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箱をリュクレスに渡しながら、ヴィルヘルムはゆっくりと歩き出す。リュクレスのとても遅い歩みに合わせるから、彼は立ち止まって見守っていることも多い。
少しだけヴィルヘルムとの距離が空いたのを狙うように、正面からやってきたひとりの女性がすれ違いざま肩を当て囁いた。
「可哀想に、子供の面倒を見させられるには、彼はいい男すぎるわ」
態とリュクレスに聞かせるように囁かれた言葉が、ざっくりと胸に刺さる。
人ごみにも埋もれることのない存在感。ヴィルヘルムに、熱い視線が注がれていることに、リュクレスだって気がついていた。
眉目秀麗で、知的なその風貌だけでなく、スラリと引き締まった体躯、綺麗な姿勢で立つその姿は女性には魅力的に映るだろう。
声を潜めリュクレスを見やる目は、同情や憐憫、嫉妬と複雑なものだ。
女性として彼の隣に似合うかと言われれば、リュクレスは自信を持って頷くなど絶対にできない。
ヴィルヘルムが不釣合いなリュクレスを連れ歩くことに、なんだか申し訳ない気持ちになった。
押された拍子にふらついた身体は、ヴィルヘルムが心配そうな顔で支えてくれるから。
本当に、情けない。
周りの言葉に、うろうろする気持ちがまるで、ヴィルヘルムを信じていないようで。
違う。自分に自信がないだけだ。
ヴィルヘルムの隣に見栄え良く飾ることができたのなら、ヴィルヘルムが可哀想なんて言われなくて済むのだろうか。
周りから見たら、彼は可哀想に映るということが、一番リュクレスの心を落ち込ませる。
「ヴィ…えっと、ジオ様。さっきのお店に少しだけ戻ってもいいですか?」
ジオは、セレジオの愛称だ。旅行中は身分がばれない様に二人は名前を偽っていた。偽るといっても、ヴィルヘルムの場合、セレジオというセカンドネームを使うだけだから、リュクレスにも抵抗はなかった。ただ、言い慣れないのはご愛嬌だろう。
ヴィルヘルムはリュクレスをそのまま、リュシーと呼ぶ。
「構いませんが…なにか気になるものがありましたか?」
「えっと、ま、まあ。ジ、ジオ様はここで待っていてくださいねっ」
ちょっとだけ、自信を貰いに行ってきます。なんて言えなくて、リュクレスは言葉を濁して木組みのお店に戻った。
「おや。どうしたね?」
少しだけ思いつめたような顔をして戻ってきた娘を、店主の女、エルナは心配そうに見た。
さっきはあんなに幸せそうだったのに。
可憐な顔は、笑っていたほうが似合う。
不安そうなその表情のまま、どこか話し辛そうにしていた少女は、覚悟を決めたように口を開いた。
「あ、あの。私、あの方の、こ、恋人に見えますか?」
その言葉に、店主は、ぽかんと口を開けた。
だが、少女の顔は至って真剣だ。
確かに、連れの男はいい男だった。
少し幼く見える少女といると少々、犯罪…いや、やめておこう。
「あんたら恋人なんだろう?」
そう尋ねれば、彼女はなんの躊躇いもなく肯定する。その思いに疑問がないのであれば、少女に足りないのは自信か。
「子供と大人に見えて、ジオ様は私の保護者みたいですか…?」
店主は首をかしげた。彼らが店先に訪れたとき、そんな風に思っただろうか?
答えは、否だ。
「いや、そんなことはないよ。初々しい恋人同士にちゃんと見えるから安心しな。お似合いの二人だよ。」
二人共お互いを愛おしそうに見つめていて、どう見ても幸せな恋人同士だった。持ち上げているわけではなく、エルナから見た客観的な事実だ。
「なんだってまたそんなことを気にしたんだい?ほら、お姉さんに言ってごらん」
あまりに身近でなく、けれど悪い人ではなさそうだ。
そんな距離感だからこそ、反対に相談しやすいことがあるのだと、エルナも知っている。もとより世話好きの女は、気持ち的にはすでに可愛らしい娘の味方になっていた。
「さっき、子供の世話は可哀想って言われたんです。私が子供にしか見えないから、ヴィルヘルム様は可哀想に見えるのかな。もう少し大人っぽかったら…」
そんなことはないだろう。確かに幼げだが、そこにいるのは魅力的な娘だ。口さがない娘たちにも、二人は恋人同士に見えているに違いない。だからこそ、わざわざ、子供だなんて言葉を投げつける。本当にそう思っていたならば、彼女を無視しアプローチをしていたはず。つまりは、どう見ても悔し紛れの捨て台詞だ。
「あの紳士、あんたの隣で幸せそうだったよ」
だから、そんな言葉に惑わされる必要はないよと、口には出さず微笑みかける。
「幸せそう…」
少女は女性の店主の言葉を繰り返してから、ドキっとするほどに柔らかな笑みを浮かべた。
その笑みはどこか胸に迫る。
「ありがとうございます。…立ち直りました。ジオ様が幸せそうに見えるなら、私もう気にしません。」
嬉しそうな少女の微笑みに、店主もつられて笑いだす。
恋人だとふたりを見ていれば明らかだ。
いや、男を見ていれば誤解のしようもない。
保護者だなんて思うわけがない、男の眼差しは決して優しく見守る兄の目ではない。
愛おしい恋人を見つめる、情熱的なその瞳。
愛の町と言われるこの町の住人が、その意味を間違えるわけがない。




