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「ここで仕事はしないと言っておいたはずだがな」

いつもよりも明らかに冷ややかな声で応じられて、男の背中に嫌な汗が流れた。

直立不動で敬礼をしたまま、冬狼将軍の容赦ない冷たい吹雪に身が凍り付きそうだ。

見た目実業家のような格好のヴィルヘルムに合わせ、騎士が身につけているものは平民の普段着である。

だが、室内の冷然とした雰囲気はあまりに殺伐として、さながら戦場のようだった。

折角の休暇に水を差された結果になり、将軍の機嫌は今までにないほど悪い。

…うわー、戦場のほうがましかも。

戦場であれば、将軍のその目は、自分ではなく敵を睨みつけてくれるから。

口元に笑みを浮かべる割に、彼の眼鏡越しの瞳は全然笑っておらず、ひえ冷えとしており…横たわる沈黙に男は降参したくなった。

まさに針のむしろとはこのことである。

「そ、それは…」

文句でしたら副官に言ってくださいと、喉元まで出かけている。だが、それを口にするのは、墓穴を掘るようなもの。

賢明な彼は無言を貫いた。

沈黙は金というが、ヴィルヘルムにとって今の沈黙は無駄な時間でしかなかったらしい。

わざとらしいほど大きなため息をついて、ソファに腰掛けたまま足を組む。

「それで?」

ようやく仕事の話を聞く気になってくれたらしい将軍に、騎士は素早い動きで資料を提示する。

ざっと流れるように文字を追う灰色の目が、不意に厳しい色を浮かべた。

「名無しの残党か」

「はい。本拠地を制圧したので、大多数は解体しましたが、一部まだ徒党を組んで活動しています。小集団化した分追うのが難しくなっていまして…えーっと、詳しい情報はまだ少ないですけど、小集団の中でやる事が愚劣な集団が二つほど、アズラエン領内で活動していることは確かです」

「具体的には?」

「強盗略奪、陵辱、人攫い、虐殺、放火…名無しが全般にやっていたことを全部やっている集団がひとつ、もう一つの集団は誘拐が主ですね。返す気もないのに家族から身代金まで巻き上げているようで…通報がある頃には相手はドロン。さらわれた者たちは奴隷商人に引き渡されて行方知れず、です」

「国内での市場は凍結状態なはずだな?」

「はい。ですが、周辺国への市場となると、こちらからは手の出しようがないですよ」

「この国の国民が売り買いされているんだ。手が出せないなど言わせん。国の外に連れ出されたら助けもせずに、尻尾を巻くのか?この国の騎士が」

将軍の言葉に、男は言葉なく、ただ、場違いなほど明確に口元に笑みを浮かべた。

「どこにいようとも、助けたいなら、助けると言え。そのためにどうするか考えろ」

「相変わらず、かっこいいー!」

全員を助け出せるわけではないし、助け出せるとも思っていない。けれど、諦めていたら一人も助け出せない。

将軍がそう言ったからには、それは成る。国外に売られた民を助けることができるかもしれない。

尊敬と高揚感に背筋が伸びる思いをしていながらも、男の反応は軽い。

呆れた顔で、ヴィルヘルムは報告書を男に放って返した。

「騎士団を分けて領内の巡回を増やす。詳細はベルンハルトに任せる。ロヴァルも暴れたいなら参加を許すと伝えておけ。名無しの被害を抑えることを優先しろ。

それから…今回の件を報告してきた部隊はまだ、奴隷商人たちの監視を継続しているのか?」

「はい」

「ならば、彼らにその奴隷商人の捕縛を命じろ。罪状は任せる。どうせいくらでもあるだろう。地元の役人は賄賂で動いている者が少なからずいるはずだ。彼らに邪魔されたくはない。中央だけで動け。いいな」

「はっ」

緊張感の薄い男は敬礼だけは完璧だ。

「細かい書類はベルンハルトに言え。逐次報告は上げても構わないが、常の業務を持ってくるなよ。私は休暇中なんだ」

「将軍…かわりましたねぇ。前は仕事が恋人だったのに」

「そんなものを恋人にした覚えはない」

「そうですか?にしても、なんだってこういう、絶対将軍が怒る時の伝令って、俺なんですかね?」

「打たれ強いからだろう。そもそもお前の仕事は伝令騎士じゃなかったか?」

「えー俺弱いのにー」

「思ってもいないことを口にするな」

「まぁ、副官的には俺、使いやすいんだろうけどさ?怒られても凹まないしー」

「フットワークも性格も軽い割に口は硬いからな。なんだ、伝令辞めたいなら、役職用意してやろうか」

「うわー、本気で寒いからやめてクダサイ」

脇道に脱線し始めた会話に重なるように、扉が叩かれた。

控えめで軽いノック音に開ける前から相手が知れる。

話を止め、ヴィルヘルムが扉を開くと、予想通り、そこにはリュクレスが遠慮がちに立って居た。

「あの、お仕事中すいません」

「いえ、どうしました?」

邪魔されるような内容はもう話していなかったから全然問題はないのだが、リュクレスが申し訳なさそうに謝るから、気にしなくていいと、先を促す。

「今から青空市場に行ってきていいですか?」

お願いは些細なものだった。だが、ヴィルヘルムは躊躇する。

「一人で?」

「はい。あ、すぐそこのですよ?ちょっと覗いて来るだけでも、…ダメですか?」

慌てたように付け加えたのはヴィルヘルムの表情が曇ったからだ。

「ですが…」

「わー、将軍過保護ー」

リュクレスの懇願に、それでも迷うようなそぶりを見せる彼の背後から、軽い口調で茶々を入れる部下に、ヴィルヘルムは思わず舌打ちをした。

軽薄そうなお調子者を冷たい眼光で一瞥する。

「うるさい、お前は黙ってろ」

珍しくぞんざいな話し方をするヴィルヘルムと、気の抜けたようかのんびりとした声の主にリュクレスは呆気にとられた。

ヴィルヘルムを見て、それから奥に目を移す。

そこに立つのはヴィルヘルムと同世代の気軽い感じの青年だ。褐色の髪に青い瞳が人懐っこい。人好きする笑みを向けられ、リュクレスもつられるように微笑んだ。

「うわー、可愛いなぁ。初めまして、俺はチャリオット・ハイナ。リオって呼んでねー。将軍のところの使いっぱしりしてます。よろしく?」

「リュクレスです、こちらこそよろしく…?」

彼の勢いに乗せられたように名を名乗り、近づいてきた彼が差し出す手に、リュクレスは同じように伸ばす。だが、その手は手首を捉えられ、やんわりとヴィルヘルムに止められる。

てっきり握手だと思ったのだが違ったのかと、リュクレスは戸惑いを浮かべて、掴まれた手を見てからヴィルヘルムを見上げた。

「あ、もしかして、握手じゃなかったんですか?」

膝を折る礼をヴィルヘルムに咎められたこともあり、貴族社会においての挨拶が、リュクレスにはどれが正しいのか、よくわからない。不安げにそう返せば、チャリオットが堪えきれず爆笑した。

「…そういうわけではありません。ただ、彼には不要です」

「でも、私、挨拶って誰に対しても必要なことだと思うんですが…」

真面目に答えるリュクレスに、ヴィルヘルムは困った顔をする。チャリオットは更に笑いを誘われて、腹が痛いと言いながらひーひー笑った。いつもであれば、将軍に笑顔で剣を抜かれているところだろうけれど、リュクレスがいる限りその心配はなさそうだから、遠慮なく笑っているのだ。

「…私以外に、安易に触れて欲しくはないのですけど。これは私が譲るべきなのでしょうね」

深々と溜息を漏らす将軍は、結局リュクレスの気持ちを汲んで手を離し、握手を許した。

「将軍嫉妬深いなー」

涙を流しながら笑い続ける男を忌々しそうに眺めながらも、リュクレスにはいつもどおり、優しいヴィルヘルムが困ったように笑いかける。

「もう少し待っていて下されば、話も終わりますから」

だが、リュクレスは首を振って、ヴィルヘルムを見つめた。

仕事の内容はわからなくても、ヴィルヘルムたちの纏う空気に、それほど簡単に片付く問題ではないと気づいたからだ。

「やり途中で放り出すのは気持ち悪いですよね。だから、私のことは気にせずに、最後までちゃんとお仕事終わらせてください。市場まではいきません。そこの、公園くらいなら行ってきてもいいですか?」

リュクレスらしい譲歩だ。外出を諦めるといえば、ヴィルヘルムは是が非でも仕事を終わらせてリュクレスに付き合うと見越して、ここからでも目が届く公園を選んだのだろう。

離宮から連れ出しても、相変わらず縛り付けている自分に気がついてヴィルヘルムはため息を漏らした。手持ち無沙汰だろうに文句も言わない恋人に申し訳なさが募る。

それでも、彼女が笑っているから。

「ええ、構いませんよ。折角の休みなのにすみません」

「ふふ、なんだか可笑しいですね。お仕事されているのはヴィルヘルム様なのに。私こそ、お仕事しているヴィルヘルム様をおいて日向ぼっこですよ?ごめんなさい、ですね?」

そう言って、ふわんと笑う。彼女の中に不平がないことは明らかだ。

「じゃあ、行ってきます。あまり懇を詰めすぎないでくださいね」

「ええ、行ってらっしゃい。…外でお昼寝しないでくださいね?」

「しません!」

くすりと小さく笑ってヴィルヘルムはリュクレスを見送る。少し顔を赤くした娘は頬を膨らませて怒ったふりをするけれど、すぐに笑顔になりペコリと頭を下げた。

「ヴィルヘルム様、チャリオット様、お仕事頑張ってください」

明るい笑顔を残して、扉を閉める。

残り香のように、柔らかな空気がそこに留まる。

チャリオットは堪えきれずに、感嘆の声を漏らした。

「うわー、あれはくるなぁ」

まるでお花畑の長閑さだ。

「うるさい。だからお前には見せたくなかったんだ」

「さっきまでの口調はどこいったー。俺んときだけなんでそんなに態度雑なのさ」

ヴィルヘルムは改めて男を見る。彼と知り合ったのは10年前、ソルと出会って間もない頃だったろうか。

ソルは従属を誓った。男は従うのではなく、ヴィルヘルムに協力を申し出た。

彼は将軍に、この国に縛られず、自由だ。

だから、将軍としてではなく、素に近いヴィルヘルムが出てくるのだろう。

どちらにしても彼にとってはどちらでもいいことだ。

だから、何故と聞かれれば、「お前だから」と答えるしかない。

「…ほら、とっとと仕事するぞ」

「へーい」

適当な返事をする割に、彼は誠実で、思いもかけず有能だから。





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