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蒲公英と冬狼  作者: 雨宮とうり(旧雨宮うり)
戀―いとし、いとしという心―
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16



「ヴィルヘルム様が、好きです」


勇気を振り絞った言葉は、端的で。恋物語のようには上手くいかない。

甘さなんて欠片もなく、声も、もう情けないほどに上ずってガタガタだ。

飾り気のない言葉は、それでもヴィルヘルムの耳に届いた。


彼は少し驚いたように、目を瞠った。


それから…少しだけ、困ったような顔をした。


緊張に強張るリュクレスは、視線を逸らすことができずに、そんな男の表情の変化をつぶさに見届けてしまう。

ひんやりと、血の気が引いていくのがわかる。


……ああ、やってしまった

ルクレツィア様、やっぱりダメだったみたいです。


ぱりんと割れたのは、リュクレスの初恋だろうか。

破片が刺さって痛みに息をするのも一苦労だ。

じんわりと冷たく引き攣れる心を隠して、リュクレスは口角を無理やり引き上げる。

失恋の覚悟はあっても、困らせてしまう覚悟までは持てなくて、ヴィルヘルムが口を開こうとするのを遮るように、固まった身体を何とか動かして頭を下げた。

そんな顔をさせたいわけではないんです。

困らせたいわけじゃない。

ただ、溢れてしまった想いが言葉になってしまっただけだから。

答えてくれなくっても、いいんです。

だから、お願いだから、そんな風に顔を曇らせないで。

シクシクと痛む胸を上から押さえ、へらりと誤魔化すようにリュクレスは笑った。

「ずっと、私たちを守ってくれる将軍様・・・を、これからもお慕いしています」

そんな風に言葉を変えて恋慕を思慕に、すり替えてみせる。

そしてようやく、もうひとつの覚悟を口にした。


「ヴィルヘルム様に、さようならと言う前に、それだけは伝えたくて」

「…さようなら、を?」

ヴィルヘルムらしくもない、滑舌の悪いオウム返し。

「はい。故郷に、帰りたいと思います」

里山に囲まれた田舎の風景。微笑むラジミュールと、司祭様。修道院の仲間達。

帰るべき風景、思い出せば懐かしさはリュクレスの胸に押し寄せる。

ここに居たいと思うのと同じくらいに、あの場所に帰りたい。

ヴィルヘルムが器用に片眉を釣り上げる。

…急に灰色の瞳が冷たさを宿したような気がした。

「里帰り、ですか?」

はぐらかすようにそんな風に聞いてくるヴィルヘルムに、リュクレスは小さくけれど、しっかり首を横に振った。

「ヴィルヘルム様。…怪我は、もう治りました。傷だけじゃなく、ヴィルヘルム様は、私の心まで救ってくれた。本当に、感謝しています」

この感謝は本物だ。心を温めてくれる穏やかな感情に、リュクレスは自然と綻ぶように微笑んだ。

見つめ返す男の目は何故だかひどく切なげに見えた。

「それで、何故、帰る話になるんですか?」

何かを堪えるかのように、ヴィルヘルムがゆっくりと問いかける。

その声に滲む何かに、リュクレスの心はさざめいた。

まだ、ヴィルヘルムはリュクレスに対して負い目を感じているのだろうか?

そんな必要は、ないのに。

そう思って長身のヴィルヘルムを案じるように見上げる。

「もう、私に出来る事は終わりましたよね?…もしかして、まだ、囮終わっていないのですか?」

「そういうわけではありません」

ヴィルヘルムの言葉にほんの少し憤りが混じった。



男の偽りの穏やかさに綻びが生じるのに、リュクレスは気がつかなかった。

「この状態じゃ役立たずどころか足手まといです。此処に居てもお世話になるばかりで、お荷物でしかないし…使用人として働いて返すことも出来ません」

使用人として働かせるつもりも、お荷物だと思ったこともない。ましてや二度と囮に使おうなどとは思うはずもない。

ヴィルヘルムがそう口にする前に、リュクレスはふんわりと笑った。

「もしも私の怪我に責任を感じているなら、その必要はないですよ?もう、これ以上にないくらい助けてもらいました。だから、ヴィルヘルム様の中にまだ、罪悪感が残っていて、そのせいで私を気遣うのなら。そんなのポイしちゃってください。私は、本当に感謝しかしていませんから」

真っ直ぐな藍緑の瞳が、その言葉が事実であると語る。

(…そんな風に思っていたのか)

ヴィルヘルムは声を失い、リュクレスを見つめた。

感謝など、そんなものいらないのだと、欲しいものはそんなものではないのだと。

勤めて冷静に言葉を選ぼうとして、途中で無理だと悟る。

「私の居場所はノルドグレーンの修道院です。故郷へ、帰りたいんです」

切とした彼女の願いが、ヴィルヘルムの揺らめく最後の理性を焼き尽くす。


己の傍に居場所はないのか。

君を拠り所としてしまったこの心は、どうすればいい。


暴走する感情が身体の中を渦巻いて、言葉にならない。

沈黙は酷く重く。

激情に駆られた男の唇から零れ落ちたのは、地を這うように低く冷たい声だった。

「……帰すと思いますか?」

「…え?」

自分の言葉が、どれほどにヴィルヘルムの心臓を差し貫いているのか、わからないのか。

戸惑う眼差しを睨み付けるように見つめて。

「逃がしませんよ。君は…っ、聡いのか鈍いのかはっきりしてください」

憤りなのか悲さなのか揺さぶられるその戦慄に、声音は責めるような響きを含んだ。


隠すことはやめた。


大人気なかろうとも、もう、手放す気はないのだ。

昏い熱がリュクレスを本能的に怯えさせるとわかっていて、渇いて求める劣情を、ヴィルヘルムは隠すことなくその瞳に晒した。

逃げようとする身体をソファの背に押し付ける。

「逃げるな」

彼女の両側に腕を伸ばし、ソファの手すりと背もたれに手をついて、己の身体で逃げ道を塞いだ。





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