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強くなってきた日差しに、開け放たれた窓からの風はささやかだ。
リュクレスは直射日光を避けて日影に入ると、ラグの上に座り込んだ。
ちょうど丸くなって眠る猫くらいの大きさの革袋を、膝の上に置く。大きさの割に、それはほとんど重さを感じさせない。口紐を解くと袋を開けた。
床に置いた籠に向けて革袋を傾けてそろそろと中身を出していく。
ふわりと優しい匂いが部屋の中に広がった。
「うん、綺麗にまとまった」
なかなかの出来栄えにリュクレスは頬を緩める。
籠の中にぱらぱらと舞い落ちたのは乾燥させた花の蕾と花弁、そして葉っぱ。
そこに出されたのは出来上がったポプリだった。
そして、ラグの上に準備した色とりどりの小さな小袋は、この1週間でリュクレスが縫い上げたものだ。
その一つを手に持って、中に乾燥したポプリを手で丁寧に詰め込む。
ふんわりと膨らみが出来る程度に詰めると、その口をリボンで結ぶ。
木綿の袋越しに、柔らかく香るそれは、身につけていたとしてもイヤミにならないはずだ。
せっせと縫い上げておいた可愛い木綿の袋に、一つずつ丁寧にポプリを詰め込んで、リボンで口を閉じる。
地味な作業だが、リュクレスはこういう単純作業が結構好きだったりする。
「これで最後、かな?」
最後の一つをリボンで閉じると、それを見計らったかのようなタイミングで、扉をノックする音が聞こえた。
「はい」
「失礼します」
「ソル様?どうしたんですか?」
顔を上げ、返事をすると、顔を見せたソルは無表情の中に少しだけ困惑を覗かせている。
「お客様がお見えです。お通ししますね」
「お客様…ですか?」
リュクレスは首を傾げる。
友人と言えるような人物はこの土地には居ない。基本的に離宮から出ることのないリュクレスにはお客様と言われて浮かぶ人物が誰もいなかった。
とりあえず片付けようとポプリの子袋を籠に盛って寝台の上に避けておく。
「誰だろう?」
「たぶん、驚くと思いますよ」
首をさらに捻るリュクレスにそう言い残してソルが去り、代わって現れたのは、薄紅色の髪が鮮やかな清楚な麗人だった。
若草色のドレスが光沢を帯びて動くたびに違う色を見せる。落ち着いた色合いのドレスなのに、女性自身の持つ色合いが余りにも鮮やかだから、総じて華やかな庭のようだとリュクレスは見蕩れてしまった。
菫色の瞳が綺羅々と美しく、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
そうすると、より一層美しく、女性の雰囲気が華やぐ。
「やっと、逢うことが出来ましたね」
麗しくどこか品格さえ漂わせるのに、とても親しみのこもる柔らかな瞳。
「あ、あの…?」
「ふふ、初めまして。私はルクレツィア。貴女の文通友達です」
「……王妃様?!」
慌ててリュクレスは、姿勢を正した。
ラグから立ち上がろうとして、ルクレツィアにやんわりと止められる。
「どうぞ、そのままで。そちらに行ってもよろしいかしら?」
「も、もちろんですっ」
「想像していた以上に可愛らしい人ね。本当に、ずっと貴女に逢いたかったの」
そう言って親しげに差し出された手に、リュクレスもおずおずと手を伸ばす。
空々しいお世辞でないことは、その紫の瞳を見れば、分かることだ。
想像していた通りとても優しく、美しく、気品に満ちた王妃が目の前にいる。
笑っていてほしいと思った人が朗らかに微笑んでいるから、リュクレスも嬉しくなって顔を緩める。ほころぶ花のつぼみのような微笑みに、ルクレツィアが息を飲んだ。
リュクレス自身はそれに気づかずに、ふんわりと感謝を述べる。
「私も…逢いたいと思っていました。来てくれてありがとうございます」
紫の瞳が細められた。柔らかい表情は少しだけ茶目っ気が混じる。
「もっと早く会いに来たいと言っていたのよ?でも、将軍から、怪我をしている貴女が無理するといけないから駄目だと言われてしまって。今だに彼は面会制限をしているの。でも、貴女の主治医が、もう大丈夫だって太鼓判を押してくださったから、内緒で来てしまいました」
思いもかけない言葉に、リュクレスは目を丸くする。
「内緒で?」
「大丈夫です。王はご存じよ。秘密なのは将軍にだけ。…と言っても、そろそろばれてしまっていると思いますけれど」
いたずらっ子のように微笑むルクレツィアは、清々しいほどの行動力でヴィルヘルムを出し抜いてきたらしい。
王妃様に控え目な印象を持っていたリュクレスは思ったより身近に感じて、くすくすと笑い出した。
「王妃様、すごい。将軍様の裏をかくなんて」
「でしょう?…次はこう上手くいかなそうですけれど」
あの手、この手を考えているのであろう王妃に、リュクレスも笑いの衝動を抑えて、
「私も協力させてください」
「ありがとう。ふふ、2対1なら私たちが勝てそうですね」
なんて、いつの間にか『打倒冬狼将軍』みたいな流れになって二人で盛り上がる。
完璧な人の不意に見せる隙は、とても魅力的だ。
驚いて、それから、柔らかく苦笑する彼が目に浮かぶ。
「今度はお城でお茶会でもしましょう。アル様も交えて、私の部屋で。そのためにはどうにか将軍を説得しないといけませんね」
「はい」と答えようとして、今更のように思い出す。
リュクレスは明日にも、もうここに居ないかもしれないのだ。
「ありがとうございます。でも、私は…」
「どうしました?」
急に静かになったリュクレスに、ルクレツィアは心配そうな顔で尋ねる。
心配されるようなことではないのだと、リュクレスは笑って、背筋を伸ばしてルクレツィアと向かい合った。
「私、故郷に帰るんです。だから、きっとお会いすることは出来なさそうかなって。でも、誘ってもらって本当にうれしかったです。ありがとうございます」
優しく美しい王妃様。修道院に帰れば文通も難しい。
だから伝えるさよならの挨拶は、やはり寂しい。
別れというのは、いつになっても慣れない。
リュクレスは潤みそうになる目を瞬かせて、涙をこらえた。




