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蒲公英と冬狼  作者: 雨宮とうり(旧雨宮うり)
一部  恩返し
31/242

覚悟



時は少し遡る。




届いた報告書を片手に、ヴィルヘルムは執務室のソファに身体を沈めていた。

窓から差し込む夕日が燃えるような朱色に室内を染め、陰影が暗く長く床を這う。

離宮の襲撃から1週間以上が過ぎた。

手元の報告書の中には、ここひと月の流通の情報が詳細にまとめられている。

注意深く隠されているが、物資の流れに不穏な気配が混じる。用心して王都でのやり取りを控えているようだが、武器の取引が活発になり、人の出入りが激しくなっている。複数の商人を使い目立たない様にしているが、食料の大量確保などその動きは忙しない。そしてその陰に、見え隠れするスナヴァールの存在。 

王の暗殺と時を同じくして動き出した内乱の蠢動。

赤毛の侍女の姿が浮かぶ。口元に常に湛えられた微笑。窺い知れないその思いは別にして、女の素性も既に手の内にある。

「王を弑逆し、王妃に権力を取らせれば、戦わずしてオルフェルノを手に入れられるとでも思っているのか…。舐めてくれる」

王の暗殺を目論む者達とて己の首が危ういことに気が付いていないわけではないだろう。

暗殺と共に、動いている内乱の目的は、政治を動かす貴族たちの一掃だ。

(…後に引けなくなったか)

自分が利用しているつもりで、利用されている。諜報、情報操作共に大国だけあって、所詮一国の貴族では渡り合うのは難しかったのだろうが。

そして、アズラエン領とドレイチェク領の境界周辺を根城にする傭兵崩れの名もなき盗賊団、通称名無し。暗殺も請け負う彼らがリュクレスを誘拐した実行部隊であることも特定できている。

東方の民の協力を得て、難航していた彼らの根拠地の場所や勢力分布など詳細な情報が手に入った。山岳での戦闘に強い彼らだが、これほど部隊を分けていれば、本拠地を守る力はない。一掃する良い機会だ。

彼らは災害の火種だ。戦争、強盗、人攫い…人災という最悪の形で罪過を生み出す。

このキナ臭い状況の中、情報に通じている貴族は己の領地に逃げ込み始めている。

それでも王都の貴族の数は多い。

情報に疎いもの、情報を知っていて沈黙を守るもの。

どれほど、痕跡を消そうとも、人が関われば何か残る。

「そろそろ動くか…」

広域に網を張っていたおかげで、思いのほか早く正確な情報が入ってきている。

物の流れ、介在する人々。

その関連図を調べ上げれば、繋がりあう点と線。

錯綜する情報を、真偽分別し処理してゆく過程で、浮かび上がった名前。

その名前はヴィルヘルムにさえ衝撃的を与えた。情報が集まれば集まるほど、その人物へと繋がっていくことに、もう間違いではないかと否定することは出来ない。

だからこそ、決定的な証拠がほしい。

最善であろう選択を選び取ることができるように。

膠着した状態は終わった。

王の寵愛を受けた愛妾を手中にして、彼はどう動くか。

彼女は…どうしているだろう。

脳裏に、和やかに、あどけなく微笑む娘の顔がちらちらと浮かぶ。

名無しの棟梁はとても慎重で、なかなか雇い人と接触しない。

もうしばらくは静観するしかないだろう。

足を折られ、薬物の投薬に加えて、マリアネラの偏執狂的で病的な執着。

あの娘の心身がどれほど疲弊しているかなど考えるまでもない。


囁くような子守唄が、彼女の柔らかく名を呼ぶ声が、耳に甦る。

ヴィルヘルムはそれを振り払うように立ち上がり、執務机に向かった。引出しから使い古した地図とチェスの駒を出し、広げた地図上に、転がした駒をひとつずつ置いてゆく。

腕を組み、俯瞰図を見下ろした。

鋭い眼差しは状況を読み、男の頭の中で計略は構築されてゆく。

ヴィルヘルムが行うべきは何か。

それは、何が起きても王を守り抜けるよう堅固な守りを施し、計画を阻止し、国の安定に努めること、それだけだ。

その為に、彼女を利用することを決めたのだから。

扉を叩く音に入室を許可すれば、開いた扉の向こうから鮮やかな赤髪の男が姿を現した。


ベルンハルト・セバル・エルランデル


冬狼将軍の副官であり、腐れ縁の悪友でもある。

ニヒルな色男はヴィルヘルムに比べいくらか大柄で男臭さを感じさせる。並び立つ二人は同じ年はずだが、10は年上に見えるやたらと貫禄のある男だ。

王城の中、戦場のような緊張感を漂わせる上司の部屋に、普段饒舌な程に語る口は気配を察し無駄口を避ける。飄々とやって来て、机上の地図を見ると目を眇めた。

「用件は?って聞く意味はないな。…王都だけでは済まないか」

「まあな。…ベルンハルト。ロヴァルを率いてオスカリへ向かえ。これ以上スナヴァールに掻き回されるのは御免だ。ついでに、名無しの根城も潰してこい。帰る場所なんて与えてやるな」

「なかなかの重労働をあっさり押し付けてくれるよなぁ。了解。…王都の守備はどうする。武装勢力はそれなりの物資を抱えているようだが?」

「…盗賊団如き、近衛騎士団だけで十分だろう?」

ヴィルヘルムは酷薄な笑みを浮かべる。

警戒すべきは隙を狙う暗殺という行為のみ。どうやら最終的に力押しで来るなら脅威ではない。

「しばらくは手を出そうと思わないよう徹底的に叩き潰せ」

「いいのか?王妃のこともあるだろう?」

「和平条約の元、こちらの国に侵入していた奴らがどの面下げてオルフェルノを非難する?それに、王妃の周囲は穏健派だ。彼女の縁者がこの策謀に関わっていることはない」

そこら辺の情報収集は流石に抜かりない。

相変わらず隙のない上司はいつもの様に泰然自若として、淡々と計画を練る策謀家の顔をしている。硝子越しの眼差しは冷徹な光を湛え、冴え冴えとした雰囲気はいつも通り。

しかし、…どこか苛立ちを隠しきれずにいる。

何もかも彼の思惑通りに進んでいる。

だからこそ、ベルンハルトにはその様子が腑に落ちない。

「なにか、あるのか?」

「…?」

「お前のその緊張感が、だよ」

「…今は相手の出方を待つ時だが、好き勝手されるのは気分のいいものではないだろう?」

それは嘘ではないが、事実でもないだろう。

その程度の事ならば、氷の笑みに罅は入らない。

彼の思考の片隅で、小さな音を立てるもの。

「気になるのは、捕まっている愛妾のことか?」

…沈黙は、酷くあからさまな動揺に見えた。

「だったら、救出しに行けばいいだろう。盗賊団をとっ捕まえれば依頼者の名前も口を割るさ。よっぽど手っ取り早い」

焼けつくような焦燥は、すでに隠しきれず。ヴィルヘルムは、行き場のない苛立ちを断ち切る様に、首を振った。

「…首謀者は分かっても。その場で捕らえなければ、意味がない」

「それは……嫌な予感しかしないな」

ベルンハルトは顔を顰めた。ヴィルヘルムは秘密主義ではないが、必要なことしか話さない。そして、憶測でものを言わない。故に、首謀者を予想はしていても、誰にも話していなかった。明確に名を語らないまでも、それが誰を指し示すのか明らかなその意味に。

現行犯でなければ、慥かな罪の証を提示しなければ断罪できない相手。

取調べも周囲の調査すら手が出せないとするならば。

それは。

二人の脳裏に浮かぶ人物が首謀者であることは、王に苦渋を与えるだろう。

それでも、迷うことなく王に決断してもらわなければならない。

王を守るために、誰が犠牲になろうとも。それはヴィルヘルムが決めたことだ。

…彼女の人となりを知らなければ、こんな思いを抱えることはなかったのに。

個人に肩入れせず、国と国民という大きな括りで大勢の利を優先することに、これほどの迷いを生むことはなかった。

とことん利己的な自分は、己の迷いさえリュクレスのせいにしようとしている。

「…それでも、後悔をするくらいなら。取り返しがつかなくなる前に、動いたほうがいい」

「なんでお前が俺をそそのかすんだ。窘めるべきだろうに」

「お前がらしくないからだろう?そんなに感情ダダ漏れで、何が冬狼将軍だ。そんな顔するくらいなら、さっさと素直になれ。アルだってその子を見捨てるくらいなら、自分の覚悟を決めるだろう」

会ったことの無い愛妾の娘。囮であるとわかっていて協力を同意したという。

アルムクヴァイドが良い子だと賛辞し、ヴィルヘルムをここまで動揺させるその存在を失うことが、彼らにとって良いことに思えない。

「さっさと助けに行け。それが、お前にとってもアルにとっても最善だ。…これは客観的な立場からの助言だからな」

「その通りだ」

二人が驚いて振り返れば、扉にもたれ掛かり王が立っている。

その姿を見て目を見張ったヴィルヘルムは諦めにも似た思いを抱く。

ベルンハルトならともかく、気配に敏いヴィルヘルムが王の登場に、気が付かなかった時点でもう限界なのだと全員が悟る。

「ベルンハルト、よく言った。…ヴィルヘルム、俺ならもう覚悟している。これ以上、あの子に辛い目に遭わせるのは、俺もルクレツィアも本意じゃない。お前も、だろう?」

ヴィルヘルムは彼らしくもなく、緩慢な動きで視線を落とした。

じっと己の掌を見つめる。

そこに何かある様に。遠慮がちに乗せられる小さな手を思い出す。

「…良心を量る天秤…か」

「ん?」

「あの子に会った時の感想だ。…俺がどこへ向かうのか、彼女の存在が俺を測る気がする」

王のためならば手段を選ばずに、道を切り開くと言った己に。

その方向を、どんな道を行こうとするのか、彼女がいつも問いかける。

王の求める道が、ヴィルヘルムには見えない先が彼女には見えているかのように。

酷薄な瞳に躊躇は消え、いつもの揺るぎない灰色の光がアルムクヴァイドを見据える。

「ここで、リュクレスを助けることは、お前に辛い選択を強いることになるぞ」

「覚悟したと、言っただろう?リュクレスこそ、辛い覚悟をあの細い身体でやり遂げている。俺が逃げるわけにもいかんだろう?お前にとって『良心の天秤』だとすれば、彼女は俺たち夫婦にとって『幸せへの導き手』なんだ。さっさと無事に連れ帰ってくれ」

アルムクヴァイドは覚悟を決めれば貫き通す強さを持っている。

彼は決めた。

ならば、自分も自分の気持ちに向き合うべきだろう。

「ソルの部隊と共に出る。後は任せる」

どうやら覚悟を決めた友人に、部下としてベルンハルトはにやりと笑う。

「そうしろ。こちらもすぐに出る」

「まかせた」

「王都の内乱鎮圧の指揮は俺が執る。こちらは気にせず、行って来い」

アルムクヴァイドが肩を叩く。

ヴィルヘルムは頷いた。

三者共に動き出す。

あとは、互いに己の責務を果たすだけだ。



執務室を出たヴィルヘルムの後ろに、ソルは無言で付き従った。

数歩前を歩く将軍が、振り向くこともなく従者に声をかける。

「ソル」

「はい」

「…リュクレスを助けに行く」

足を止めることも、後ろを振り向くこともない。彼の背には覚悟が、その言葉には真摯な思いが宿っている。

ソルは少しだけ、測るように目を眇めると、安堵を含んで小さく笑った。

「…その言葉、待ってました」

「そうか。…今更かと、叱られるかと思った」

リュクレスをもらっていくと言ったソルに、あの時、結局答えなかった狡い男はそんな風に呟く。

「叱るのはあとにしましょう。俺はあの子の『お兄ちゃん』ですからね」

「なるほど」

短く返す言葉には少し苦笑いが含まれている。

ヴィルヘルムとソルでは求めるものが違う。

ソルはリュクレスが幸せであればいいと願う。

ヴィルヘルムの求めるものは、まだ男の中で形にはなっていない。

今まで手に入れたことも、手に入れたいと望んだこともないものだから、伸ばして良いのかさえ惑うのだろう。

それでも、一歩主が先に進むことを決めたから、ソルはもう我慢しなくていい。

「急ぐぞ」

切り替えるような冷徹なる声に、ソルは頷く。

「承知しました。…嫌な予感がします。先行しても?」

「構わん。リュクレスの安全を優先しろ。お前の隊と追いかける」

「はい」


そうして。

…彼女の助けを求める小さな声は、ソルの耳にだけ届くことになる。





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