがある様だと話を聞いていたのでござるが……」

イヴァンは申し訳なさそうに言った。確かに、治安維持隊には少し疑問があるが、それでも今回はゼウシアの為に働こうとしているのはわかる。単なる疑惑と自分のわがままでそれを邪魔する事などできない。

「はい。調べてもらえただけでありがたいです。」

「そうでござるか……だが、安心して下され。また情報が分かればまずチヒロ殿にお知らせするでござるよ!では、これにて御免!」

そう言ったかと思うとイヴァンさんは物陰へと消えていった。……なんか、完全に忍者なんだけど、この世界にもひょっとしたら忍者がいるんじゃないのか?と、千博はその後ろ姿を見送りながら思った。





「それにしても、違法な奴隷売買か。」

千博は家への帰り道につぶやく。あの娘はどちらなんだろうか。奴隷は、主人には逆らえない。奴隷は主人を選べない。ボア仙人は言っていた。でも、それが違法になるともっと酷い。主人どうこうより、奴隷になるつもりなどなかったのに攫われて無理矢理奴隷にされる。

「……あの娘、まだ働かなきゃ、って言ったよな……」

という事は、合法な奴隷なのか?雇用期間みたいなのがあって、その期間中は奴隷でいなきゃいけないとか?でも、奴隷になった理由を聞いた時、あの娘は辛そうな顔をしていた。納得して自分を奴隷とした人が、あんな顔をするのだろうか。

「……考えても分かんないよな、こんなの。」

話したくない様な、嫌な理由なのは分かっている。でも、なんとかあの娘の力になりたい。その為にも、まずはそこを知りたかった。

「……ま、もし次に会えたらまずは名前聞かなきゃなぁ。」

名前が分かればもしかしたらもっと情報が集まるかもしれないし。いつ会えるかなんてわからないけど。そんな事を考えながら千博が大きく伸びをした、その時だった。

「え?!あ、あれ?」

目の前に1人の少女が立っていた。その少女は前と同じ様な、黒いローブを着ていた。

「……よかった!無事だったのか!」

千博は声をかける。しかし、少女の表情は暗かった。そして、それに気づいて千博は後悔した。無事だった、訳がない。これは絶対に何かあった、と。

「………私、間違えてた。」

「?」

少女は突然言った。その目は、感情を失っていた。しかし、何か強い意志も同時に感じた。いや、その表現もおかしいかもしれない。意志というか、何かに追い込まれてそうなった様な……そんな印象だ。でも、またこうして会いに来てくれたという事は、少しは俺も頼ってもらえているのかな?

「最初から、やる事は決まってた……。ルチアのため、なんでもするって……。」

ルチア?人の名前、だよな。もしかしたら、その人がこの娘が奴隷になった理由と関係があるのかもしれない。千博は小さな声で話す少女の話に耳を澄ませた。

「……貴方は、良い人間。でも……私の妹は、ルチアだけ……。」

「妹?」

少女の言葉は脈略がない様にも聞こえる。急に褒められたかと思えば次は妹の話だ。千博は、少女が自分に伝えたい事がいまいちつかめなかった。しかし、次の言葉を聞いて千博は全てを理解した。

「……ルチアが傷つくくらいなら、私は……私が、何だってやる……!」

この娘は、初めから自分に話しかけてなどいなかった。今までの言葉は、全て自分の覚悟を決めるためのものだ。そう分かった時、千博はすでに手に魔力を《留化》させ、臨戦態勢をとっていた。少女は四つん這いになって、千博に向かって突っ込んでくる。そのスピードはまさに獣の様な速度で、一瞬で千博の懐に入った。そのまま拳が突き出される。ここまでの動作に1秒かかるかといったところ。しかし、今の千博にはそれが全て見えていた。

(……本当に桁違いの速さだ!でも、今の俺は!)

既に魔力により動体視力と筋力を《強化》した千博は素早く反応し、体をひねりながら拳を流して距離をとる。だが、以前とは全く違う千博の身のこなしにも関わらず、少女は特に気にとめる様子もなく再び一蹴りで千博に肉薄した。再び繰り出される拳を避けるが、直後にそれを見越したかの様な蹴りが放たれた。《強化》した腕力でその蹴りをガードする。が、

(重っ……?!軽めの《強化》にしても、グッさんとなら充分戦えるレベルだぞ?!《留化》もしてるのに!?)

勢いを利用してそのまま背後に下がる千博。蹴りを受け止めた腕がじんじんとする。しかし、少女は息をつかせる間もなく再び構えると、千博に向かってきた。そのまま連続で蹴り、突きを放ってくる。千博は、腕力の《強化》を切り、動体視力のみに魔力をまわした。

(駄目だ、力じゃ完全に押し負ける!取り敢えず、今は避けに徹するしか……!)

少女の動きに対抗するには動体視力の《強化》は欠かせない。しかし、《強化》は魔力の消費が激しいし負担も大きい。節約しながら使わないと反応できなくなる。

「はぁ……はぁ……」

何とか紙一重で攻撃をかわす千博に、容赦なく少女は襲いかかる。一撃でも食らえば、ひとたまりもないだろう。それにしても、このままではまずい。聞いた話では、亜人の中でも獣人は身体能力に優れているらしい。ステラはそんな様子はないけど、もしこれが獣人の普通で、何の《強化》も行っていないのなら圧倒的にこちらが不利だ。きっと、俺の魔力が切れる方が早いだろう。魔力が使える今なら逃げられるかもしれない。でも、ここで逃げたらこの娘の主人が何をするかわからない。かといって、ここで殺されるつもりはない……。

(くそっ……どうすればいいんだよ!)

千博は攻撃を躱しながら考える。早く何か対策を考えなければ魔力が尽きる。残された選択肢はあと1つだろう。逃げるか、負けるか。それとあともう1つ。

(無力化して、この娘を保護する……それが、ベストか……!)

あとは、「勝つ」しかない。でも、この娘に効く攻撃を放つには相当の魔力を消費しなければいけないだろう。しかも、動体視力も《強化》していなければならない。もって数分だ。

(……この娘には悪いけど、これでいくしかない!)

千博は全身の魔力を身体の《強化》に使った。今なら、初めて使った時よりも断然上手く使える。千博は少女の突き出す拳をかわし、手首を掴む。そのまま地面に体ごと叩きつけた。つもりだったが、

「……!?」

少女はまるで猫の様に空中で体をひねり、着地した。そしてすぐに攻撃に転身し、油断した千博に鋭い蹴りが迫る。だが、今なら充分反応できる。その蹴りにあわせて千博も蹴りを繰り出した。2人の蹴りがぶつかり合い、周りの空気が振動する。

(嘘だろ?!これでも押し勝てないのか?!)

千博はバックステップで距離をとる。しかし、これはまずい。まさか身体強化、それも、かなり強めの《強化》だったはずなのだが、それも効かないとは。

(単純な攻撃じゃ駄目か、なら……)

《強化》した攻撃でも効かないのなら、外側へのダメージはほとんど無効だろう。もっと大量の魔力を使えば攻撃は通るかもしれない。きっと文字通り一撃必殺になり、その後は動けなくなるだろう。それはリスクが高すぎる。失敗したら何も抵抗ができなくなる。

(訓練の成果をここで試す……!)

外的ダメージが与えられないのなら、体の内側にダメージを与えればいい。『魔拳』なら、それができる。そもそも《可視化》させた魔力と言うのは、物質に干渉することが可能だが、実態はない。魔力自体が、エネルギーの塊の様なものだからだ。だから、相手の体へ魔力を打ち込めば殴る、蹴るとは別に、貫通するダメージを与えられる。これを防ぐには同じ様に魔力を使うしかない。不思議なもので、魔力は物体に干渉できても、魔力に干渉できるのは魔力だけなのだ。

(魔力を放出すれば体の内側にダメージを与えられる。何度かやれば戦闘不能にできるはず……!)

千博は《留化》した魔力で淡い光を纏っている拳を緩め、魔力を手の平に集め始めた。腕輪がないおかげで操作がしやすい。だが、《可視化》した魔力を安定させて放出するには、かなり集中する必要がある。激しい攻防の中ではまだ難しい。少しでいいから時間を稼ぐ必要がある。

「なぁ!ちょっと待ってくれ!」

千博は少女の蹴りをかわしつつ呼びかける。しかし少女は気に留めていない。

「くそっ……!なあ、いったい何があったんだ?」

千博は続けて話しかけるが、反応はない。彼女は完全に千博を殺すことしか頭にない様だ。

「ルチアって子が何か関係があるのか?!」

何とか気を引こうと千博は少女が最初に言っていた人物の名前をあげてみた。確か、妹って言っていた様な。

「………っ」

すると、今まで無反応だった少女が小さく声を漏らした。攻撃も一瞬止まる。それを見てピンときた千博はさらに続けた。

「ひょっとして、お前………その、ルチアって子……妹の為に奴隷になった、のか?」

千博が尋ねると少女は動きを止めた。どうやら、当たったらしい。その隙に千博は魔力を集め始めた。

「……だったら、何?」

少女は逆に問い直してきた。

「余計に、ほっておけなくなった!」

「……っ!!何を!貴方には、関係、ない!」

千博が答えると少女は拳を握りしめて反論した。千博は更に続ける。

「妹を人質に取られてるのか?!俺を殺せば、その子が助かるのか?!」

少女が千博を殺そうとする理由、奴隷になった理由、どちらもこの娘の妹が関係してる。千博は初めの方に少女が喋っていた事をさらに思い出していった。

『ルチアのため、なんでもするって……』

確か、こう言っていた。恐らく、妹が今の主人に捕まっていて、その子を解放してもらう為に彼女は奴隷になった。

「……私は、例え貴方が、良い人でも……」

俯き加減で拳を握っていた少女は涙を流している様だった。それは、揺るぎない強固な覚悟の証だった。きっと、この娘は優しい子なんだ。覚悟の形が涙で現れているのがその証拠だ。そして、少女はキッと鋭い目つきになり姿勢を低く構える。

「……殺すっ!!」

今までよりも格段と速い攻撃。今ここでこれを避けずに千博が殺されればこの娘の願いは叶うし、妹も助かるのかもしれない。だが、それがこの娘にとってはベストだとしても、千博にとっては違う。なぜなら、

「俺を殺せても……妹さんが助かっても……お前は、結局つらいままじゃないかっ!!」

妹が人質にとられている時点で、この娘が自分の意思で奴隷になった可能性はなくなった。ならざるを得なかったから、なった。これなら、充分この世界の奴隷制に反している。これなら、充分この娘を助ける理由になる。この娘の妹も、この娘も助けたい。今から殺す相手の前で涙を見せる優しい暗殺者なんているわけない。千博は、少女の攻撃を体制を低くして躱す。そして手の平に《可視化》させたテニスボールくらいの魔力球を少女の胸に当てた。訓練で魔力の放出ができたと言っても、飛ばせるのは10センチほど。体に直接ダメージを与えるには、ゼロ距離で当てる必要がある。

(イメージは、ボアさんが俺の魔力を取り戻してくれた時の電気ショックみたいな衝撃だ!)

「……っ?!」

きっと、渾身の一撃だったのだろう。それを千博に躱され、なおかつ懐に入り込まれた事に少女は驚愕していた。そこへ、千博は魔力を放出した。

「はあっ!!」

隙のできた少女の体は大きくくの字に曲がって、衝撃で後方へ吹き飛んだ。

「うぉ?!だ、大丈夫か?!」

予想外の威力に魔力を放った千博も驚いた。手加減も上手く出来なかったので、急いで少女に近づき確認する。目は閉じているが息はある。

「……息はあるけど、気絶してるのかな?大丈夫か、これ?」

千博は少女の体を抱える。まずい、やり過ぎたか?とりあえずどこかで休ませなければ。家に帰る途中だったのでここからなら自宅の方が訓練場よりも近い。

「一旦家に帰ろう。それにしてもすごい威力なんだな……。もっと使い方に気をつけないとな、これは。」

自分のした事に反省しつつ、千博は少女を抱き抱えたまま帰路を急いだ。

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