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蒲公英と冬狼  作者: 雨宮とうり(旧雨宮うり)
戀―いとし、いとしという心―
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17



「私から君を取り上げるものは、それが君自身であっても許さない」

怖がらせたくはない。

だが、手放すことなどできないから、逃がしてなどやらない。

「君が帰りたいと望もうとも、帰してやる気はない」

彼女を傷つけた引け目やその責任感で彼女を手元に置こうとしていたわけではない。そんな優しい感情じゃない。

「私が、君に優しくするのは、君の特別になりたいからだ」

彼女自身にヴィルヘルム自身を望んで欲しくて、熱を隠して優しくしていたのに。

それが、彼女に後ろめたい思いを感じさせる原因になるとは思ってもいなかった。


細い手首を捉える。


…逃がさないと、彼女に伝わるよう様に。

紳士の仮面などどこかに投げ捨てる。

「君への負い目なんかじゃない。優しくすれば君が私に恋してくれるのではないかと期待した」

魚心あれば水心、というやつだ。

怯えなのか、悲しみなのか、辛そうな顔で見上げる娘に、ヴィルヘルムの心も痛む。

そんな顔をさせたいわけじゃない。ルクレツィアの話をしていた時のように混じりっけのない笑顔がほしいと望むのに。

ヴィルヘルムにはそれを与えることが出来ない。

リュクレスが己の幸せにだけひどく疎いから。

ヴィルヘルムの求愛を、我慢や恩返しで受け止めて欲しくなかった。

だから、彼女の気持ちが追いつくまではと待とうと思っていた。


「先ほどの告白がどれほど私を喜ばせ、そして突き落としたか、君はわかっていますか?」

驚きは歓喜に、待ち望んでいた言葉に。

その言葉通りに受け取って良いのか狡い大人は、考えてしまっただけだ。

…やはりまだ、思慕なのかと、あの言葉にどれほど落胆したことか。

だが、彼女の瞳に映る己は恩人ではなく、ひとりの男だった。

それがヴィルヘルムの大人としての理性の箍を外させる。

リュクレスは誰かの為になら我を通すのに、自分のことにはひどく臆病だ。


リュクレスの頬に触れ、ヴィルヘルムは男の顔で微笑む。

今までになくたどたどしい触れ方に、リュクレスが睫毛を震わせて目を伏せた。

長い睫毛が頬に影を落とし、可愛いだけだった娘の無意識の媚態に。

ゾクリと背を這う甘い痺れに、ヴィルヘルムは吐息を漏らす。

リュクレスにその気がないとしても。

……それでは、誘っているのと変わらない。

「そんな顔をして…。もっと早くこうすればよかったのかもしれないな」

掴んだままの手を取り、その手のひらの上に口づけを落とす。

名残惜しげに唇を離し、伏せられた瞳を覗き込む。


「君が好きだ」


男の声は淀みなかった。

真摯な瞳がリュクレスを見つめる。

「君の心が欲しい」

落とされる。

リュクレスは、呆然として身じろぎすら出来ない。


俺を欲しいと君が望んでくれるなら。

それだけで俺は幸せを掴むことが出来る。

「俺の幸せは君がいれば成り立つんだ」

欲しいとあからさまな愛情を、情熱を注ぐのに。

「だが、君は?」

ヴィルヘルムは眉を顰めた。

「君が本当に幸せに微笑むことができるなら、全てを捧げても構わない」

なのに。

「君の幸せは?…教えてくれ。どうしたら、君を幸せにできる?」

戸惑いの混じる声で、男は言うから。

「私のこと子供だって、言ったじゃないですか…っ」

玉砕したはずのリュクレスより余程情熱的に彼の口から放たれる言葉に、彼女は戸惑い、拒絶する。

信じられない告白に、子供の様にいやいやと首を振るが、その動きに力はない。

だって、余りにも真摯な言葉は、嘘にも冗談にも聞こえない。

微笑む男の蜜のように甘い瞳が、リュクレスを捉えて雁字搦めにしていく。

「子供のようだと思いました。はじめはね。でも、君が私を甘やかすから。いつの間にか君を子供だとは思えなくなった」

「甘やかす…?」

思いがけない言葉に、リュクレスは困惑したように言葉を返す。

その戸惑いを理解していて、けれどヴィルヘルムに許す気はない。

「君が自覚していないのは知っているが、今更無自覚だと言われでも、俺はもう遠慮なんかしない」

男は、自分の魅力を知っていて艶然と微笑む。

とろりと、熱を孕んで瞳が蕩ける。その目は愛おしいと、その想いを隠さない。

「君がいけないんだ。大人は狡いものだとちゃんと忠告はしただろう?君が悪い。俺に無邪気に微笑みかけたりするから。甘やかして受け止めたりするからだ。もう逃がしてなんてやらない」

全てリュクレスのせいだと、酷く嬉しそうに責任転嫁をする男は子供っぽくさえある。

恋した男なんて、総じて愚かなものだ。

そんな風に笑うくせに、思わず見つめた灰色の瞳は真摯な色のままだから。

義務でなく。敬意や恩返しなどではなく。

「俺が君に恋したように、…俺に落ちてくれ。リュクレス」

ヴィルヘルムの言葉が偽りなく事実であるとリュクレスに知らしめる。

藍緑の瞳の中のゆらぎに気付き、ヴィルヘルムは我慢はきかなくなる。それでも。

「君を幸せにしたい、俺を幸せにしてくれないか?」

君の声で、言葉で、その答えを伝えてほしいと願う。

両手で顔を覆ったリュクレスに、ヴィルヘルムは優しく囁く。

悪魔の様に甘い囁き。

「見ないふりは、させない。私が優しくないことは良く知っているでしょう?」

その手首を掴み、無理やり外させる。リュクレスの目に宿る光に、穏やかな笑みを返して。

ヴィルヘルムの瞳の奥にも同じ光がもっと熱を持って宿るのを知っているから、目は逸らさせない。

「ずっと君に触れていたい。身体にも、心にも。だから、私の傍に居てください」



「私…何も、返せない、です」

「そうですか?私は君からたくさんのものを貰っていますよ?君が、気が付いていないだけです」

「…?」

リュクレスの戸惑いは一つずつ潰して、引け目に思うことも全て消してやる。

「ふふ。君の言う、ささやかな幸せは、私にとっての君自身です。ですから、どうか。私から幸せを取り上げないでください」

「私の思いは、ヴィルヘルム様に迷惑をかけませんか…?」

「どう思いますか?君は私の気持ちを聞いたはずだ」

「私がヴィルヘルム様を傷つけるのは嫌、なんです」

「だったら、離れるなんて言わないでくれ」

本当に、心が痛いから。

君の声で、君の言葉で。

もう一度、気持ちを伝えて欲しい。

まっすぐに見つめる瞳。藍緑の瞳が潤む。

「…ヴィルヘルム様が、好きです。傍に居たいっ…」

欲しかった言葉を、その口が、声が紡ぐのを受け止めて、男は甘い戦慄に身を震わす。

身体に籠る熱を吐息で逃がし、ヴィルヘルムは恍惚として微笑んだ。


「もう、逃がしません。私も、君を愛しています」


惚れたほうが負けと相場は決まっている。


娘に溺れているのだと、同じところまで落ちてきてほしいと思う反面、彼女の純情な一途さも好むから。

大人気なくヴィルヘルムはリュクレスを篭絡しようと耳元で甘く囁く。

「~~~なんで、耳元で話すんですか…?」

慣れない距離、その睦言に、少しだけ混じった揶揄するような色合いに、リュクレスは気づいた。ずるいと、赤面しながら、上目づかいで睨む可愛い子に、男は極上の笑みで返す。

「もちろん、口説いているのですから。落とすためにはどんな技でも使って見せますよ?」

もう落とされてるのにと、翻弄されっぱなしのリュクレスは少し情けない顔をした。

「もう、全部ヴィルヘルム様のものですよ?」

困ったように首をかしげる娘は、その言葉がどれほどの威力を持つのか気がついていないのだろう。


翻弄しているのはどちらかと男は苦笑い。

落とされるのは、結局俺か、と嬉しそうに諦めて。

敗北宣言も早々に。

ヴィルヘルムはようやく手に入れたリュクレスを、力いっぱい抱きしめた。




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