奴隷制と少女
「……何?……耳があるのはおかしい?」
思わず声を出してしまった千博に反応して少女は睨みつけた。しまった。変に反応してしまった。しかし、それも仕方がない。ステラの時も驚いたが、何せ今はついに猫耳少女を目の当たりにしていたからだ。まあ、厳密に言えばネコ科の耳少女、だが。しかもその耳がまたよく似合っていて、少女も美がつくぐらいの要望の持ち主だった。これでは声が出てしまうのも無理はないだろう。
「ち、違う!そうじゃなくて……その……すごく似合ってたから、つい……」
慌てて誤解を解きにかかった。
「……?似合う……?」
千博が答えると少女はキョトンとして自分の耳に手を当てた。
「……変なの……そんな事、初めて言われた……。もともと生えてたし……」
「あぁ、確かにお前からしたら当たり前なんだろうけど……。ここにいるステラとかお前みたいな人間の姿で獣の耳がある女の子って、俺のいたところでは可愛いって人気があってだな……」
って、何を説明しだしたんだ俺は。こんな事今は関係ないだろ。
「……本当?」
余計な事を言ったせいでまた疑われてるな、俺。でも、女の子の目は少しずつ穏やかになっている。この話に興味を持ち始めてるみたいだ。同様に、ステラも話に聞き入っていた。そう言えば、こんな話はしてなかったしな。
「本当だ。特に猫耳はメジャー中のメジャーだと思うぞ。ある地域には猫耳をつけたメイドさんばかりで構成されたカフェもあるくらいだしな。」
興味を持ってくれているみたいなのでさらに話してみる。すると、二人の少女が食いついてきた。
「……私のは?私の、虎……。猫の仲間……」
「あ、あのっ!私のはどうでしょうか……。犬は人気はありませんか……?」
「そうだな……。虎耳っていうのは元気な感じがして可愛らしいと思うし、犬の方は誠実で穏やかそうなイメージがあって、メイドにぴったりなんじゃないか?どちらも人気はあると思うぞ。」
あながち間違いではないと思う返答をする。日本にいた頃、友人が見せてくれた漫画やイラストを参考とした意見だ。
「……可愛らしい……」
「メイドにぴったり……よかった……」
二人も喜こんでくれているみたいだ。よかった……って、よく考えたらこれ今どういう状況なんだ?普通に暗殺者とメイドも交えて雑談をしちゃってるけど……。
「……私…その国に行きたい……」
と、少女がつぶやいた。そして千博は困った。何故なら単に日本へ戻る方法がわからないのに加え、ここで行く事が出来ないと伝えたら信憑性が失われてしまうからだ。この流れだと日本への行き方を聞いてきてもおかしくない。
「……そうだ。」
と、少女が再びつぶやいた。しっかりと千博の方を見て。
「取り引き……。私達をその国に連れて行って……。そうすれば、貴方を殺さない……。」
「うっ……」
そうきたか。ていうか、私「達」ってなんだ?ステラも入ってるのか?そうしたいのは山々だが、今は完全に不可能だ。けど、ここで断ればもう助かるチャンスはないかもしれない。なんとか誤魔化すしかないか、それとも正直に言ってみるか選ぶしかない。
「……お願い。連れて行って。」
少女は本当に日本に来たいようだ。取り引きにも関わらず、お願いをしてくる。完全に日本のことは信じているようだ。……どうする。下手な言い訳は疑われそうだ。なら、正直に言うしかないか。信じてくれるといいんだが。
「……悪いけど、今は俺も帰る方法が分からないんだ。だから連れて行ってやれない。けど、もし帰り方が分かったら連れて行ってやる。それじゃ駄目か……?」
「分かった……絶対、約束……」
え、……いいのか?随分と素直だったけど……。ん?という事は、俺たちは助かったのか?
「……えっと、なら、今回は見逃してくれる方向で良いのか……?」
「……うん。案内役、殺せない……。あ、でも……」
「どうした?」
「バレたら……まずい。」
少女はシュンとした表情で言った。
「バレる?どういう事だ?」
千博は尋ねる。すると、少女とステラが同時に千博の方を見た。……え、なんかまずい事でも言ったか?
「チヒロさん……お気づきではなかったのですか?」
「……?何に?」
意味がわからずに聞き返すと少女が自分の手の甲を差し出す。そこには黒い不思議なマークがついていた。
「……それは?」
近くで見ると、それはマークなんて優しいものではない事に気づいた。
「なっ!!これ、焼印か?!」
それは、少女の肌に直接焼き入れられた紋章だった。痛々しいその模様に驚く。自分で臨んで入れたようなものでない事は、少女の表情からすぐに分かった。
「……これは奴隷の証……。もう、とれない……」
少女は静かにそう言った。千博は耳を疑った。
「ど、奴隷……?!そんな人達がいるのか、この国は?!」
「は、はい。ゼウシアでは罪を犯した罪人や生活に困っている人達が自らの身を売って罪を償ったりお金を稼いだりする手段として奴隷制度を認めています。」
ステラがすぐに説明をしてくれる。しかし、その説明を聞いても千博は冷静さを取り戻せなどしなかった。
「ま、まってくれ!確か、亜人の人達が貴族とか一部の人間に迫害を受けて奴隷の様な扱いを受けてるって、そういう話は聞いたぞ?けど、それとは別にこの世界には本当の奴隷もいるのか?!」
「そ、そうです。奴隷には人間の方も居ます。主に犯罪者や生活に困っている人たちですね。当然、亜人の方の方が割合は多いですけど……。」
「……そう、か……。」
なるほど、犯罪者への罰が奴隷としての労働って事なのか。でも、亜人の人達が低い身分として扱われてその為に奴隷として身を売っているのは見過ごせない。この世界の奴隷、というのが元の世界の認識と同じならば、彼らは人間としての扱いを受けていないはずだ。ユリア女王の統治で国が発展したというのは聞いた。でも、それよりもまずやるべき事があるはずだ。……これは、一度話をしないといけないよな。
「……怒っているの……?」
恐らく難しい顔をしていたのだろう。少女が千博に聞いてきた。
「……いや、無くさないといけないなって思っただけだ。奴隷制度は。」
「……なぜ?」
「亜人も、人間も、同じだからに決まってる。」
外見は違っても、同じ言葉を話している。何ができて何ができないかなんてものは個人によって違うんだ。そんなもの、差別される理由なんかにならない。みんな同じなんだ。同じ世界に生きているんだから。
「変わってる……。あなたがご主人だったら良かった……」
千博が答えると少女は目をぱちくりさせて周りには聞こえない様な小さな声でそうつぶやいた。……というか、そもそも何でこの子は奴隷になってるんだ?亜人が自分の身を売って、ってやつか?
「……なあ、話は変わるけどさ。どうしてお前は奴隷になったんだ?……お金の問題か?」
「…………。」
少女は口をつぐんでしまった。言いたくない事なのだろうか。……やっぱり、奴隷になったときのことなんて本人にとって良い思い出ではないだろうし、聞かない方が良かったな。
「ごめん。嫌な質問だった。許してくれ。……それより、最初の話に戻らないとな。俺を助けてくれたおかげで主人に何か言われるんだよな?」
かなり話がずれていたが、元はこの話をしていたのだ。千博は少女に尋ねた。
「そう。……命令守らなかった…」
つまり、俺の命を狙っていた奴の命令に背いたことで、立場がなくなる、と。……なんか、俺は何も悪いことしてないけどこれだと俺のせいみたいだ。それを伝える為か、悲しげな表情をした後、ちらちらと少女はこちらを見てくる。……こいつ、さっきまで俺を殺そうとしてたの覚えてるのか?
「……取り引きで、あなたの言ってた国に行きたかった……」
そう言ってまたちらっと千博の方を見る。なんだこの罪悪感は。俺は何もしてない。なんで俺がそんな目で見られなきゃいけないんだ。……くそ、しょうがないな。
「……あー、なら、うちに来るか?部屋はたくさんあるし……」
「?!」
頭をかきながら千博が提案すると少女の顔が明るくなる。そしてそれと同時にステラが反応した。
「チヒロさん?!幾ら何でもそれは危険ではありませんか?!」
「え……ま、まあそうだけど……」
確かにちょっと怖いけど、なんかこの子、本当はそんなことするような子じゃない気がするしな。
「大丈夫……私、ご主人様の命令、ちゃんと守る……」
「……俺はお前が命令を守らなかったおかげで助かったって考えると、その言葉は信じて良いのかわからないんだが……」
ていうか、さらっと言ったがもうこの子の中では俺は新しい主人ってことになってるのか?
「……明日から頑張る。」
「重みのない約束だ……」
明日から頑張るっていう奴は大抵頑張らないという認識が俺の中にあるんだけど。どうしような。確かにこの子がまた襲ってきたら危ないし……ん?あ、そうだ。
「それなら、俺のいた国への帰り方が分かるまでうちにいて良いぞ。もともと、そういう取り引きだったしな。」
「……!それ、良い……」
少女は名案にはっとした様に賛成した。よし、上手くいってくれたみたいだ。これなら俺はこの子の中で案内役としての役をキープしたままでいられる。つまり、殺される心配もない。帰り方は分からないから、はったりみたいな形で申し訳ないけど。
「……これでダメか?」
「……で、でも……チヒロさんに何かあったら、私っ……!!」
ステラは珍しく意見を曲げない。俺の安全を思ってくれてるが分かる。うーん、どうしよう。俺は構わないけど、ステラと暮らしている限り、俺の考えだけで決められないしな……。
「…………」
この子はほっとけないけど、だからってうちで暮らしてステラが落ち着けないならダメだしな……。グッさんに相談してみようか?でも、命令に背いた奴隷ってどうなるんだ?解雇されるのか?
「……やっぱりダメ。」
少しの間沈黙が流れ、千博があれこれと考えていると少女が口を開いた。
「え、どうしたんだよ急に?」
さっきまで乗り気だったのにどうしたんだ?
「……貴方の言う国、行きたかったけど…やっぱりダメ。それに、私だけ、行けない……。まだ、働かなきゃ……」
「……?」
よくわからないが、この娘の話だと命令に従わなかっただけじゃ解雇はされないのか?……いや、そうだったとしてもそれは奴隷達にとってはもっと辛いことになるのかもしれない。命令に従わないのなら、無理やり従わせる。この娘の表情からしたら、きっと怒られるなんてものじゃ済まないはずだ。それならいっそ解雇されてしまった方が楽なのかもしれない。しかし、それはできない。生活するには、従うしかない……。そんな生活望んでいる筈なんてない。そのはずなのに。なぜか彼女は、ステラの様子を見て遠慮している。
「……お前の主人はお前を許してくれるのか?」
千博は尋ねた。こんな事を聞ける立場ではない事は分かっている。しかし、それでも少女の無理をしているような様子が気になった。彼女が初めて見せたはっきりとした感情。それが怯えだと分かって心配になった。
「……多分、すごく怒る。……でも……」
怒る、という所だけは肯定する。全てを否定するのはできなかったのだろう。先程まではほとんど表情を変えなかったこの少女。それを怯えさせるだけの大層な事がされるのだろう。少女もまだ迷いがあるようだ。話していた途中で口ごもる。
「……貴方は、殺せない……。殺したく、ない……」
少しの沈黙の後、ゆっくりと少女はそう言った。
「……」
どうして?とは聞けなかった。だが、主人の所に帰るのなら、俺を生かしておくのは損でしかない筈だ。それなのに何故彼女は俺を殺せないと言ったのか。まだ利用価値があると思っているのか?
「けど、納得できないって……」
この娘が俺を助けてくれた理由。急に俺を頼るのをやめた理由。どちらもはっきりしないままなんだ。
「……じゃあ、貴方のこと、嫌い。……だから一緒にいるの、無理。」
「……は?」
気の抜けた声が出てしまった。嫌いって、そうだったとしてもそんな取って付けたような理由信じられないだろう。
「……そういう事だから。……それに、英雄には敵わなかったって言えば何とかなる……。だから、心配無用……。」
「お、おい!」
千博はなんと言っていいか分からなかった。返事に困っていると、少女は扉の方へと歩いていく。引き止めたいが、かける言葉が見つからない。どうしてこんな嘘をつくのか。黙っていると、少女は扉にてをかけた。そして、
「……困らせて、ごめんなさい……。それと、ありがとう……」
それだけ言うとあの目にも留まらぬ俊足で千博の家を後にした。
「くそ……」
命は助かった。とても喜ばしい事だ。それなのに、心にはモヤモヤしたものが残っている。
「……ごめんなさい、だって?それじゃ、嘘だって事がバレバレじゃないか……。何がありがとうだ。俺は何もしてない!意味わかんねぇよ……」
拳を握って俯くとステラも気まずそうな顔で俯いていた。
「……ステラ」
「……!は、はい……」
名前を呼ぶと、ステラは肩をびくっと震わせて弱々しく返事をした。きっと俺が怒ると思っているのだろう。ステラがあの娘を受け入れるのを渋っていたからあの娘は行ってしまった。そう捉える事もできるから。でもそれは嫌がらせとか、相手が奴隷だから嫌だとか、そういう理由じゃない。
「……俺の安全を考えてくれたんだよな?ありがとう。」
ステラは悪くない。というか、今回は俺たちの中に誰も悪い奴なんていないからだ。
「……チヒロさん……」
「けど、俺……ほっとけない。」
表面だけ見れば、これで何もなかったことになる。俺たちは助かって、あの娘はもとのご主人のところへ戻った。しかし、千博の頭には、少女の目の奥で震える瞳が焼きついていた。
「……私、あの方に申し訳ないことを……。もうあの人に、私達を攻撃する気なんてなかったのに……」
ステラも少女の様子を見て分かった様だ。あの娘は嘘をついていた。でも、その嘘は下手過ぎたのだ。
「そう思うか……。なら、よかった。」
「?」
ステラも分かってくれたのなら、もう迷うことはない。
「助けよう、あの娘。やっぱりほっとけない。」
「チヒロさん……。そうですね。私もお手伝い致します。」
ステラに言うと、快く受け入れてくれた。よし。なら早速後を追わないと……
「……あ」
「……?どういたしました?」
そこで気付いた。一番大事な手がかりを、本人から聞いておく事を忘れていた事に。
「あの娘の名前……なんだ?」
「あっ……」
やばい。今思うと、手がかりが全然ない。今から後を追っても当然追いつかないし、足跡なんか微塵もない。というか、どっちの方に行ったかさえ見届けてないし……。これじゃ探せない。
「と、とりあえず聞き込みをしてみるか?」
「え、ええと……はい。そうですね。何処に行ったか見かけた方がいるかもしれませんし……」
そう思って千博はステラと外へ出てみた。すると、
「……あー、これは……」
よく考えてみればすぐわかる事だったが千博は今気付いた。目撃者を探そうと思ったが、それは無理そうだ。何故なら、千博たちの住んでいる屋敷。それは、周りの人が幽霊屋敷だのと恐れている不気味なもので、周りには人家もなく人がいる気配が皆無だったからだ。それによく考えたらあの娘は暗殺者としてここに来た。手際こそ悪かったが暗殺者が人目につくような場所を移動するとは思えない。
「……目撃情報は得られなさそうです……。」
「あ、ああ……。何か他の手がかりを探さないと……」
千博達は家へと戻り、食堂の椅子に腰掛けて2人で考え始めた。が、そこで千博の腹の虫が鳴いた。時計を見ると、いつもの夕飯の時間だ。
「……は、はは。悪いな……」
「ふふっ、夕飯を食べながら考えましょうか。」
という事で、まずはステラを手伝いながら夕食の支度に取り掛かった。
「……で、なんでここに居るんですか、ボアさん。」
夕食の手伝いを終え、調理はステラに任せて食堂のテーブルへ一人で戻るとボア仙人が当然の様な顔で座っていた。
「え……まあ、いいかなって思っての。」
いや、許可とかとってないのにそれはないでしょ!ていうか、あの娘といい、ボアさんといい、一体いつの間にうちに入ってきてるんだ?鍵はかけてあったはずなのに……
「何処から入ったんですか……」
「ああ、二階の窓が一つ鍵が壊れててのう。そこから入ったんじゃ。しかし、不注意じゃぞチヒロ。しっかり確かめておかんと……」
「壊れてた?おかしいな。そんなところ無かった筈だけど。ていうか、そんな所から入らないでください。普通に玄関から来てくれれば中に入れますよ!」
セクハラに不法侵入……俺の師匠はもう既に立派な犯罪者な気がする。けど、なんで窓が壊れてたんだろう……あ。
「……あの娘か。」
あの娘が家に入ってきたときにやったんだろう。その後に続いてボア仙人も入ってきたんだ。
「あの娘?誰のことじゃ?」
「ああ、そうだ。丁度いい。ボアさんに考えて欲しい事があります。」
「…?なんじゃ?」
千博は今日あった事をボア仙人に話した。
「……ほう、そんな事があったのか……」
「ええ。で、何とかその娘を助けたいと思うんですけど手がかりがなくて……。何かいい考えはありませんか?」
千博はボア仙人に改めて尋ねた。と、その時に丁度夕食を作り終えたステラが調理場から現れた。
「ぼ、ボア様?!」
「あ、ステラちゃん。お邪魔しておるぞい。」
「ええと、はい。で、でも、どうしましょう……。夕食も食べていかれますよね?これじゃ足りないかな……」
「いや、まあ大丈夫じゃよ。歳をとるとそんなに腹にはいらんしの。ただ、ステラちゃんのご飯が食べたかっただけじゃ。」
そう言ってきりっと表情を整えてみせるボア仙人。いや、あんたは大丈夫でも俺たちの分が減るだろう。
「チヒロさん、大丈夫ですか?よければ、私の分も差し上げますから……」
「いや、大丈夫だよ。ありがとう。……それより、話の続きをしよう。」
千博が言うとステラは頷いて自分の席に着いた。
「じゃあ、ボアさん。続きをお願いします。」
「止めておけ。」
え?聞き間違い……だよな?ボア仙人の一言に千博とステラの動きが止まった。
「え、え?えっと……」
「分からんかったかの?もう一度言うぞい。もう、その娘には関わるべきじゃない。」
聞き間違いではない。確かに、ボア仙人は俺たちを止めている。それも、いつになく真剣な顔だ。
「な、なんでですか?!あの娘は奴隷で、しかも俺たちを助けたせいで酷い目にあうかもしれないんですよ?!それを、ほっとけって言うんですか?!」
「ああ、そうじゃ。」
「っ?!」
冗談を言っているようには見えない。千博は驚きを隠せなかった。絶対に、ボア仙人なら力を貸してくれると思った。まだ短い間しか関わっていないが悪い人ではないとわかったから。しかし、そのボア仙人は目の前で厳しい眼差しで千博に立ちはだかっていた。驚きで何も言えない千博に対し、ボア仙人はため息をついた。
「それじゃあ聞くがの。その娘はこれから何をされるんじゃ?」
「え、そ、それは……」
そういえば聞いていない。でも、彼女はひどく怯える様な目をしていた。それなら、酷い目に合うに決まってる。
「でも、とても怯えていました!」
ステラが助け舟を出す様に千博の意見に加勢する。
「そりゃ、一応命令を破ったのじゃからな。何か咎めがあるのは当然じゃ。じゃが、その内容は人による。それは飯抜きだったり、減給じゃったり。必ずしも暴力的なものではないはずじゃ。確信がない。」
「で、でも!」
「それにな、奴隷というのは法的に認められておる制度じゃ。犯罪者への罰。それに、生活費を稼ぐ最終手段。これは何も違法なものではない。そうじゃろ?」
この言葉にステラも黙る。ということは、奴隷制度が法的に正しいというのはみんなも認めている事なのだろうか。
「……お主は優しい。じゃから、あの娘が、というより、奴隷になって働くしかないものたちの事を心配しておるのじゃろう。確かに、亜人には奴隷は多いし、貧しい者達が多い。その事に対して差別意識を持つ事は間違っておる。じゃが、亜人の者達から奴隷制度を奪えば生活していけない者も出てくるのじゃぞ?」
「……。」
奴隷制度は合法。皆の同意の上で成り立っている。もちろん、亜人本人達も含めた国全体の同意で……。聞いているだけだと不思議な事に何も問題はなさそうだ。
「……でも、奴隷の待遇は、普通の労働者とは違うんでしょう?」
「そりゃそうじゃ。奴隷の方が労働時間も長いし賃金もまちまちじゃ。雇い手によっては高かったり低かったり。犯罪者の者は当然タダ働きじゃ。」
「それが問題なんじゃ……」
「いや、奴隷になった以上は雇い主は選べん。じゃから最終手段なのじゃ。雇い主がいい奴か悪い奴か、それは運次第。ワシらが口を出せる事ではない。あとは当事者達の問題じゃ。じゃからな。今回の事もお主が関わるには及ばん。たとえお主が奴隷を無くすために動いても、あとについてくる者はほぼいないじゃろう。」
「そんな……でも、だって!これでいいんですか?!」
ここまで聞いてもやはり千博は簡単には納得できない。百歩譲って奴隷制度を認めたとして、それでもその制度に対してもっと規則をつけるべきだ。労働時間も、賃金も、労働中の扱いも。
「とにかく。お主がどう思っていようとこの事についてはここまでじゃ。悪い事は言わん。止めておけ。……そんな事より、お主の命が狙われた事の方がよっぽど問題じゃぞ?それこそ治安維持部隊に連絡した方が良いじゃろう。その腕輪、訓練以外では外しておいた方が良いかもしれんのぅ。」
あまり気分の良い話ではなかったからだろうか。ボア仙人はそう言うと話は終わったというかのように夕食に手をつけ始めた。
「……それは、確かに。その方がありがたい、ですけど……」
納得は出来ていない。あの娘はほっとけない。それは今でも変わらない。しかし、この世界で今から俺がしようとしていた事は、筋違いという事だったのか。奴隷は、助けを求めていないとでも言うのか?そんなわけない。でなければ、あの娘はあんなに辛そうな顔はしない……。しかし、ボア仙人がこの様子だとこの世界の人にこの事について助けは求められなさそうだ。
「……そんなに気になるか?」
「……。」
千博の様子を見かねてか、ボア仙人はまたため息をついて言った。
「なら、もうワシは止めん。一つだけ助言をしておくぞい。お主は、お主の命をその娘に狙わせた張本人を探しに行って話をつける。主人が治安維持部隊に捕まれば、奴隷の娘がその場から逃げ出すのは仕方がない。これだけ覚えておくのじゃ。」
「……!」
なるほど!確かに、それならこの国の法的にも問題はない!ステラの方を見ると、明るい顔で頷いた。
「さてと、それじゃあワシはもう行くからの。ご馳走様じゃ。それと……」
満足したのかボア仙人は席を立ち千博の近くに来る。そして腕輪に触れた。すると、簡単に腕輪が外れる。
「おお……外れた!」
なんだか体が軽くなった気がする。試しに魔力を《留化》させると、今日の訓練が嘘のように簡単にできた。
「それでは、また明日じゃ、チヒロ。ワシも若い時は色々あったから気持ちは分からんでもないが、あまり無茶はするでないぞ。」
「はい!ありがとうございます、ボアさん!」
「うむ、じゃあの、ステラちゃん。」
「はい!おやすみなさい。」
こうしてボア仙人は風のように帰っていった。
「よし、じゃあ俺らも飯を……」
話ばかりで結局ご飯に手をつけていなかった。千博はテーブルに目を下ろす。
「……あの人、肉ばっか食ってったな。どこが腹に入らない、だよ…」
そこには明らかに肉の量だけ減った夕食が残っていて、千博はため息をついた。
「……ごめんなさい。標的、倒せなかった……」
館に帰ると少女は主人の前に出て報告をした。いつも通り、主人は美女を脇に抱えていた。しかし、報告を聞くと酒を飲んでいた手を止めた。少女は身を小さくして主人の言葉を待つ。
「……ああ?そうなの?ふーん。」
「……?」
少女は意外な言葉に顔を上げた。当然、ひどく罵声を浴びると思っていたからだ。すると、主人は不思議な事にニッコリと笑っていた。
「まあ、できなかったんなら仕方ないよね。あいつも弱くはない訳だし……。」
主人は怒っていないように思える。そればかりか、敵わなかったのなら仕方がないと、期待していた通りの反応を見せた。これなら許してもらえるかもしれない。少女は安心した。が、
「でもさ、敵わなかったのは力じゃなくて心の方だろう?」
「……!」
主人の発言にはっとして再び顔を見ると、既にそこには笑顔はなかった。あるのは怒りに満ちた瞳だけになっていた。
「……それ、は……ぐっ?!」
反論しようとすると主人は立ち上がり少女に近寄って頭を踏みつけた。
「こういうことなら勘弁してもらえるとでも思ったのか?なら残念だったな。生憎と知っているんだよ。お前があいつに言いくるめられて、のこのこと帰ってきたのを!なあ、モーガン!」
「えぇ、仰る通りでございます、ご主人様!」
主人の男がそう呼びかけると、部屋の陰からかなり肉付きの良い中年の男がにやにやと笑いながら現れる。そして、少女はその顔を見て表情を変えた。
「……っ!!お、前……!」
「おお、怖い怖い。全く、獣人というものはどいつもこいつも野蛮で仕方ありませんな。」
少女に睨みつけられ、おどけてみせながらモーガンと呼ばれた男は主人の近くへと進んだ。その動きよりも速く少女が飛びかかろうとするが、突然地面から生えた手に足を掴まれて倒れこむ。そのまま体全体も押さえつけられた。
「……お前……お前っ!!」
少女はなおも顔だけをあげて睨んでいる。憎しみと、怒りのこもった相手を射殺すような眼光。しかし、モーガンは相手にもしない。
「良い顔をするじゃないか!クク、かなり怨まれているな、モーガン。やはり、お前がいる時が一番こいつと楽しめるようだ。」
「いやはや、私はそのようなつもりはないのですがねぇ。寧ろ、生かしてもらえたことを感謝しても良いくらいの筈なのですが。そのおかげでご主人様に仕えられているというのに。……と、まあ本人はこのありがたみを全く理解しておらんようですが。」
逆に、少女が見せた怒りの目を主人の男は嬉しそうに笑い、モーガンはため息をつく。
「ルチア……ルチアは?!」
睨みながら、少女は誰かの名前を必死に呼ぶ。
「……フハハ、気になりますか。まあそうでしょうな。何しろ、貴女は約束を破ってしまったのだから。」
少女の様子を見てモーガンはニヤリと笑った。そして、手を二回叩くとそれに応じて二体の泥人形が現れた。その真ん中には腕を掴まれて衰弱した様子の少女がいる。少女がルチアと呼んだ彼女には、少女と同じように虎の耳、尻尾がある。年齢は少女よりも幼く10歳前後だろう。疲れ切っているのか、泥人形達に体を預けるようにだらりとしていた。
「……待って!それは……それだけは止めて!!」
身を乗り出して少女は懇願する。
「……お姉……ちゃん?」
それに気づいたのかルチアと呼ばれた少女は頭をゆっくりと上げた。
「ルチア!……罰なら私が!だから、ルチアは……!」
姉である少女はルチアを庇おうと必死だ。しかし、それを見てルチアは力なく笑うと、手の甲を姉へと向けた。
「……大丈夫、だよ。お姉ちゃん。これでお姉ちゃんは、お仕置きはないよ?」
その言葉を聞き、その手を見て、少女はその場に崩れた。
「……ぁ……あ!!」
そこには、少女と全く同じ紋様が黒ぐろと焼き入れてあったのだ。
「……何を今更。こういう約束だったでしょう。全く、獣人の頭の悪さには本当に驚かされる。……いや、ここまでとなると同情しますよ。自分のした約束さえ忘れてしまうなんてねぇ。」
「……ぅ、そ、んな……」
少女の目に涙が浮かぶ。しかし、それを堪えると少女は目の前の主人と、憎きその僕を睨んだ。
「なぜ睨む?モーガンの言う通りだろうが。そもそも、命があるだけありがたいと思えよ?僕は使えない駒は棄てるからね。人の血の入った獣人は獣人よりも使い勝手が良いと聞いたからお前達を残して置いてるんだぞ?」
「……誰、が!村を襲って、攫ってきただけのくせに……!」
「あぁ?何だって?」
「……っ」
少女が小さな声で反論すると男は高圧的な態度でそれを遮る。少女はそれ以上は言葉を出さなかった。しかし、それは気圧されたからでは無い。そもそも、少女にとってこの男は大した脅威ではなかった。問題はこの男ではなく臣下のモーガンであった。その魔法は強力であり、加えて妹の命が彼の手に握られている。逆らうことができないのは、こちらのほうだった。
「……それにしても、なかなか敵も口が上手い。獣の耳が受け入れられている国などある筈がないでしょうに。さて。どういたしますか、ご主人様。やはり、監視ではなく、次は私が出向きましょうか。」
モーガンが主人に尋ねる。男は少し考えると、ニヤリといやらしく笑って言った。
「いや、まだだ。こいつにもう一度だけチャンスをやろう。僕は寛大だからね。もっとも、次は妹の自由じゃなくて命を懸けてもらうよ?これだけすれば、騙される心配も無いだろう。何よりも大切な妹だ、言いくるめられるものなんて無い。しっかり成果を見せてくれ。今回は初仕事だったから大目に見てあげるよ。」
「なっ……!?」
「ほほう!それは良いお考えで。確かに、一度の失敗で棄ててしまうのは勿体無いことです。流石、ご主人様はお心が広い!」
主人の考えに何の異論もなく、全面的に賛成するモーガン。これで少女がすべき事は決められた。
「もう一度、マナカ・チヒロを殺しに行くんだ。殺せなければ、君の妹は死ぬ。いいね?」
主人から突きつけられた決定に、少女はただ沈黙することしかできなかった。




