13
「嫁にはやらんとでも言いそうな顔をしてらっしゃるわねぇ、お父様」
しばらく続いていた、多少ならず、相当大人げない攻防に、呆れて口を挟んだのは、オクタヴィアだった。
言葉を選ばず、ずけずけ言いたいことを言うなんて、領主として賢明な父親は親しい人間の前でもほとんどしたことがない。魔物の巣窟のような王城で采配を振るってきた将軍も似たようなものだろう。
そうならば、これは舅と婿喧嘩もどき。
否、孫の連れてきた恋人を相手に嫌味を言う祖父のじゃれ合いだ。
彼らは言葉の応酬を楽しんでいる。
リュクレスにもそれがわかったのだろう。おろおろしていたのは初めのうちだけで、今はもう、のほほんと二人を見守っている。
その、のんびりとした表情にオクタヴィアも癒されながら、嘆息する。
(……まあ、確かに悔しいのも本当なのでしょうけれど)
孫などというのは無条件でかわいいものだ。それが、あんなにも純朴に、素直に育っていたら確かに手放したくはないだろう。しかし。
流石に往生際が悪いですわと、止めを刺すような言葉は、口にせずともしっかり顔に出ていたらしい。正確に娘の気持ちを読み取った父は渋い顔になり、将軍はそれを見て苦笑しながら、「そうですね」と同意した。
父にじろりとひと睨みされているが、若いとはいえ相手はこの国の守護神と言われる人物だ。まるで動じることなく、穏やかに微笑み返している。
その目元は非常に涼しげだ。
「こうなることがわかっていると、言ったではありませんか」
「……」
返されることの無い応えは、沈黙は肯定でしかない。
それを理解している将軍は、苦笑を深めた。
「老若男女問わず、この子は魅了してしまうのですから。私が隠しておきたくなるのも無理のない話でしょう?」
否定はできないが、肯定はしたくない。
複雑な思いを滲ませた伯爵の表情をリュクレスはどうやら誤解したらしい。困った顔をしてヴィルヘルムを見上げた。
「ヴィルヘルム様…それは勘違いだと思いますよ?」
「おや?」
「だって。皆を魅了するならきっとヴィルヘルム様の方です」
「私は魅力的ですか?」
「もちろんで…っ!…す、よ?」
当然の様に肯定しようとした少女は、ふと何かに気が付いた様子で顔を赤らめた。わたわたと焦りながら、小さな声で囁く。
「こういうことは人前で言っちゃダメなんです。王様みたいに叱られますよ?」
「人前でイチャイチャしてはいけません」というカナンとアスタリアのどこか怖い笑顔を思い出してリュクレスはふるりと身を震わせた。
そんな彼女は気が付かない。
「二人きりならばいいのか…」と言う突っ込みを飲み込んだであろうノルドグレーン伯爵が、肩を震わせたのを。
内心号泣しているのではないだろうか?
ヴィルヘルムは面白そうに眺めていたが、流石に笑うのも失礼かと思い直して見なかったふりをする。
そうして、リュクレスには「今更な気もしますけれど」と、彼女のうっかり具合を指摘しつつも、それ以上突っ込むのはやめにした。
ヴィルヘルムとて生ぬるい微笑みを向けられるのは遠慮したい。
侍女長など絶対に目が笑っていないのが、想像できる。
宮廷の強者を思い出して、ヴィルヘルムは話を変える事にした。
「…そういえば、お茶も冷めてしまいましたね」
「あ、本当ですね」
リュクレスがすすんで給仕に立つと、改めて全員分のお茶を用意し始めた。
丁寧だが手際よく並べられたカップの中に琥珀色のお茶が注がれていく。水面が波紋を浮かべ、絡みつくような湯気が立ち上ると、お茶の匂いが鼻腔を擽った。
リュクレスの入れるお茶は、味に煩い侍女たちも絶賛する美味しさである。そして、彼らにとっては、とても懐かしい味がするはずだ。
何故ならば、リュクレスにお茶の入れ方を教えたのは彼女の母親なのだから。
案の定、お茶に口を付けた父娘が不自然に動きを止めた。こくりと嚥下して、オクタヴィアがリュクレスに笑いかける。
「美味しいわ」
その一言に含まれた色々な想いを受け止めて、彼女はにこりと嬉しそうに微笑んだ。
懐かしいお茶の匂いに、オクタヴィアが苦笑する。
「レスターが羨ましがるわね」
「レスターさん…ですか?」
誰だろう?と、リュクレスがその名前を繰り返す。
「ええ、今朝先触れとしてやったうちの執事よ」
「ああ!」
リュクレスはきりっと隙のない壮年の執事を思い出して、ぽんと手を打った。
「すごく気になることを言って去っていったと思うのだけれど…」
「は、はい。でも、今はもうその理由もわかりました。レスターさんも、ずっと見守ってくれていたんですね」
領主であるノルドグレーン伯爵や伯爵令嬢であるオクタヴィアが、そうそうリュクレスの所まで来られるはずもない。ならばきっと、実際に見に来ていたのは執事である彼だったのだろうと、ここまでくれば容易に想像はできる。
「ふふ、察してくれてありがとう。彼は普段、分を弁えた控え目な執事なのですけれども、余りにも将軍が貴女をお隠しになるものだから…今朝の非礼は寛大なお心でお許し願えれば幸いですわ」
反省していると言う割に、執事は満面の笑顔だったけれど…と、それは言わぬが花だろう。
オクタヴィアは笑顔のまま、感謝はリュクレスへ、謝罪をヴィルヘルムに向けた。
非礼を詫びているようで、その実、彼女のそれもヴィルヘルムへの苦情である。
「オルヴィスタム卿が忙しいのは誰もが知るところだから、黙って待っていたが…一向に会わせてもらえる気配がないのでな」
ノルドグレーン伯爵の苦りきった声が重ねられ、リュクレスは、ここで初めて、ヴィルヘルムが伯爵にリュクレスと会わせると約束をしたのが王城に上がる前の話であったことを知ることになった。
なるほど、だから最初の恨み節かと、納得する。
「ごめんなさい」
なんだか申し訳なくなって頭を下げれば、伯爵は苦笑して首を横に振った。
「君が謝る事ではない。謝るべきは将軍だが、彼は全く反省をしていないようだからな」
「ふふ。申し訳ない」
ヴィルヘルムは清々しいくらい綺麗な微笑を浮かべて謝罪する。
「謝るところが違っているだろう」
「一応、遅くなったことは申し訳ないと思ってはいますよ?」
「一応…かね」
呆れた顔をしたものの、ノルドグレーン伯爵も諦めたようだ。ふと緩んだ伯爵の表情に、口で言う程不満には思っていないことを感じてリュクレスもほっとする。
そして、ずっと気になったことを尋ねた。
「全然、お話と関係のないことなんですけど聞いてもいいですか?」
ヴィルヘルムを見上げるリュクレスのおずおずとした眼差しに映るのは、わかりやすい好奇心。
「ん?」
「ええと、ヴィルヘルム様だけ、オルヴィスタム卿と言われたり、ドレイチェク伯って呼ばれたり、呼ばれ方が違うのは何故ですか?」
以前から気にはなっていたのだ。
「ああ…」
確かに爵位を持つ場合、拝領した領地名を名乗る。同様に、呼ばれる場合も領地名だ。だが、ヴィルヘルムの場合、確かに将軍と役職か、家名で呼ばれることの方がはるかに多い。
しかしながら、平民のリュクレスにその違いがわからない。
答えたのはノルドグレーン伯爵だった。
「将軍は、今後も新たな爵位を与えられる可能性が高い。彼のような御人は、領地が繰り返し追加されたり、変わったりする。だから、変わることのない家名を呼ぶほうが無難なのだよ。まあ、滅多にそういう人物はいないから、大抵は領地名で呼びあうが」
「ああ、そういう事なんですね」
「まあ、中には単純に叙爵された彼に嫉妬して、伯爵と呼びたく無いがために、家名を呼ぶ小者もいるにはいるが」
ようやく疑問が解けてすっきりしたリュクレスに、ノルドグレーン伯爵は嘆息して言い加える。そこに混じるのは呆れだ。
「は、はあ…」
「だ、そうですよ?」
当の本人は、他人事のように相槌を打っている。
「どう呼ばれようとあまり気にはしていないので」
そう言ってあっさりと笑う。他者の評価を気にしないヴィルヘルムらしい反応だ。
それよりもと、今度は彼がリュクレスに訊ねる。
「名前といえば、リュクレスという名は女性にはとても珍しいですよね」
「そう…なのかな?」
はて、とリュクレスは自分のことながら首を傾げる。
「まあ、確かに男性に付けることが多いかしら」
オクタヴィアも頬に手を当てヴィルヘルムに同意する。
「ええと、“輝けるもの”という意味だそうです。…お母さん、それを聞いてこれだって思ったらしくて。男性に付ける名前だって知っていても気にしなかったんじゃないかなぁ?」
リュクレスが思い出す母はしっかり者だけど、どこか天然で大らかというか、…大ざっぱなところのある人だったから。
母を知っている伯爵とオクタヴィアは彼女らしいと苦笑を零し、ヴィルヘルムは何とも言い難い顔をして溜息を付いた。
「……なるほど、君の天然さも母親譲りなのですね」
「え、えっ?私、天然ですか?」
あ、あれ?
孤児院の子供たちには頼られるしっかり者の姉だったはずのリュクレスは、きょとりと目を瞬かせた。
……そう言えば、ヴィルヘルムには何度かそう言われた気もする。
するけれど…むむ。
やっぱり、首を捻る。
「間違いなく。ソルもそれは絶対否定しませんよ?」
「…そうかなぁ…?」
どうやら、リュクレスとしては納得できないらしい。
彼女の間違いなく天然なところに振り回されているヴィルヘルムとしては、恋人が幾ら可愛くてもそこは譲れない。
「少しは自覚してください」と、懇切丁寧に説得したくなったのは、彼だけの秘密である。




