お見舞い道中と隠れ英雄?
投稿ペースがめっちゃ遅い……頑張ります
「おはようございます、チヒロさん。」
「……!ああ、お、おはよう。」
朝起きるとステラはいつも通り朝食の支度をしていた。そして起きてきた千博に気づくといつも通り挨拶をしてくれる。……なんだ。いつも通りだな。もしかしたら昨日の事は覚えてないのか?……まあ、それならこっちもいつも通り接していけばいいからありがたいか。僅かながらでもステラに昨日の事の記憶があって色々と聞かれたら気まずくなってしまいそうだがこれなら大丈夫そうだ。一安心して千博もいつも通り自分の席へ着く。
「「頂きます。」」
そしてステラが用意してくれた朝食を2人で一緒に食べ始めた。
「そうだ、ステラ。今日も文字を教えてくれるって言ってたよな?それ、俺も家事手伝うから昼までに終わらせないか?」
「……?はい、構いませんけど……何か午後から御用事があるんですか?」
「ん、いや。ちょっと病院に行こうと思ってさ。魔力の事と、あとお見舞い。」
「お見舞い……あ、ミーツェさんと言う方ですか?」
「そうそう。ゼウシアに戻ってから一回も顔見てないし……そろそろ話せるようにもなってるだろ。ちょっと様子を見てくるよ。ステラも来るか?」
「あの………一度もお会いしたことが無いのですけど構わないでしょうか?」
そうか。確かに2人は面識がなかったな。
「大丈夫だろ、ミーツェは悪い奴じゃないし、平気さ。」
ミーツェもお見舞いなら一人より二人の方が嬉しいだろう。
「そうですか?では、ご一緒しますね。」
「ああ。」
千博はそう返事をすると、ちぎりながらべていたパンの最後の欠片を口へ入れて朝食を終える。そして自分の食器をいつも通り流し台へ運ぼうと立ち上がると、
「あの……チヒロさん。」
ステラに呼び止められた。
「ん?どうした?」
手を止めてステラに返事すると、千博はステラの顔が少し赤くなっているのに気づく。
「あ、あの………一つお尋ねしたいのですが………昨日、私を部屋まで運んで下さったのはチヒロさんですよね?」
「うっ……⁈ あ、ああ。そうだけど。」
ステラの口から発せられた質問は、忘れかけていた昨日の夜の事だった。
「すみません、私、全然覚えてなくて………。私、寝てしまっていたんですよね?」
千博は覚えてない、という言葉を聞いた瞬間胸をなでおろした。よかった。実は覚えていて、言及されるんじゃないかとひやひやした。けど、覚えていないんならうまくごまかせばよさそうだな。
「ああ。昨日は色々あったから多分疲れてたんだろ。メイド服のまま寝てたから部屋まで運んでおいたんだ。」
本当は風呂で気絶していたんだが……多分その記憶はないんだろう。これで大丈夫だな。これで納得してくれるだろ。
「………ほ、本当ですか?」
「?!」
しかし、ステラが発した言葉は納得ではなく、そして千博に向けられたのは全く反対の疑惑の目だった。
「ほ、本当だって!誓って何も変なことはしてない!!」
まずい、完全に疑われているだろ。まあ、確かに朝起きて何も記憶なかったら怖いだろうけど誤解だ。
「あ、いえ!あの……それは信じてます。チヒロさんはそんな事をなさる方ではありませんし……ただ……」
ステラは目の前で両手を振る。そして顔を赤らめながら言った。
「………私が寝ていたのって、どこでしたか?」
「………ぐっ?!」
少し俯きながら、上目遣いでそう尋ねられ、思わず反射的に変な声を出してしまう。
「……そ、それに私、本当にメイド服で寝ていましたか?」
「………なっ?!」
次々と突きつけられる質問にまた変な声をだしてしまう。何でだ?ステラは昨日のこと覚えてないって言ってたのに。ステラは嘘をつくような事はしないけど、これだと明らかに何か知っている様な感じなんだけど……。それともひょっとして風呂場にいた事は覚えているのか?いや、覚えてるんだろう。じゃないと服を着ていたかなんて聞かないだろうしな。……なら、もう方法は一つしかない!
「はは、何言ってんだ。服を着てなきゃ運ぶ俺が大変じゃないか。そうだ!夢でも見てたんじゃないか?うん、そうだ、きっとそうだよ!」
そう。必殺、『夢オチ』。もうこれ以外に方法はないな。これならステラが風呂場までの記憶を持っててもうまく丸め込めるはずだ。
「チ、チヒロさん!本当の事を言って下さい!私、怒ったりしませんから!」
「……ッ?!えぇ?!」
ステラが珍しく声を大きくして千博に迫った。
「お、俺が嘘ついてるって?」
「は、はい。チヒロさんは嘘をついていらっしゃいます!」
「な、何でそんなことわかるんだ?」
そんな馬鹿な、なんで嘘ってばれているんだ?千博は動揺しながらも、まだ唯のかまかけかもしれないとステラに根拠を聞いてみた。するとステラは顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「………ど、どうした?」
「………てたんです……」
耳をたてて聞いてみると何やらステラが呟くように言っているのが聞こえた。
「えっと………何て?」
「………が反対だったんです。」
反対?その言葉だけかろうじて聞き取れたが前の方がわからない。こんな時、魔力が使えれば聴力も上げられたんだが……
「悪い。何が反対だって?」
千博が再び尋ねると二度目の質問で痺れをきらしたのか、ステラがバッと顔を上げる。しかし、その表情は怒っているよりも寧ろ目元を若干潤ませて羞恥に悶える様な顔だった。そして、
「し、下着が前後ろ反対だったんですっ……!私、ちゃんとはいていたはずなのに!」
と、動かぬ証拠を千博に叩きつけたのだった。
「な?!」
「正直に教えてください、チヒロさん!本当は私、お風呂場にいたのではありませんか?」
「………あー、きっと寝相が悪いんだな、ステラは。」
「もうっ!!チヒロさんっ!!」
目を逸らしながら更に否定するが、どうやらステラは千博が思っている以上に事実を覚えているらしい。怒られてしまう。……万事休すか。
「……すまん。ステラの言う通り、今までのは嘘だ。昨日、ステラは風呂場で裸で倒れてた。だ、だから……その……俺が服を着せて部屋まで運んだんだ。」
千博が正直に白状すると、身を乗り出していたステラは椅子にへたりと座り込んだ。
「あ、あのぅ……服を着せて下さったという事は、やっぱり……」
恥ずかしさのためか顔を手で覆っていたステラは、指の間から千博を見て質問する。
「だ、大丈夫だって!そんなに見てないから!!」
「そんなに……」
千博が答えるとステラは静かになってしまった。
「……その………ごめん!全部忘れるからどうか許してくれ……」
千博は精一杯の誠意を込めて頭を下げた。流石に一緒に暮らしているからって、裸を見られるのはお互い恥ずかしいことなんだ。特に、女の子にとっては尚更だったんだろう。
「………チヒロさん。」
名前を呼ばれ、びくっと体を震わせる千博。もしかしたらこれから口もきいてくれなくなるかもしれない。それに、ステラが怒ることなんて滅多になかったんだ。今回のはよっぽど効いたのかもしれない。
「私が何故怒っているのかわかりますか?」
「……え、それは……俺がステラの……その、は、裸を見たから……」
「ちっ、違いますっ!!それは良いんです。そもそも始めはそのつもりでしたし……」
「え?なんだって?」
「〜〜〜っ、と、とにかく違います。私が怒ったのはチヒロさんが本当の事を教えてくださらなかったからです!」
相変わらず赤くなりながらステラはそう言う。
「いや、それは……覚えていないんなら教えない方がいいものだと思って……ごめん。」
「チヒロさんはお優しいから私の事を気遣ってくださってるって、それは分かっています。でも、本当の事は教えて欲しかったです。それに……」
そしてステラは真っ直ぐに千博の顔を見て続けた。
「それに、今の事だけではありません。チヒロさん、最近お元気がないように思います。魔力の事かもしれませんが…辛いことがおありなら、私もチヒロさんのお力になりたいんです!」
「………ステラ……」
元気がない、か。自分ではそんなつもりはなかったんだけど、確かに何もしていないと自然と魔力の事を考えてしまうからな。その時の顔が元気がない風に見えるのは当然か。
「………ありがとう、ステラ。俺がいるから安心しろ、と言っておいて、その本人がこれじゃあステラが不安になるのも仕方ないよな。ごめん。けど、もう大丈夫だ。」
「チヒロさん………」
「確かに俺は魔力の事で不安になってた。でも、俺がしたい事は、俺がしなきゃいけない事は魔力の有る無しに関係ない。そりゃぁ魔力があったほうが心強くはあったけど、魔力が無いとできないわけじゃないって気づいたんだ。だから心配はしなくていいよ。………悪かったな。ステラがそんな風に思ってくれてたことに気づけなくて。」
「あっ………いえ、そんな……」
千博はそう言いながらステラの頭を撫でた。女の子に対しては奥手で鈍く、上手く接する事が苦手な千博であったが、ステラの頭を撫でることに何もためらうことはなかった。無意識ではない。ひょっとしたら一度病院のベットの上で撫でた事があったからかもしれない。とにかく、ステラを安心させたかった。
「そうだな。これからはちゃんとステラにも話すよ。そのかわり、ステラも困ってることとかあったら遠慮なく言えよ?」
「チヒロさん……はい!」
「よし。じゃあ、さっさと家事を終わらせよう。で、文字の続きを……って、あ。」
食器を洗いに行こうと立ち上がりながらあることを思い出す。
「……?どうか致しましたか?」
文字の練習、というので思い出した。そう言えば昨日、俺が異世界から来たことを誤魔化したのも言った方がいいんじゃないか?折角約束したのに隠し事みたいなのがあると嫌だしな。
「いや、これは家事をしながら話すよ。大きな話だけど別にそんなかしこまって話すことでもないから。」
チヒロはステラと食べ終わった食器を片付けながら話す。
「話ですか?一体何の……?」
「昨日話した、俺の故郷について、だな。あんまり深く話す必要もないかなって思ってたけど、やっぱりちゃんと話すよ。ステラにも知っておいて欲しくなったから。」
「本当ですか?嬉しいです!」
「まぁ、そんな面白い話じゃないけどね。」
そして、食器を洗い終え、洗濯物や部屋の掃除をしながら千博はステラに日本の事やこの世界に来た経緯をなるべく細かく話した。
「まあこんな感じかな。にわかには信じがたい話だと思うけどな。」
「………驚きました。そんな事があるんですね。」
「あぁ、俺も驚いたよ。でも、別に嫌じゃなかったしつらいって思いもないな。この世界に来れて本当に良かったって思ってる。」
「そうですね。素敵な偶然のおかげでチヒロさんに逢えたと思うと、自分がどれだけ幸せか身にしみて感じます……。」
ステラは胸に手を当てながらそう言った。
「大袈裟だな。けど、俺もステラに逢えて本当に良かった。こればっかりは、神様に感謝だな。」
「はい……!」
話が終わると、千博とステラは文字の練習を再開した。そしてそれが終わると昼食を済ませ、2人で町の方へと出かけ、病院に向かったのだった。
「うーん、流石に手ぶらでお見舞いに行くわけにはいかないしな……。途中で何か買ってこう。何が良いかな?」
町に入ったところで、千博は隣て歩いているステラに意見を求めた。
「そうですね……もう退院なさられるくらい体調がよろしいのでしたら、果物など食べ物でもよろしいのではありませんか?」
「お、いいなそれ。ミーツェなら花とかより食べ物の方が好きそうだし。病院食ばっかで飽きてるだろうしな。何がいいかなぁ。」
周りの店を見ながら街中を歩く2人。道の両側に広がる店は様々な種類で、野菜や果物を売る店から洋服店、雑貨屋など色々な店が構えている。街へ来るのは初めてではないが、この世界に来てからはほとんど訓練づけで休日も寝てばかりだった。加えて買い出しもステラが行ってくれていたので入ったことのない店がほとんどだ。
「それにしても、本当に色んな店があるんだな。道も綺麗だし、人も多いし。初めて来た時は結構驚いたよ。」
「ふふっ、そうですね。私も初めて来た時は人が多くてちょっと怖かったです。ゼウシアはこの大陸の国の中でも特に発展している国の一つですから、アレギスや他国と比べると城下町も賑わっているのかもしれませんね。」
「え?そうなのか?確かにアレギスよりゼウシアの方が発展してるイメージはあったけど………なら、他の国はアレギスに近いってことか?」
「ええと、私は他国に行ったことがありませんのでよく分かりませんが……ゼウシアはデントロー大陸の中では発展した国だと聞いています。」
ステラは千博の隣を歩きながら言った。デントロー大陸、という言葉に千博は聞き覚えがあった。
「デントロー大陸って、ここの大陸の事だったか?この大陸の中では発展してる方って事は他の大陸の国はもっと発展してるのか?」
「そうですね……デントロー大陸は5つの大陸の中で最も自然の豊かな大陸ですのでどの国でも主に農業が盛んです。他の大陸はこことはまた気候が違いますのでそれぞれ文化が違ったり、産業にも特色があります。発展の面で見るとクリーソス大陸が一番ですね。5国の中央に位置する大陸で、人口も最も多く工業が盛んです。ですが、ゼウシアも小さい国では無いと思いますよ。」
「へぇ、他の大陸、か。………そういう国とは戦争したりするのか?」
大陸が5つもあるのなら、国もなかなか多いのではないか。それを考えると気になってくるのは他国との領地争や侵略など、歴史の授業で習ったような戦争だった。
「いえ、今はほとんどありません。二百年前頃までは大陸を越えての戦争も多かったのですが、今はもう領土が決められていますから。大陸不可侵の暗黙のルールのようなものができています。ただ、大陸の中では小競り合いのように戦いが起きているところもありますが。」
大陸の中同士の戦争というと、前のアレギスとの戦いのようなもののことなのだろう。戦争があるうちは平和とは言い難いが、これでも人々は以前より平穏な生活を送れているのかもしれない。
「そっか。みんな仲良く出来れば1番なんだけどな。」
「はい………私、戦争をしても良い事は無いと思います。」
「そうだな。でも、きっと戦争をしてる本人達はそれが分からないんだよ。」
そう言って千博ははっとした。それは自分も同じかもしれない。この前の戦いでは、千博は1人も相手の兵を殺すことはなかった。ミーツェと一緒に素早く城へ潜入したからだ。しかし、状況が違えばユリア女王を助けようとするあまり、人を殺してしまう事があったのかもしれない。自分が危なくなったら、相手を殺したかもしれない。今回は運が良かっただけ。相手は自分を殺しにきている。その中で誰も殺さず、そして殺されなかったのは本当に運が良かったとしか言いようがない。本当に理想的なのは相手を殺さず無力化する事だ。その為にはどうすればいいのか、これからはちゃんと考えてから戦わないとな。
「チヒロさん?」
「……ありがと、ステラ。もう少しで俺もそうなるところだった。早く気付けて本当に良かった。」
「ええっと………私、何かお役に立てたのでしょうか?」
大切なことに気づかせてくれたステラにお礼を言うが、当の本人は気づいていないようだ。
「ああ、すげーなったよ。………ところで……」
歩きながら話していた千博 はとあるカフェ風の店の前で足を止めた。店の前にはテラスがあり、3つほどテーブルが置かれている。あまり大きくはないが、お洒落で穴場、というような雰囲気の店だった。
「あの後姿には見覚えがある気がするんだけど………」
ガラス張りの店の正面からは店の奥の方の様子が見える。そして、そこにはケーキ類の洋菓子が並んだショーウィンドウを食い入るように見ている紅いポニーテールの女の子がいた。ステラもそれに気づき、2人で店の中へと入っていく。
「ふむ………このチョコケーキは甘さが丁度良かったな。やっぱりこれにするか?いや、でもこの新発売の苺タルトも捨て難いし……」
「ふーん、ならこのチーズケーキはどうだ?これも美味しそうじゃないか。」
「そうなんだよ。それは前から食べてみようと思っていたんだが……って、む?」
背後から自然な流れで自分の独り言に入ってきた人物に気づき、フェリスは振り返る。
「なっ……?!チヒロっ?!それにステラ君も!どうしてここに……」
思いがけない出会いにフェリスは驚いている。
「いや、町を歩いてたらフェリスっぽい人がケーキを見てたから気になって来てみたんだ。」
「ふむ、そうだったか。……ところで、その、2人きりでいる様だが……一体何をしていたんだ?ま、まさかデート……」
フェリスは不安そうな顔で千博とステラを交互に見て尋ねる。
「「デ、デートっ……?」」
ほとんど同時に声をあげる2人。
「い、いや、今から病院に行くんだよ!ミーツェのお見舞いをしようと思ってさ……そうだ!ここのケーキなんか良いんじゃないか?!美味しそうだしな!」
「は、はい!私もそう思っていました!是非ここで選びましょう!」
慌てた様子で口を合わせる千博とステラ。……デートか。周りから見たらそう見えるのか?た、確かに男女が2人で歩いてたら誰でもまず初めに考えることかもしれないけど。
「そ、そうか!……良かった。」
2人の様子を見てフェリスは小さく安堵の声を漏らしたが、慌てていた2人にはそれが聞こえることはなかった。
「それにしても、お見舞いか。確か、ミーツェはそろそろ退院するはずだったな。それなら、私も行って構わないか?」
「おお、もちろん。その方がミーツェも喜ぶだろうしな。」
ミーツェとフェリスは長い付き合いだったらしいし、俺が行くより全然喜ぶに決まってる。
「ち、チヒロはどうなんだ?」
「え?俺?何で俺が出て来るんだ?」
「あ、いや、何でもない!気にするな!」
何だったんだ?今のやり取りはよく分からなかったが、フェリスも来てくれるみたいだし、それにお見舞いの品も此処で買えそうだ。
「ええっと、ならこの苺タルトにしよう。美味しそうだし、新発売らしいしな。」
「む、そうだな。ミーツェもこの店は好きだから、新発売の商品ならきっと喜ぶだろう。」
千博の意見にフェリスも賛成したので千博は買うことを決めた。
「すみません、この苺タルト貰えますか?」
「か、かしこまりました!あの、個数はおいくつに致しますか?」
カウンターに立っている若い女性の店員に話しかけると、何故かとても元気な対応で迎えられる。
「? えーと、まあお見舞いの品だし、ミーツェの分だけで……」
いいよな、と振り返りながら言おうとすると、フェリスがうっとりとした目で苺タルトを見つめているのが見えた。
「……そっか、フェリスも元々何か買いに来てたんだよな。なら、ついでにフェリスの分も俺が買うよ。すみません、2つ下さい。」
「なっ?! ば、馬鹿者!私の分はいいんだ!」
「遠慮すんなって。ついでだよ。」
今回はフェリスと行ったレストランとは違う。値段もあの時ほどはるわけじゃないし、この世界に来てから食費以外にはあまりお金を使っていない。まあ、結局はこれも食費なのかもしれないが。
「そんな、私だけ買ってもらうなんて……」
「ああ、それもそうだなぁ。なら、この大きいサイズの方を一つ買います。俺も食べてみたいし、みんなで食べよう。」
「かしこまりました。では、少々お待ちください!」
千博が頼むと若い店員はテキパキと商品棚からホールケーキくらいのタルトを取り出し、箱詰めを始める。
「ありがとうございます、チヒロさん。」
「う、すまない。後で私も払うから……」
ステラとフェリスが千博に礼を言う。そして包装を終えた店員が商品を差し出した。千博は支払いを済ませ、商品を受け取ろうとする。
「あ、あのっ、貴方はチヒロ様ですよね?宜しければ、サインを頂けませんか?」
と、渡される前に万年筆の様なペンを差し出された。
「はっ?? 」
意味がわからずに気の抜けた声を出してしまう。
「あ、すみません……やっぱりプライベートでこういうことはなさっていませんでしたか……?」
「あ、え??」
千博は助けを求めるかのようにフェリスに視線を送る。
「む、してやれば良いだろう。自覚がないのか?お前は女王を助けた英雄なんだ。国民の中でもお前の噂は広まっているのだろうよ。」
そんなはずない、と思って改めて店員を見るが、うんうんと頷いてフェリスの言葉に同意しているようだった。
「え、英雄って……またそれかよ?俺はそんなたいしたことしてないってのに……」
「いいえ!私達の女王様を窮地から救ってくださった方が英雄でないはずがありません!……ですから、ダメですか?」
「……まあ、良いけどさ……。」
熱烈な押しに負けて千博はサインを書いた。まさか、文字の習得の成果をこんなところで初披露する事になるとは思ってもみなかった。
「わぁ……ありがとうございます!本物だぁ……私、大切にします!」
女性店員はうっとりとした目で千博が書いたサインを眺めると、お礼を言った。そして商品を受け取ると、千博達は店を後にした。
「……それにしても、どうしてあの方はチヒロさんの事をご存知だったのでしょうか?町をしばらく歩いていましたが、他に声をかけられたりすることはありませんでしたよね?」
店を出て、病院へ向かう途中でステラが不思議そうに言った。
「あ、そういえばそうだよな。何であの人だけ分かったんだ?」
あの洋菓子店に行くまでに町を歩いていたわけだが、誰にも声はかけられなかった。考えてみれば不思議な話だ。
「ああ、それは多分私達がチヒロの名前を呼んだからだろう。この国ではチヒロの名前は珍しいからな。」
「そうですね、それにフェリス様もいらっしゃったから余計に分かりやすかったのかもしれません。フェリス様も有名人ですからね。」
「なるほど……」
それなら納得がいく。フェリスは近衛隊の第一班の班長として顔が知られている。そのフェリスと一緒にいて、加えて特徴的な名前ときたら確かに限定されるよな。
「今はまだ国民達には顔を知られていない様だが、一度騒ぎになると大変だからな。気をつけた方がいい。」
「あ、ああ。分かったよ。」
不本意ではあるが、どうやら俺は今ちょっとしたヒーロー扱いになっているみたいだ。顔がばれていないから人は寄ってこないが、ばれてたら出待ちとかあったのかもしれない。……となると、家が森の近くの古い屋敷ってのはありがたい事だった。何せ周りから幽霊屋敷呼ばわりされていたんだから人は滅多に来ないはずだからな。
「おい、チヒロ?着いたぞ、何をしているんだ?」
そんな事を考えながら歩いていると、いつの間にか隣にいた2人はすでに立ち止まっていた。考え事をしているうちに病院に着いていたようだ。
「悪い。ぼーっとしてた。今行く。」
そう返事をすると、千博は大きくシンプルな建物の前で立ち止まっている2人のもとへ急いだ。




