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蒲公英と冬狼  作者: 雨宮とうり(旧雨宮うり)
一部  恩返し
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饐えた、黴臭い匂いの牢獄を出て、地上に上がったヴィルヘルムは、宮殿内へと足を向けた。

争いが繰り返される中、代々女性たちは堅固な壁に守られて、中だけでもと華やかにと飾り立てた。故に、武骨で優美さとは無縁の外観とは裏腹に、豪奢な調度品や絵画、そして装飾で飾られた美しい部屋の並ぶ内装は、まさに絢爛豪華というにふさわしい。

その中でも最も豪華な部屋の主であった現王太后は、すでに、この城の中には居ない。

金の精緻な細工で出来た扉の前には、鋼の鎧を着こんだ屈強な男たちが居並ぶ。

宮殿内の衛士ではない。

反乱部隊に潜入していたロヴァル達であった。

勇敢なるものロヴァルという名を持つその傭兵部隊は、高い戦闘能力を持つが自由を愛し、主を持たないことで知られていた。だが、今は持たなかった、というほうが正しい。7年前ヴィルヘルムに心酔し、膝を折った。実質的に王家ではなく、ヴィルヘルムの私兵である。

ヴィルヘルムに気が付いた男たちはそれぞれに敬礼する。各部族であったり、地方で異なる敬礼をヴィルヘルムは気にすることなく受け入れて、礼を返す。

「王は中ですか?」

「ええ、あの馬鹿といますよ」

「……」

容赦のない罵倒に、少々眉を顰める。

男たちは王族であろうとも、尊敬に値しないと思えば、首は垂れない。それは、彼らが彼ららしくあるための自由意思。だからこそ彼らは傭兵を選んだ。

ロヴァルはロヴァルであればいい。王への忠誠は騎士が、臣下が持っていればいいと、ヴィルヘルムが割り切っているから、彼らの非礼を咎めることはない。

知っているから、男たちの言葉も遠慮がないのだ。

「あいつに自分自身で王を害するほどの気概はないですよ。予定通り、奴の護送用に何人か、このままここに待機させておきます」

一人の男がそう言って、ヴィルヘルムは頷いた。

「…そうしてください」

扉に向かえば、誰ともなく、扉を開く。

主のいない部屋の中で、兄弟は対峙していた。

外の傭兵に「馬鹿」と言い切られた王弟アランバードの後ろに控えていた王の近衛は、ヴィルヘルムの目配せに従い退室する。扉は静かに閉じられ、部屋には兄弟と、ヴィルヘルムだけが残った。

アルムクヴァイドと向かい合うのは、床に膝を突き両手を後ろ手に錠を掛けられた哀れなる弟。7つ年の離れたアランバードは他の兄妹と異なり同じ母を持つ唯一の兄弟だ。

子供の頃から仲も良く、誰もが、彼はアルムクヴァイドを慕っているものと思っていた。

「まさか、お前が暗殺の首謀者とは思わなかった…そんなに俺が憎かったか?」

王は無表情のまま、問いかける。

殺したい程に、この弟にとって兄は邪魔だったのか。

アランバードは驚いた顔をして、顔を上げた。それから、くしゃりと顔を歪める。

「やっぱり兄上には、わかってもらえていなかったのですね」

隠しようもない落胆を、アランバードは表情に乗せていた。

…兄が羨ましかった。

アランバードは大好きな兄と兄の周囲の者を見て、兄が居なくなれば、そこに自分が立てると思っていた。アルムクヴァイドを暗殺すれば、その大好きな兄自身がいなくなるということに彼は気が付いていないのだ。どこか壊れた思考に、ヴィルヘルムだけが気がついていた。

「兄上の様に、私にも冬狼将軍の様な友人が欲しかった。兄の様に多くの者に慕われたかった。でも、そうはならなかった」

年を重ね兄と同じ年になったからと言って同じものが得られるわけではない。得たいのであれば、自分なりに何かを積み重ねていくしかないのだ。

それが当たり前だと思うアルムクヴァイドに、浅はかなアランバードの気持ちは全く分からない。

王は柳眉を顰める。

「ただ、羨ましかったと…それだけか?俺が死んでもお前は俺にはなれん。ヴィルヘルムもお前の友にはならないだろう。それだけじゃない。お前のしたことは、スナヴァールにつけ入るすきを与え、国を傾けることだ。それは多くの国民も巻き込むことになるんだぞ?お前にはそれが見えていなかったのか?!」

余りに子どもの我儘の様な物言いに、アルムクヴァイドは怒りを通り過ぎて、呆れてしまう。このやるせない思いをどう口にすればいいのか、言葉にならず歯噛みする。

(こんな愚かとしか言いようのない考えに、王太后は…母は賛同したのか)

駄々を捏ねる子供は、駄々を捏ねるだけで何かをする力はなかった。

王太后が彼に賛同し、王の施策に不満を持つ貴族の協力を仰いだのだ。首謀者は間違いようもなく、王太后と王弟であるが、計画し実行するための準備を整えたのは前王の側近だった者達だ。

彼が首謀者であることは間違いようのないことなのに、アランバードは何もしなかった。

そう、何もせず彼は望んだだけ。

だからこそ、ヴィルヘルムには彼を捕らえることができなかった。

アランバードを処分するには、彼を動かす必要があった。

結果を見れば、見事にヴィルヘルムの思惑通りに事は運んだ。

王の暗殺計画は、謀に関わったほぼ全ての旧臣を処分するきっかけを作った。…そこにはリュクレスの父も名を連ねている。結果、この国の多くの膿が吐き出された。

苦い思いを表に出さず、二人のやり取りを少し離れた場所で見ていたヴィルヘルムは、この部屋に居ない人を思い浮かべる。

聡明で、物静かな美しい人であった。不自由なく多くのものに囲まれながら、けれど、彼女にとって望まぬ場所であったこの城は、いつまでたっても住み慣れない異邦の様なものだったのだろう。黒い森の離宮の愛人のように、王が望み、王妃という名の鎖で王城に捕らわれた自由のない女性だった。

自分で育てることの出来なかった子供たちですら、彼女にとってはしがらみにしかならず、出来の良い息子は手に遠く、まだ愚かな息子の方が愛おしく感じたのかもしれない。

…否、あの美しい人は、己の破滅を望みながら、それでも国母として、王にとって毒になりえるアランバードを、旧臣と共に道連れにしたのではないのか。

…あの女性が考えていたことなど、想像することしか出来ないが。

幽閉を伝えたときでさえ、彼女はただ静かに「そうですか」と微笑んで答えただけだった。

10年前、王が死してなお、彼女は縛られたままだった。王城を離れ、初めて王太后は柵を捨てられるのかもしれない。


ベルガディドと言い、アランバードと言い、人をうらやむのでなく、自分らしくあれたのなら、別の何かを成すことができたのではないかと思う。

誰かに成り代わることなど出来ない。そう割り切れれば、彼らは闇に落ちることはなかった。だが、それが出来ないのが、人間なのかもしれない。

可愛らしい姿でアルムクヴァイドとヴィルヘルムの後ろを付いてきたアランバード。あれから、何を間違えて彼は此処に居るのだろう。


「オルキエフへ幽閉を命じる。…母上もいる。そこで静かに暮らせ」

初めて、母がいないことに気が付いたようにアランバードは室内を見回した。

「王太后はすでにあちらへ向かわれています。貴方も、あの方も…此処でないほうが心穏やかに過ごせるでしょう」

ヴィルヘルムは淡々と事実を告げる。

「午後にはロヴァルと共に城を発って頂きます」

慣れ親しんだ王城を出ることに、王弟は不安を顔に浮かべていた。

兄の殺害を目論んだ男の中身の幼さに、愚かさに、引き立てられて部屋を出された弟を見送り、アルムクヴァイドは重たい息を吐いた。

「…子供の駄々に、皆、便乗したんだな。あいつの周りに止める奴はいなかったのか」

そして、兄として気がつかなかった己に、憤り…後悔をしている。

「それでも、この選択は彼が選んだものです。彼は憧れただけで、自分自身で貴方に近づこうとはしなかった」

いつもの様に冷ややかに、事実を突きつける。アルムクヴァイドの選択を肯定するが、決して励ましたりしない。

小さいアランバードが、駆けてくるのを思い出す。そうして気が付くのだ。天真爛漫だった頃の弟を思い出すのは容易いのに、最近の弟との記憶を思い出すことが出来ない。

そこかしこに、予兆はあったのだと苦い後悔は胸を塞ぐ。

弱々しいほどに情けない声を上げて、アルムクヴァイドは仕方ないように笑う。

「相変わらず厳しいな」

「アランバードのことは昔から知っています。だからこそ、彼に対する失望は大きかったのかもしれません」

「…期待していたか?」

「貴方を支えてくれることを」

それはアランバードの知ることの無かった、ヴィルヘルムの純粋な期待だった。

掛け違ったボタンの様に、直すことが出来るならよかったのにと、やり直せない過去を振り返る。それがいかに無駄なことかは分かっている。それでも、二度と同じように後悔したくないから、アルムクヴァイドは己の通って来た道を何度も振り返る。

「…お前に期待されていると知っていたら、もう少し違っていたかもしれん」

「さて、どうでしょう?人の評価でしか己を測れないものは弱い。結局同じ結果だったように思いますよ」

普段から厳しい男だが、何か含むところを感じてアルムクヴァイドはじっと親友を見つめた。

「…何があった?私情が混ざってるぞ」

重たい沈黙の後、ヴィルヘルムは渋々口を割る。

「……助けに入ったとき、アランバードが意識のないあの子を組み敷いていたんですよ」

その意味がわからない王ではない。

アルムクヴァイドは絶句する。

「貴方が彼女の何に惹かれたのかを知りたかったそうです」

ボロボロになったリュクレスの泣き顔を思い出すと、ヴィルヘルムは忌々しい思いを拭いきれない。

「寸前で助け出せたようですが、あの子の気持ちを考えるとよかったとは言えません。あんなになるまで、助けに行かなかった自分に腹が立つ。…ほとんど、八つ当たりです」

眼鏡の硝子越しに灰色の目は酷く厳しい。

「あの子は…大丈夫か?」

アルムクヴァイドは聡い娘を思い出し、笑えていないのではないかと心配になる。

ヴィルヘルムは頷いた。

「いつものように笑っていましたよ。……泣かせてきたけどな」

「お前なぁ……」

惚けたように返す男にアルムクヴァイドは呆れたような声を上げた。

実際の娘を目の前にしてそれほど平静でいられたはずもない。

傷ついた娘が笑うのを、どれほど辛い思いで見つめたのだろうか。

「彼女のことは俺が守ると決めた。お前はお前の決めたものを守ればいい」

「割り切れるか?」

「割り切るさ。俺やお前が揺らいだら、付いてくる者が動揺する」

この揺らぐことの無い鋼の意志が彼を冬狼将軍と言わしめ、主を持たないと言われたロヴァルにさえ膝を折らせた。

アルムクヴァイドは親友へ向かい手を伸ばす。

「お前が味方で良かったな」

そう王が苦笑すれば、ヴィルヘルムは笑った。同じように腕を上げる。

「俺はお前が自国の王で良かったと思っているけどな」

「お互い様か」

「そういう事だ」

お互いに拳を突き合わせる。

苦いことも辛いことも、こうしてやり過ごしてきてきた。

ヴィルヘルムは自分の求めるものには真っすぐだ。

そしてアルムクヴァイドも同じようなところがあるのだろう。

…家族に裏切られた辛さはもちろんある。それでも、血は繋がっていなくても繋がる絆をアルムクヴァイドは手にしている。

見失わなければ、大丈夫だ。


それは、幼げな娘の言った小さな幸せに良く似ている気がした。


「一度離宮へ戻るのか?」

「…そうだな。戻りたいな」

小さな温もりを思い出し、ヴィルヘルムはただの青年の顔に戻り、頷いた。

泣き疲れて眠ってしまったあの娘は、まだ夢路を彷徨っているのだろうか。

目を覚ます前に、彼女の元に戻りたかった。




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