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「おや」
ナザルやヴィルヘルムに連れられるようにして現れたのはリュクレスだった。
大柄な男どもに伴われて、小柄な少女の華奢さがさらに際立ってみえる。
将軍に守られるように隣に立つ娘は、エルナにむかってぺこりと丁寧なお辞儀をした。
「こんにちは。お邪魔します」
柔らかく微笑む彼女は相変わらず花のような佇まいだ。エルナも意識せず笑う。
「元気そうでなによりだ。今日はあんたも来たんだね」
「宿屋でずっと一人もかわいそうだと思ったものですから」
「あの、アリオは?」
彼女なりに、アリオを気にしてくれているようだ。アリオから彼女の生い立ちは聞いたが、よくもまあ、卑屈にもならず、ここまで真っ直ぐに育ったものだと思う。
「じっとしているのが苦手な子でね。あの子なら町に出てるよ」
「大丈夫なのか?」
ナザルが顔を顰めると、エルナは肩を竦めた。
「人気の無いところは避けるように言ってあるから大丈夫だよ。こんな小さな田舎町じゃあ、町の人はみんな家族みたいなもんだからね。それに、心配だからって、ずっと、閉じ込めておくわけにもいかんだろうさ。なあ、お嬢さん?」
「え…と、…はい」
困ったようにリュクレスは眉を下げて、ためらいながらも頷いた。
その言葉は、まさにヴィルヘルムへの皮肉でしかない。
それを、閉じ込められている本人に返事を求めるあたり、エルナの性格も中々のものだ。
無言でリュクレスの背に手を当て、ヴィルヘルムは皮肉を綺麗に無視した。
「あの日、祭りの午前中だけは人気がなかった。そこを狙われたわけですね」
「祭りの最中は見知らぬ観光客も多いからね」
すでに町の中は落ち着きを取り戻し、知らない顔がいれば目立つ。
「あんたたちも経験しただろう?」
その言葉にヴィルヘルムは苦笑した。
確かに、好奇の目にさらされた。アリオの誘拐騒動は既に町中の住人の知るところとなり、部外者はそれだけで、注目される。
不審に思われていないのは、エルナやナザルと行動を共にしていることが多いからだろう。
だが、祭りの最中と異なり、明らかに悪目立ちしている感はぬぐえない。
「…お仕事のお話になりそうだから、私は邪魔しないように外で待っていますね」
ほんのりと柔らかな声が、控えめに言葉を挟む。
ヴィルヘルムを見上げるリュクレスを、引き止めるようにエルナは声を掛けた。
「直接あんたに会えたら言いたいと思っていたんだ。弟を助けてくれてありがとう」
感謝に、リュクレスはにっこりと笑った。
「姉弟が離れずにすんでよかったです」
「一応父親もいるんだけどね。行商に出ていて帰ってくることが少ないんだ」
母がいない家に、あまり寄り付きたくないのかも知れない。帰っても迎えてくれる母がいないことは父親にとってもかなりの衝撃のようだった。少しずつ、旅に出る期間が長くなってきている。そろそろ半年になろうか。だから。
エルナにとっても弟は最も身近で大切な家族だった。
アリオからリュクレスの話は聞いている。逆に、少しだけうちの状況を彼女は知っていて、興味本位に暴こうとはしない穏やかな瞳が、エルナでさえ和らいだ気持ちにさせた。
「さて。仕事の話は早々に終わらせて、さっさとあんたに恋人を返してあげないとね」
そう言って笑えば、リュクレスがぽっと顔を赤らめた。
ばたん!
唐突な騒がしいもの音に、部屋を移動しようとした大人たちは足を止めた。
乱暴に開かれた扉は、壁に叩きつけられて、扉そのものを軋ませる。
戸口に立つのはアリオだった。息を切らせ、その肩を怒らせて、異彩の瞳には憎しみを滾らせている。
その目はまっすぐに冬狼将軍を睨み付けていた。
さっきまでの穏やかな空気は掻き消され、刺すような怒気が混じり込む。
「どうしたんだい、アリオ」
戸惑いを浮かべて、エルナは弟に近づいた。
だが、その声はアリオには届かない。
滴るような憎しみが、少年の声で放たれた。
「英雄だったなら、なんで俺の母さんを助けてくれなかったんだ!」
どうして盗賊団なんてのさばらせておくんだ。
もっと早くに名無しを退治していてくれたなら、母は死なずに済んだかも知れない。
壊す勢いで開け放たれた扉の前で、射殺さんばかりにヴィルヘルムを睨みつけた。
狭い町だ。
気がつけば、アリオの誘拐未遂事件は町中の人の知るところとなっていた。
大丈夫かと心配されるのは、気恥ずかしいものの正直嬉しい。
だが、興味半分で関わられることに、アリオは少しだけ苛立たしさも感じていた。
人気のないところは避けるように言われているものの、町の中だけならばと、エルナからの行動制限は解かれている。
アリオはげんなりと溜息を付いた。
パン屋の店先で、町のお喋りな大人たちに捕まり、心配されているのか、話のネタにされているのかよくわからないような時間がしばらく続いているからだ。
いい加減に聞いている間に、アリオの誘拐の話から、いつの間にか話題は盗賊団の話に移ったようだった。
「まあ、どうやら冬狼将軍様も動いているらしいから、そう心配するな」
背中を励ますように叩かれて、アリオは近所の人たちの会話に意識を戻した。
「そうそう。なにせ、国の英雄が指揮を取っているんだ。大船に乗った気でいればいいさ」
「カルナンの町では盗賊団を丸ごと捕縛したらしいじゃないか」
「ああ、怪我人だけで、襲われた商人は全員助けられたらしい」
「さすが、将軍だ」
「名無しの残党狩りもこうなってくると早々片付くかもなぁ」
彼らなりの励ましと、安心をさせるための言葉は、アリオの中に理不尽な思いを抱かせる。
盗賊団…
じわじわと、アリオの表情が硬く強張っていく。
「…だったらなんで」
「ん?」
小さなつぶやきは、男達には届かなかったようだ。
我慢が出来なくなって、アリオは無言でその場を離れる。
「おいっ、アリオ!」
誰かが、慌てたような声が背中にかかったが、振りかえることなくアリオは走り出した。
「だったらなんで!」
その声はもう、つぶやきではない。
走って向かう先には、その答えを持つ男がいるはずだ。
ぎらぎらとした瞳には、悔しさと憎しみが揺らめいた。
その話を聞かなければ、これほどの怒りは感じずに済んだかもしれない。
英雄と言われる男を知らなければ、もっと漠然とした対象に怒りも拡散しただろう。
けれど、聞いてしまった。
盗賊団に襲われて、助かった人達の事を。
冬狼将軍が助けたと、聞いてしまった。
…じゃあ、なんで。
何故、母さんは助けてもらえなかったのだろう。
その怒りをぶつける人物は、今、目の前に立っている。




