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蒲公英と冬狼  作者: 雨宮とうり(旧雨宮うり)
一部  恩返し
7/242

6

コンコンと軽快なノック音にリュクレスは顔を上げた。

かなり本に集中していたらしい。音のした方を見れば、見知らぬ男性が扉に凭れかかり、こちらを見ていた。

とても恰好のいい人だなと、初め単純な感想を抱く。

眼鏡に隠された切れ長の眼、すっきりととおった鼻筋、男の人への感想ではないかもしれないがとても綺麗な人だ。けれど女性の様な柔らかさはなく、精悍さを伴った風貌をしていた。

今入ってきた風ではなく、気が付かないリュクレスに内側からノックして知らせたのだろう。近づいて話しかけなかったのは驚かせないようにとの気遣いだろうか?

「ようやく気が付いてくれたみたいですね」

柔らかい口調で話す、その声は耳に優しい低い声。

黒に見えていた髪が紺青色だと気が付くと、リュクレスは慌てて本を閉じ、椅子から降りた。その場で両膝を突き、首を下げる。

その行動に、男が僅かに眉を顰めたことを、下を向いている娘は気付かない。

「君がリュクレス・ルウェリントン?」

「は、はい」

思い出の中の彼は戦士だった。将軍として、剣を振るい烈火のごとく瞳を輝かせて。

煤けた煙の棚引く中、肉の焼ける匂い、血の匂い、悲鳴、嘆きの声。

怒声、剣戟の音。馬の嘶き。

荒々しいその世界で彼の声冷静な声だけが、声高でないのに誰のものよりも響き渡る。

「打ち払え。街を守るぞ」

それに呼応する、兵の雄叫び。

「よく生き残ったな」

掛けられた言葉はただ一言。けれど、抱き上げた腕は、その身体は、甲冑で硬いだけのはずなのに、とても暖かく。

彼は言葉を違えず、あの街を、人を守ってくれた。

あれから7年。

「名乗らずともこちらこのことは知っているようですね」

目の前に居るその人はとても穏やかに話すのに。

口調とは裏腹にこちらを見る眼はとても冷たい。

眼鏡の硝子越しの観察するような眼差しに、無意識に怯え、胸の前で組んだ手は小刻みに震えていた。

道具を見るような眼差しには…慣れている。

だが、彼の齎す、斬る様な威圧感は、過去に振り下ろされた剣の切っ先を思い出させ、…身体が竦む。

会えたならば、初めにお礼を言いたいと願っていた。

けれど、…声が出ない。

彼の眼差しに、男が自分に何も望んでいないことを、聡い娘は理解してしまった。

リュクレス自身の言葉も、思いも、感情も感謝も、人格丸ごと彼にはどちらでもよい。

彼が今知りたいのは、使える道具か否か。判じているのはそれだけだ。

ならば、リュクレスの言葉は彼には届かない。

直接会うことが出来る、お礼が言えると浮足立っていた心に重く沈み込む、落胆。

言うだけなら、伝えられる。けれど、そんなのはただの自己満足だ。

本当に感謝しているのだと…彼には伝わらない。それがとてももどかしく、悲しい。

…寂しさに、胸の痛みに、目頭が熱くなる。

潤む視界で、リュクレスはふと思い至る。

零れたのは涙ではなく、自嘲だった。

…勝手なのは自分のほうかもしれない。

すとんと、胸に落ちる肯定。

(自分の理想、自分の想像の英雄。…私が憧れていたのはそんな人だ。感謝すべき、冬狼将軍というその人を知ろうとしなかったのは、私だった)

リュクレスを観察する視線。多くの人々を助けた将軍が、その一人一人を覚えているはずもない。彼にとって初対面の娘なのだから、信用されてなくて当たり前。

見も知らぬ娘に親しげな態度を取るわけもなく、また捧げられた感謝をどう受け取ろうが、それこそ彼の勝手だろう。

笑顔で感謝を受け取ってもらえる、そんなの勝手な想像だ。

感謝を押し付けようとしていた自分が恥ずかしい。

…口にする前に気が付いてよかった。

感謝して自分が満足したいわけではなかった。

この感謝の想いを少しでも返したかった。

でも、彼は感謝の言葉など望んでいない。

ならば、彼が望む何かを叶える手伝いが、私に出来るだろうか。

そうして、言葉でなく、行動で、彼に感謝を返せるだろうか。

…その機会を今、幸運にも与えられているのかもしれない。

ソルは言ったではないか。

貴女は役に立つ、と。

リュクレスは改めて、覚悟を決める。手の震えは止まっていた。

「顔を上げて」

その声に顔を上げた。


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