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「治って、良かったですね」
「はい!ソル様ありがとうございます」
リュクレスの人懐っこい笑みに、ソルの無表情はあっさりと解けた。
診察前の緊張はなくなり、ほっと一安心にリュクレスの表情は明るい。
前向きにリハビリを頑張ろうとする彼女に肩をかし、急かすことなく、ゆっくりとした歩みで馬車まで辿り着く。
見かけによらず人に頼ることをしない娘は、足取りもまだ覚束無いというのに、馬車の段差を自力で上がろうとするから、ソルは有無を言わさず抱き上げて、馬車内の座席に座らせた。振り向いて見た医院の入り口にはまだヴィルヘルムの姿はない。
同じようにリュクレスも馬車の中から、入り口を見て言った。
「まだ、ヴィルヘルム様と先生はお話し中でしょうか?」
「そうですね。ドクター・フェローは王家の専従医でもありますから、いろいろと仕事の話をしているのかもしれません」
「……忙しい所申し訳なかったです」
リュクレスは多忙であろう主治医を思い浮かべたのか、すまなさそうな顔で医院をみつめている。
「瀕死の患者でもいない限りは、貴女の診察はたぶんドクターにとって最優先です。気にしなくていい」
「そうなんですか?」
「そうですよ」
しれっとして、ソルはリュクレスに言った。
娘は自分がどんな存在になっているのか気が付いていない。
王と王妃に気に入られ、将軍に懸想されているのだ。優先されないわけがない。
馬車の窓から顔を出し、リュクレスは医院の建物を見てソルを見た。
馬車の高さでソルとリュクレスがほぼ同じ目線なのがお互いに新鮮だ。
「……ソル様、聞いてもいいですか?」
「どうぞ?」
「ソル様はヴィルヘルム様とどうやって知り合ったんですか?」
「突然、なんです?」
驚いてソルは訊ねた。きょとんとしてリュクレスは首を傾げる。
「先生とヴィルヘルム様は幼馴染だって聞いて、ならソル様とは何処で知り合ったんだろうって思ったんですが……聞いてはいけないことでしたか?」
他意のない、単純な興味だったのだろう。
「そういう訳ではないですが…」
そう言えば、リュクレスはソルの常の仕事を知らない。出会った当時の血生臭い事情も知るはずがないのだ。そう思うと、少しほっとしてソルは話し出した。
「俺は見た通り東方の出身です。10年ほど前、部族の集落に主が助けた仲間を連れてきてくれたんです。まあ、それがきっかけですね」
無難なところだけ話せば、興味深そうにリュクレスが相槌を打つ。
「10年前なら…ソル様12、3歳くらい?」
「まあ大体、そのくらいです」
一時期、その身体能力の高さ、感覚の鋭さに目を付けた奴隷商人に多くの東方の民が連れて行かれたことも、殺されていたことも、彼女は知らない。
オルフェルノの多くの民が知らないことだ。単純に辺境の遠い地域に居住していること、それから、地方の少数民族や部族の多くが文化の違いから、接触を避けているというのがその理由だろう。
同胞の中にこれ以上犠牲が増えるのが嫌で、ソルはヴィルヘルムと契約した。東方の民の庇護を求める代わりに、命を懸けて生涯、冬狼将軍に仕えることを。彼はその契約を果たしてくれている。だからこそ、ソルはヴィルヘルムに逆らうことが出来なかった。
「ソル様、兄弟はいますか?」
「いません」
「なんだか、意外です。てっきり、お兄ちゃんだと思ってました」
「何故?」
「すごく面倒見がいいから。下の子の面倒とか慣れてそうで」
「貴女で慣れたんじゃないですか?」
「あはは…。でも、私も兄弟居ないから、お兄さんが居たらこんな感じかなって」
はにかむリュクレスに、ソルもつられて笑った。
「俺も、可愛い妹が出来たみたいで嬉しいですよ」
偶にはと、素直にそう言ってみれば、リュクレスが顔を赤く染めて、ふんわりと笑う。
相変わらず、リュクレスの笑顔はソルの胸を突く。
他愛もない話に、気落ちした様子は少し取れたが、ドクターと暗室から出てきてから、リュクレスの表情は冴えない。
笑っていても、彼女の瞳は口ほどに物をいう。
ソルは表情を変えず、気が付かないふりでリュクレスを見た。
「では、お兄さんから一言」
「はい?なんでしょう」
「他に、言いたいことがあるのでしょう?」
眼を見開いたリュクレスにソルは珍しく笑いかける。
「君の眼は嘘がつけないんですよ」
藍緑の瞳が曇るのは、あまり見たくない。彼女は能天気に笑っていた方がいい。
リュクレスは口ごもり、何度か、言葉を選び直しながら、口を開いた。
「あの……ノルドグレーンまでは、どうやって行けばいいんでしょうか?」
思わぬ言葉に、ソルが眉を顰める。
里帰りしたくなったのか?ならば単純な話だ。
「行きたいのでしたら、主に」
リュクレスは、ソルの言葉を慌てて遮った。
「ちがっ…違いますっ。えっと、帰るのに帰り方がわからないから…」
帰る?
まさか。
「……お一人で?」
「…?…はい」
リュクレスをまじまじと見つめて、ソルはため息を吐いた。
「たぶん、教えても意味がないので、やめておきます」
「え?」
戸惑う少女に、駄目押しの如く重ねて告げる。
「貴女が一人で帰ることはありえませんから。無意味です」
「どうして…ですか?」
リュクレスは本当にわかっていないのだろう。
「あ…もしかして、私、ヴィルヘルム様に売られたんですか?だったら、ちゃんとお金の分、働かなくちゃいけないですね…」
ここに来たのは父親の意向だった。そして、彼は人身売買をしていた人だ。
思いつかなかったと肩を落とすリュクレスに、ぎょっとしてソルは顔を引きつらせた。
リュクレスがそんなふうに思うなど、思ってもみなかったから、慌ててそれを否定する。
「違います。やめてくださいよ、使用人として働きますなんて、間違っても言わないでくださいね」
「えー…と…」
困ったような表情に、ソルこそ困って苦笑いだ。
何となく、彼女の思考は読めた。
迷惑を掛けていると申し訳なさそうに思っているのも知っている。
「理由は、主に聞いてもらった方がいい。ほら、ちょうど戻ってきましたよ」
顎をしゃくり、その先を示せば、医院から出てきたヴィルヘルムがそこに居る。
その姿をみて表情を曇らせたリュクレスが、今の話をヴィルヘルムに打ち明けられるとは、ソルには思えなかったけれど。
フェロー医師と主人の会話の内容が読めて、ソルはわからないようにため息をついた。
肝心なことを娘に伝えられていない将軍に、その理由を理解しつつも。
(これで逃がしたら、ヘタレ将軍と呼ぶからな)
きっと、幼馴染にもいろいろ言われたであろう男に向かい、従者は心の中で毒づいた。




