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幕間   -侍女の場合-



「トニアさんが離宮に戻るんですって」

「それ本当?!」

聞こえてきた内緒話に、レシティアは思わず強引に割り込んだ。




レシティアは子爵の娘だった。だが、幼くして両親を亡くし、伯母の元で育った。10歳の時奉公に出て、6年とある伯爵家に遣え、そこで王宮で働く推薦状をもらった。王宮に来てそろそろ3年になる。侍女の仕事は食べるものや服には困らない。休みもちゃんともらえるありがたい仕事だ。だが反面、常に人間相手だから、仕える主人の我儘にほとほと疲れてしまうことがある。同じ侍女同士でも、気心の知れる友人を作る機会には恵まれなかった。さっぱりした性格のレシティアとは相容れない性格の女性がどうしても多かったから。

王宮にきて、ようやく甘えさせてくれる優しい同僚にも恵まれたけれど、仕える相手や働く環境にこれといった感情を持ったことは今まで一度たりともなかった。

そのなかで、今までになく鮮やかで優しい時間が流れていた、黒い森の離宮。

優しい時間は唐突に終わってしまった。




離宮が襲撃されて1週間が経つ。

騎士たちに守られて屋敷から避難してきた者の中に欠けていた人物。

リュクレス・ルウェリントン嬢、そして、侍女マリアネラ。

王の幼い愛妾。…だと思っていたのだけれど。

戻ってきた王城の中で、騎士から聞かされたのは、あの少女が囮役だったということ、そしてマリアネラが裏切り者だったということ。

誘拐されたことはわかっていた。だって、彼女だけがいないのだ。突然の襲撃と、王の弱点となるかもしれない女性の不在、人質として連れ去られたのだと、考えれば馬鹿でもわかる。

だが、それが初めからの予定調和?

そんなことがあり得るの?

あの娘は怯えた姿も見せず、話しかけられない距離で、それでもいつも穏やかに笑っていたのに?

曇ることのない瞳は真っ直ぐにレシティアを捉えて、ふわり花のように笑っていたのだ。

話しかけられないもどかしさ、近づけなかったあの少女がどんな娘だったのか。

直接触れ合えなくてさえも、彼女が齎したものは胸の中で綺麗な音を立てる。

トニアが離宮に戻されたということは、レシティアにも声が掛かるだろう。それを待っていればいいことだと頭ではわかっていた。

それでも、待つことができない。

急き立てられるかのように、外郭の将軍の元へ向かう。

こんな侍女一人に時間を割いてくれるはずがないとか、恐怖の対象であるとかそんなことは完全に頭から抜けていた。

ただ、頭の中に浮かぶのは庭園から花を抱えて無邪気に笑うリュクレスの笑顔。

彼女が戻ってきているならば、あの子の傍へ行きたいと思う。

意気込んで現れた侍女を、ヴィルヘルムは穏やかそうな笑みを浮かべて招き入れた。

レシティアはそんな表情ならば、無表情の方がずっとマシだと思う。

いつもよりも明らかに、将軍のそれは作り笑顔だ。

「どうしました?」

「また、離宮に使用人を集めていると聞きました。…リュクレス様が戻ってきているんですか?」

「…さて」

…なにが、さて、だ。

頭に血を登らせてもどうにもならないとはわかっている。

(なんでそんなに余裕なのよ、将軍)

貴方にとっては囮役の娘など唯の道具でしかないのか。

居た堪れない思いに、カッとしてレシティアは将軍を睨みつけた。

「貴方にとって、彼女は道具でしかないのかもしれません。でも。私たちまで同じだと思わないでください!」

この国の重鎮であることも、相手が軍人で簡単に女のひとりやふたり放り出すことなど造作もないのだと、この時には忘れていた。

話したかったのだ。あの優しい娘と。

怪我はしていないか、無事なのか。とても心配していたのに。

さて、だなんて。あんまりだ。

将軍は、大きなオーク材の執務机に肘をついて、正面に立つレシティアを観察しているようだった。どれだけこちらが感情を荒げても、彼の前ではその熱すら凍えてしまう。

悔しい思いに、ぎりっと奥歯を噛み締める。

彼はひどく冷静に、言葉を返した。

「貴女は彼女との関わりは薄いはずだ。なぜ彼女を気にする?」

屋敷の中で接触を禁じていた男がそう宣う。

訝しむような声音に、将軍にも感情があったのかと遠いところでそう思った。

だが、それよりも言わなければいけないことがある。

「私の目は節穴ではありません。耳だって付いてるし、この頭もただ乗っけられているわけじゃないんです」

この二つの目で見て、耳で聞いて、この頭で考えることができる。

話しかけてはいけない。話をしても良い使用人は、マリアネラと家令と料理長のみ。

彼女はそのルールの中で、決して使用人を無視はしなかった。

どんな時でも、笑いかけて挨拶をしてくれた。

ささやかに準備した花瓶の花に気がついて、声もなくありがとうと感謝を伝えてきた。

「食事だって、あんなの使用人の食事じゃないです」

アルバは言わないがあんな手の込んだ料理、普通は使用人が食べるものじゃない。

それに食事の時間も。猫よりも少ないと家令に言わしめるリュクレスの食事の量からして、食べるのにそんなに時間がかかるはずもない。

けれど、リュクレスの食事の時間は使用人たちも食事をしていて良いというルールにあわせて、ゆっくりと彼らが食事を取る時間を作ってくれている。

「それに、リュクレス様が摘んでいたものが、自分たちの食事の材料になっていることくらい、しばらく食べていれば気がつきます」

調子の悪い使用人が、自己申告などするはずもないのに、何故か休めと言われる。

騎士の一人などは結婚記念日に急遽休みをもらえたそうだ。

ここまできて気がつかないはずがない。

王宮ではありえず、この離宮でだけされる気遣いの数々は、あの子供のような娘によるものだと皆気がついている。

彼女の笑顔は、いつの間にか使用人たちにとっても癒しになっていた。

「今まで働いていて、大切にされているって思ったのは、これが初めてです」

彼女が貴族でなかろうとも、彼女はあの屋敷の主人だった。

とても優しい、令嬢だった。

「だから彼女が戻ってくるのであれば、私たちは喜んで離宮で働きたいと思います」

リュクレスのために精一杯、働きたいと思う。

囮役という不安の中でそれを表に出さず、周囲を気遣うこと。

それは平民であろうと、貴族であろうと関係なく、難しい。

「離宮はとても優しいところでした。その優しさは、リュクレス様が作った雰囲気ものです」

傷ついているのなら今度は自分たちが、彼女を癒せるような空間を作りたい。


「また、あの笑顔がみたいんです」


なによりも、…ただ、それだけなのだ。


「君はソルみたいだな」

「え?」

急に聞きなれない名前が出てきて戸惑う。…よくよく考えれば、家令の名前だ。

彼は初めて表情を表した。作り物でないささやかなそれは、苦笑と呼ぶのが一番近いだろう。

「…では、彼女をよろしくお願いします」

細かな説明は何もなかった。

ただ、その一声で、レシティアは離宮へ戻ることが決まった。






レシティアは初めて将軍を見たとき、見惚れるよりも怖いと思った。けれど、リュクレスの側にいる彼は怖くないのだ。

何人かの主人に仕えてきたが、誰よりもリュクレスは可愛らしく、優しく、そして強い。囮役を自ら買って出たと聞かされた時から、見捨てられる可能性を知りつつ、柔らかく微笑んでいた彼女を知るからこそ。

近づけるようになった今、レシティアはリュクレスを尊敬し、そして大切に思う。

そしてあの凍える冬狼将軍を懐柔してしまった彼女のためならば、レシティアは思いのほか強くなれる気がするのだ。

人を客観的にしか見ないあの男が、女性に甘えるなんて想像だにしてなかったけれど。だが、レシティアも今までどんな主人に仕えようとも素の自分を出したことなんてなかった。自分も今の主人に甘えているのだと、しみじみと実感する。


本当に好きなのだろう、将軍の準備するものは悔しいけれど、本当にリュクレスによく似合う。

センスが良く、品がよくデザインも素晴らしいものを選んでくる。

流行ばかりを追うわけでなく、けれど先鋭的なものだったりするから、彼の目は素晴らしく確かなのだ。

しかし。新しいドレスが贈られるたびに戦々恐々としているリュクレスを、愛を囁くふりをしてわざと追い詰める男に、レシティアはため息をついた。

「将軍、あまりリュクレス様をいじめないでください」

「いじめていますか?」

「…甘えすぎですよ」

「わかってはいますが、…甘やかしてくれるから、つい」

誰が惚気ろといった、この…!

最近城に上がる前の性格に明らかに戻ってきている気がする。だが、リュクレスをヴィルヘルムの魔の手から守ると決めたのだ。ここは譲れない。

「リュクレス様を…泣かせなければ、いいです。でも」

「でも?」

「泣かせたら、ソル様もアルバさんトニアさんも皆して将軍を泣かせますからね」

きっと怖い顔をする侍女に対し、苛立たしいほどに将軍は余裕の表情を崩さない。

「おや、怖いな。どうするんですか」

全く怖がってもいないくせにそんなことを言うから、今に見ていろという気分で対将軍用のカードを切る。

「リュクレス様を取り上げます」

「…それは」

「泣くでしょう?」

どうだとふんぞり返ってみれば、将軍がめずらしくきょとんとした顔でレシティアを見つめた。それから、少しして苦笑する。


なんだ、今の間は。


「はは、確かに泣きそうです。とびきり辛い罰だね」

「!」

けれど、そのあとの言葉がレシティアの期待通りの言葉だったから、過った疑問は鬼の首を取ったかのごとき勢いにかき消えてしまう。意気揚々と泣かさないという言葉の言質を取ろうとして、だが、彼の思わせぶりな笑みに、たじろいだ。


「でも、泣かせないでは無理です。ああ、場所を除外してください」


嫌な予感。

でも聞かずにはいられない。

「…場所?」

「ええ。ベッドの中では啼かせてしまいますから」

にこりと、淫蕩な笑みを浮かべる男に、レシティアは思わず持っていた雑巾を投げつけた。

信じられないっ!

「この…エロオヤジッ」

そう言っていきり立って去っていく侍女を、ヴィルヘルムは笑いを堪えて見送っていた。







チェルニに向かう前日。

衣装選びに奮闘するレシティアとトニアに向かって、リュクレスはほんのりと微笑んだ。

「…もし、本当に、ヴィルヘルム様を甘やかせているなら、嬉しいです」

その言葉に。

無自覚なのだろう、あの柔らかい微笑みは抱きしめてしまいたいほど愛おしいものだった。

それは、将軍を大好きなのだと、誤解のしようのないほど真っ直ぐな想い。

恋をしている女の子はとても可愛い。

純真で可愛らしい主人リュクレスは実を言えばなんでも似合う。

女性から見ても羨ましく思える程の綺麗な滑らかな肌、多彩な感情に煌く藍緑の瞳は宝石よりもずっと綺麗だ。

整った顔立ちにはまり込む、大きなその瞳を潤ませて見上げられたなら、男性なんてイチコロだろう。

本人の自己評価が何故か低いから、そんなことはないのだと知らせてあげたい。

だから、冬狼将軍がリュクレス様に本気で見蕩れるくらい、可愛くしてやる。あの作り物の笑顔を壊してやろうじゃないか。

そうしたら、きっとリュクレスも自信が持てるんじゃないかと思う。

見てなさい、将軍。

レシティアは使命感というか、本来の負けず嫌いからかもしれないが、とにかく燃えていた。

それはもう、メラメラと。

だから。

その煽りがリュクレスに向かうことを、すっかり忘れていたのだ。


…後悔先に立たず。


今日も侍女と将軍との熱い戦いは続くのであった。






離宮の使用人達が、リュクレスに優しかった理由。

何気ない行動が、誰かの原動力となることもあるのではないかと思うのです。


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