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「しばらくは一人で外に出るのは禁止です。いいですね?」

心配をかけたのがわかっているから、リュクレスはしゅんと肩を落として頷いた。

その頭をそっと撫でて、ヴィルヘルムは立ち上がった。

「このまま彼らと仕事の話をしてきます。君は、この部屋で休んでいてください」

「はい。…あ、あの」

引き止めるような響きに男は気付き、指で梳いた娘の髪を軽く引いた。

「どうしました?」

「ひとつ話していないことがあります。…全然関係のないことなのかもしれないんですけど…」

不安そうな表情に、ヴィルヘルムはわからない程度に眉を顰め、先を促した。

「公園の向こうの教会で男の人と会ったんです。その人は私の目を見て、その目は生まれつきかって聞きました。…それだけだったんですけど、なぜかわからないけど、すごく怖くて」

今だに何があれほど怖かったのかリュクレスにもわからない。けれど、思い出した途端に無意識に震えが走った。

「どんな男か覚えていますか?」

リュクレスの様子にヴィルヘルムは険しい顔をする。

「黒髪に金色がかった瞳をしていました。身なりは整っていて、年齢は…よくわかりません。30代にも見えたし40代と言われても納得してしまいそうな。あ、でも、喉を痛めたような、すごく嗄れた声をしていました」

黒い影に襲われるようなあの幻想、あの意味がわからない。ぞくぞくとした悪寒が身体を這い回る。

それを消し去るような強い抱擁に、リュクレスははっとして顔を上げた。眼鏡の奥の瞳が優しく見守るように、細められる。

「大丈夫。君に手出しなどさせない」

「…はい」

リュクレスは素直に返事をして、そっとその腕から離れた。これ以上引き止めてしまうわけにはいかない。

「気をつけて、行ってください」

ちょこんと心配そうに見上げる瞳に、ヴィルヘルムは答えるようにその頬に唇を触れさせる。

「早めに帰ってきますから」

そう言い残し、見送られて部屋を出る。

扉を閉めた瞬間、ヴィルヘルムの瞳が酷薄さを帯びる。穏やかさは作り物の硬質さとなり、そこにいるのは、冬狼と呼ばれる将軍。

怒気は冷々たる灰色の瞳なかに隠され、深く男の中に静かに沈む。


あの娘を、守ると決めた。

そのために、冬狼は牙を隠して爪を研ぐ。





「ギルドに向かいます」

リュクレスを部屋に残し、移動したヴィルヘルムは自分の部屋に待機させていた男に前置きもなく告げた。

大柄の体躯。その顔や身体にいくつもの傷を持つ彼は、一見すると傭兵のようだった。

砂色の短い髪に、同色の瞳、日に焼けた肌に纏うものは皮の丈夫な服である。だが、粗野に見える外見とは逆に、その行動は洗練されていた。元王立近衛師団団長という肩書きを持つ男の名は、ナザル・エルムオキフ。カークフロム伯爵家の三男で貴族の出身であり、現在は騎士をやめ、チェルニで平民の女性と結婚し自警団を組織している。

扉を開けて現れた将軍はいつもの静けさを湛えており、ナザルは先ほどの彼が夢だったのではないかと錯覚しそうになる。感情を乱された将軍など、それこそ希なものだったから余計にそんな気がするのだろうが。

返事を待たず、部屋の中を一瞥して、ヴィルヘルムは足りない人物の所在を確認する。

「誘拐されかけた子供は?」

「さっきの嬢ちゃんを心配してここに来てるが、今はチャリオットが向こうで面倒見てる。…呼び戻すか?」

「ええ。子供も一旦保護者のもとに返しましょう」

「了解」

指示通り、一旦部屋を出ようとして、ナザルは扉の前で足を止めた。振り向くと、好奇心に満ちた目であの娘の正体を探る。

「なんだか毒のない娘だったな。…お前、妹とかいなかったよな?」

特徴のある藍緑アクアマリンの瞳は酷く印象的だ。会ったことがあれば忘れることはないだろう。

「妹ではありません。彼女は私の恋人ですよ」

ヴィルヘルムは、しれっとして言った。

「…はぁ?!」

氷の様な男と、花の様な娘がどうにも結びつかず、男は目を剥き、素っ頓狂な声を上げる。

片眉をピクリと上げるだけで、将軍は窘めることはしない。

だが、それならば先ほどのヴィルヘルムの動揺は理解できる。

男が今まで選んだ女はさっぱりとしたものが多かった。情に薄いものを選んでいたように思う。彼女は違う。ならば、真実本気で手に入れたのだろう。

「まさか、本気か」

「本気以外何物でもない」

「お前が、恋愛なんかに興味があるとは思っていなかったな」

あの笑顔が、余りにも平穏な柔和さを抱くから、将軍とはかけ離れた存在に思えた。だが、その割に寄り添う二人は全く違和感なくそこに立っていたことを思い出す。

「興味などありませんでしたよ。恋などしたことがありませんからね。私にとって彼女が初恋でしょう」

彼女にそれを言うと、「ヴィルヘルム様の初恋はきっと王様ですよ」と、微妙なことを言われるのだが。

恥ずかしげもなく、初恋だとか宣う将軍に呆れた顔をして、ナザルは肩をすくめた。

恋や愛というものは思わず落ちているものだ。かくいう己も周囲をどれほど唖然とさせたか…その記憶はそれほど昔の話ではない。

「まあ、とりあえず、あんま叱ってやるなよ。人が困っているのを見過ごせるタイプじゃないんだろう?」

「わかっています。彼女の言葉に折れて一人で行かせた私が悪い。やはり治安の悪化は否めないか」

二人で話し合って冷静になったのか、狂気のような混乱は将軍の中から鳴りを潜めている。

変わらない、いつもの冷静な言葉に、ナザルは頷いた。

「ああ、組織だってあった名無しが無くなった分、集団は小さいものになったが、やることもせこいし、準備も大雑把だ。その分以前より強引だな。何とも頭の痛いことだが…」

「警備の訓練を早めます。地域ごとに警備団を置くように今手配していますが、もう少し時間がかかるでしょう」

「それまでは今まで通りってわけだ。…まだ、この町には自警団があるだけましか」

「ええ。ただ、今後このこともあります。ギルドとの話し合いは済ませておきましょう。その方が、貴方たちも動きやすいでしょう?」

「だな…とりあえず、チャリオットを呼んでくる」

「頼みます」






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