謝罪と忙しい一日
バタン!とレストランの入り口のドアが勢いよく開かれ、中にいた客達の視線が集まる。それはちょうどフェリスが店を出ようと立ち上がった時だった。入って来たその男は近づいてきたウェイターに何か尋ねている。店の客達は彼が自分達と同じ客であると理解すると、店の入り口から視線を外して食事を再開しだした。が、ただ一人、フェリスだけはその”彼”を驚きの眼差しで見つめていた。
「え……チヒロ……?」
千博はウェイターに連れられ自分の方へ近づいて来た。
「はぁ……はぁ……ごめん……フェリス……。」
ひどく息があがっている。ここまで走ってきたのだろうか。
「チヒロ、どうして………」
「ごめん!間に合わなかった!本当に悪かった!約束守れなくてごめん!」
息を整えた千博はそう必死に頭を下げた。本当に申し訳なく思っている。フェリスに何を言われてもこればかりはもう何とも言えない。悪いのは全て自分だ。千博はフェリスの言葉にそう身構えた。
「………馬鹿者……。何で……」
フェリスは俯き震えながらそう言った。案の定、凄く怒っているみたいだ……。馬鹿者、まさにその通りだ。約束の時間に間に合わず、こんなに女の子を待たせて……最低だ。千博は続く言葉が予想できた。大嫌いだ、絶交だ、もう顔も見たくない……。きっと盛大に嫌われた事だろう。とてもつらいけど、でも、せめてフェリスにしっかり責められよう、千博はそう思った。思っていたが……
「何で来たんだ………君が来たら……」
え?ちょっと待て、俺はもう来ちゃ駄目な所から始まるのか?一応誘われた側だった気がしたんだが……
「これでは……まるで私が安い女の様ではないか……!」
???安い女⁈ 何だそれ⁈ どういう事だ?顔を上げてフェリスの方を見上げると、
「!」
フェリスの頬を涙がつたっていた。千博はどうして良いか全く分からなかった。きっとこれから自分は散々に非難されるだろうと、フェリスは凄く怒っているだろうと、そう思っていたのに……。どんな言葉にも耐えるつもりだった。だがフェリスは怒る前に……泣いている?これはどういう事だ?俺に失望したという事か?いや、でもそれならあの安い女という言葉は……。
「ご、ごめん!本当にごめん、フェリス!」
再びフェリスに深く頭を下げる。千博は謝ることしか出来なかった。と、フェリスは涙を拭い静かに言った。
「……私は……今、君がここに来て、君の顔を見て、それだけで、それだけなのに………」
フェリスは途切れ途切れだが、しっかりとした口調で続けた。
「……何でこんなに、嬉しいんだ……?」
フェリスは何か得体の知れない感情に困っているかのように苦笑いをした。それを見て千博は酷く後悔した。自分はフェリスとの約束を忘れて、食事に夢中になってしまっていた。フェリスはずっとお腹を空かせて待っていたというのに。それだけでなく千博はフェリスが怒っているものだとばかり思っていた。だがフェリスは怒らなかった。それどころか時間に遅れてやって来た千博を見て、嬉しい、と言った。その優しさに千博は自分の行為の愚かさを恥じた。
「フェリス………ありがとう。」
気づくと千博はフェリスにそう言っていた。
「……何でお礼を言うんだ?」
フェリスは不思議そうに尋ねる。それもそのはずだ。千博は別にまだフェリスに許して貰った訳ではないのだから。しかし、それでも千博は今、フェリスにお礼を言いたかった。
「……何でだろ……本当はもっと謝んなくちゃいけないのにな……。」
「あ、いや………それはもう良いんだ。本当はちゃんと約束通り来て欲しかったが……次は気をつけるんだぞ?」
「ああ……ありがとう……」
この間もフェリスは考えていた。どうして自分は千博を許せたのか、いや、許せていたのか。騎士としての誇りも高い彼女は訓練でも時間は厳守、遅れた者には説教をし、しっかり罰も与える。それなのに今回はどうだ。怒るどころか千博が来ただけで喜んでしまう始末。
ーどうしてしまったんだ、私は?こんなのはチヒロが初めてだ……。もしかして、相手がチヒロだったからか……?それではまさか……ー
そこまで考えてフェリスは一気に紅潮する。
「お、おい、フェリス?大丈夫か、顔が赤いぞ?」
千博が顔を覗きこんでくる。
「あ、い、いや!何でもないぞ⁈ 別に君のことを考えていた訳では………」
「え?俺?」
ぼっ、とフェリスの顔が更に赤くなる。
「ち、ちがう!何でもないっ!ほら、今日はもういいだろ。早く帰ろう。お腹が減っているだろう?悪いが予約は私が断わってしまったから………」
「あぁ、それならちょっと待って……ほら、席に座って?」
千博はフェリスを座るように促す。フェリスはその理由が分からなかったが、言われるままに席についた。すると……
「え……チヒロ、もしかして……。」
自分達の方に料理を運んでくるウェイターを見てフェリスは千博の言葉を理解した。
「ああ、さっき入ってきた時ウェイターさんに頼んだんだ。その……せめてフェリスが料理だけでも食べれたら、って思ってさ。一応美味しそうなコースを選んでみたけど……。ほら、お前、ここに来るの楽しみにしてただろ?」
千博は頭をかきながらフェリスに言った。ただ、ここに来たかった理由は料理が目的ではなかったが、とフェリスは心の中で小さく突っ込みをいれるが、とても嬉しかった。
「でも……1人分しか来ていないようだが………」
普通、2人でコース料理を頼んだら殆ど同時にくるはずだが運ばれてきた料理はどう見ても1人分しかない。
「ああ、それは良いんだよ。1人分しか頼んでないし。あの時はフェリスがめちゃくちゃ怒ってるだろうって思ってたからフェリスの分を頼んで俺は帰るつもりだったんだ。…あ!安心して、俺の奢りだからさ。」
「そんな!それでは君は………」
「大丈夫だ、気にしないでくれ。せめてこれくらいはさせてくれよ。」
千博は気まずそうなそう言うフェリスをなんとか納得させようとする。正直、食事は済ませてしまったのでお腹は空いていなかった。フェリスが美味しそうに食べる所が見られれば十分だ。
「そうだ、そ、それなら……。」
フェリスは運ばれてきたスープをスプーンでひとすくいすると、それを千博の方へ差し出す。
「ほ、ほら、口を開けるんだ!一口だけでも食べてくれ!」
「い、いや、そんなの申し訳ないって!それにお前……スプーン一個しかないだろ?俺が使っちゃったらこの後どうすんだよ!」
千博はそれを断った。こんな嬉しいお誘いはなかなか無いだろう。だがこれ以上フェリスに嫌な思いをさせたくはなかった。きっとフェリスは気を使ってくれているのだろう。
「〜〜っ、馬鹿者、そんなの気にしない!いいから食べるんだ!」
何故かフェリスは引き下がろうとしない。それどころかもっと推してくる。……本当にいいのか?
「………そ、それなら……ごめん、貰うぞ?」
そう断りを入れて千博はフェリスの差し出すスプーンからスープを貰う。
「……ど、どうだ?」
「……あ、ああ、美味しい……な。」
美味しいとは言ったが千博は恥ずかし過ぎてそれどころではなかった。フェリスはそうとは知らず満足そうに笑っている。
「そうだろう?ここの料理は街一番だからな……」
しかし笑っていられたのもつかの間、フェリスはスプーンを手前にさげると一瞬ためらう。
「む、無理しなくていいぞ?スプーン取り替えて貰えば……」
が、千博がそう提案すると同時に控えめにスープをすくったスプーンがフェリスの唇へ運ばれる。
「は、恥ずかしいが……でも……美味しいな。」
顔を赤くしながら照れ笑いするフェリス。まずい。いや、スープは美味しかったけど。これは……可愛い過ぎる。
「その………良かったら次も一口食べる………か?」
そしてこの一言。千博はフェリスを直視できなかった。
「あ、や、えっと……じゃ、じゃあ、お願い……します。」
たじたじになるが、フェリスもきっと恥ずかしさをこらえてこんな申し出をしてるのだろう。そう思ったので思い切って受けた。それから先、デザートに至るまで何度もフェリスにいわゆる『あーん』をしてくれた。しかし、こういうのって普通は恋人とかがするやつだよな?恋愛経験の少ない千博には恋人達がどんな事をするかは良く知らないが、これはテレビで見た事がある。という事は他の人から見たら俺たちは恋人同士に見えるってことか?……恥ずかしい。そう思うと自然とフェリスを意識してしまう。
「あ、そう言えば……」
フェリスがデザートのケーキの最後の一口を食べ終わったところで千博はふと思った。
「どうした?」
「フェリスの私服、今日初めて見たな、俺。」
「っ⁈ 今更か⁈ 」
「あ、ああ、ごめん。……けど、凄く似合ってるな、その服。」
「そうか?……あ、ありがとう。」
制服を着ていると凛とした雰囲気なのが、今日はワンピースなのでとてもギャップがある。でも違和感は全くない。むしろ女の子らしさが全開だ。褒めるとフェリスも少し嬉しそうに笑った。
「じゃあ、食い終わったしそろそろ帰るか。」
「うむ、そうだな。明日も訓練があるからな。」
切り合いがついたところで2人は席を
立ち、会計を済ませ、店を出た。
「悪いな、奢ってもらってしまって………」
約束通り会計は千博が払った。流石に街一番のレストランなだけあって、値段もかなりのものだった。近衛隊に入ったのでお金は貰えていたのだが、フェリスの分だけで助かった、うん。
「いや、こんなことしかしてやれなくてごめんな。……そうだ、良かったら今度また何処かに行くか?」
「え?いいのか⁈ 」
「ああ、勿論。今度は家のカレンダーにでもしっかりと書いて忘れないようにするからさ。」
「ふふ、そうだな。それなら次は是非君から誘ってくれ!楽しみにしているからな!」
「おう、まあ、まだこの辺にあんまり詳しくないからあれだけど……きっと誘うよ。それじゃあな、また今度。」
「うむ!」
そう言って2人は互いに帰路についた。それにしても、今日は大変だったな。訓練から帰ったらステラが居るし……ん?ステラ?
「そうだ!早く帰んないと!」
そう言えばステラを家に1人で残してきてしまった。戸締りはするように言ったが、女の子をあの広い屋敷に、しかも不気味な屋敷に1人にしとくのはどうかと思う。千博はそう思って行きの様に急いで走り出した。
「はぁ……はぁ……ステラ?大丈夫か?」
千博は玄関のドアを開けて声をかけてみる。
「お帰りなさい、チヒロさん!大丈夫か、って何かあったんですか?」
「あ、ああ、大丈夫なら良いんだ。よかった……。」
「?はい……大丈夫、です。」
ステラが平気な顔をしている様だったのでひとまず千博は安心した。
「いや、夜だったしステラを1人にしちゃったから心配になってさ……。戸締りもしてくれてたから問題なかった。ごめんな。」
「チヒロさん………」
まあ、ステラも小学生じゃあるまいし、心配のし過ぎだったかな。
「ふふっ……」
と、ステラが可笑しそうに笑った。
「え、なんか変だったか?」
「あ、すいません………そういう訳じゃないんです。ただ……」
そう言うとステラは嬉しそうに千博の方を向いた。
「ただ………やっぱりチヒロさんはお優しいな、と思って。大丈夫ですよ、私は1人でいることには慣れていますから……」
ステラはそうは言ったが、最後の方の言葉は何か寂しさを感じた。……そうか、ステラは親を亡くして1人で暮らしてたから……。1人でいる事には慣れていてもその寂しさに慣れているとは限らない。ステラはきっと1人で暮らしていた時の事を思い出したのだろう。
「そんな事言うなよ。その……今は家に俺がいるだろ?まあ、昼間は訓練でいないけど……でも、飯は2人で食えるだろ?だからさ、その……」
気づくと千博はそう口走っていた。うまくは言えないが、ステラに寂しい思いはして欲しくない。そう思った。
「えと、なんだろ?ほら、1人より2人の方が良いだろ?まあ、俺じゃ嫌かもしんないけどな……。」
何とか言いたい事を言ってはみたが伝わってるかな。
「……ありがとうございます、チヒロさん。そんな事を言って下さったのはチヒロさんが初めてです。」
「え、ああ、そうか?まあ、安心して欲しいって事だ。」
「はい!とっても心強いです……!」
ステラは尻尾を振っている。よかった、安心はしてくれたのかな。
「よし、それじゃ今日はもう疲れたし風呂入って寝よっかな。あ、そうだ、部屋は空いてるとこ好きに使っていいからね。じゃあな。」
「あ、はい!ありがとうございます。
お休みなさい、チヒロさん。」
「ああ、お休み。」
千博はステラと別れて風呂へ向かう。そう言えば誰かにお休み何て言うのは久しぶりだ。思い出すな、家族のこと。今の毎日はとても楽しくて充実している。この世界にも慣れ始めてだんだん好きになってきた。俺はこの世界で生きよう。そう思うがそれはもとの世界との決別、家族との決別、友人との決別を意味する。それでも、今はそうしたい。決意は決まっている。家族は心配しているだろうが、きっと理解してくれるだろう。それなら今は精一杯出来ることをするだけだ。……そのためには今日はもう早く寝たほうが良い。色々あって疲れてしまった。また明日から始まる充実した日々に備えて千博は忙しい一日を終えた。




