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「あ、あの…」
ヴィルヘルムはまだ顔を赤く染めながらも不安そうな声を出すリュクレスの髪を撫でた。
離れがたい思いのまま、腕に囲えそうな距離で小さく笑う。
気が付かなければ、容易く腕の中に引きこめたのに、認めてしまえばそれすら難しい。
「…君の感謝は素直に嬉しい。ただ…いえ。今日はもう休んだ方がいいでしょう」
それに引き替え、恩に報いようとするリュクレスの健気な思い。それを利用したことに対する罪悪感を本人にそれを伝えたところでこの娘は笑って否定するとわかっているから言葉を濁す。
「大丈夫ですよ。まだ、明るいし…今、昼中ですよね?」
「お昼です。ですが、自覚はないのかな、熱が高い」
「…朝じゃなかったんだ…此処に居ちゃだめですか?じっとしてますから」
不満を訴えるというより、心細いような面持ちで、リュクレスはヴィルヘルムを見つめる。
「そんなにベッドの戻るのが嫌ですか?」
「病人みたいじゃないですか。さっきまで寝ていたから、眠れません。それに、夜眠れなくなるのも辛いです」
「十分病人です」という言葉を飲み込んで、ヴィルヘルムはため息をひとつ吐いた。
「…わかりました。膝掛けを準備させるから、少し待ちなさい」
触れることに戸惑うのに、理由を付けなければ離れる事も難しいと、愚かしいほど揺れ動く己の心情を隠して、そっと身体を離す。
「あ…は、はい」
だが、思わず漏れたリュクレスの戸惑いの声が、離れがたいのは自分だけではなかったのだと、素直に伝えてくれるから。
意識もせずヴィルヘルムを歓喜させる娘に、らしくもなく高揚する気持ちを抑えた。
ジュストコールを脱いでその肩に羽織らせると、上着ごと腕に抱き寄せ、もう一度隣に腰を下ろす。
「しばらく傍にいます。ラグの上でいい、少し横になりなさい」
手探りで羽織らされたものがヴィルヘルムの外衣と気が付いたリュクレスは困ったような、戸惑い浮かべた。遠慮して返そうにも肩を抱かれていては返すこともままならないだろう。
「こんな温かい昼下がりでは、私に上着は不要です。黙って、使いなさい」
重ねるように、そう、最後の一押しをすれば、リュクレスは少し迷ったように目を彷徨わせて。
けれど。
ほころぶような笑みを浮かべ、「ありがとうございます」と小さく囁いた。
柔らかく、己に向けられた飾り気のない笑顔。
可憐な小さな花のように、控え目なその存在。
たくさん傷ついたであろう心で、それでも曇ることなく微笑む強い花。
ヴィルヘルムは眩しいものでも見るように目を眇めた。
…困ったな。愛おしくて、しょうがない。
ソルのように見返りを求めない優しさではない。
抱きしめたい、同じ思いで抱きしめてほしい。
ここに居るのは、深みに嵌まり、愛を乞うただの男。
そして、とても狡い大人だった。
リュクレスはヴィルヘルムの思いに気づいていないだろう。気がついたならば、逃げてしまうのではないだろうか。
娘が持つ想いが自分とは違うことに気づいている。
それでも。彼女にとって自分は特別であると知っているから。
今はまだ、恋愛感情でなくても。
己を慕う純粋な想いを抱く娘に、さあて、どうやって愛を自覚させようか。
ヴィルヘルムは呆れるほど自分本位だという自覚を持ちながら、それでも静かに微笑んだ。
清々しいほどに、迷いはない。
大切にする、自分が守るのだと、そんな思いを免罪符に。
もう、この手から逃がす気は、ない。
箱庭の王が、そんな男をどこかで笑っている気がした。
読んでくださった皆々様、ありがとうございました。
これにて「恩返し編」、別名「将軍の自覚編」(笑)終了となります。
以降、「リュクレスの自覚編」の予定です。もう少し、じれじれ、かな?
二人を好きになって下さった奇特な方がいらっしゃれば、引き続きお付き合い頂けると幸いです。




