突然なメイドと走る千博
「では、明日からよろしくお願いしますね、ステラ。」
ステラはアリスにそう頼まれるが、何の事だか分からずにきょとんとする。
「えっ?あのう……何をでしょうか……?」
「?もちろん、奉仕の話ですが…。話していませんでしたか?」
不思議そうにするステラの様子を見てアリスも首をかしげる。が、ステラはそれどころではなかった。
「ええええっ⁈そっ、そんな!聞いてないですよ⁈ 」
「あら………ですが、困りましたね……もうお屋敷の方にもその様にお手紙をお送りしてしまいましたし……。申し訳ありませんが、何とかよろしくお願いします。」
そう言って頭を下げるアリス。ステラは困ってしまった。こんな風に頼まれてはとても断れない。しかし、まだ心の準備が………。
「どうかお願いします!でないと奉仕先の方に迷惑が……」
迷っていると最後の後押しの様にお願いされる。そうだ、自分が行かなくては相手の方にも迷惑がかかってしまう……。
「……うぅ、分かりました……。」
「ふふ、良かった………では、よろしくお願いしますね。必要な物はメイド服だけですから。あなたの部屋に用意しておきますね。」
「………はい、頑張ります……。」
と、こんな具合で上手くアリスに丸め込まれてしまったステラは奉仕先の屋敷の前にいた。
「こ、ここが私の新しい家……」
目の前の屋敷は随分と古めかしく、見た目も良いとは言えない様な屋敷であった。知らない人を主人として仕えるのは少し不安で怖かったが、その反面、新しい生活が始まるのだと思うと嬉しかった。
「お、お邪魔します………」
ステラはアリスさんから預かった合鍵を使って屋敷の中へ入る。こんな屋敷に入るのは初めてなのでワクワクしている。
「わぁっ………!どこから見ようかな…?」
迷ったがステラはとりあえず主な仕事場となるであろう食堂へ行ってみることにした。
「すごい……大っきい………」
一体何人が一度に食事をとれるのだろうか。長いテーブルにはいくつも椅子が並んでいる。ご主人様はいつも一人でこのテーブルで食事しているのかな、などと思いながら周りを見渡していると調理場と繋がっている扉を見つける。
「あ、こっちかな………」
入っていくと全く手のつけられていないと思われる調理道具が沢山並べられていた。貯蔵庫の中も空っぽに近く、生活感が感じられない。
「えっ………ご飯はどうしてるんだろう……」
中をよく見てみてもこの量の食材では大した食事は作れなさそうだ。
「どうしよう………ご主人様が帰ってくるまでに夕食を作っておかなくちゃ……」
が、何度見てもこれだけの材料では作れる料理は限られる。確かご主人様が帰ってくるのは5時くらいと言われた。まだ時間はあるが自分はお金を持っていない。材料の買い出しは無理だろう。
「………よしっ!頑張らなきゃ!……それよりまずは着替えなきゃ。」
厳しい状態だが何とかするしかない。そう腹を決めて気合いを入れメイド服の袖に手を通すと、ステラは夕食のメニューを考え始めた。
「よし、今日はここまで!解散だ!」
「「「お疲れ様でした!」」」
グスタフの号令で兵士達が一斉に周りへ散って行く。多くの者が夕食を求めて食堂の方に流れて行き、千博も普段ならその流れの中の一人となるのだが今日は違った。
「ん?千博、今日は食堂に行かんのか?」
帰路につこうとしているとグスタフにそう呼び止められた。
「あ、はい!今日は外食です!」
千博は上機嫌でそう答えた。そう、今日はこの後フェリスに夕食に誘われているのだ。どんなレストランかは知らないが街一番と言っていた。だからとても楽しみなのだ。
「ほう…それはいいなぁ。何処へ行くんだ?」
「えっと…ラ・ノーブルってとこに…」
「何⁈ ラ・ノーブルだと⁈ よく予約がとれたな……」
「え?そんな凄いとこなんですか?」
「凄いも何も……あそこは近衛兵の俺たちでも中々予約がとれないんだぞ?いいなぁ。」
凄く羨ましそうにしているグッさんの様子を見ると、どうやら随分人気の店らしい。正直訓練で空腹も限界に近いし、早く家に帰ることにしよう。そう思いながら千博は帰宅を急いだ。
家に着く頃には腹の虫が絶え間なくないて食べ物を要求するくらいになっていた。今まで訓練が終わった後は食堂ですぐに食事をとれていたのでこの家までの時間が千博には重かった。
「うう……くそ、腹減ったなぁ…」
そう呟きながら家の玄関を開けると、千博はある違和感に気づいた。
「何だ……?鍵が、開いてる……」
千博は警戒する。考えられるのは鍵のかけ忘れか、泥棒の二つだ。だがどちらにせよ千博は周りに鋭く警戒する必要があった。なぜなら……
「………誰か、いるな……」
千博は屋敷の中に人の気配を感じていた。集中力を高め、周りに耳をすませてみると食堂の方から物音が聞こえる。が、感じたのは物音だけでは無かった。
「………⁈ 何だ、この匂いっ⁈ すごい美味そうな匂い………」
食堂の奥から漂うそのいい香りに空腹状態の千博の警戒心は完全に解かれ、吸い寄せられる様に足が食堂へと向かって行く。
「………ん?」
食堂に入ると誰かが食事の準備をしていた。女性の様だ。メイド服を着ている。それに頭には犬耳、お尻には尻尾………。
「ん……?あ、あれ?」
あの犬耳にはとても見覚えがあるぞ?食堂の入り口に突っ立って見ているとその少女もこちらに気づき、振り返る。
「えっ⁈ ち、チヒロさん⁈ どうしてこちらに……」
「や、どうしてって……ここ俺ん家だしな。それよりステラは?」
「………チヒロさんの、お家?」
ステラに目を丸くして尋ね返される。一体どうしたのだろう。まさかステラが泥棒に入るわけないし…。何よりステラの格好が木になる。
「なあステラ、何でメイド服を着てるんだ?」
「これから…チヒロさんと…二人で…一緒に……ここに…?」
「?おーい、聞いてるか?」
一人で何かを整理するかの様にぶつぶつ言っているステラ。千博はステラがここにいる理由を聞きたいのだが全く聞こえいないらしい。
「なあ、ステラ。俺の話聞いて………」
「チヒロさんっ!!!! 」
「⁈ はい⁈ 」
呼びかけていると突然ステラに名前を呼ばれ、返事をしてしまった。
「ふつつか者ですが、どうかよろしくお願いします!」
「へ?」
凄く気の抜けた声が喉から出る。しかし仕方がないだろう。こんな嫁入りの様な挨拶を急にされたら誰でもこうなる筈だ。
「ちょ、ちょっと待って?どういうことだ?何がなんだかさっぱりなんだが………」
「えっ?ご存知ないのですか?」
ステラに意外そうな顔をされる。
「………できれば説明が欲しいな。」
千博はステラにこの状況の説明を求める。
「えっと……今日からチヒロさんにメイドとしてお仕えする事になりました。ですから……私、頑張りますっ!」
「メ、メイド⁈ そんなの聞いてないぞ⁈ 」
「えっ⁈ でも………お手紙でお知らせしたとアリスさんが……」
「手紙?」
千博はそれを聞いて玄関の方へ飛んでいき、郵便受けの中を急いで確認した。
「………あ、これか?」
中には一通の手紙が入っていた。封筒を開けて中身をみると……
「あ……」
何か簡潔に説明が書いてある様だがこの世界の文字は千博には読めなかった。これじゃ手紙貰っても意味が無い。ため息をつくと、ステラが心配そうな顔でこちらを見てきた。
「あの……やっぱり私なんかじゃ迷惑でしたよね……すみません……」
どうやらため息の意味を勘違いしたのだろう。申し訳なさそうに犬耳をシュンとさせて謝ってきた。
「いや!違うぞ⁈ この屋敷にメイドが来てくれたのは本当にありがたいよ。それに……メイドがステラで良かったよ。」
急いで誤解を解くために本心を伝える。確かにメイドの話は急だったけど、この屋敷を一人で管理できる自信は皆無だったし。それに知り合いがメイドをしてくれる方が安心できるからな。
「本当ですか⁈ ……わ、私も嬉しいですっ!」
そう言ってステラは犬耳をピョコピョコさせ、尻尾を振って喜んでくれている。どうやら誤解は解けた様だ。
「いやー、でも驚いたよ。………あ、それでご飯を作っておいてくれたのか?」
「あ、はい!チヒロさんのお口に合えばいいのですが………」
「いや、すげー美味しそうだよ。食べていいか?もうお腹減って死にそうだ!」
「はい!どうぞ召し上がってください。」
「それじゃ遠慮なく………頂きます。」
席についてステラの料理に手を伸ばす。これは…シチューの様だ。千博はスプーンでひとすくいして早速口に運ぶ。
「! ………美味い!」
あまり食料庫の中には食料が入っていなかったのに、あそこからこんな美味しいものを作れるなんて。
「凄い美味しいよ、よくこんな美味しく作れたな。」
「本当ですか?ありがとうございます、嬉しいです!」
それにしても本当に美味しい。千博は食事をする手が止まらず、そのまますぐに完食してしまった。
「ご馳走様、ありがとな、ステラ。食堂の百倍美味しかったな。」
「そんなことないですよ!お粗末様です。」
うう、今日は幸せだ。こんな可愛いメイドがこんな美味しいご飯を作ってくれるなんて…。しかもこれが明日から毎日続くなんて、まるで天国だ。ばちの一つや二つ当たってもしょうがないな。そんな事を考えながら目を壁にかかっている時計にふと向けた。もうすぐ7時か。今日は食堂で飯を食べなかった分、ちょっと遅くなったな……って、ん?そこで千博は自分が大変なミスをしていることに気付いた。
「………しまったぁっ!!!!! 」
そう、もうすぐ7時。それはフェリスとの約束の時間。もうフェリスは店で待っているに違いない。くそっ、ステラの料理に夢中で気付かなかった!今から行って間に合うか?
「あの……チヒロさん?どうかしたんですか?」
突然叫びだした千博にステラは恐る恐る尋ねてきた。
「ごめん!ちょっと出掛けてくる!戸締りだけ頼んだぞ!」
千博はそれだけ言うと急いで街の方へ走り出した。
「あ………チヒロさん、どうしたんだろう。何かあったのかな……」
ステラは尋常じゃなく焦って飛び出していった千博を心配そうに見送った。
「くそっ!何で忘れてたんだよ!待っててくれ、フェリス!」
千博は自分のミスに怒りを覚えながら暗い夜道をひたすら走るのだった。
「……遅いな、チヒロ……。」
フェリスは噴水の前のレストラン、ラ・ノーブルで一人、千博の到着を待っていた。今日は千博と夕食という事でいつもの近衛隊の制服ではなく、白が基調のワンピースを着ている。あまり着慣れない格好と千博の到着の遅さにそわそわしながらフェリスは時計を何度も眺める。時計の針は今まさに7時をさそうとしていた。
「何かあったのか……?それとも忘れてしまったのかな………」
かれこれもう30分以上こうして待っているのだ。だんだん不安がよぎってきても仕方がない。
「無理もないか……。私が一方的に誘って舞い上がっていたようなものだったし………」
今思えば、誘った時千博は何か戸惑っていた様な気がする。楽しみだとは言ってはいたが本当は嫌だったのかもしれない。私と食事など真っ平御免で、最初から来る気などなかったんじゃ……。
「お客様、ご予約のお時間となりましたが……。お料理の方、どうなされますか?」
気づけば時計は7時をまわっていた。ウェイターにそう尋ねられ、フェリスは返答に困った。このまま待っていても千博が来るかはわからない。本心としては来るのを待ちたかったが、店に迷惑をかける訳にもいかない。迷った末、フェリスは……
「……すまない。どうやら待ち合わせの相手は来られない様だ。予約は取り消してくれ……。」
ウェイターにそう言うとフェリスは静かに立ち上がった。




