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「アリオ!大丈夫だったかいっ?!」

「エルナ姉ちゃん!」

エルナは走り込んできたアリオを抱きとめる。生意気盛りの弟がこんなふうに抱きついてくることはなくなっていたから、どれほど怖い思いをしたのかと、エルナは胸が締め付けられる思いがした。

大切な血を分けた弟の、その無事を噛み締める。

失わずに済んだその温もりを確かめるように抱きしめて、弟への加護を守護狼に感謝する。

再会の抱擁は誰にも咎められることなく、しばらくしてエルナは周囲の静けさにようやく冷静さを取り戻した。

どうやら、静かに見守っていてくれたらしいと、弟をしっかりと抱きしめたまま、エルナは顔を上げた。

そこに見つけたのは知り合いではないが、見知った顔だった。

「あれ…あんた」

「チェルニのギルドマスターが女性だとは聞きいていましたが、貴女でしたか」

穏やかな口調で話す男は、星祭りの日、広場で可愛らしい恋人と木箱を買っていった美貌の紳士だった。

その隣に立つのは半年前、この町の女性との結婚を機にやってきて、チェルニに自警団を作った男。ナザル・エルムオキフ。仕事柄付き合いがないわけではないが、それほど親しいわけでもない。だが、どうやら紳士と彼は知り合いのようだった。

彼は、エルナとヴィルヘルムを交互に見て首を傾げた。

「知り合いか?」

「ええ。露天で出会った愛の天使クピドですよ」

「は?」

自警団長の質問に、さらりとそんな言葉を選ぶあたり、この紳士相変わらずいい性格をしている。

意味が分からず、顔をしかめる自警団の男には悪いが、話を進めたほうが良いのだろう。

エルナはアリオの背を撫でながら、意趣返しも含めてヴィルヘルムに尋ねた。

「あんたがアリオを助けてくれたのかい?…騎士にしては、へなちょこそうにみえるけど」

屈強な男たちの中では、確かにヴィルヘルムは細身に見える。纏う雰囲気は繊細と言っても過言ではない。だが、彼らの後ろにいる騎士らしき男たちはその言葉に顔を引きつらせる。

ヴィルヘルムは面白そうにクスクス笑い、笑いを収めることなく手を差し出した。

「ヴィルヘルム・オルヴィスタム・ドレイチェクだ。今回は協力感謝する」

「…人が悪いね。あんたが冬狼将軍か」

「ふふ。へなちょこなんて、久しぶりに言われましたよ。まあ、腕は確かなので信頼してください」

差し出された硬い手を握り返しながら、エルナは納得する。

なるほど、これは商人の手ではない。

剣を握る者の手だ。

エルナの無遠慮な言葉に気分を害することもなく、笑みを浮かべるその姿は、灰色の瞳、紺青の髪、噂に聞く冬狼将軍の色彩そのままだが、軍人の荒々しさが男にはない。社交界の貴公子と言われた方が、納得がいく。

おおらかにさえ見える男に、担がれているような懐疑的な気持ちが湧き上がる。

だが、まず先に言うべきは、大切な家族を守ってもらった感謝だ。

「エルナ・オルトーヴァだ。先に、言うべきだった。弟を助けてくれてありがとう」

「その言葉を受け取るべきは私ではありません。戻ったら、彼女に伝えましょう」

「彼女…?もしかして、あのお嬢さんが助けてくれたのかい?」

その意外な言葉に、エルナは驚いた。

浮かぶのはおっとりとした、宝石のような瞳を持つ娘。目の前の男の恋人。

間違いないようで、将軍は困ったような表情で苦笑していた。

「ええ、結構な無茶をしてくれました」

「こいつ、その姉ちゃん、怒鳴って泣かせたんだぜ?!」

「そりゃ…」

アリオが顔をあげて、キッとヴィルヘルムを睨みつけた。

表情を穏やかさに上手く隠した男に対して、エルナは少しだけ同情した。

大切にしている恋人が危険な目にあって、平然として居られるわけもない。

だが、子供のアリオにはその心情がわからないのだろう。

「それに関しては私に全て非があります。ですが、今はそれよりも別の話をしましょうか?」

「ずるいぞっ」

責められるまま、否定も弁明することもない将軍を擁護するように、エルナはアリオの肩を叩いた。

「ほら、アリオ。男が細かいことをしつこく言わない。それに、優先すべきことが他にあるのはお前もわかるね?」

「…う、うん」

「だったら、これ以上はやめな。それより…疲れただろ?部屋で休んだらどうだい。それとも、一人は不安かい?」

アリオは少しだけ逡巡して、首を振った。

「大丈夫。部屋で休むよ。姉ちゃんは仕事して、人攫いの奴ら捕まえるんだろ?」

「ああ、その話し合いをするところだよ」

「じゃあ、俺、邪魔しない」

そう言って、アリオは奥の扉の奥に引っ込んだ。最後にヴィルヘルムに舌を出して威嚇するのは忘れない。見送ったエルナは思わず苦笑した。

「嫌われたもんだね」

弟の姿が消えた扉から、ヴィルヘルムに向き直る。少々人の悪い顔をした彼女に、ヴィルヘルムは肩を竦めた。

「仕方ありません。私も冷静ではいられず、彼には情けないところを見られてしまいましたから。男として頼りなく見えるのでしょう」

反省の色を含むその声に、エルナは思わずまじまじと男を見つめた。

彼は少しだけ柔らかく笑って、それから眼鏡の奥の瞳をすっと硬化させた。

「さて、本題に入りましょう」

灰色の瞳がまるで鋭利な刃物のような光を放つ。

急に張り詰めた空気に、これが彼の本来の姿かと、エルナは息を飲んだ。

息苦しいほどの緊張感に包まれ、無意識に体が強張る。ギルドにやってきたのはヴィルヘルム、ナザル、他に入口に待機する騎士が2名ほど。チェルニに騎士が常駐しているとは聞いていないから、将軍のお忍びに着いて来ていた護衛なのだろう。

「…立ち話もなんだし、座りなよ。話はそれからだ」

そう言って、エルナは気後れしそうな自分を叱咤して、二人を応接室へと案内した。

伊達や酔狂で女だてらにギルドマスターをやっているわけではない。

エルナの運営するチェルニのギルドは商人のものであり、基本的には商業に特化している。だが、他の町同様に、一部傭兵の仕事など煩雑なものももちろん扱う。

こんな小さな町でもそんな風に窓口が一元化されているのだ。どの町でも町の中で問題が生じた場合、何かしようとするならば、ギルドを通した方が円滑に話は進む。

自警団だけで勝手をすることなく、筋を立てギルドの面目を立ててくれようとする、その行動にエルナは好感を持った。

彼らが、公平に誠意を持って動くのであれば、ギルドも期待に応えるべきだろう。

「で?私たちに何を望むんだい?」

「情報を。人の出入り、物の流れ、貴女たちの情報網は侮れませんから。今回の誘拐の実行犯については尋問中ですが、分解した名無しの残党だろうと予測しています。あの少年の容姿からして、あの誘拐は人身売買目的、愛玩人形として売るつもりだったのでしょう」

冷静に言われる内容に、エルナの顔が見る間に青ざめる。他人事ではなく、失おうとしたものは唯ひとりの弟だ。

「国内の市場が凍結した今、彼らは外国にその市場を求めています。ですから、そのルートを潰したい。被害者をこれ以上出さないためにも、可及的速やかに」

「…情報だけでなんとかなるのかい」

「貴女方の情報だけで何とかしようとは思っていません。ただ、貴女の弟がどこで標的になったのかが知りたい。あの少年がこの町から出たとは思えないので、この町に名無しに繋がる何かがあるはずです」

ヴィルヘルムは、チャリオットが持ってきた文書を提示する。

「実働はロヴァルと騎士団が動きます。…心配しなくても、片手間に済ませようとは思っていません」

エルナはハッとして顔を上げた。内心を覗かれたように正確な彼の言葉に苦い顔をする。

将軍は少しだけ口角を引き上げてエルナを見ていた。

「私としても、個人的に彼らはさっさと抹消したいので」

「抹消とは…なかなかに強烈だね」

エルナの不安を消そうとするかのような、バッサリとした言葉にヴィルヘルムがわざと含ませた私情。

「でなければ、彼女を自由に外に出してあげられないものですから」

「彼女…あのお嬢さんか?」

聞くだけだったナザルが、思わぬ人物が出てきて口を挟んだ。

「…彼女も愛玩人形として、狙われている可能性がある」

柔らかく明るい黒髪に、藍緑の瞳は確かに珍しい。可愛らしい容姿にあの色彩は確かに高価な価値がつくかもしれない。

だが、将軍の断定的な口調から、彼女が特定の人物に狙われていることに気付く。

「欲しがっているやつがいるってことか?」

「スナヴァール王の元愛人」

「なんだってまた…」

「全部、私のせいですね」

「…詳しくは聞かないことにしてやる」

ため息で言葉を飲み込んだナザルとは反対に、エルナは遠慮の欠片もなく将軍に向かって非難の言葉を口にした。

「あんた、思ったより酷い男みたいだね」

「…ですから、これ以上彼女を悲しませないよう、守りたいのですよ」

ふと、彼女があどけなく見える理由に思い至る。

「なあ、なんであの子髪結ってないんだい?修道女だからってわけじゃないんだろ?」

「修道女ではありませんよ。彼女は孤児で、修道院で育っただけです」

「でも、そのまま修道女になるつもりだったんじゃないのかい?」

でなければ、あれほど知識は持っていないだろう。

修道院出身と薬草の知識を持つことは同義ではないのだから。

「私に逢わなければ、きっとそうだったのでしょうね」

にっこりと、将軍は有無を言わせない笑みを浮かべた。させる気はないという、明確な意志に凄みすら感じて、エルナは男の執着の強さを改めて悟る。

「…貴族の女性は髪を下ろしていることは珍しいだろ。彼女を見世物にでもする気かい?」

手入れされた髪、髪を飾る飾りも華美ではないが良いものを身に着けているのに、その髪は肩から背に流されていた。

「彼女の髪はきれいでさわり心地がいいんです」

ヴィルヘルムはさらりと惚気てから、エルナの言葉を否定する。

「彼女をその手の攻撃に晒す気はありません。ただ、私は彼女に貴婦人になってもらいたいわけではないので。あの子らしくいられればそれでいい」

将軍の珍しい言動に、ナザルが目を丸くして固まった。

「はいはい、ごちそうさん」

傲慢というか、ある意味素直な将軍に、エルナは呆れたようにそう返した。

「まあ、ですから、こちらも真剣に当たらせています。我らを信じて協力していただけますか?」

「さすがに信じるさ」

この男は味方を作るのがうまい。人の望むものをよく理解して、最も有効に利用する。

今回であれば、弟の安全を優先したいエルナを味方に引き入れることで、有効にこのギルドを、そしてギルド同士の繋がりを余すことなく活用する気なのだろう。

思っていた以上に、この男は侮れないが、反面、あの娘への一途さがどこか憎めない。

「とりあえず、情報収集は任せとくれ。報告はあんたへ?それとも」

「自警団へ。私は近日中に、王城へ戻らねばなりませんから」

「わかった。よろしく頼むよっ!団長さん」

「痛っ!あ、ああ」

まだ立ち直れていないらしい団長の背中に、エルナは平手で一発、活を入れた。





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