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幕間  雨花



「リュシー姉ちゃん!」


大きな声が、明るい空の下響き渡った。

空からだ。

そう思うくらいに高い位置から聞こえた声に、リュクレスは頭上を仰いだ。

眩い陽の光に、視界が白く染まる。

白い長手袋を付けた手で庇を作り、明るさに目を馴染ませようと目を眇め、瞬きをひとつ。

ひらり。

赤いものが視界を過った。

もう一度、瞬く。

目を開けた先には鮮やかな蒼天。

そして。

薄紅色、藍色、橙、黄色、紫……色とりどりの色彩が、雪の様にはらはらと。

音もなく、静かに。


―――空を舞っていた。







****





「思ってたより、随分と小さいんだなぁ」

きょろきょろと周りを見渡し、チャリオットは何とも意外そうに呟いた。

ここが、あの子が育ったところか。

孤児院だけでなく救護院もあると聞いていたから、もっと大きなものを想像していたのだけれど、片田舎の修道院などこんなものなのかもしれない。

考えてみれば、質素清貧の中で生きる修道女たちの住み処が豪勢なはずもない。

建築様式こそ王都の教会と同じく中庭を回廊が囲む典型的なものだが、目立った装飾や彫刻はなく至ってシンプルな造りをしている。ふと香ってくる匂いは薬草園と同じものだから、そこに植えられているのもやはり薬草なのだろう。

回廊の階段からは2階に上がれるが修道女たちと孤児たちの生活の場になっていると聞いたから流石に探索は遠慮して、1階をぶらつく。

ヴィルヘルムやリュクレスは目の前に迫った結婚式の準備で忙しくしている最中なのけれど、勝手に付いて来たチャリオットはと言えば、それはもう暇なのだ。

…いや、あの将軍がそうそう簡単に遊ばせておくはずもないのだが、それはそれ、これはこれ、である。

祈りの場や書物庫、応接室などが並ぶ中、開けられたままの扉がひとつ。

中を覗き込んでみれば、壁の棚に色硝子の小瓶が整然と並べられ、中央の円卓には薬草や精油を精製するための器具が置かれている。どうやら作業室のようだ。きっちりと時間で生活をしている修道女たちは、今は別の場所に居るのだろう。静かな室内にその姿はなく、代わりに円卓で死角となった部屋の隅に、座り込んで額を突き合わせた子供たちが、何やらこそこそと話し込んでいた。どうやら扉を開けっ放しにしていた犯人は彼らのようだ。見るからに「何かをたくらんでいます」と言わんがばかりの様子に、チャリオットはうずく好奇心を抑えきれず、否、抑える気もなく嬉々として、その背後に近づいた。

「だからね、鐘楼の上からばーってばらまくの」

身振り手振り、嬉しそうに両手を広げて一人の少女が言った。

まだほんの子供だ。5、6歳に見えるがもしかしたらもう少し大きいのかもしれない。豊かな生活ではない分、そこに居る子供はチャリオットの見かける子供たちより少しほっそりしている。数えれば6人ばかり、そこに居るのは同じような格好をした子供たちだ。その中でたぶん最年長だろう少年が頷いて、両手を打った。

「それいいな」

それから、隣に座る小さな女の子に向かって、

「シャノンも一緒にリュシー姉ちゃんを驚かせてやろうな?」

年上らしく、ぽんぽんと頭を撫でて笑いかける。自分のスカートの裾を握り締めたまま話を聞いていた彼女は真っ赤な頬をにへらっと緩めて大きく頷いた。

(ああ、あの子は…)

昨日、リュクレスを認めるや否や、一目散に駆け寄り、わんわんと泣き出した子どもだ。戦争孤児で、乳飲み子の頃から年長者であったリュクレス達が世話をしていたのだという。駆け寄る彼女を抱きとめたリュクレスは、首に手を回して抱き着く子供を慣れた様子で抱き上げると、その背中をぽんぽんとあやし始めた。その細い身体で子供を抱く少女に、男たちは心配そうに手を貸そうとするが、リュクレスは「慣れてますから」と、腕の中の温もりを愛おしそうに抱きしめて、にっこりと笑った。


「よし、それでいこう」


邂逅のうちに、彼らの企みは満場一致で決定したらしい。

だが、大人しそうな少年が困ったように首を傾げる。

「でも、まだ蕾ばかりで、お花がないよ」

「あ…」

春の盛りであれば野にも花は溢れているが、今はまだ初春もいいところだ。満開の花などあるわけもない。

「うーん、そこなんだよなぁ…」

うんうんと悩んでいる子供たちのなんと可愛いことか。なんとなく、彼らのしようとしていることを汲みとって、チャリオットはにんまりと笑った。


「そこはお兄さんに任せてみない?」


唐突に響いた楽しそうな声に、少年少女は驚いて振り返った。





「本当にお花届くの?」

不安そうにチャリオットに尋ねたのはこの孤児院の最年長の少年であるトールだった。

「もっちろーん!俺そういう嘘はつかないから。それにリュクレス嬢が喜ぶことなら、俺たちも参加したいし。ね、将軍?」

不安そうに見上げてくる双眸にゆっくりと笑いかけて、チャリオットは隣に立つ上司に話を振った。

「面白そうだから、混ぜて」と強引に首を突っ込んだ彼は、そうして何故だか、将軍まで巻き込んだ。

ヴィルヘルムはそれには答えず、そこにあった小さな椅子に腰を下ろす。そうすると、見下ろされていた視線がちょうど真っすぐ向い合せになる。

睨まれているわけでもないのに、灰色の瞳に見つめられ、少年は固まったように動けなくなった。助け舟を出すように、チャリオットが笑う。

「将軍、子供たちを泣かせると、リュクレス嬢に叱られるよ?」

「泣かせていないだろう」

不本意そうに顔を顰める。

「いや、このまま行けば泣かせると思うなー。貴方のひと睨みがどれほどの圧力か知らない訳じゃないでしょう?」

「睨んでもいないが…まあ、確かに牽制はしてしまったかもな」

「大人げない」

「うるさい」

軽口をたたき合う大人たちを少年はぽかんと見つめる。ぽんぽんと寝台の端を叩かれ、「ここに座って」と誘導されて彼はチャリオットの横に座った。

静かなこの部屋は子供たちの部屋だ。質素な部屋だけれど、ちゃんと暖炉もあるし、彼らが座っている寝台にかけられた布団も自分たちで栽培した綿花を使って作られた柔らかで温かいものだ。その布地は可愛らしいパッチワークになっていて、継ぎ接ぎだらけの見窄らしさは感じない。

「一度君たちとゆっくり話をしたかったのです」

先ほどと同じようで少し違う、和らいだ灰色の瞳に、少年は首を傾げた。

絵本の中の勇者と同じくらい強くて遠い、子供たちの憧れるこの国の英雄。その人が話している、話し掛けられているという事実にちょっと現実味が湧かない。

そんな少年の内情に気が付いて、ヴィルヘルムはやんわりと苦笑した。

「此処に居るのは英雄などではないですよ。君たちから大切な人を引き離す人でなしだ」

「え…」

「結婚式が終わり次第、リュクレスは王都へ連れ帰ります」

きっぱりと言い切ったヴィルヘルムに、二言はない。口にしたからにはそれは決定事項である。

「ね、君たちは……リュクレス嬢に行かないでって、自分達だけ置いていくのかって、思わない?」

さっきまでのちゃらんぽらんな感じはなくって、とっても真面目な顔をして問いかけてくるチャリオットに、少年は彼らが何を心配しているのかを理解する。

(ああ、そうか。将軍はリュシー姉ちゃんに悲しい思いをさせたくないんだ)

ほっとして、胸が暖かくなった。彼らは本当に自分たちの大切な姉であるリュクレスが辛い思いをしないように心を砕いているのだ。

(なら、大丈夫。リュシー姉ちゃんは、きっと、幸せになれる)

嬉しさに鼻の奥がつんとした。

眼の奥がじんわりと熱くなるのに気が付きながら、トールは口を開いた。

「行かないでって誰かが言えば、きっと、リュシー姉ちゃんはここに居てくれると思う。俺たちのために」

自分の想いを仕舞い込んで、きっと子供たちの伸ばした手を握り返してしまう。

「……うん、そうだろうね」

大切な故郷。貧しい生活をリュクレスは厭わないし、彼らが自分の足で立って、ここを巣立っていくまで見守ることを、きっと嫌がりはしないだろう。自分の幸せを犠牲にしているなんてちっとも思いもしないはずだ。大切な人たちが幸せになるのなら、彼女は自分に出来る限りのことをしようとする。

「ずっと、そうだったんだ。……自分より年上の人達が居た時から、ずっと。いつだってリュシー姉ちゃんは自分のことは後回しなんだ。お姉ちゃんなんだからいいんだよって、いっつも笑って」

細い身体。走れない足。

それでも儚さなんてない。日向の陽気みたい暖かくてのんびりした人。

するすると木に登ったり、泳げないのに皆に混じっていつの間にか川の魚を捕まえていたり。

こっちがはらはらするくらい、行動的なところもあって。

辛いときでも決して辛いって言わない頑固な一面も持っている。

多分、修道院で誰よりも痩せた身体は、皆を守っていたからだ。

怖い貴族たちの嘲笑や見下ろすその視線に耐えることも、屈辱的な言葉を投げる相手へ感謝の言葉を伝えることも、みんな矢面に立って行っていたのはリュクレスだった。

大丈夫、大丈夫。お姉ちゃんだから。

そう言うリュクレスとトールはたった4歳違うだけ。だからトールは、自分がリュクレスと初めて出会った年になったとき、彼女がいかに子供であったかを理解して愕然となった。

子供だから言葉の意味が分からないかと言えば、そんなことはない。

鈍いわけでもない。とても感情豊かで、感性の豊かな人だから、心無い言葉に、その行動にどれほど胸を痛めただろう、傷ついたのだろう。それでも、誰にも心配を掛けない様に彼女は朗らかに笑うのだ。

傷ついた心で、陽だまりのように温かく人の心を温めるのだ。

天然でどこか頼りないところもあるのに、皆のお姉ちゃんであったリュクレス。


皆の心を癒して、皆を家族にしてくれた大切な人だから。


「姉ちゃんはずっと子供の頃から守る側だったんだ。姉ちゃんだって、まだ小さい子供だったのに当たり前みたいに皆を守ってくれた。だからね、手紙で慕っていた将軍が姉ちゃんを守ってくれているって知って、俺達、嬉しかったんだ。戻ってきた姉ちゃんがすごく綺麗になっていて大切にされているんだって……本当に幸せなんだってわかってほっとしたんだ。俺たちはもうたくさん守ってもらったよ。だからね?今度は俺たちがリュシー姉ちゃんを守る番だと思うんだ」

傍にいないのは寂しい。シャノンもきっと寂しくて泣くと思う。でも、ちゃんとお別れは言えると思う。

だって、リュシー姉ちゃんが大好きだから。

「俺たちを置いて自分だけなんて思わないよ。だって今まであんなに頑張ってたんだもん。神様がご褒美をくれたって、可笑しくないよね?」

寂しいけど、大切な人が幸せであることは嬉しくて。言葉にすればするほど、胸が熱くなって、痛くなって、溢れた感情がぽろぽろと涙となって零れ落ちる。

静かに彼の思いを聞いていた将軍はすっと手を伸ばし、褒めるように少年の頭を撫でた。

「君たちは優しいな」

「そっ、そんなことはないよ」

とても優しい目でそう言われ、零れ落ちる涙を拭われて少年は顔を赤くして首を振った。

零れる涙の意味を将軍はちゃんとわかってくれている。

寂しいと、彼らの思いを知っていて。

それでも幸せになってもらいたいのも本当だから、ちゃんと我慢出来るよと、その言葉は口にしなくても伝わって。

将軍は静かな表情で、真っすぐにぶれることの無い眼差しを彼に向けた。

子供だからと侮ることの無い誠実な視線に、トールは惹きつけられる。

「私は君たちから、リュクレスを奪ってしまうけれど。その代り、君たちに選択できる未来を約束しましょう」

「未来?」

「例え孤児であろうとも。君たちが努力するならば、なりたいものになれ、したいことが出来るそんな未来を。自分の足で立ち、毅然と顔を上げて生きていける、そんな国にしてみせる。ですから、あの子と共に生きる事を許してください」

「うん。将軍を信じるよ。……大切にしてね」

「必ず」







そうして結婚式当日。



教会の鐘楼からひらひらと降り注いだのは色鮮やかな花の雨。

舞い落ちる花びらに、空を見上げていた彼らの表情が一様に驚きから笑みに変わる。

ほうと、零れる歓喜の声。

ベールを滑り落ちていく花弁に、リュクレスは溶ける様な笑みを見せた。

そして、教会の屋根の上から、得意満面の笑みを見せる二人の子供に向かって大きく手を振る。

それに応えるように降ってきたのは。


「おめでとう!」

「りゅしーおねえちゃん、おしあわせに~!」



子供たちの心のからの祝福と願い。



―――大切な家族に、どうか降るような幸せを。









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