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「さて、そろそろ失礼しようか」

伯爵は手にしていたカップをソーサーの上に戻すと、静かに暇を告げた。

まだ外は明るいものの、斜めに差し込んだ日差しが絨毯の上に長い影を伸ばし、夕暮れは直ぐ側まで迫ってきているようだった。

随分と長居をしてしまったと、彼は穏やかな顔で笑う。

なんだかんだヴィルヘルムに文句を言っていたものの、歯に衣着せぬ物言いは腹を割ったからこそのものである。どこかスッキリとした伯爵の表情に、どうやらいつの間にか信頼を勝ち取っていたらしいと不思議には思うが、リュクレスの前でその理由を尋ねるほど、ヴィルヘルムは無粋ではなかった。

名残惜しげに溜息を付いてオクタヴィアも、やがては淑やかに微笑んだ。

「そうね。これが最後というわけではないもの。…リュクレス、またお話しましょうね?」

「はい!」

打てば響くような無邪気な返事に、彼女を独占することはなかなかに難しそうだと、これからの未来を思って小さく笑みが零れる。

ささやかな約束を交わし合う娘たちを見守っていた伯爵が、少し間を置いてから立ち上がり、オクタヴィアがそれに続くとヴィルヘルムも同じように立ち上がって慣れた動きでリュクレスに手を貸した。

返ってくる感謝の言葉に微笑みで返して、そっと彼女の耳元に唇を寄せる。

「彼らにも結婚式に来てもらえるよう、お願いしてみましょうか?」

不意打ちの囁きに、リュクレスは少しだけ驚いたように目を丸くした。

その瞳に、…いいのかな?迷惑にならないかと、迷いが浮かんだのは一瞬。

礼も過ぎれば無礼となることに気付かないほど、彼女は愚かではない。

それは直ぐに打ち消され、リュクレスは破顔して大きく頷いた。

愛らしい笑顔に抱きしめたくなるが、人前でいちゃつくなと目で訴えられては無視もできない。ヴィルヘルムは表情を改めると父娘に向かい合った。

「結婚式は、ノルドグレーンの彼女の育った教会で挙げようと思っています。お二人と、忠実なる執事殿に、招待をお送りしてもよろしいですか?」

「…まぁ」

オクタヴィアが目を見開いて、口元を覆った。その瞳に浮かぶのは喜びの色。それを見ながら、ヴィルヘルムは続けた。

「リュクレスを見守っていた貴方達に彼女の幸せな花嫁姿を見て欲しい。そして、二人で幸せになるという誓いを見届けて欲しい」

男の隣で「お願いします」と、リュクレスが頭を下げた。

お願いなどされなくても、見守ってきた娘の晴れ姿を見届けることが出来るという事に、否など在ろうはずがない。オクタヴィアは、同意を求めるように父親の腕を掴んだ。

「もちろんですわ!ねえ、お父様」

「…ああ」

おっとりとはしゃぐ娘に比べて、伯爵は端的に答えるのみだ。だが、そこに混じるのは彼女と同じもの。どうにも素直ではない彼は、喜ぶことも下手らしい。

「式の付き添い役は、もう決まっていますの?」

期待を滲ませるオクタヴィアに、ヴィルヘルムは苦笑を返した。

「ええ。彼はその役目を決して誰にも譲らないでしょう」

「あら、残念ですわね。お父様」

言いながらも愉しそうな光を閃かせる娘に、伯爵はふんと、鼻を鳴らした。

「娘を奪われるあの役はそれほど嬉しいものではないよ」

「あらあら」

どこか拗ねた様なその態度に、オクタヴィアは笑みを誘われる。

自分の結婚式の時にもそんな思いをさせたのだろうか。

そう思い、…笑みは自嘲に変わった。

きっと忸怩たる思いばかりをさせたに違いない。

あの結婚式は、愚劣な花婿以外、誰も望んでいなかったものだったから。

回避できずに迎えたあの日、悲痛な空気は葬礼のように陰鬱で、「幸せに」なんて祝福の言葉、皮肉にしかならなくて。

だから、父から贈られたのは、「すまない」という謝罪の言葉。

花嫁の父としての喜びを、父は知らない。

リュクレスの幸せを思うのは真実で、けれども少しだけ混じり込む自分本位な願い。

どうか、今度こそ。

祝福が降るような素晴らしい結婚式を見せてあげてほしい。

教会で花嫁を花婿のもとに送り渡す付き添いは父親の役目。

出来れば、それを父にして欲しいと思ったけれど。

参列者としての方が心穏やかに彼女の幸せを祈ることが出来るというならば、それはそれでいいのかもしれない。

娘をやる父親の複雑な気持ちは、娘には、やはりわからないのだから。






リュクレスは、ほっと胸を撫で下ろした。

きっと、喜んでくれる。彼らは、そういう人たちだ。

そうは思っていたけれど、実際に喜んで受け入れてもらえると安心する。それは本当のことなのに、結婚式というものに実感が持てない自分をリュクレスは自覚していた。

彼女にとっては縁が無さ過ぎて、今でさえまだ、どこか他人事のようなのだ。

幸せそうな花嫁を見ることは大好きだった。

でも、その花嫁の立場に自分を置き換えることが上手く出来なくて。

こんな奇跡のような出会いがなければ、ラジミュールのように修道女として生きていくことに、なんの迷いもなかったからかもしれない。

孤児たちは15を過ぎれば修道院を出て町で生活をするか、神に仕える道を歩むのかを選ぶ。リュクレスは教会での生活を選択した。

修道女でなかったのは、同じ立場で彼らの姉として、孤児院の子供たちの世話を託されていたからだ。戦争で孤児が増え、面倒を見なければならない幼子が増えたから、深くは考えていなかったけれど。

もしかしたら、ラジミュールはリュクレスの花嫁姿を望んでいてくれたのだろうか?

オルフェルノの教会は聖職者の結婚を禁止していないけれど、修道女ともなれば、やはり冬狼神への信仰ゆえに恋を捨てるものが多い。リュクレスは不器用だから、きっと恋など選べなかった気がするのだ。

そんなふうにつらつらと考えていたら、厳しく見えてとても優しいラジミュールの、時々しか見せない柔らかな笑顔が唐突に蘇ってきて、胸が苦しくなった。

押し寄せた郷愁がリュクレスの息を詰まらせて、目が潤む。

知らずにいたたくさんの愛情に嬉しいばかりのはずが、どうしてだか子供のように泣きじゃくってしまいたくなって、ぐっと耐える。

俯いたリュクレスの気持ちに、きっとヴィルヘルムは気付いている。それでも、あえて気がつかないふりをして、彼は優しい声音で話を続けた。

「結婚式については君よりも周りが張り切っていますからね。衣装に関しては王妃が張り切っていますし、付き添い役なんて取り合いでしたから。チャリオットやジルヴェスターだけでなく、アルバまで立候補して。ノルドグレーン伯まで参戦していたら三つ巴、四つ巴どころでは済みませんでした」

苦笑するヴィルヘルムに、リュクレスはまだ顔を上げられない。

けれど、少しだけ笑って尋ねる。

「もしかして…一緒に歩いてくれるのは、ソル様ですか?」

「正解です。アルが、俺がやると言ったのさえ、ひと睨みで黙らせましたからね」

後半の言葉は、リュクレスにだけ聞こえるように小声で言う。伯爵に聞かれたならば、王様の威厳が形無しだ。

自分の従者ながら、最近本当に遠慮がない。「育て方を間違えたかな?」なんて言っているから、思わず吹き出した。

「誰に育てられたっていうんです?」と真面目に返すソルが思い浮かんでいるのは、きっと、リュクレスだけではないはずだ。

だって、ヴィルヘルムも同じように笑っている。

「あいつなら君も喜ぶでしょう?」

「はい」

笑みとともに目尻に涙が滲むのをヴィルヘルムが優しく拭われて、ようやく顔を上げることの出来たリュクレスに、彼は少しだけ不満そうな顔をした。

「…何故だろうね。時々、本気でソルに負けた気になるのは…」

「え?」

無自覚な懐き具合に、ヴィルヘルムがソルに嫉妬していることを、そろそろ理解してもらえないだろうか?そう思いながら、無理だろうと悟る。彼女にとって刷り込みといっていいほど、ソルは無条件で信頼するお兄ちゃんなのだから。

少し恋人の機嫌が傾いたことには気がついたリュクレスだったけれど。

幸せでいっぱいの彼女は、多分無敵なのだ。

陽だまりのような温かい幸せをお裾分けするように、ヴィルヘルムの手を取る。それだけで、彼は不機嫌ではいられない。

手を取り合う二人を、伯爵は仕方なさそうに、オクタヴィアは微笑ましそうに見つめていた。

溜息をひとつこぼして、ノルドグレーン伯爵は穏やかに尋ねる。

脳裏に映るのは遠く愛おしい、故郷の景色だ。

「将軍も知ってのとおり、ノルドグレーンの雪は深い。いつ挙式を?」

「春を待って、ですね」

暦的には2月後…くらいか。

その頃には雪解けも過ぎ、大地は瑞々しく生命に溢れていることだろう。

美しく生き生きとしたあの地で、少女は美しく咲き誇るだろう。

それが楽しみなような、苦々しいような。

複雑な心情をも含めて、伯爵は優しく笑った。


「二人とも、幸せになりなさい」


その言葉に若い二人は顔を見合わせる。

ゆっくり微笑み合うと、揺るぎない声で確かに。


「はい」と、言葉を重ねた。








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