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蒲公英と冬狼  作者: 雨宮とうり(旧雨宮うり)
戀―いとし、いとしという心―
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少しだけぎこちない空気を感じてしまうのは、後ろめたい想いを抱いているからだろうか。

4人掛けの馬車の中でヴィルヘルムの顔を見返すことができなくて、向かい合う彼から目をそらすように、リュクレスは馬車の外に目をやった。

黒い森の離宮に連れてこられてから、連れ去られたときを除けば、リュクレスが離宮を出るのは初めてのことだ。半年ぶりの外の世界はリュクレスにとってやはり見慣れない景色が広がっていた。

丘陵地帯が白から緑に変化し、綺麗な緑色の麦畑が開けた視界一面に広がっている。

ぽつぽつと見える糸杉と、白い道がどこか長閑だ。

日差しは強い。青い空に真白い雲が空を上る。

「この辺は昔、荒れ果てて岩と砂利の多い農作物には向かない土地だったらしいです」

出し抜けに話し始めたヴィルヘルムに、思わずリュクレスは彼の方を向いてしまった。眼鏡の硝子越しの灰色の瞳が、ゆっくりと細められるから、瞳を合わせてしまったリュクレスは理由もなくおろおろする。

リュクレスの反応は彼の思惑通りだったらしい。彼は穏やかに微笑んで、続けた。

「戦いから逃れてきた人々は新しい故郷を求め、苦労してこの地を開墾したそうです。何でも豊かに揃う理想郷ではなかったかもしれませんが、自分たちで理想の故郷を作り上げようとしてこの景色は出来ました。だから、新たな戦火に襲われたとき、彼らは逃げ出そうとはせず、この土地を守ることを決めた。たとえ痩せた土地だとしても、すでに此処は彼らの故郷となっていたから」

淡々と話す低音の声が、動揺を落ち着かせ、その場面を描き出させる。

一瞬、過去の記憶が交差した。燃える町、荒らされた田畑、悲鳴。他人事とは思えなくて過去のことだと分かってはいても胸が痛む。

「その人たちは…どうなったんですか?」

不安そうに尋ねるリュクレスを、安心させるかのような声でヴィルヘルムは語った。

「犠牲を出しながらも、彼らは故郷を守り切りました。この国は冬が厳しい。特にこの土地には高い山がないので、吹き晒しの風は強く、吹雪けば遮るものは何もない。その気候が、彼らを助けました。冬狼の伝説はそこから生まれたと言われています」


明るい光差し込む教会の身廊。

リュクレスの脳裏にモザイクの草原が色鮮やかに甦った。

静かに伏せてこちらを見下ろす紺青色の狼、何かを問いかける灰色の眼。


懐かしい光景がちらついて消えないのは、目の前にある静謐な灰色の瞳のせいだ。

リュクレスの信仰心を、ヴィルヘルムに伝えたことはないはずなのに。

「…何故、その話をしてくれたんですか?」

零れ落ちた質問に、ヴィルヘルムはやんわりと答えた。

「せっかくですから、君の興味を引く話でもしようかと思いまして」と前置きしてから、誠実な瞳を向ける。

「君が修道院で育ち、祈る姿を時々見ていたから、かな。冬狼の発祥の地かもしれないというのは、なかなか興味深いのではないかと思いまして。お気に召しませんでしたか?」

ヴィルヘルムの気遣いに、リュクレスは嬉しく思う反面、情けなさが募る。

ぎこちなさに気がついて、空気を換えようとしてくれたのだ。

冬狼に縁のある話自体も嬉しかったが、何よりも、ヴィルヘルムがリュクレスをよく見ていてくれたことを知ってしまったから。

胸に積もる暖かいものを、心の中で大切に抱きしめる。

「いえっ、…いえ。すごく、嬉しいです」

首を横に振って、感謝の気持ちを柔らかい笑みに代える。

モザイクの草原が、窓の外に広がる光景に置き換わった。

現実の冬狼の草原。

陽光に照らされた一面緑の鮮やかさ。そこにリュクレスは物足りなさを感じる。

…花だ。

緑の野に咲く色彩が無い。ステンドグラスの桃色と黄色。

桃色のカタバミの花と、…黄色の花。

あの花の名をこの人は知っているだろうか?

「ヴィルヘルム様。冬狼様の傍に咲く花が、なんという花かご存知ですか?」

脈絡のない質問に、ヴィルヘルムは目を丸くした。

将軍の珍しい表情に、リュクレスは初めて唐突すぎたことを悟る。

「花、ですか?…最後の場面ですよね」

けれど、対応力のある男はすぐに表情を改めて、その先を促した。

おかげで、言葉足らずなリュクレスはありがたく思いながら、記憶にある色彩を言葉にする。

「はい。ステンドグラスでは黄色い花です」

伏せる冬狼の鼻先に揺れる黄色い野の花。ノルドグレーンにはないものだ。冬狼伝説の発祥の地だと言うのなら、この地の花なのだろう。

リュクレスが植物図鑑を丹念に読み込んでいた理由の一つが、黄色の花の特定であったのだけれど。如何せん、黄色い花は数多くあって、結局どれなのかわからなかった。

今までの疑問を解消できるかもしれない。

もしかしたら、本物を見ることも出来るかもと、淡い期待でヴィルヘルムを見つめる。

藍緑色の瞳が鮮やかに煌めいていたことなど、本人だけが知らず。

ヴィルヘルムは困ったように、顎に手をやって少し考え込んだ。

「…冬狼の名を頂いておいてなんですが、私自身はあまり信仰心の厚い方ではないもので。君の言う花がどれかわからない。少し調べてみましょう」

残念そうなその言葉に、慌てたのはリュクレスだ。

また、余計なことを言ってしまったと、後悔する。

ヴィルヘルムに休んでもらいたいのに、新たにやることを増やしてどうするんだろう。

「え…、い、いえっ、いいですっ。そんな余計な仕事増やさなくても大丈夫ですっ。ちょっと気になっただけですから!忘れてください、お願いしますっ」

「大して手間のかかることではないですよ?」

「でも、本当にいいんですっ。気にしないで下さい」

自分の言葉を必死に取り消そうと懇願するリュクレスに、ヴィルヘルムは曖昧に頷いた。


ほっと胸を撫で下ろして、リュクレスはもう一度窓の外を見る。

行きとは違う道を選んでいるのか、石畳が一向に終わらない。




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