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蒲公英と冬狼  作者: 雨宮とうり(旧雨宮うり)
一部  恩返し
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22



コツコツと、小さな音にヴィルヘルムは顔を上げた。

立ち上がると、音のした書棚へと向かう。天板の端にある細工に触れると、コイルの巻かれるような音がして、書棚がゆっくりとスライドした。

現れた隠し扉を開くと、無言でそこに立つソルに入室を促す。

従者であるはずのソルが城内で知られていない理由は、密偵も担っているからだ。表立ったところに現れることはなく、執務室にもこの隠し通路を使ってやってくる。

いつものように、扉を閉めるとその前に佇むソルに向かい、ヴィルヘルムは席に戻ることなく、机の前で時間を惜しむように、早々に本題に入った。


「見つかったか?」

「はい。ヒュリティア郊外の廃屋に潜んでいました」


ソルの報告はいつものように端的だった。だが、声の抑揚は不自然に抑えられ、いつもの完全なる無表情は剥がれ、その顔色は青白い。

常にないソルの様子に、ヴィルヘルムの嫌な予感はいや増した。

「現在屋敷には頭を含めた名無しが6名、マリアネラと名乗ったあの女とその侍女が3名の計10名が潜伏しています」

「スナヴァールの者は?」

「別行動のようです。連絡係はあの女ですが、まだ動きはありません」

「首謀者の方は?」

「連絡は名無しの棟梁が行っていますが、明確な連絡手段がまだ掴めません」

「珍しい奴が出てきたな。名無しの頭はあまり表に出てこなかったはずだが」

考え込むように顎に手をやり、下を向いたヴィルヘルムに、ソルは意外なこと言った。

「彼は、離宮にきましたよ」

「何?」

弾かれたよう顔を上げたヴィルヘルムを、ソルは凝視していた。その視線は鋭い。

「あの子を連れてきたのが、名無しの棟梁です。今回顔を確認出来たので確かです。理由はわかりませんが…なんとなく、貴方に興味があるようでした」

「私に?」

「ええ。貴方にリュクレスを直接引渡したいような口ぶりでしたから」

「名無しの棟梁が私に何の用があるのだろうな」

訝しむヴィルヘルムに、ソルは首を振った。

「そこまでは、わかりません」

ただこれで、ルウェリントン子爵と名無しの繋がりは証明された。人身売買の市場で需要と供給のパイプとして彼らはつながっているのだろう。

「彼らは連日の移動をやめました。今の場所が本来の隠れ家として準備されたもののようです。他の名無しは10人前後に別れて、王都内に待機していますが、滞在場所はほぼ特定できています」

攪乱目的なのだろう、拠点を変え居場所の特定を避けたその行動が逆に目を引き、情報網に引っかかったとはよもや相手も思うまい。

国内に入り込んだスナヴァールの部隊の位置も外からの情報で今後掴めるはずだ。

どうやら、こちらの意図は相手に露見していない。

計画通りに進んでいることを確認して、ヴィルヘルムは。


…聞きたくて、一番聞きたくないことを、ようやく口にした。

「……リュクレスは?」

あれから3日以上経っている。

淡々として状況の報告を進めていたソルが、僅かだが言葉を詰まらせた。

無意識だろう、握られた拳は今にも皮膚を破りそうな程に強く爪が食い込んでいる。

「生きています」

「ソル」

端的すぎる言葉に、非難が混じっていることを理解する。その非難が正当なものであるとしても、ヴィルヘルムはそれを唯々諾々とは許さない。

実際のあの子の姿を目の当たりにし、それでも救い出すことなく見守るしかできないソルの感情はわからないでもない。

だが、それを選択したのはソル自身だ。

結局はソルの苛立ちも、自分勝手な八つ当たりでしかない。

ヴィルヘルムの命令を破り、助け出す機会はいくらでもあった。

これからも、あるだろう。

ヴィルヘルムはソルを責めない。ただ、名を呼んだだけだ。

その意味をソルは痛いほどにわかっている。

歯がゆさと、焼けるような胸の痛みに耐えるように、ソルは主を見つめた。

「無事、ではありません。逃亡できないように右足を折られ、定期的に薬を盛られています。視力を奪い、意識を混濁させるもののようです。効果が特殊なので、たぶん夜光草だと思いますが……あれは依存性が高い」


半地下の部屋の中に、捕らわれているリュクレスを思う。

あの小さな身体に、想像以上に負担を強いている。


「慰みものにされていないのは、あの侍女のおかげというべきでしょう」

骨を折られた以外、リュクレスの身体が守られているのは、マリアネラの執着のおかげだ。

彼女が、肌身離さず、人形のように愛玩しているから、名無しは手を出すことができない。

だが、あの狂気じみた執着をその身に注がれること自体、虐待でしかない。


ヴィルヘルムは、動揺することもなく、冷淡なほどに冷静に話を聞いている。

否、どれほどに心が千々に乱れても、決して表には出さない人だとソルは主を正確に理解している。それでも、感情の乏しいと言われるソルでさえ、このどうしようもない思いを押し殺すのが辛い。

ヴィルヘルムはそれを綺麗に押し殺すことができる。

リュクレスに何が起きようと、なんとも思わないのではないかと、誤解しそうなほどに。


そうではないと、信じたい。

ソルは、真っ直ぐにヴィルヘルムを見つめた。

「話があります」

「聞こう」

灰色の瞳がひたりとソルを捉える。

その声は、いつもどおりに穏やかだ。

こういう時だからこそ、本当に主は自分の感情を読ませない。

「俺は…主の命令に従います。貴方が助けるなというのであれば、今まで通り監視だけを続ける。俺は貴方を裏切れない」


ここまでは、ヴィルヘルムに忠誠を誓うものとして。

ここからは、ソル個人として。


「…ですが、このまま、貴方があの子を助けないことを選ぶのであれば。全てが終わった時、俺はあの子をもらっていきます。仮令あの子が壊れてしまっていたとしても、何からも切り離して俺が守ります。貴方にも二度と会わせない」

ソルにあの子を守れといったのは、ヴィルヘルム自身だ。

必要ならば見捨てることも辞さないヴィルヘルムにリュクレスと会う資格はないだろう。

漆黒の瞳はただ真っすぐにヴィルヘルムへと向けられ、逸らされることはない。

ソルがそうすると言ったならば、間違いなく彼はそれをやり遂げる。


もう二度とあの娘に会うことはない。


それは、僅かばかりの安堵をヴィルヘルムにもたらした。


だが。


それに答えることが、ヴィルヘルムにはできなかった。





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