3
二人の前に続く園路はさながら白い絨毯が敷かれた歩廊ようだ。
足跡の無い、まっさらな新雪と、生垣の緑との対比が美しい。
そんな静穏の景色は、角を曲がると唐突に。
長閑で牧歌的なものに変化した。
白い雪に覆われた芝生の上に不規則に点在する、綺麗に刈り込まれたトピアリー。
それは、まるみを帯びて、もこもこと柔らかな羊の形を模していた。
「…羊だぁ」
ぽかんとしてリュクレスが目を丸くする。
ついこの間まではなかったものだ。
庭師の遊び心か、はたまた悪戯か。
仲良く顔を寄せ合うものや、座り込んで日向ぼっこを楽しむような羊たち。
ちょっとした動きが表情を感じさせて、呑気な姿が憎めない。
雪の毛皮を被って、真っ白な羊と化しているそれらを見ていると、本当に牧場に居るような錯覚さえ覚える。
のんびりとした光景に、どこからか羊飼いの歌声さえ響いてきそうだ。
「……雪を払い落としたら、毛を刈られた羊のようになるかな」
ヴィルヘルムがにっこりと笑顔で、意地の悪い事を言う。
毛を綺麗に刈り取られたちょっと切ない姿の羊を想像してしまい、リュクレスは我慢できずに笑いだした。
「ふ、あははっ」
実は、袖を捲り上げたヴィルヘルムが鋏を持って羊の前にいる姿まで思い浮かべてしまっていたのは彼女だけの秘密である。
明るい笑い声に、ヴィルヘルムもつられたように口元を緩めた。
「この庭の主は庭師たちですからね。冬は特に自由に楽しんでいるのでしょう」
王の庭は昔から、その管理を庭師達が一任されており、ある程度の自由が許されている。それは、誰よりもこの庭を慈しみ、愛しているのが庭師たちであると、歴代の王が知っていたからだ。アルムクヴァイドの代になってもそれは同様で、彼らはその信頼を裏切ることなく、誠実な態度でこの庭と向き合っている。
「綺麗なだけじゃなくて、楽しいお庭ですよね。気が付くと、少しずつ変わっているから驚きます」
「庭師たちは、あまり口は得意ではないですが、発想力と表現力はとても豊かですから」
「ふふ、本当ですね」
オルフェルノの顔として、格式高く優美で華やかな、素晴らしい庭園。
それでも、こんな寒い時期に庭を訪れる奇特な貴族などそうそういるものではないから、こうして時折茶目っ気を利かせながら、彼らも楽しんで庭を愛でているのだろう。
それは、巡回をする衛兵たちの目も楽しませ、和ませる。
冬の庭園は貴族のためのものではなく、まさしく彼らのためのものだった。
綺麗に整えられた生垣を過ぎれば、惚けた羊たちは忽ち姿を消して、周囲は静かな景色へと戻っていった。
その配置の妙は流石に見事なものである。
庭の中程にたどり着いたところで、リュクレスは足を止めた。
「着きました。ヴィルヘルム様、あっちです」
振り返るとヴィルヘルムの視線を誘導するように一方を指し示す。
その先にあるものは、朝陽を浴びる宮殿。
朱味を帯びた陽光が卵色の壁を金色に染め上げ、強い光に出来た陰影が宮殿の造形を明確に浮かび上がらせていた。裏腹に、世界を朧に霞める眩さが華美な印象を和らげて、その姿をとても柔らかに見せる。
麗白な雪は、光の演出に如何様にも変化して、鮮やかな色彩は雪景色に温もりさえ感じさせるようだった。
「ここから見る王宮が、一番綺麗だと思うんです」
どこか嬉しそうな柔らかな声が耳に届き、ヴィルヘルムはゆっくりと頷いた。
程良く宮殿全体を見渡せる距離で、立木や生垣、緑の花壇が建物を飾る装飾となって一枚の絵のように美しい景観を作り出している。
どこまでが人為的で、どこからが自然の光景なのか。
判断はつかないが、完成度の高い芸術品であることは否定しがたい事実だった。
「とても美しいものですね。王宮がこんな顔を持っているなんて知らなかったな」
驚きと静かな感動に、ヴィルヘルムの口からは似合いもしない賞賛の言葉がこぼれ落ちる。
リュクレスは何も言わず、ただ笑みを浮かべた。
美しいものを見たときには、言葉などいらない。
何かを伝えたいと望むのならば、言葉は必要となるけれど。
こんなふうに、一緒に見たかった風景の中に共にいられるのならば。
ただ、互いの温度さえ、あればいい。
そっと寄り添ったリュクレスに手を伸ばし、ヴィルヘルムが華奢な身体を腕の中に誘う。
二人は身を寄せ合い、ただ静かに、その景色を見つめていた。
けれども、男にとって見つめる対象は、宮殿だけではなく、腕の中の恋人である。
比重としては後者に重きが置かれるだろう。
なんの憂いもないその笑顔に、見蕩れるなという方がおかしい。
恋人の視線に気がつくこともなく宮殿を見つめていた娘は、少しして、慌てたように口を押さえて俯むいた。
「ふぇ…くしゅんっ」
聞こえてきたのは、なんとも気の抜けた、くしゃみ。
暫しの沈黙。
そろそろと顔が上げられて、目が合った。わかりやすいほど、しまったという顔をしたリュクレスが、誤魔化すようにへらりと笑う。
しかし、鼻の頭と細い指先が寒さに痛々しいほど赤くなっているのは誤魔化しようがない。
厚手のドレスの上に外套を重ね、足元はファーの付いた温かなブーツ。防寒対策には万全を期したものの、霜天の凍える空気にその小さな身体はすっかり冷え切ってしまったようだ。
温めるように外套の中に引き込めば、彼女は少しだけ躊躇った後、嬉しそうにぽすっと男の腕の中に収まった。頬を染めるあどけないその横顔に忍耐を試されながら、ヴィルヘルムは理性の手綱をしっかりと握り直すと、やんわりとその身体を抱き締める。
「やはり、冷えてしまいましたか」
「そ、そんなことないですよ?いつもよりいっぱい着込んでるし、今のはちょっと、鼻がむずむずしただけで…っ」
葛藤を綺麗に隠して、心配を滲ませるヴィルヘルムに、リュクレスは慌てたように首を振った。
寒いと言ったなら散歩が終わってしまうと知っているからだろう。
必要以上に元気だと主張してくる恋人の手を、ヴィルヘルムは苦笑しつつ掬い取った。
手を繋ぎたくて、手袋はお互いにしていない。
だから。
冷たい指を温めるように、指を絡めるとその手を揺らし、やんわりと提案する。
「では、もう少しだけ。散歩を続けましょうか」
「はい!」
繋ぎ合う手に。
リュクレスが、幸せそうに笑った。




