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幕間  居残り組の閑談



「主がいない城内はやはりどこか静かですね」

静かな声に、ディートフリード・グスタフ・エンディダールはついと視線を上げた。

正面の扉の前に逞しい体躯の男が立っている。赤い髪が目に鮮やかだ。彼は視線を受けると、静かに騎士の礼をとった。その彫りの深い顔にささやかな苦笑を浮かべて、非礼を詫びる。

「失礼、ノックはしたのですが」

「いや、こちらこそ失礼した。少々集中しすぎていたようだ」

ひとつの事に集中すると、周りが見えなくなるのは昔からの悪い癖だ。

部屋の隅に控える従卒のおろおろした様子から見るに、彼とて何度となく声を掛けたのだろう。「お前も気にするな」と声を掛け、いつものようにお茶の用意を頼む。小柄な青年はほっとした顔をして部屋を出て行った。そうしてから、改めて赤毛の騎士を招き入れる。

外郭に居ることの多い騎士団の副官がこちらに来ることは珍しい。

「さて、お待たせして申し訳ない。一体何用かな?エルランデル卿」

始終消えない眉間の皺のせいで酷く気難しい顔をしているであろうことは自覚しているが、エンディダールにとってはこれが常の顔。互いに短くない付き合いである。気にはしていないだろうと、執務机に肘をついたまま両手を組んでベルンハルトを見る。

彼は勧められたソファに座りながら、ふと笑った。

「リディアム領に新設する部隊の予算の件で少々お知恵を拝借したく……と言うのは建前で、まあ、お礼を言いに来たのです」

「礼、ですか」

はて、と思考を巡らせる。

「陛下の臣としてではなく、彼の友人として。ノルドグレーン行きを後押しして頂いたこと、感謝します」

現在、国王夫妻は視察のためノルドグレーンに滞在中だ。実際は親友の結婚式に参列するという至極個人的な理由なのだから、どこかに協力者が居なければ行くことなど、出来はしなかっただろう。

それでなくとも、王と将軍が揃って王城を離れるなど、戦時下以来のことである。

陰の協力者たる男は、融通の利かないような渋面で、にこりともせずに赤毛の若者を見つめた。

「貴殿は行かなかったのだな」

「俺まで行ってしまっては流石に何かあった時、まずいでしょう?」

「ふむ」

国政の補助はエンディダールにも出来るが、軍部への影響力はほとんどないに等しい。確かに将軍の代行が出来るのは彼をおいて他にはいないだろう。


だが、彼も将軍とは知己の仲。


「よかったのかね?」

「なにも結婚式に参加するばかりが祝い方じゃないですしね。陛下が心置きなく参加できるように協力することが俺なりの奴への祝儀です。まあ、戻って来てから良い酒を飲み交わすくらいで丁度いい」

きっとあちらでは、満面の笑みを浮かべるアルムクヴァイドに向かって、「お前まで城を抜け出してどうする」とヴィルヘルムが呆れた顔を向けていることだろう。

そんなことを言って笑いをかみ殺す男に、エンディダールは何ともひねくれた祝儀もあったものだと呆れた。

「素直でない祝儀ですな」

「いいんですよ。どうせ、締まりのない顔をしてるに違いないんですから。多少驚かせてやれば、少しはましになるというもんです」

してやったりな顔をする副官に、首を傾げる。


あの作り物めいた冷たい男の、締まりのない顔?


想像つかずに、訝しむ。

「あの将軍がかね?」

「ええ、あいつがです」

「女人で変わる質には思えなかったが」

「ははっ、らしくもなく振り回されていますよ。たぶん、あの娘を見れば、貴方でも驚くんじゃないかな。俺もかなり意外でしたからね」

「ほう?」

可笑しそうに喉をならすベルンハルトの言葉に興味を引かれて先を促す。

「あいつ曰く可憐でありながら逞しい野の花だそうです。確かに可愛らしく稚いのに、向けられるあの眼差しは心の中まで覗かれそうなほどに澄んでいる。あの真っすぐさは確かに強さなのでしょう」

澄んだ眼差しを想像し、そう言えば、とても美しい瞳をした娘だと噂になっていたのを思い出す。

「湖水の君……でしたか。噂になっておりましたな」

「ああ、あの夜会ですね」

フェリージアを送る舞踏会で、話題をさらった湖上の妖精。将軍の最愛。

残念ながらエンディダールはあの日遅れてきたために、話題の女性とは会えていない。

が、しかし、将軍の妻ともなれば、遠からず顔を合わせることになるだろう。

そう口にすれば、ベルンハルトが肩を震わせて首を振った。

「さあ、それはどうでしょうか。あいつがおいそれと彼女を外に出すとは思えない」

「そう言えば貴族の娘ではなかったか。社交の場に連れてくるのは控えてしまうかもしれませんな」

まだ、貴婦人としての嗜みを学んでいる最中なのだろう。立ち居振る舞いやマナーと言うものは付け焼刃で身に付くものでもない。

そう納得したエンディダールだったが、ベルンハルトはそれを綺麗さっぱり否定した。

「いえ、そうではなく。独占欲ですよ。愛する妻を何故他の男に見せなければならんのだと、本気で思っていますからね」


「…………」


暫しの、沈黙。


耳を疑ったが、副官の人の悪い笑みからして、聞き間違えではないらしい。

「あれだけ女性との火遊びをしておいて何を青いことを。初恋でもあるまいし」

呆れを滲ませて出てきた言葉に、ベルンハルトがとうとう我慢できずに吹きだした。

「初恋だそうですよ?大人げないことに女性にすら嫉妬する有り様ですからね」

声を震わせて笑い続ける男は実に愉快そうである。

それを見ながら、エンディダールは冬狼と言われた男を思い出す。


戦場いくさばでの姿は知らない。

だが、議会という戦場での姿ならば知っている。

氷の笑みと、鋭利な言葉で舌戦を制する冷静で冷酷な美貌の将軍。


それが、初恋。


あの年で。


「……拗らせてますな、色々と」

エンディダールはそう返すに止めた。

何を、と言わないでおいたのはせめてもの情けである。

微妙なとしか言いようのない顔をしたエンディダールの反応に満足したのか、ベルンハルトは少しして笑いを治めると静かに尋ねた。

「それにしても、何故、貴方は協力をしてくださったのです?王が臣下の結婚式に参加するなど、寵が偏りすぎているとは思わないのですか?」

問いかけはさり気なく、けれどその目にはふざけた色はない。

これこそ、彼にとっての本題だったのだろう。

考えてみればお互いに、仕事のやりとりしかしたことの無かった間柄。エンディダールの行動にその意図を確認したくなるのは致し方ないことなのかもしれない。

何か思惑があるとして、それをおいそれと知らせるような甘い人間のつもりははいが、しかし、今回においては実際何の裏もない。

エンディダールは、手元に残っていた書類に目を落とした。先ほどした署名のインクが乾いているのを確認して、処理済の書類の山にそれを乗せる。

国内の街道の整備、ウェナ河周辺の灌漑政策、各領地での産業の推進、平民向けの教育体制の構築や医療を充実させるための医師や薬師育成。アルムクヴァイドが広く思い描く国の図面を、ヴィルヘルムが現実的な施策へと落としこんでいく。エンディダールの元にあるこれらはその欠片だ。

彼らに対し、国民に向き合う為政者としての誠実さを感じることはあっても、私欲を感じたことはない。


ベルンハルトの質問に対する答えならば、それが全てだ。


エンディダールは己を見つめる彼に視線を戻すと口を開いた。

「彼らは王と臣下である前に、親友同士だ。そこにいるのは王でも将軍でもない。親友の幸せを祝いたいだけの、騎士学校時代から馬鹿をして笑い合った友人がいるだけだ。それを寵がどうのというのは少しばかり無粋だとは思いませぬか」

普段は周囲を慮って決して、立場を崩そうとしない二人のことだ。こんな時くらい、多少協力しても罰は当たるまい。

純粋な厚意であると知らされたベルンハルトは目を丸くして、それから思わずと言うように苦笑を漏らした。

「……なんというか、俺は貴方を誤解していたらしい」

「ほう?」

「もっと、頭が固いと思っていました」

言葉を濁すことも忘れ、つい本音を漏らす。だが、石頭と言われた当の本人は怒ることもなく、僅かに口角を引き上げた。

「誤解では無いだろう。自分で言うのもなんだが、柔軟とは言い難いと性格をしている自覚はある。ただ、貴殿らと付き合い始めて私も10年だ。多少は毒されてきたのだろう」

「なるほど」

ベルンハルトはすんなりと納得する。


類が共を呼んだわけでなく、朱に交わって赤くなったらしい。


「アクの強い二人ですからね」

それは染まることもあるだろうと、他人事のように彼らの悪友は言う。それに対して、エンディダールは呆れた口調で突っ込んだ。

「その二人と友人を続けている貴殿も相当だと思うが?」

ベルンハルトは、それもそうかと呟いて、それから笑う。

「ええ、まあ。否定はしません。なんというか、……臆面もなく親友なんて言葉を口にする陛下とそれを恥ずかしげもなく受け止めるあの二人の関係が嫌いじゃないんですよ。人間くさいでしょう?」

二人の能力の高さは人を遠ざけるものだ。だが、彼らはその人柄で人を惹きつける。

完璧だから、ではない。

彼らが、彼ららしさを失わないからだ。

獅子王だとか、冬狼将軍だとか英雄扱いを受けていながら、彼らは騎士学校時代から変わらず、どこか泥臭いくらいに全力で走り続けている。

そんな二人の姿を少し後ろから見守っていけるこの立ち位置がベルンハルトは嫌いじゃないのだ。

ただしと、彼は一言忘れない。


肩を並べるのは全力で辞退すべきである、と。


王だけでなく、流石に親友同士。良識あるように見せかけて、実は将軍も非常識なのだ。アルムクヴァイドがどんなとんでもないことを仕出かしても、「仕方ないな」でさらりと終わらせる彼が常識のある人間な訳がない。散々、「ふざけんなー!」と叫んだ騎士学校時代が甦る。

だから、隣は遠慮して、一歩引いたこのあたりにいれば被害をこうむることはない。いや、若干かぶるは被るが、……許容範囲だ。

たぶん。

最後の方は無理やり自分を納得させている副官に、エンディダールは思わず労いの言葉をかけていた。

その顔にいつもの険しさはない。

こんな風に彼らについて語る機会など今までなかったから、こうして生身の彼らを知れば親近感もわこうというもの。

「彼らと共に働けるのは光栄であり、楽しくもありますな。時に呆れることもありますが、退屈だけはしなさそうだ」

彼らの目標が高い分、苦労は多いが、徒労感を覚えたことはない。

達成感の方がより胸を占めるからなのだろう。

そんな風に改めて今までを振り返りながら、遠い空の下の彼らを思った。


ノルドグレーンの地で行われている結婚式は、将軍の結婚式とは思えないほど簡素なものらしい。

豪華な舞踏会も、晩餐会もない。

ただ、冬狼の前で誓いを立て、親しい人々とその喜びを分かち合う。

そんな慎ましやかで穏やかで、優しい祝賀。

だが、実際に参加している者達だけでなく、参加せずとも、こうして彼らを祝福する者達が居る。

貴族の結婚はどうしたって政略的なものが多い。水面下で思惑が錯綜する形式的な結婚式ばかりを見てきたが。

想像するしかない結婚式だというのに、誰もが笑顔でいる事だけは確信できてしまって、エンディダールは笑ってしまった。




蒲公英が草原に揺れ、冬狼が微睡む。

厳冬を越え、オルフェルノは春を迎えていた。








予想外の人物であったのならば、ちょっと嬉しい。

将軍たちから一歩離れた人たちもこんな風にささやかに祝福をしていたりするのです。

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