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蒲公英と冬狼  作者: 雨宮とうり(旧雨宮うり)
一部  恩返し
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8



日差しの良い昼下がり。

季節はまだ冬と言っていいはずなのに、陽気は春めいて暖かい。

「ここは玄関であって、座る場所ではありませんよ」

「ほぇ…わわっ。あ、ごめんなさい」

唐突に響いた声に、手を滑らせ落としそうになる本を慌てて受け止めるという一人ドタバタ劇を繰り広げたリュクレスは、しっかりと本を抱きしめると、恐る恐る上を見上げた。そこには逆光でもその剣呑さを隠しきれないソルが仁王立ちしている。

急いで立ち上がろうとするリュクレスに手を貸し、ソルは深いため息をついた。

「日光浴がしたいなら、言ってくださればいい。…少し待っていてください」

恐縮して小さくなる少女に、そう言い置いて青年は何処かへ行ってしまう。

屋敷に来てそろそろ半月になろうか、彼女を取り巻く環境は大して何の変化もしていなかった。屋敷の中にはリュクレスとソルの二人だけ。ソルは使用人の様に甲斐甲斐しく世話を焼き、リュクレスには何もさせようとしない。

「これも必要なことですから、大人しくしててください」と言われてしまえば、「でも」も、「だって」も言えなくなる。

それでもこの期間、それなりに忙しい時間を過ごしていたのだ。

ソルから今回の暗殺計画に関する状況的な情報を聞いたり、王を取り巻く臣下たちの立ち位置、貴族の名前や関連など、必要のありそうなことを学んだり、出来ればごはんの支度を手伝わせてくださいとお願いしてみたり、掃除を手伝おうとして転んで怒られたり……

じっとしているのは性に合わないのに、「今日はゆっくりしてください」とソルから休暇を言い渡されてしまった。もっと忙しくしているソルに休暇を勧められるのはなかなか受け入れにくいものの、率直に「邪魔です」と言われてしまえば、すごすごと引き下がるしかない。比較的暖かく、陽射しも良かったから外で読書をしていたのだが、どうやら場所がいけなかったらしい。屋敷の玄関外のエントランス階段に腰かけていたのだが、そうか、すみっこでもいけなかったのか。

残念そうに、でも、反省はする。

立ったまま、庭園へと視線を流す。

…玄関はとても綺麗に庭が見渡せるのだ。

2階よりも、草花と同じ目線だからこそ見通せるものもある。

2匹の白い雪蝶が、花と花をひらひらと、飛び交う。

葉の上には雪の残滓。

今日は暖かいから、きっと雪は全て溶けてしまうだろう。

雪解けの雫が草花を濡らし、太陽の光にきらきらと輝いていた。

屋敷は平和そのものだ。

暗殺だの囮だのと言われて、初めのうちは眠る事さえなかなかできなかったのに。

「こういうことには案外時間がかかるものですよ。あんまり過敏になっていてもと疲れるだけです」

投げやりにソルに言われ、確かに緊張していようがいまいが自分に何かどうこう出来るわけではないことに思い至る。

そんな感じに、ソルの力の抜き加減は、まだ慣れない生活の中において、いつの間にかリュクレスの緊張を取り除いてくれていた。

「リュクレス様、こちらにどうぞ」

ぼんやりとしている間に、ソルは戻ってきたようだった。振り返ると、そこには小さなテーブルと椅子が準備され、可愛らしい日よけ傘が立てられていた。ご丁寧にも、椅子の上には防寒のためのひざ掛けまで用意されている。

「直射日光の下での読書は、目に悪いですから。さあ、こちらでどうぞ」

差しのべられた手を見て、感嘆する。

「ソル様って…すごいなぁ」

「は?」

「だって、さり気ない気遣いとか、こういうものの準備とか、食事とかなんでもさらっとやってくれてるから。…師匠と呼びたいくらいです」

「やめてください」

「…やっぱりだめか」

「本気だったんですか?」

「もちろんです。ただ、嫌がりそうなのも何となくわかってたので…」

「はあ…」

「でも、憧れているのは本当ですよ。ソル様みたいになりたいです」

「やめてください!私の様になりたいなどと…」

本当にそう思っているリュクレスに柔和な笑みに、ソルの表情は硬化し、今までになくきつい口調で言葉を返した。

はっとして、ソルは顔を背けた。そこには、罪悪感を隠しきれない苦渋が滲む。

裏稼業ばかりしていたソルにとって、刷り込みされたひよこのようなこの純粋な信頼は、面はゆいどころか、恐怖に近い。

それを裏切り、彼女を見捨てることさえ容易くやってのけることを、自分が誰よりもよく知っているからだ。

人の感情を見抜くことが上手いこの子が、そんな黒い思いを知らないはずないのに。

「えっと、ソル様は最初から今までずっと優しかったですよ?」

どうして、そんなことを言うのか。

偽りを言っているわけでも、そう信じたいと盲目的に思っているわけもでもない。

彼女にとって、それは事実なのだろう。

瞳が揺るがないことが、何とも歯がゆい。

「貴女に優しくしようと思ってしているわけではありません。私は、命じられたことをしているだけです。貴女を殺せと言われればそうするし、見捨てろと言われれば躊躇わず見捨てることでしょう」

「…それは、そう命じられるからすることであって、ソル様が冷たいわけではないと思います。先ほど、命じられたと言われたけど、私に優しくしなさいなんて命令受けていないですよね?でも、ソル様は優しくしてくれました。今も、こんなの絶対命令じゃない。私に中に入って大人しくしてなさいと言えばいいことなんだから。でも、そうせずに私の願いを聞いてくれた。……ソル様は優しいです。だって」

「…だって、なんなんです…?」

「だって、ソル様って優しくしようと思っていないのに優しいんだもの。それって凄いですよね?」

優しくしようとして優しくするのではない。ただ行う行動の端々に優しさが見え隠れするのだから、どうして、尊敬せずにいられよう?

たった数日、されど数日。一緒に居れば相手のこともそれなりに見えるものだから。

子供のような満面の笑みに、ソルは言葉をなくした。


…全開の笑顔に押し負けた。


今までにないほど、深く、深くため息を吐くと、ソルはその場にしゃがみ込み頭を抱えた。

その耳が、僅かに赤く染まっているのをみて、リュクレスは思わず喜びの声を上げそうになった。必死にこらえたのは、きっと気が付かれているとソルが知ったなら、今まで以上に他人行儀な態度になりそうだと思ったからだ。

「…命令があれば、本当に私は貴女を助けませんよ」

「わかってます。それで、いいですよ。今ここに、こうやってソル様が居てくれるだけで、全然。私には十分です」

「他意もなく、口説き落とそうとしないでください…」

余りに小さな囁きは、リュクレスには届かない。

「え?」

聞き返す少女に、「何でもありません」と返して、ようやく顔を上げる。

先ほどとは逆に手を差し伸べるリュクレスの手を取って立ち上がった。

うっすら口元に笑みを浮かべ、ソルの表情は今までになく穏やかだ。

彼女の大らかさに少し甘えて開き直ることにする。

「貴女には負けますよ。…ほら、せっかく準備したのですから、あちらへどうぞ」

彼女が気遣いだといった、傘の下。

少し残る照れを短い髪をかき回すことで誤魔化して、繋いだままののリュクレスの手を引く。用意した椅子に腰かけさせると、毛糸で編まれた柔らかい織物を広げて膝に掛けてやる。


「…午後には、主人が来ますから。それまでは、ゆっくりしていてください」

ソルの主と言えば、ヴィルヘルムの事だ。彼の本当の役職が、冬狼将軍の従者であることはリュクレスも聞いていた。

ソルの至れり尽くせりな対応に、恥ずかしそうに顔を赤く染めながらリュクレスは礼を言うと、傍に立つ彼を見上げて、首を傾げた。

「将軍様、来るんですか?」

屋敷に来た日以降、リュクレスはヴィルヘルムとは顔を合わせていない。

彼の姿を思い出すと、リュクレスの心臓はきゅうと締め付けられる。

剣を向けられた恐怖なのか、あの温度の変わる灰色の瞳のせいか、それとも尊敬する人を目の前にする緊張なのか、自分自身にも分からないけれど。

無意識に身体を小さくするように、本を抱きしめる。

少女の緊張に気がつきながらも何も言わず、ソルは頷いた。

「明後日には、城からこの屋敷に使用人と護衛が来ます。本格的に計画が動き出すので、その話をしに来られるのでしょう。これからは、大勢の人に囲まれます。こんな風に落ち着いて外でゆっくりすることは難しいかもしれません」

これからが本番であると、リュクレスは気負うように背を伸ばす。

生真面目な少女のその姿勢は好ましいものの、いいように使っている事実を知っているから、我慢やこれ以上努力を求めるのは可哀相にも思えてしまう。

彼女は鳥籠の鳥だ。

それも、その籠は大きな蛇の前にこれ見よがしに置かれている。

鍵を開けて逃がすことが出来るのに、ソルはそれが出来ない自分を知っている。


逃がしてやることは出来ない。


けれど、守ることくらいなら、不器用な自分にも出来るような気がした。





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