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蒲公英と冬狼  作者: 雨宮とうり(旧雨宮うり)
戀―いとし、いとしという心―
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5



診察台の上に座り、リュクレスは緊張した面持ちで医者の顔を見ていた。

ヤン・フェローという名の無精ひげの医師は、見た目は気だるげで、やる気のなさそうな男だった。

そのがっちりとした体格は白衣を着ていなければ、ヴィルヘルムよりよほど軍人のようだ。黒髪には若白髪が混じり、30歳と聞いているが、それよりも少し年上に見えるのは投げやり感を隠そうともしないからだろう。

彼はリュクレスの足を慎重に持ち上げると、ゆっくりと足首を回す。動かされるたびに違和感と突っ張った感じは残るものの、痛みはない。

リュクレスの表情を確認しながら、足首の動きを確認して、白衣の男は足を寝台の上に戻した。

まずリュクレスに頷いて、それから座っている丸椅子ごと後ろを振り向く。

そこに立つ二人の男に、医者は安心させるかのように笑った。

「一応治癒だな。荷重をかけても問題ないぞ。暫くはリハビリが必要だと思うが、若いし大して時間もかからないだろう」

リュクレスが嬉しそうに笑い、男たちもほっと、表情を和らげた。

「眼の方も問題なさそうだな」

「はい。もうぼんやりすることもなくなりました」

「頭痛は?」

「全然ありません」

「じゃあ、しっかり飯は食えてるな?」

「う…」

言葉を詰まらせると、医者は振り返って男たちを見た。

困ったような表情を浮かべる褐色の肌の青年と、穏やかそうな表情の中に苦いものを含んだ眼鏡の男。

面白いものでも見るかのように、ヤンは口の端を釣り上げた。

「とりあえず、暗室で目の方も確認しておこう。…お前らはここで待ってろよ。ぞろぞろ来られるとうっとおしい」

相手が冬狼将軍であっても扱いが雑なのは、二人が幼馴染だから、らしい。

二人に言い捨てる言葉は乱雑だが、丁寧にリュクレスを支えながら薄暗い隣室に移動する。そのギャップがリュクレスには可笑しくてつい笑ってしまう。

「先生と、ヴィルヘルム様はいつも仲良しですね」

「どこをどう聞いたら、今の会話で仲良しとだと思うんだ?」

呆れた顔をするヤンに、

「?遠慮なく話せるのって仲が良くないと出来ないと思うんですが…」

何か間違っていただろうか?

きょとんと、瞬きをする。

ヤンは少し笑うと、リュクレスを椅子に座らせ、部屋の扉を閉めた。窓のないその部屋は途端に暗闇になる。

「そのまま、目を開けていろ」

「はい」

こちらを覗き込んでいる気配はあるが、暗闇にリュクレスは自分が目を閉じているのか、開けているのかわからなくなる。

「夜光草は抜けたな。もう光も浮かばない。今後副作用の心配もないだろう」

「よかった…。先生、ありがとうございます」

夜光草は名の通り暗闇で光る特性がある。そのため身体に取り込まれると夜行性の動物の様にその瞳を光らせるのだ。

リュクレスの瞳には、今はもう、何の光も浮かばない。そのことを確認して、ヤンは部屋の明かりを灯した。

小さなカンテラひとつだが、小さな小部屋を照らすには十分の明るさだ。

「また、食べられなくなってるのか?あんたが食べられないのは病気みたいなものだから、無理をしろとは言わないが、ちゃんと食わないと周りが心配する。頼むから頑張って治してくれよ?」

医者は診察机の前の椅子にどかりと座り込んで、だらしなく片手で頬杖をついた。

リュクレスは頷くことが出来ずに、小さく笑って首を振った。

「先生。私は、このままで大丈夫です。もう帰らないといけないから」

「どういう意味だ?」

怪訝そうな顔をする医者に、リュクレスはどういえばいいのか、言葉に迷った。

暫く考えた末に、どう言い繕おうと、一緒かと諦めて口を開く。

「怪我も治ったし、いい加減帰らないと。私の元いた所は質素清貧を旨とする場所で、食べ物にもそれほど恵まれていないんです。だから、今のままの方が、都合がいい。本当ならもっと早く出て行くべきだってわかってはいたんですけど……ヴィルヘルム様もソル様も優しくて、居心地がいいから…帰るってなかなか言い出せなくて。臆病ですね」

「どうして、そう思う?」

「え?」

「どうして、帰らないといけないと思うんだ?」

リュクレスは、その質問の意味がわからない。疑問を浮かべながらも、思うままに答える。

「…自分の家に帰ろうと思うのは変なことですか?ここには、ヴィルヘルム様に協力するために来たんです。でもその役割は終わったから。働きもしていない私は、本当ならとっくに放り出されてもおかしくないんだと思います」

ここに居たいと我侭な願いに蓋をして。

揺らいだ瞳で、逸らされることのない真っ直ぐな医者の目を見つめる。

浮かんだのは似合いもしない、自嘲の笑み。

「治療費を出してもらえるだけでも有難いのに、此処にいれば、ヴィルヘルム様は傍にいて助けてくれる。そこまでしてもらうほど、私は何も出来なかったんです。なのに、助けてって、言ってしまった。…助けるって言わせてしまった」

リュクレスが囮役として怪我をしたことをこの医師は知っている。だから、思ったままのことを吐き出した。この申し訳なさを、誰かに言いたかったのかもしれない。

「あんたを助けるか否か、決めたのはあいつだろう」

リュクレスはゆるりと首を振った。

「ヴィルヘルム様は優しいから、きっと見捨てられなかったんだと思います。私は2度も助けてもらいました。…もう十分です。これ以上我儘を言って、優しさに甘えたままでなんて、いられません。そんなの狡い」

彼の傍が暖かいから離れがたくて、目が見えるようになるまでは、足が治るまではと自分を甘やかして、今日まで来たから。そろそろ覚悟をするべきなんだろう。

ちゃんと自分の足で立てるところを見せて、安心してもらわないと。

これ以上、リュクレスの怪我に負い目を感じることはないのだ。もう、十分尽くしてもらっている。ありがとうと、ちゃんとお礼を言って元の場所に帰るのだ。

じゃないと何時まで経っても、ヴィルヘルムは前の生活に戻れない。彼はきっと自分からは出て行けとは言わない人だから。

一生懸命自分の心の中を整理して、無理やり自分を納得させようとするリュクレスを見て、ヤンはじれったそうに、髪をかき混ぜた。

「あいつが困ると言ったか?あいつが無償で優しいとか、本気で思ってるのはあんただけだぞ?」

リュクレスは思わず笑った。

優しい人たちは自分が優しいと気付いていない人が多すぎる。

「そんなことないですよ。ヴィルヘルム様も、その周りの人も。ソル様も先生も、とっても優しい。…私はもらってばかりです。だから、何も返すことが出来ないのがとてももどかしい。それどころか私は、ヴィルヘルム様を傷つけることしか出来なかった、から」

混乱した記憶の中で、リュクレスの胸に刺さるのは、ヴィルヘルムの傷ついた声。

大切に想う人を傷つけた後悔が痛みをもたらす。


ありがとう

ごめんなさい


結局、リュクレスが言い出せないでいるのは、その二言なのかもしれない。

「…お前たちはちゃんと自分の想いを我慢せずに伝え合うべきだな」

誤解が多すぎるだろ、という独り言はリュクレスには届けずに。

ヤンは手を伸ばし、子供にするように少し乱暴にリュクレスの髪をかき回した。




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