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いつか訪れる日  作者: 甘いぞ甘えび
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主様と洋服

 この狭き地球の上に知的生命体が人間しかいないと断定するのは大きな過ちである。宇宙人がいづれやって来るとかいう映画や小説の話ではなく、現実にこの地球上には人間以外に「幻想生物」や「長命種」「不死者」と呼ばれる者たちが存在している。しかしそれらを知っている人間は数少ない。理由は簡単だ。「あちら」側が人間にその存在を知られないように秘密にしているからだ。

 彼らを一括りに幻想生物と呼んだとしても、彼らの種族は多岐にわたるため、混乱を招くことは必死だろう。彼らの中には闇に生きるナイトウォーカーと呼ばれるものから、神と呼ばれるもの、妖怪、悪魔、天使、妖精、ありとあらゆる人間以外のものを内包する。彼らは人間にはない特殊な能力を持ち、特徴的外見をしている者が多い。歴史を遡れば人間と上手くやっていた時代もあるにはあったが、人間が自分たちと異なる彼らに恐怖心を抱き、追放するに至るまでにそう長い時間はかからなかった。

 妖精がいると信じられていた時代は終わり、魔女狩りが廃れ、人間の活動範囲が広がるにつれて、幻想生物の居場所はなくなっていった。彼らは姿を変え、形を変え、人間社会に溶けこむことを強要された。それを拒否した者の中には多くの人間を殺害した者もいたが、そうした者たちは人間の手によって、あるいは同じ幻想生物によってその存在を抹消された。時代は人間を中心に動き始めており、それ以外の者たちに淘汰されるという選択肢以外は与えられなかった。

 しかし中には上手くやった者たちもいた。その代表がナイトウォーカーの代名詞とも言える、吸血鬼たちだ。彼らは人間に近い外見で彼らに取り入り、その不死性を最大限に利用して、人間社会の中に企業という確固たる地位を他に入れた。彼らが作り上げた「組織」はナイトウォーカーに限らず、すべての幻想生物を支援するシステムを作り上げた。組織は人間社会に溶け込む手助けをし、またあらゆる面で彼らの生活をサポートした。

 人間は気付いていなかったが既に幻想生物たちはその生活に紛れ込み、そしてこうしている今もそのすぐ近くで人間と同じように生活を続けている。


 * * *


 日本の歴史の中で、日本人は実に多くの幻想生物と関わってきた。それらは八百万の神という表現からも分かるように、神々は彼らの生活の一部に存在しており、その歴史の中でヨーロッパ諸国のように大規模に彼らを狩り出したことは一度もなかった。日本人は心の何処かで人間ではない生き物の存在を信じており、それが当たり前だと感じているのかもしれない。

 日本の中心地東京から電車で一時間も行かないところに、田舎といった風景の静かな土地がある。そこには未だに山を信仰し、山に守り神がいるとする風習が残っている。山をお祀りする社が山と町の間にあり、そこの庭には大きな池がある。その池は人工的に作られたものではなく、自然に湧き出たもので、その源流は背後にそびえ立つ山の中心にあると言われ、その池に住む鯉もまた主様と呼ばれることがあった。

 御前神社(みさきじんじゃ)と名付けられているその神社の敷地は広く、庭の隅には赤い鳥居の稲荷神社がある。その稲荷は結び稲荷と呼ばれ、縁起のいいものとして地元の者には恋の願かけや受験、就活の願い事に利用されている。

 御前神社には祭事の際に町の者がやって来る以外に常駐している者はいない。一番近くに住んでいる者でも歩いて二十分はかかる距離で、近くに人がやってくるような建物もなければ畑もなかった。そのため、御前神社は孤立していた。時折そこに人影があったなどと恐怖話に登場することもあったが、町人にとって御前神社は信仰の対象であり、そうした後ろ暗い噂は一蹴されて終わった。


「主様! 主様っ?」

 日に透けると太陽の後光のように美しく光る明るい茶色の髪をひとまとめに束ねた和服の男がパタパタと廊下を走り抜けた。和服と言っても浴衣や着流しといった現代でも一般的に見られるようなものではなく、それはまるで平安時代かといったような衣冠姿だ。洋服が主流の現代でその服装は目立つ。

(むすび)、ここにおる」

 通り過ぎた部屋の中から声が聞こえ、結は数歩進んでから立ち止まった。木張りの廊下だったが足音は立てずに歩いていた結はまたも音を立てることなくそっとその部屋の襖の前に膝をついた。

「お探ししましたよ、主様。入ってもよろしいでしょうか?」

「良い。ちょうど呼ぼうと思っておったところだ」

 実に丁寧に恭しく、そして音も立てずに襖を開き、結は目を丸くして一瞬言葉に詰まった。しかし内心の動揺を相手に悟られるよりも早く、彼は部屋に踏み込むとその背後で襖を閉じた。まるで外から中にあるものを見せないようにするかのように素早い動きだったが、当然のように音は立てなかった。

「客人は無事お帰りになりました。……ええと、何をなさっておられるのです?」

「何って……」

 きょとんとした表情で己を見下ろすが、分かっていない様子で再び顔を上げる。しかしその周囲には様々な色合いの洋服が散乱しており、結と同じような和服に身を包む男がその中心にいるのは些かおかしな光景に見えた。

「洋服を持ってきてもらったのだ。結の分もある。好きなのを選ぶといい」

「わざわざ夜行者の遣いをお呼びになったのはそのためですか?」

「そうじゃ。さすがにこの佇まいでは外に出れぬ。結も着替えるのだぞ」

 長く艶めく黒髪をゆるい三つ編みに束ねた人物は、身体の凹凸を隠すようなゆったりとした衣冠を着ているがゆえに性別の判断が難しいほど整った顔をしている。白い肌に何を塗っているわけでもなく紅く熟れる唇は魅惑的で、無邪気に笑むその表情は目を引く。

「どこへ出かけようっていうのですか、主様?」

「そうだな。近場で行くなら隣町だが、出来るなら東都まで出てみたい気持ちはある」

「東都? 東京ですか? それはさすがに……」

 世間知らずと言えば可愛らしく聞こえるが、この黒髪の人物は今までこの方この土地を長く離れたことはない。それを知っているだけに、無邪気に洋服を広げて遊んでいる姿を見ても、結は不安感しか感じない。こんな田舎に住んでいては、一度に人間を見たとして最大でも五十人以下。首都東京に出ればそれ以上の数の人間が普通に道を行き交っている。そんな喧騒に耐えられるかという不安。

「折角夜行者が留守を預かると言ってくれたのだ。行ってみたいところはたくさんある」

 結は何かを反論しようと口を開いたが、声を発する前に諦めた様子で唇を閉ざした。何を言ったところでこの人が言い出したことを諦めることがないということを一番よく知っているのは結自身だ。それなのに長年仕え続けているのにはちゃんと理由がある。

 そんな結の葛藤を知ってか知らずか、散らばった服の中から一枚の衣服を取り上げて立ち上がったその人物は、その布地を広げて自分の体にそれをあてがう。

「どうだ? 似合うか?」

 膝丈まであるその紺色の布地を見上げた結の顔が呆れ、先が思いやられるとばかりにため息をついた。そしてその服を渡すようにと手を差し伸べる。

「貸してください、主様。似合いますが、それは女性の着るものです。洋服は俺が選びますから」

 持っていた紺色のワンピースをびっくりしたような表情で見つめる。そしてそれを差し出された結の手に載せ、にっこりと微笑んでみせた。

「任せた。それと結、外にでるからにはわたしのことは主様でなく、御前(みさき)と呼ぶんだぞ」

 結は再びため息をついたが、服を選ぶのに夢中な御前はそのため息の理由など気付くはずもない。ワンピースを邪魔にならないところにたたんで置いた結は立ち上がりながら、この世間知らずの御前にいらぬ知恵を吹き込んだ夜行者に恨みを込めて声に出さず呪いの言葉を呟いた。

「承知致しました。さ、主様にはこちらのお召し物がよろしいかと……」


〈続く〉

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