目覚めと思わぬ損失
ミーツェが目を覚ましてから半日以上が経ち、千博は漸くベットの上で意識を取り戻した。
「……えっと?」
目に映る知らない天井。全く見覚えがない。どうやら自宅ではないことは確かなようだが。それより、身体中が筋肉痛の様に痛い。
「あ……そうか。俺、倒れて……」
多分ここは病院か何処かだろう。ゼウシアにいることは確かだ。最後にミーツェをグッさん達に預けたのははっきりと覚えている。その後倒れて運ばれた、そんなところか。
「……にしても、暗いな。今何時なんだ?」
千博がこの場所をはっきりと把握出来なかったのは、周りの状態がわからないということもあった。辺り一面真っ暗なのだ。窓がある様だがカーテンが閉められている様で光が全く差し込んで来ない。千博は立ち上がろうかと思って体を起こそうとするが、体が痛すぎて頭をもち上げるのが限界だった。
「ん?何だ……?」
と、千博はある事に気づく。自分の腹の辺りに何かのっている。あまり重くは無い。感覚が鈍っているのか、さっきまで全く気がつかなかったが。千博はその正体を確かめようと左手をゆっくりと動かしそれに触れてみる。と、
「……んっ………」
「⁈ 」
それは小さく声を出した。千博は恐る恐るそれを撫でてみた。すると、不思議に動く柔らかいふわふわとした2つの物体があった。
「何だこれ?凄く気持ちいいな……」
その触り心地の良さに千博はついついその物体を撫で回してしまう。何だこれ?柔らかくてピコピコ動いて、まるで犬の耳みたいだな……
「んっ……あ……」
それにこの小さな可愛い声は何だ?何か何処かで聞いたことあるような気がするけど……
「あれ?……待てよ?」
この犬耳、この声、これはもしかして……
「うおっ!?ス、ステラぁ!?」
「きゃっ!?」
驚いて大きな声を出してしまった。すると千博にもたれかかる様にして寝ていたステラが目を覚まし可愛く悲鳴をあげた。
「……ス、ステラ、何でここに?」
千博は取り敢えず気になったことを聞いてみた。
「………あ」
が、ステラは答えない。いや、答えないと言うよりも何故か千博を見て驚いている様な印象を受ける。
「………あの、ステラ?おーい?」
何だか分からないけど色々と聞きたいことがある。千博は首をもちあげてステラの方を見て呼びかけてみた。
「………っ!!チヒロさんっ!!」
「うおっ?!」
と、突然ステラが首に手をまわして抱きついて来た。これは……何だ?よく分からないけどとても嬉しい状況だ。
「あ、お、おい?どうしたんだよ、ステラ?」
くっ……柔らかい。色々と柔らかいぞステラ。あまり抱きつかれると我慢ができない。千博は何とか混乱する頭で理性を保とうとするが、先に限界がきたのは理性よりも体の方だった。
「……うっ、ご、ごめんステラ。悪いけど苦しい……。」
「あっ!ご、ごめんなさいっ!!」
もともと千博は身体中痛い状態だった。その状態でステラに上に乗られるような形になると、いくらステラの体が軽くて柔らかくても痛いし重い。……これが怪我してない時だったらもっと楽しめたのに……などと若干やましい気持ちが湧いたのは秘密だ。
「ううっ、でも、本当に良かったですぅ……」
千博から離れたステラは目に涙を浮かべて喜んでくれている。……どうやらかなり心配をかけていたようだ。それに、ステラは千博が起きた時から千博の側にいた。つまり、千博が倒れたと聞いて駆けつけてきたのだろう。そしてそのままずっと側にいてくれたのだ。
「……ごめんな、心配かけて。」
「ぐすっ……はい!本当に、心配したんですからっ!!」
珍しくステラが千博に向かって大きな声を出して怒った。……ステラが怒ったところ、初めて見たな。
「ずっと、心配だったんですからっ!急に居なくなってしまうから!」
「………っ!」
そうだ。何をしてるんだ俺は。ステラは倒れた俺を心配してたどころか、何も言わずアレギスに行った俺をずっと心配していてくれてたのか。本当に俺は馬鹿だ。側にいてやるって言ったのに、こんなにステラに心配をかけて、寂しくて不安な思いをさせて………!全然言ったことを守れてないじゃないか!
「あ……!す、すみません!!私、つい……」
「いや、本当に悪かった。ごめんな、ステラ。安心しろって言ったのに、何してんだろうな、俺は。何も言わずにステラを置き去りにして……!」
「ち、違います!今のは私のわがままで……チヒロさんは近衛兵として働いていらっしゃるから仕方のない事でしたのに……」
「いいや、それでも何も知らせなかったのは俺が悪いんだ。……だから…ぐっ……」
千博は何とか体を起こす。身体中に痛みが走るが、これだけはちゃんと伝えたい。
「いけません!まだ安静に……」
千博の体を支えようと近づくステラ。千博はそのステラの顔をまっすぐに見つめた。だんだんと暗闇に目も慣れてきた。そして暗闇の中、目元を涙で濡らしているステラと目が合う。
「もう……遅いかも知れないけど、二度とステラに怖い思いはさせない。近衛兵の仕事で何処か行くとしたらちゃんと伝える。ステラが危ない目に遭っているなら、命をかけて守ってみせる。だから、もう一度俺を信じてくれないか。」
「チヒロさん………」
都合が良いことを言っているのは分かってる。でも、それでもこれは今の俺の本心で、決意だ。
「……私、まだ、ずっとチヒロさんを信じてます。だから、もう一度何て言わないでください……!」
「ステラ……」
ステラは千博の目を見つめ返した。二人の視線が熱くぶつかり合う。気づけば体を起こしたことでステラとの距離もかなり近い。そして千博は……
「……!そ、そうだ!俺がいない間何か変わったことはなかったか?」
「……あ……」
あ、危なかった。何か今のムードはやばかった気がする。千博は赤くなって顔を背けた。
「は、はい!大丈夫でしたよ。ただ、今日は終戦後の事務や仕事が色々とあるとかで皆さんすぐに帰られましたけど……」
「え?誰か来たのか?」
「はい、えっと、クロード様とグスタフ様がお見舞いに来てくださいましたよ。」
「え?2人が?でもそれは俺を運んでくれた時じゃないのか?」
「………?いえ、確かにチヒロさんをここまで運んでくださった時お二人もいらしたとは聞いていますが……」
………何だ?何か話が噛み合ってない。えっと、今は夜中だよな。アレギスから帰ってきた時何時かは分かんなかったけどまだ9時ぐらいだったと思うけど……。
「なあ、ステラ。今何時だ?」
「はい、夜中の2時、です。」
千博はステラに時間を尋ねた。ステラは千博の頭上にある時計を見て答える。……てことは、俺が寝てたのは5、6時間ってところか?ならその間にお見舞いに来たのか?何かそれだと随分マメだけど……
「なんだ、俺を運んでからそんなすぐにまた戻ってきてくれる何て申し訳ないな。あとでお礼を言っておかないと。」
「………?でも、お二人がいらっしゃったのはお昼頃でしたけど……」
「へ?昼?」
千博はそれを聞いて頭の中で考えなおす。2人が来たのが昼?ちょっと待て、それじゃもしかして……
「ステラ、俺って何時間寝てたの?」
「ええと、ここに運ばれたのが昨日の夜9時頃と聞いています。私はその一時間ほど後に知らせを聞いて来ましたから。それで、今が2時ですから……」
「30時間……?嘘……まじで?」
長い。長すぎるだろ。まさか丸一日以上寝ていたなんて思いもしなかった。自分が自分で恐い。ていうか大丈夫なのか?もう少しで永遠の眠りぬつくところだったんじゃ……。
「はい……本当に心配でした。もう二度と起きないんじゃないかと…」
「そ、その時間ずっとステラは居てくれたのか?」
「はい。」
嘘だろ?自分がこんなアホみたいに寝てること自体驚きなのに、ステラはその時間ずっと俺の側に居てくれたのか?……何て良い娘なんだ。千博は何故か忠犬ハチ公を思い出した。
「ステラぁっ!」
「ふぁっ⁈ チ、チヒロさん⁈ 」
千博は思わずまたステラの頭を撫でていた。ああ、何て良い娘なんだ。こんな娘に30時間も心配をかけていたなんて……心が痛い。
「ステラ、何かして欲しい事はないか?何処か行きたいところとか…。体が治ったら絶対に連れてってあげるし、なんでも欲しいものを言ってくれ!!」
「ちょ……チヒロさん⁈ そんな、私は大丈夫ですよ!!チヒロさんが目を覚ましてくださっただけで幸せです。」
「うぅっ……ステラ、お前……」
天使か?天使なのか?よく出来すぎているよこの娘。こんな俺を許して、俺が目を覚ましただけで嬉しいなんてっ……!逆に何もしてやれない俺が本当に情けない!
「あ……で、でも、もしわがままが許されるのでしたら……」
「何?何でも言ってくれ!」
おお、これはチャンスだ。何かステラに礼がしてあげられるかもしれない!
「あの……今だけでいいですから。千博さんに甘えていても良いですか……?」
「え?甘える………?」
そう言ってステラは千博の右手を控えめに握った。
「そ、そんな事でいいのか?」
「はい。これで……これが良いんです。」
そうか、考えてみればステラは寂しい思いをしていたんだ。だから今は誰かに甘えたいのかもしれない。俺がその役を務められるのかはわからないけど、これですこしでも安心してくれるなら俺も嬉しい。けど……
「悪い、ステラ。横になっても良いかな?まだ体が痛くて……あ、手はそのままでいいから。」
「あっ……ご、ごめんなさい!どうぞ……」
「うん。」
千博は上体を倒して横になる。右手はステラが握ったままで、ステラは千博が寝ているベットにもたれかかっている。多分眠いのだろう。ずっとベットの横で椅子に座っていたらしい。疲れもたまっている様だ。起きた時ステラも寝ていたし、今の時間が普段なら寝ている時間帯だ。千博はだんだん自分だけ横になっている事に罪悪感を感じ始めた。
「な、なあ、ステラ。よかったらお前も寝る……か?そんな体勢じゃ辛そうだし……風邪ひかないか?」
「えっ……」
ああ、言ってしまった。アホか俺は。幾ら何でも今のはないだろ!まずい、ステラにドン引きされたかも…
「あ……じゃあ、甘え、ます……」
「ごめんステラ!って、え?」
あれ?い、いいのか?ステラはそれだけ言うと握っていた手を放しゆっくりと布団をめくって千博の隣に入る。ま、まさか本当に入ってくるとは。千博は渾身の力で何とか寝返りをうちステラに背を向けスペースを空けた。そして2人は同じベットで寝ることになった。ステラは何も言わない。千博も同じく、何も言えなかった。とても気まずい。沈黙が2人の間をまたぐ。何とかこの空気を打開しようと千博は話題を探した。何がいいか。そうだ、俺のアレギスでの話でもしようか。そうだな、うん、それがいい。
「………チヒロさん……」
「⁈ お、おう!」
な、何だ?長い沈黙の中、話しかけようとしたところで急にステラに呼ばれた。千博は咄嗟に返事をした。が、
「……すぅ……すぅ」
振り返ってみるとステラの穏やかな寝息が聞こえた。しかも全く気づかなかったがかなり近い。いや、確かに同じベットで寝てるんだから距離は近くなるんだけど、ステラは今千博の背中にくっつくようにして寝ていた。
「………寝てる。」
どうやら寝言で千博の名前を呼んだらしい。もしかしたら俺がいなかった時のことを思い出しているのかもしれない。夢でも辛い思いをさせてしまっているのか、俺は。千博はステラをすこしでも安心させたくてステラの栗色の髪をなるべく優しく撫でた。
「………大好き……です……」
「っ⁈ えぇ⁈ 」
何だ今の⁈ まさか告白か?う、嘘だろ?まだ、そんな、心の準備が………って、そんな訳ないか。分かっている。寝言だ。もしかして起こしてしまったかと思ったが、ステラにそんな様子はない。きっと何か違う夢に変わったんだろう。よかった、安心してくれたみたいだ。
「ふわぁ……そろそろ俺も寝よう。眠くなってきた。」
不思議だな。30時間も寝てたってのにまだ眠い。身体が治りきっていないからかな。千博はステラの頭を撫でていた手を布団にしまい、目を閉じて再び眠りに落ちた。
「…今はこれが精一杯、です……」
千博が寝息をたてはじめた後、それを聞いてステラがこっそりと呟いたのは千博の知る由もなかった。
コンコン……と、ドアをノックする音が聞こえる。千博は目をこすりながら上体を起こした。
「お、痛みが……」
昨日に比べると体の痛みはほとんどなくなったと言っていいほどになっていた。そのおかげで千博はすんなりと起き上がることができた。そのまま振り返って後ろの壁にかかっている時計を見ると、朝の7時をさしていた。ふむ、ノックの主は誰だ?随分と朝早いな。医者か看護師か、誰だろうか。
「おい、ステラ君?私だ、フェリスだが。チヒロの様子は……」
「……え?フェリス⁈ 」
ドアの向こうの正体は意外にも医者ではなくお見舞いに来たフェリスのようだ。ああ、なんだか懐かしいな。少し会ってなかっただけなのに。随分と久しぶりにこの声を聞いた気がする。……大丈夫だよな、また数十時間寝てたとかじゃないよな?
「む、その声はチヒロか⁈ 目が覚めたのか!」
「ああ、もう大丈夫だ。どうぞ、入って……って、あああ!」
駄目だ、今入られたら駄目だ。何でって、俺の隣。隣で犬耳美少女がまだすやすやと寝息をたてているからだ。まずい、どうにかしないと!?
「お、おい⁈ 大丈夫か、チヒロ!入るぞ⁈ 」
「げっ……だ、駄目だっ!!今入ったらっ……!」
やばいやばいやばい⁈ こんなとこ見られたら絶対によろしくない勘違いをされるって!ど、どうしよ!!
「チヒロ!!」
「うおあっ⁈ 」
バサッと千博は咄嗟に布団でステラを覆って隠す。頼む、何とかばれないでくれよ……?
「大丈夫かっ⁈ チヒロ!!」
扉を開けてフェリスが駆け寄ってくる。
「あ、ああ。大丈夫だぞ?」
千博は全力で普段通りの態度を貫こうとする。
「そう、か?なら良いんだが……」
「お、おう。で、今日はどうしたんだ?ひょっとしてお見舞いに?」
「うむ。そうだ。君が倒れたと聞いて心配で……って、ん?」
「ど、どうした?」
フェリスの視線が千博の布団に落ちる。
「この膨らみは……?」
「う゛っ⁈ 」
まずい、流石フェリスだ。よくまわりを見ている。この布団に気がつくなんて………って、もう膨らんでんのが丸わかりなんだけどね、ははは。フェリスは布団の裾をめくっていく。そして千博の悪足掻きは一瞬の意味ももたらさないまま暴かれた。
「………ステラ君………?」
「……そ、そうみたいだな。」
「………チヒロ?」
「はい。」
「成敗してやるからそこを動かないでくれ。」
「⁈ 」
そう静かに言い残すとフェリスは腰のレイピアをゆっくりと抜き放つ。
「いやいやいや!!ちょっと待ってフェリス!話を聞いてくれ!!」
「うるさいっ!!君がこんなふしだらなことをする奴だとは思いもしなかったぞっ!!信じていたのに……せめて私の手で成敗をっ…!」
「いや、だから話を聞いて⁈ それにここ病院だからっ⁈ 死人が出るのは
まずいだろ⁈ 」
確かな殺気を帯びたフェリスが迫ってくる。ああ、なんでこんなことに……!
「わっ、ちょ、待てって!あ、そうだ!ステラっ、ステラ起きて!頼むから説明をっ!!じゃないと俺死ぬ!折角元気になってきたのに死ぬからっ!」
千博は必死にステラの肩を揺すった。するとステラが眠そうな目をこすって起き上がる。
「チヒロさん……それに……フェリス様?」
「おおっ、助かった!なぁステラ、フェリスに昨日の夜のことを説明してくれ!何とか誤解をだな……」
「昨日、ですか?昨日は……えっと、チヒロさんにたくさん撫でてもらって……」
まだ眠いのかステラはぼーっとしながらそんな事を口にする。
「………たくさん……撫でる……?」
フェリスがそれを聞き逃さずにピクリと反応する。
「おいぃぃ!何でそんなピンポイントなんだよ⁈ 違うぞフェリス⁈ 頼むからどうしてステラがベットの上で寝ているかの説明を頼む!」
そして数分後、千博の必死の弁解は何十回と繰り返され、そこにようやくしっかり目が覚めたステラの説明が加わってやっとの事で誤解を解くことができた。
「………何だ、そう言うことなら早く言ってくれれば良かったものを。」
「いや、話そうとしてたんだけどな……」
「すみません、私が余計なことをしたばかりに……」
何とかひと段落ついて千博は安心した。本当に危なかった。あのままステラがすぐに起きなかったらどうなっていたか……考えたくもない。
「いや、ステラは悪くないって。」
「あ、ああ。まあ事情があったのなら仕方がないが…………羨ましいな……」
「え?何が?」
「あっ⁈ いや、何でもない!気にするなっ!」
「…?そうか?」
フェリスは少し顔を赤くして首を振った。後ろで束ねた赤い髪がぶんぶんと揺れる。
「ところでチヒロ。かなり動けている様だが……体はもう良いのか?」
「ああ。昨日は動くのも辛いくらいだったけど……大丈夫みたいだ。多分今なら……」
そう言って千博はベットから降りて立ち上がった。
「お、おい、大丈夫なのか?」
「チヒロさん!まだ安静にしていた方が……」
2人が心配して千博を支える。が、意外にもすぐに歩けそうなくらいに千博の感覚は戻っていた。
「うん、体はもう大丈夫みたいだ。」
「い、いや、まだ油断はできん。一度医師に診てもらったほうがいいだろう。待っていろ、今呼んでくる!」
そう言ってフェリスは部屋から駆け足で出て行った。だが自分でも驚いた。気絶なんていうのは初めての経験だったから体がかなりダメージを受けているとばかり思っていたが割と少なかったらしい。いや、ひょっとするとまた魔力が関係して回復速度が上がったりしていたのか?よくわからないがすぐに体の調子が戻ったのは良かった。
「チヒロさん、まだ寝ていた方が……」
ステラはまだ心配そうに千博に寝るよう促す。まあ、30時間も眠りこくっていた奴に対してかけるとしては当然の言葉か。
「そうだな。まだ不安だし、フェリスが帰ってくるまで寝とくか。」
あんまりステラに心配をかけるのもよくないだろう。そう思い千博は再び布団の中へと戻った。そしてしばらくするとフェリスが医者と看護婦と一緒に戻ってきた。
「マナカさん、体の具合はどうですか?」
眼鏡の医者は千博に尋ねた。
「どうって言われても……」
千博は先ほどのようにベットから降りてその脇に立ってみせた。そしてそのまま少し歩いて見せる。
「こんな感じで、もう体の方は問題ないと思うんですけど……」
「ふむ、見た所確かに元気そうに見えますが……念のため、魔力の方も調べておきましょう。」
そう言うと医者は聴診器のようなものを取り出した。これはアレギスでミーツェが倒れていた時に見た覚えがある。魔力の流れが分かる器具のようだ。医者はそれを千博の胸に当てると首をかしげた。
「……?おかしいですね。すみませんが服をめくってもらってもいいですか?」
「え?はい、分かりました。」
医者に言われて千博は服をめくって胸を出した。
「……っ⁈ 」
「あ………!」
それに反応する様にフェリスとステラが赤くなって目を逸らす。……うう、なんか傷ついた。そんな嫌そうにしなくてもいいのに。千博は少しショックを受けた。そして医者と一緒にいた看護婦がその様子を見て笑っている。が、この和やかな空気の中でただ一人、医者は難しい顔をしていた。
「………あの、どうかしたんですか?」
千博はそれに気づき尋ねる。すると、医者は聴診器のようなものを耳から外し、深刻そうな顔になった。
「あの……マナカさん。あなた今、魔法を使う事が出来ますか?」
「魔法?ええと、《可視化》で良ければ……」
千博は手のひらに魔力を集め、可視化をさせようとした。
「あれ?おかしいな……」
しかしいつになってもいつもの青白い魔力は現れない。それに、魔力すら集められていない気がする。
「駄目だ。できません……」
魔力が集められない。魔力の操作自体ができていない。手に力を入れてみても腕力は上がらないし、ほかの部分でも無理だ。何でだ?これじゃこの世界に来た時よりも酷いぞ。
「やはりそうですか。」
「やはり?一体どういうことですか?」
千博は何か知っていそうな医者に質問した。
「マナカさん。今のあなたからは魔力の流れる様子が聞こえなかった。……つまり、魔力を生成できていないんです。」
「えぇっ?!」
魔力が生成出来てないって……やばいんじゃないのか?だって、ミーツェが倒れてやばかったのはミーツェに魔力が足りなかったからだろ?それなら魔力を作れていない俺も魔力が不足してるんじゃないのか?
「あの、それって大丈夫なんですか?」
「いえ、大丈夫とは言えません。魔力が生成出来ないと命に関わりますからね……。」
医者はそう言うとさらに説明しだした。
「正直言って、今のあなたが生きていられるのはその莫大な魔力量のおかげです。一般人なら磨製丸を3つも1日に飲んだら間違いなく命に関わります。恐らく今は魔力のストックがあるからもっているのだと思われますが、これ以上魔力を使えばもう…」
「まじかよ…」
死ぬ、ということだろうか。医者は最後の方は濁すようにはっきりとは言わなかったが、少なくとも無事ではいられないようだ。
「そんな!何か方法は無いのか⁈ 」
フェリスが医者の肩に掴みかかって尋ねる。
「申し訳ありませんが、今の我々では治療のしようがありません。急激な魔力の使用によって魔力をつくる力が麻痺してしまっているのだと思われます。魔力をつくる力が回復すればまた魔法が使えるようになると思いますが、我々ではどうしようも……」
「つまり、俺はもう魔法は使えないってことですか……?」
「……現状ではそうなります。ですが時間が経てば機能が戻る可能性もあります。それに、今魔法が使えないのはあなたの命にとっては幸運なことです。間違って魔法を使ってしまうことは今の状態ではとても危険ですからね。」
確かにそうだ。医者の言っていることは正しいし、普通に考えればこの状況で魔法が使えないのは逆に安全ではある。だが、魔法が使えないということは近衛隊で戦うことができなくなるかもしれないということに繋がるかもしれない。
「ですから、私からできるアドバイスとしては、近衛兵のお仕事はお辞めになられた方が良いかと……。もう退院はできますから、何か別の職を探された方が良いでしょう。」
「………。」
近衛兵を辞めて他の仕事を探す、か。確かにそれがいいかもしれないな。何せ今の俺には力がない。これでは近衛隊のみんなの足を引っ張るだけだろう。剣技も体術もグッさんから教えてもらいはした。だが、それでも俺が近衛兵として訓練をしたのはたったの一ヶ月と数日といったところだろう。他の兵達に比べたら技術はかなり劣っている。それでも俺が近衛兵として求められていたのは、この魔力があったからだ。だから魔力が無くなった今、もう俺は用済みなんじゃないか?
「……チヒロ」
「チヒロさん……」
その時フェリスとステラが千博の名前を心配そうに呼ぶのが聞こえた。そして、それを聞いて千博の考えは一変した。力があるから戦っていた?違う。そうじゃないだろ。俺はみんなを守るために戦おうと思って近衛兵になったんじゃないか。力なんて関係ない。今回の戦いだってユリア女王とクロードさんを助けたかったから戦ったんだ。でもそれだけじゃない。ここに居るフェリスも、ステラも、みんなを守りたいから近衛兵になったんだ。それなら力がなくなったからって近衛兵を辞める理由にはならない。力がないならもっと訓練して強くならないと。
「………いえ、近衛隊は辞めません。俺にもまだ何かできることはあるかもしれないし、魔力が使えなくてもやれることはあるはずですから。」
「そうですか……。医者としてはあまり賛成は出来ませんが、マナカさんが決めたことに反対はしません。ですが、もし何か体に異常があればすぐに教えてください。」
「はい、ありがとうございます。」
「では、退院の手続きをしますので少しお待ち下さい。」
そう言って医者は看護婦を連れて部屋から出て行った。
「チヒロ……その、あまり気を落とさないでくれ。魔力が無くても大丈夫だ。君は素質があるから訓練すればきっと……」
医者が出て行ったあとフェリスがすぐに励ましてくれる。
「ああ、大丈夫。別に落ち込んではいないよ。それよりやる気がでてきた。これからはもっと訓練して強くならないと。」
「で、ですが、無理はなさらないでくださいね?」
「うん、分かってるよ。ありがとな、ステラ。」
こうして千博は退院することになった。




