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5


川縁の涼しさと、気分転換も功を奏したのだろう。

楽しそうなリュクレスはいつもより食事も進んだようだった。

途中、食事どころではなくなった、男の心情など知りようもないだろうが。

…もう少し若い頃であれば、感情に負けて確実に押し倒していたに違いない。

わざとではないだろうが、男心を分かっていない娘が少々恨めしい。

手ずから食べさせるなんて行為をしておいて、きょとんとした無邪気な顔には色めいた雰囲気は何処にもないのだから、なかなかに彼女は侮れない。

ただ、何をするのも嬉しそうな娘を見ていれば、そこに見守る幸せも見出してしまう。

「浅瀬だから、入っても構いませんよ」

水面のような瞳が水の中の魚をひどく羨ましそうに見つめているから、ヴィルヘルムは先んじてリュクレスにそう言った。

「ほんとですか?!」

リュクレスが、花を咲かせたように顔を輝かせる。

ヴィルヘルムが頷けば、リュクレスはいそいそと靴と、靴下を脱ぎ、川縁に座るとそっと素足を水に付けていた。

スカートの中から露わになった白い足首から脹脛ふくらはぎが眩しい。娘の溌剌とした笑顔とそのほっそりとした足の艶めかしさとの差に、ヴィルヘルムは自分の中の理性の脆さを笑った。

夏のドレスの布の薄さと腕や首周りの露出の多さは、リュクレスの体つきを遠目にも知らしめる。

ヴィルヘルムが作らせるドレスは露出の少ないものが多い。

余りにも彼女の成長が不安定すぎるからだ。

年齢相応の心に、ようやく身体も追いつこうと育ち始めたものの、まだ幼い。

実際のところ、女性として見るにはリュクレスは少し幼すぎるとヴィルヘルム自身も思っている。ヴィルヘルムが相手としてきたのは自分と同世代の女性ばかり、どれほど美しかろうとリュクレスと同世代の娘に魅力を感じることはない。

だが、リュクレスという人格が藍緑の瞳に感情を灯すと途端に、男の目にはその華奢な身体さえ、蠱惑的に映してしまう。光に集う虫のように惹かれてやまないこの愚かさに目隠しするためのドレスを選ぶ。

だがこの夏は、出来るだけ涼が取れるようなドレスをと、素材、デザインともに新たなものを準備させていた。

ここ半月で、リュクレスの身体がまた、じわじわと衰弱しているのに気付いたからだ。

にこにこと笑顔を絶やさず、今までと生活も行動も変わらない。

だが、食事は更に細くなり、弱った身体は、無理をしていてもどうしても動きを緩慢にさせる。

薬で弱っていた身体に、この夏の暑さは思わぬ打撃となった。

乗り切るだけの体力がまだ戻っていない。それでも、我慢強いリュクレスはその辛さを表には出さないから。

子供っぽさが薄らいだ分、スラリと伸びた手足、線の細い身体が、本当に消えてしまいそうなほど儚げに見えていると、本人だけが知らない。

けれど、今青い空の下、ご機嫌で水遊びに興じる娘に、陰りはない。

生き生きとした瑞々しい表情で、水の冷たさを楽しんでいる。

彼女の動きに合わせて、ヴィルヘルムも川辺に向かう。

リュクレスが川面に立ち、ヴィルヘルムに輝く笑顔を見せた。

「ヴィルヘルム様、冷たくて気持ちいいですよ」

揺れる水面、きらきらと光が乱反射して、リュクレスを照らす。

藍緑の瞳が、青い清流よりも美しく煌く。

ささやかな清風が、淡い黒髪を柔らかく攫う。

スカートをたくし上げた娘は、気持ちよさそうに川面を歩いた。


パシャリ


涼やかな水の音とともに、水飛沫をわざと立てて。

足元の魚とじゃれあうようにくるくると回る。

ゆっくりとした動作は、軽やかにスカートを揺らす。

明るい陽の光のもとで、リュクレスは陽気に踊る妖精のようだ。

楽しそうに、ステップを踏むような足取りに、ヴィルヘルムは手を差し伸べた。

「驚きました。君はダンスも踊れるのですね」

きょとんと瞬く眼差しは、彼の言葉に少しだけ恥ずかしそうに細められた。

踊っている自覚はなかったようだ。

「ほんの短いステップだけです」

「十分ですよ。とても優雅でした」

「…ありがとうございます」

手放しの賛辞に、リュクレスが気恥しげに笑う。

彼女には思いの外、活発な面がある。

もし、足の怪我がなければ、もっと活動的だったのだろうか。

「…そういえば、高いところも平気でしたね」

ヴィルヘルムの独り言は、声になって娘に届いた。

リュクレスがじっと、続きを待つように見つめるから、ヴィルヘルムはその手を取る。

「以前、木の上に君がいたとき、降りておいでと言ったことがあったでしょう?あのあと、ソルに呆れられまして。あの高さから、普通は女性に飛び降りさせたりしませんよってね」

確かに木登りは淑女のすることではないが、リュクレスが自分らしさを表に出し始めたことが嬉しくて、枝に止まる小鳥のような娘を、欲求の赴くままに、己の腕の中へ誘った。

考えてみれば、長身のヴィルヘルムが届かないほど高い位置にいたのだ。ソルの言葉はいたってまともである。

だが、目の前の娘は躊躇うことなくヴィルヘルムの腕の中に落ちてきた。

「馬も、初めてでも楽しんでいたようだし、君は意外に度胸がありますよね」

見た目は弱々しく、儚く見えるのに。

その実、中身は結構お転婆で、しなやかな心根は強い。

触れ合うことに慣れず、恥ずかしがるのに。

たどたどしいながらも、自分の想いを惜しみなく口にする。

飾らないその全てに、やはり男は魅了される。

「昔は、かけっこも早かったんですよ?運動神経そんなに悪くないんです。あまり、そうやって見られませんけど」

のほほんと笑う彼女の呑気さに、確かに颯爽と駆ける姿は想像しにくい。

だが、怪我を知らせない綺麗な歩き方や、今のステップを見れば確かにそれは事実なのだろう。

「怪我をしたことは、残念でしたか?」

出来ることができなくなることはリュクレスにとって、辛いことだったのだろうか。

そう問えば、彼女は笑って首を振った。

「怪我をして、歩けなかったからこそ得たものもいっぱいあります。救護院の仕事や薬草やポプリのレシピを覚えたりしたのは、外の畑仕事が出来なかったからですし。裁縫や編み物だって、怪我をしてから覚えたんです。…これも怪我の功名って言えるんじゃないかな?」

負け惜しみでも、痩せ我慢でもなく、リュクレスは朗らかに笑うから、その快活さにヴィルヘルムは、どこか救われる。

「前向きですねぇ」

「ただ、能天気なだけですよ?」

リュクレスはほんのりと柔らかな顔で、ヴィルヘルムに笑いかけた。





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