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ぱちぱちと、薪の燃える音が微かに聞こえてくる。


暖炉の火に暖められて部屋の中は温かい。

リュクレスとヴィルヘルムはソファに並んで座り、のんびりと話に花を咲かせていた。

いつもと少しだけ違うのは、聞き手に回ることの多いヴィルヘルムが、舞踏会の裏話を面白おかしく聞かせてくれていることだ。

例えば、王様が正装を嫌がって駄々を捏ねていたのは、ルクレツィアとの喧嘩で機嫌が悪かったからだとか。

例えば、昨夜の夜会、警護の責任者がベルンハルトだったのは、彼が自ら買って出たことだとか。

「ベルンハルトは面倒くさがるくせに、結構世話焼きな所がありますから」

その時のことを思い出しているのか、ヴィルヘルムがくつくつ笑った。

確かに、王女の元に時々やってきていた副官は、実に気配り屋さんであった。

「まあ、貧乏くじだが、引いたからには仕方ないな。頑張るか、お互い」

そんな風に苦笑して、大きな手でフェリージアの薄紅の髪を撫でる。

王女だからといって、線を引くわけでもなく砕けた態度で話すその姿は、いつしかフェリージアの警戒心を上手に剥がしてしまった。

勿論、フェリージアが素直に甘えるわけはなくて、つんと澄ました顔をして返事をするのだけれど。

頬が仄かに染まるのは、隠しきれない。

それが、とても可愛いのだ。

ベルンハルトとリュクレスは視線だけ合わせて、こっそりと笑いあう。

きっとフェリージアのそんなところを知っている男性は彼くらいものだろう。

だから、ベルンハルトがフェリージアを守ろうとしてくれることがとても嬉しい。

そう思ってから、ふと気になったことを尋ねる。

「あ…あの警備の責任者なら、夜会で踊ったりはしないですか?」

「ん?」

「フェリージア様、ベルンハルト様と踊れたかなぁって」

心配そうな声を上げたリュクレスに、あっけからんとヴィルヘルムは答えた。

「ああ。まあ、私も見ていませんから、憶測でしか答えられませんが…多分踊っているんじゃないかな?王女を見送るために、出張を延期したくらいですからね」

それを聞いてリュクレスは目を丸くした。

仕事は仕事を割り切りそうなのに、そうしなかったのはきっと、大人の優しさだ。

ヴィルヘルムは灰色の瞳にリュクレスを写し、零すように笑った。

「君とソルみたいですね、彼らは」

「そうですか?」

「ええ。見ていて、とても微笑ましい」

その言葉を直接伝えたならば、ベルンハルトはきっと苦虫を噛み潰したような顔をするに違いない。

ヴィルヘルムは内心だけでにやりとした。

…同じようなことを、以前、王もヴィルヘルムに対して思ったことがあるなど、今の彼が知る由もない。

が、これぞまさに「類は友を呼ぶ」というやつではなかろうか。

どっちもどっちの間柄なのだが、リュクレスがそんなことを知るはずもなく。

綺麗な横顔には穏やかな微笑みしか浮かんでいないのに、なんとなくヴィルヘルムが意地悪なことを考えているのだろうなぁと、気が付いてしまったから。

昨日の王様にしろ、ベルンハルトにしろ、ちょっと可哀想だと思ってしまった。

「ヴィルヘルム様、お友達なんですから、あんまり意地悪なことしちゃダメですよ?」

「おや、読まれましたか」

やんわりと言ったリュクレスに、口元に質のよろしくない微笑みを乗せて、灰色の瞳がゆっくりと細められる。

…そういえば、ヴィルヘルムの意地悪は、リュクレスにも無縁のものではなかった。

蛇に睨まれた蛙よろしく身を固まらせ、ぎこちなく後ろににじり下がった恋人の手首を、男はあっさり捕らえて引き寄せる。

そして、魅了するような瞳で見つめながら。

見せつけるかのように、その内側に口付けを落とした。

大人の男の人は自分の魅力をわかっていて、それを最大限に利用してくる。

「では、君への意地悪は、許してくれますか?」

全力疾走中の心臓が、リュクレスを息絶え絶えにしているのに。

甘えるような声で許しを求め、もう一度、音を立てて手首へと唇を触れさせる。

男の吐息が触れて、リュクレスの背中をそわぞわとした痺れが波打った。

いつもなら、目を閉じて、逃げてしまったと思う。

いや、今だって逃げ出したくて仕方がない。

もう少し、この手を引いたのならば、優しい恋人はきっと、この気配をふんわりとしたものに変えて抱きしめてくれるだろう。

けれど、甘やかな声の中に、確かに懇願の音色を聞き分けてしまったから。

リュクレスは、騒がしい鼓動を宥めながら、自分を励ます。


(恋する女の子は強いんだって、ルーウェリンナ様も言ってたもの。頑張れ、頑張れ)


ごくりと息を飲み込んで、むんっと小さく気合を入れて。

捕まっていない方の手を持ち上げた。

やけっぱち、いやいや。

この場合勢いに任せて、というべきだ。細い腕でヴィルヘルムの頭を包み込み、その勢いで身体を寄せて、彼に向かって宣言する。


「ヴィルヘルム様のくれるものならば、なんだって受け止めます。…例え、意地悪でも。どんどこい、ですよ?」

でも、ちょっとだけ、逃げそうになるのは大目に見て欲しいです。と情けなくも小さな声で付け加えてしまうのはご愛嬌…ということで許してもらいたい。

ヴィルヘルムにまで届く心音、羞恥に赤く染まる身体はその熱を伝播する。

リュクレスの肩口に顔を埋める形になった男は、その拙い愛情表現に暫し固まり、言葉もなく、ただ、深々と。…深々と、溜息を零した。

少しだけ、男の重みがリュクレスの身体に掛かる。

「君こそ俺を甘やかしすぎなんじゃないかな」

手綱を落としそうだ…とかなんとか、ぼやく姿が新鮮で、見慣れない様子に口元が緩む。

甘やかしているだろうか?……ちゃんと、甘やかせているだろうか?

部屋だけでなく、胸の奥まで温かくなる。

「そうですか?そうなら、嬉しいです」

ヴィルヘルムが甘えてくれるなら、精一杯甘やかしたい。

それはリュクレスだけの秘密の野望なのだ。

小さな達成感に、くすくすと笑えば、ヴィルヘルムが腕の中から顔を上げた。間近で見るその顔には困ったような表情が浮かんでいる。

「完敗です。やれやれ…君に勝てた試しがないな。俺は」

「ヴィルヘルム様がいっぱい幸せをくれるから、私からのお返しです」

溢れそうになるこの幸せな感情を精一杯伝えられるようにと、リュクレスは素直に笑った。


その花のような笑顔に、男は息を呑む。


男の心情など知らない娘は、変わらず自分の想いを伝えているだけだ。

子供のような無邪気さで、けれど、恋をした乙女の鮮やかな美しさで。

それが、相手にどんな風に映るのかも知らず。


「…怖いな。これだから、君からは目が離せない」

「ヴィルヘルム様?」

首を傾げるリュクレスの腕をやんわりと解き、ヴィルヘルムは一旦、ソファから立ち上がると執務机の中から何かを取り出した。

それを手にして引き返してくると、流れるような動きで彼女の前に跪く。

その行動にリュクレスが大いに慌てた。あわあわと焦ってソファから降りようとするのを、わかっていたかのように苦笑して、ヴィルヘルムが押し止める。

リュクレスの肩を宥めるように優しく撫でると、もう一度、膝の上に所在無げに置かれた彼女の手を取った。


戸惑う藍緑の瞳を、情熱を秘めた灰色の瞳が真っ直ぐに見つめた。








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