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蒲公英と冬狼  作者: 雨宮とうり(旧雨宮うり)
戀―いとし、いとしという心―
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12



「…なぜ?」


ルクレツィアはとても驚いた顔をした。

何故、皆何故と聞くのだろう?リュクレスはなんだか少しだけおかしく思う。

「私の家は修道院ですから。縁があって今此処に居るけれど、役目も終わりましたし、怪我もこんなに親身になって治してもらって…これ以上はご迷惑かけられません」

「迷惑だなんて…」

表情を曇らせる王妃に、誤解がないようにと、リュクレスは慌て言う。

「ヴィルヘルム様はもちろん、そんなこと言いません。でも、私のせいで生活が変わってるって知ってます。無理させていますよね?そんなの嫌なんです。お世話になるばかりで、私には何もできない」

将軍の秀麗な横顔を思い出す。柔らかな表情に滲む優しさが胸を叩く。

無意識にそっと胸を押さえるリュクレスを静かに見つめながら、ルクレツィアはそっとその手を取った。

「…では、私の元で侍女になりませんか?お話し相手になって?」

「と、とんでもないっ。私は貴族じゃないですよ?」

リュクレスは驚いて辞退する。

平民のそれも孤児であるリュクレスが、そんなところに行けるわけがない。

例え子爵令嬢というお飾りの名があったとしても、中身は変えられない。

教養も礼儀作法も、全く身につけていないリュクレスがそんなところに行けば、登用したルクレツィア自身に傷がつく。

「大丈夫です、どうにでもなりますわ。それに、故郷に帰れば、将軍とも会えないけれど、王城に居れば会えることもありますよ?」

何が大丈夫なのかわからないが、この強引さは王様に近いものがある。

夫婦って本当に似るんだなんて、少しだけ暢気に思っていたリュクレスに、最後の言葉は冷水を浴びせた。

ルクレツィアの厚意は嬉しい。リュクレスが将軍を慕っているのを知っていて言ってくれるもの分かっている。

けれど、それこそ、絶対駄目だ。

顔を合わせたら、不意に零れてしまうかもしれない。

王城なら当たり前に、ほかの女性と親しくしているヴィルヘルムを見ることがあるだろう。

いつか恋人を持つことも、結婚することだって、年齢的にも立場的にもありえる話だ。

ヴィルヘルムの隣に、なんの引け目もなく、見劣りもしない、気品に満ちた女性が寄り添って立つ姿を。

…そんなの、無理だ。

惨めなほどに、彼に向かうこの想いを断ち切ることができない。

離れたい。

会えなければ、汚い自分を見せなくて済む。

ずるい自分を見なくて済む。

後悔の原因である自分が、彼を傷つけないで、済む。

きっと心穏やかに、冬狼将軍の幸せを祈ることができる。

「無理です。私なんかが側にいたら、ルクレツィア様達が恥ずかしい思いをします。そんな思いさせたくないです。…ヴィルヘルム様にも。本当に感謝しかないんです。迷惑かけたくないし、困らせたくもありません」

「…貴女は、将軍が好きなのね」

…ほら、もう溢れてしまっている。

ごまかすことなんて、勘の良いヴィルヘルムには難しい。

「ああ、そんな泣きそうな顔をしないで」

逃げ出しそうな思いに駆られて、リュクレスは耐え切れず下を向いた。

溢れそうな涙を、必死で耐える。

「ねえ、リュシー…お手紙の時のようにリュシーと呼んでも良いかしら?」

伺うように許可を求める王妃に戸惑いながらも頷けば、彼女は朗らかに、

「私のこともルチと呼んでくださいね。母が亡くなってから誰もその愛称で呼んではくれなくなってしまったから、手紙でも嬉しかったの」

そう微笑んだ。

まるで、故意に話題を変えるかのような強引さに少しだけリュクレスは不思議に思いながらも、ほっとする。

「ルチ様…」

初めて口にするその名を、彼女に宛てた手紙ではずっと、心の中でつぶやいていた。

余りにも、慣れ親しんだように、その名はするりと音になった。

違和感もなく、親愛の想いは名に注がれる。

「ありがとう。リュシー」

飾らないリュクレスの気持ちは、大切な贈り物のようにルクレツィアに届いた。

余すことなくその想いを受け止めて、ルクレツィアが本当に嬉しそうに笑うから。

その綺麗な笑顔に、リュクレスは堪えきれずに涙を零した。

綺麗な声が、名前に乗せて返してくれた想いに、優しく重なる囁き。

郷愁が胸を焼く。

帰りたい。

「リュシー」と、優しく呼びかけるラジミュールのところへ。

安寧で平穏で、心穏やかな柔らかい世界。

誰も傷つけない世界へ、帰りたい。

「帰り、たい」

逃げ出したい想いが、里心をいや増すから。

手で顔を覆い、崩れるように泣き始めたリュクレスを、ルクレツィアは優しく抱きしめる。

宥めるように柔らかく包みながら、額を寄せて、慈しむように微笑む。

「それは逃げではないの?…自分の心と向き合わなくて良いの?リュシー」

ルクレツィアは気がついている。身分違いの恋がどれほどに葛藤を生むのか。

孤児であるリュクレスが、将軍への想いを自覚したときの絶望感も同じ女性だからこそ理解できる。

好きだとその想いが、お互いを傷つけることさえあるから。

それでも。

「貴女が言ったわ。地位やお金がなくても幸せになれるって。貴族でなければ、将軍を幸せに出来ないなんてことない。貴女だから出来ることがあるのかもしれない。後悔しないように、思いを伝えるべきではないの?」

リュクレスが捕らえられている間、助けに行かない彼を責めるルクレツィアに、一瞬だけ零れた彼の苦悩。

だって、将軍があんな表情を見せたのは、後にも先にも彼女のことだけだから。

リュクレスが意図せず、彼に与えているものが、あるのではないか。

その想いがリュクレスの一方通行だとはルクレツィアにはとても思えない。

「もしかしたら、幸せに出来る人を幸せにせずに帰ってしまうの?貴女は勇気のある人だから。貴女自身のためにも、その勇気を使って欲しい。幸せになって欲しい」

遠く、海を見晴らせる赤い屋根の町並み。潮の匂い。

懐かしさに心が揺らぐのは共感できる。

「…故郷に帰りたい想いも理解できます。私も、そうだから。どうしたって、故郷は恋しい。それでも私は、アルムクヴァイド陛下の傍に居たい。…そう、思わせてくれたのは貴女だから。」

顔を伏せたまま、泣きじゃくる娘は涙を零して首を振った。

「だ、め、です。だって、甘えてしまうから。ヴィルヘルム様は優しいから、甘えても支えてくれるから。だめ、です…。また、傷つけるの、嫌ですっ…」

まるで、見知らぬ男のことを語るようだと、ルクレツィアなどは思う。

冷酷無比と恐れられる将軍は、無為に残酷なわけではないけれど、優しいとは程遠い。

リュクレスこそ知っているはずだ。

男が優しいだけの男ではないことを。

「…私は将軍を深くは存じ上げないけれど。逆に客観的に見れますもの。優しい方だから、ちゃんと誠意をもって答えをくれるのではないかしら。貴女が不安に思うような、貴女への気遣いだけで、想いを受け取ったりはしない人だと思うわ。優しいばかりの人ではないから、なおのこと。必要ならば自分の足で立つようにちゃんと叱ってくれるはずでしょう?」

甘やかすならば、それは彼の意志だ。

同じように、娘の告白に彼が答えるのならば、それは将軍が彼女を好きだからだ。

彼女に愛情を抱くことが無いのであれば、彼は絶対に想いを受け取ることはないだろう。

だから、間違えないで。

貴女の想いに、引け目なんか持たないで。

ルクレツィアは真摯に、その思いをリュクレスに告げる。

「誰かを好きになることが悪いなんて、絶対にないわ。押し付けるのはいけないことだと思うけれど、貴女はそんなことしないでしょう?」

ルクレツィアはリュクレスの先ほどの綻ぶような微笑みが見たいと願う。

見る人を幸せにするような、微笑みだったから。

リュクレスに幸せになって欲しいとそう思って、誰かの幸せを願うことがどれほど強さを必要とするのか、ルクレツィアは初めて知る。


「貴女は私に、幸せになってと言ったわ。その努力をしてほしいって言ってくださった。だから。今度は私が、貴女にその言葉を捧げましょう。幸せになって、リュクレス。そして、幸せになる努力をして?」

勇気がいるけれど、その勇気を持っていると信じているから。

貴女の想いをちゃんと言葉にして、将軍に伝えましょう?

「それが、もしかしたら、将軍を幸せにするのかもしれないわ。…いいえ、きっと、絶対よ?」


口で言う程、冬狼将軍が優しい人だとはルクレツィアは思っていない。

けれど、この少女へは本当に優しくあろうとしているのだろう。

彼の冷徹さを知りながら、それでも一途に彼のために頑張ろうとしたリュクレスに将軍は恋に落ちたのだと、今ならわかる。

早く幸せにしてあげてほしい。

けれど、リュクレスが自分の気持ちと向き合って、ヴィルヘルムの隣に立つ覚悟を持つ必要はあるのだ。

身分差の恋に相手を傷つけることを怖がる娘は、自分が傷つくことは二の次だ。

自分が傷つくことに鈍感な少女を、ヴィルヘルムが守ればいい。

控え目なリュクレスは、その我慢こそが将軍を困らせていると知るべきだ。

そうしたら。

きっと、彼らは幸せになれるのではないかと思う。

ルクレツィアは祈るような気持ちで、彼女の幸せを願っていた。







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