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蒲公英と冬狼  作者: 雨宮とうり(旧雨宮うり)
一部  恩返し
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<注意> 暴力的な表現があります。苦手な方はご注意ください。



浮かんでは沈む意識の中で、誰かが優しく頭を撫でる。

熱に浮かされたような、朦朧とした意識、重たい身体。

とても長いような、短いような曖昧な時間が流れて、目を覚ませば4日経っていた。

いつの間にか衰弱した身体は、起こすことすら重労働で、身動きの取れないまま。

身体を起こせるようになったのは、5日目の昼間を過ぎた頃だった。


「にゃあ」

猫の鳴き声が聞こえた。ここ数日で、聴き慣れた可愛らしいような、ふてぶてしいようなその声に、リュクレスは顔を上げる。

「君、また来てくれたの?」

瞼を閉じたまま、明るい方へ顔を向けた。

光への感度の高い目は瞼の奥からでも、光を認識して白く知覚する。採光の加減で、リュクレスは正確にその声に方向を知ることができた。

多分、あの黒い猫だ。

あの日から、コツコツと此処へ通っているようだ。

1日1回は必ず、姿を現す。

カリカリと、相変わらず窓の硝子を引っ掻く音。

「にゃう」

もう一度聞こえてくる、その鳴き声。

あの時の猫だと断定できないのは、視認出来ないから。

薄っすらでも瞼を上げれば、白刃のような光に目を焼かれる。白い世界は網膜に何も焼き付けてはくれなかった。


男に足を折られたあの日から、5日。

あの翌日、骨折した足からの発熱にマリアネラの薬の効果が重なり、リュクレスは昏睡状態に陥ったらしい。その次の日も高熱は続き、浮き沈みを繰り返す意識に、衰弱していくリュクレスの状態を憂慮したマリアネラが医者を呼んだ。闇医者だろうその男は、無言で足の治療をすると、いくつかの薬草を置いて行った。皮膚から吸収される薬に、少しずつ熱と痛みは引いてゆき、4日目には熱は下がった。


そして今日。


足首も固定され、動かさなければ我慢できないほどの痛みではなくなっている。

あれ以降赤目の男は現れず、マリアネラだけが毎夜この部屋にリュクレスの視力と意識を奪いに来る。

足の怪我に、身動きもままならない娘に、マリアネラはお気に入りの玩具を手に入れた子供の様に、リュクレスに愛情を注ぐ。

入浴も、更衣も全てマリアネラの侍女達に、抵抗むなしく成すがまま。

まさに着せ替え人形だ。

リュクレスには見えないが、ごてごてに着飾られているのは感じることが出来る。

薬に身体が慣れてきたのか、昼を過ぎれば眠気も減って、霞がかかった頭も鮮明さを取り戻す。

それでも、眼を開いて映る真っ白な世界は、とても心許ない思いを抱かせる。

ぼんやりとした意識の中で、白い世界に一人。

でも、ずっとではないけれど、聞こえていた窓を引っ掻く爪の音、猫の鳴き声。

見えない姿、触れられない身体。けれど、にゃあ、にゃあと自己主張する黒猫が、リュクレスに僅かな安堵を与えてくれる。

狂気と恐怖と、絶望に近い思いの中で、唯一癒される存在。

まだ鼠を狙っているのかと思うのだけれど。

マリアネラがいない時を狙ってやって来ることや、気が付けと言わんがばかりにわざと音を立てる行動に、リュクレスは黒猫が自分に会いに来ているのではないかと、少し期待をしてしまう。

「もしかして、私に会いに来てくれた?」

「にゃう」

まるで肯定の返事でもするように、期待通りに猫が鳴くから。リュクレスは久しぶりに笑うことが出来た。

そんな安堵をあざ笑うかのように。


「楽しそうだな。猫と歓談か」


前触れもなしにかけられた声に、リュクレスは喉の奥で悲鳴を上げた。

陽だまりの暖かさと黒猫の癒しに、自然と力の抜けていた身体を突如走った緊張。

突然落とし穴に落とされたような戦慄に、血の気が引いていく。

それは赤い目の男の声だった。

いつの間に扉は開けられていたのだろう。

「貴方が迂闊なんです」

そんな呆れたソルの声を聴えた気がした。

あの時は、穏やかな世界に守られて笑うことの出来たことが、今は泣きそうなほどリュクレスを後悔させる。

声のした方に身体を向け、じりじりと寝台の上を後ろへと下がる。

「そう、警戒しなさんな」

「彼女が、愛妾?」

「そうですよ。王の寵を独占している娘です」

もう一人、別の男の声がした。若い男の声だった。柔らかく、きれいな口調は貴族特有のものだ。聞いたことの無い声、知らない人物の新たな登場に、より一層不安が膨らむ。

「あの女がいない時でないと、会わせてもらえませんのでね。なかなか苦労しましたよ」

「触れても?」

「どうぞ、貴方の好きになさい」


男の声に混じるどこか淫靡な響きに、部屋の空気が変わった。

その気配にリュクレスの肌がぞわり粟立つ。

若い男の声に威喝や恫喝するような音色はなく、穏やかですらあるのに。

確かに燻る様な熱を感じて、本能的に身体は逃げを打つ。

頭の中で五月蠅いほどに、警鐘が鳴り響く。

縮み上がる自分の身体を必死に動かしてベッドボードまで辿り着くと、震える手でそれを伝い、寝台から降りて逃げ出そうとする。

足の怪我など忘れていた。

泣きそうな顔で手を伸ばし、周囲を手探りで確かめながら寝台を這って逃げる有様は、余りにも無力で痛ましく見え、男たちの嗜虐的な感情を煽りたてる。

リュクレスが寝台の端まで逃げ出すのをわざと待ち、青年は無感情にその腕をつかむと、力ずくで中央まで引き戻した。投げ出された身体を仰向けにして、上から圧し掛かる。

「…あの人はお前の何が良かったのか…手に入れれば分かるのかな」

抑揚のない声が何を求めるのか、リュクレスにはわからない。

「だとさ。ほら、王だけでなく、俺の雇い主の相手もしてやれ。…俺には子供とやる趣味はないが、お前の泣き顔は結構くるな」

ただ、赤目の男の嘲笑、彼らの言葉の意味に、リュクレスは絶望的な気持ちになる。


「いや…いやっ。やだぁっ!離して!」

押さえつける腕を剥がそうと、がむしゃらに抵抗する。

嫌悪感、心まで壊されそうなその恐怖に、リュクレスは悲鳴を上げた。




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