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蒲公英と冬狼  作者: 雨宮とうり(旧雨宮うり)
湖水の君と舞踏会
217/242

幕間  将軍様のご機嫌  後編



「ヴィルヘルム様、本当に、いいんですか?舞踏会抜け出してしまって」

後ろを気にすることもなく悠々と会場を後にする男をリュクレスは心配そうに見つめた。彼はさっきのように不穏な表情を浮かべることなく、少しだけ口元に笑みを浮かべて頷きを返す。その間も歩みは止まらず、離れていく広間の喧騒は少しずつ小さなものになっていく。歩幅が広いからか、その足取りは早足でもないのに、リュクレスだったら小走りでも追いつかないのではないかと思うくらいに速かった。

その腕の中にいるのに、あまり揺れないのは、きっと彼が振動を与えないように慎重に歩いてくれているからなのだろう。

ヴィルヘルムは安心させるように、丁寧に説明をしてくれた。

曰く、今回の参加者に限ってはスナヴァールに敵意を抱いていない、身元も意向も明確な者達ばかりらしい。警備もヴィルヘルムは全体の把握をしているだけで、実質的な警備責任者は副官のベルンハルトなのだそうだ。

「今回の主賓は、フェリージア殿下ですからね。彼女の安全には十分配慮をしています」

その言葉にリュクレスはうっかりと、大切なことを忘れていたのに気がついた。

「あっ、フェリージア様にお暇のご挨拶をしていませんっ」

慌てたようにヴィルヘルムの腕の中で身じろぐと、腕の力が強まった。広間に引き返したいのに、ヴィルヘルムは足を止めようとはしないから、その場から遠ざかるばかり。

「どうせ、また明日にでも会うことになります」

せっかく手元に取り戻したリュクレスが、たとえ女性であっても、ほかの誰かを思うことがヴィルヘルムには内心面白くない。

だが、そんな男の気持ちなど気づくはずもないから、リュクレスはその言葉になんとも情けない顔をした。

確かに、朝になればフェリージアの部屋へ向かうのだけれど…、明日でいいやと簡単に割り切れない。それは何か違う気がするのだ。

だって、今日、ヴィルヘルムに逢わせてくれたのも、夜会に参加できるよう準備してくれたのも、全部フェリージアなのだ。だから、この場でちゃんと感謝を伝えたかったのに。

それなのに、ヴィルヘルムは、更にリュクレスを驚かせる言葉を口にした。

「ちなみに、侍女のお仕事は今日でおしまいですから」

「え…っ?」

目を丸くして顔を上げれば、やはり気が付いていませんよね、とヴィルヘルムが苦笑していた。

「アルが任されたと、言ったでしょう?あれだけ派手に視線を集めて広間を後にしたのですから、私たちのことを気にしている者達は多いはずだ。彼らは王の口から君が私の婚約者であると聞くことになる。明日以降、君は王妃付きの侍女ではなく、私の婚約者として認知される。そんな君をそのまま働かせる訳にはいきません」

「で、でも。フェリージア様が帰るまでは、侍女として働くって約束しましたし…っ」

リュクレスは慌ててフェリージアとの約束を口にした。彼女との約束を、反故にはしたくない。リュクレスの真面目な反応に、ヴィルヘルムは苦笑を漏らした。

「君への謝罪とご褒美、というところ、かな」

謝罪と褒美?

そんなものをもらえる理由に、見当が付かない。

心当たりを探ってみるけれど、やっぱりこれといってない気がする。

考え込んでしまったリュクレスに、ヴィルヘルムがやんわりと教えてくれた。

「君が寂しい思いをしていたことを、王妃もフェリージア殿下も知っていたということです。君には何の落ち度もないのに、今回は我慢をさせてばかりいたからね。約束は前倒しして侍女の仕事は今日までで良いそうです」

情けない顔が、さらに情けなくなりそうだ。

そんなに寂しそうな顔をしていたのだろうか。

ヴィルヘルムに逢いたいと、そんなにもわかりやすく顔に出していたのかと思うと我慢の効かない自分が、なんというか、もう、…残念でしかない。

無意識に頬を摩ると、ヴィルヘルムが目を細めた。

「君はとても素直なのに、周りのために我慢ばかりするから、殿下には歯痒かったのかもしれませんね」

「……我慢なんて、出来ていません。全然…」

居た堪れなくなって、小さく呟く。

溢れてしまった感情に、気を使わせてしまったのだから我慢なんて全然足りていない。

花が萎れるようにしゅんと項垂れたリュクレスを抱き上げていた腕に、また、少しだけ力がこもった。

「君の目は雄弁だ。けれど、気持ちを口にしないから。周りのために言葉を飲み込んで、自分の想いを仕舞い込む君に。…彼女達は幸せな贈り物をしたかったのだと思いますよ?」

意地っ張りで優しい王女の照れた横顔が浮かぶ。

リュクレスは顔ごと視線を上げた。そこには優しい眼差しがあった。

「君が私の傍を望んでくれたから、私は君を取り戻せた」

言いながら、ヴィルヘルムはリュクレスに気づかれぬよう、溜息を飲み込む。

…してやられた感が強い。

彼女がどれほどヴィルヘルムに逢いたい思いを我慢して、寂しい思いに耐えていたのか。

こうして、実際に会って目の当たりにしてしまえば、ヴィルヘルムでさえ胸が軋む。

それを見守っていたフェリージアは、さぞ、もどかしかったことだろう。

この再会は、リュクレスへのご褒美だ。

ならば、この無防備で無邪気な恋人の、可愛らしい言葉や行動にどれだけ煽られたとしても。

…ヴィルヘルムは理性を手放す訳にはいかない。

彼女の望む優しい触れ合いで我慢しておかなければ、ヴィルヘルムのご褒美になってしまうから。

(素直に甘えてくれるリュクレスなんて、とっても珍しいのですけどね)

どろどろに甘やかしてあげたいのに、自分の両足でしっかりと立つ娘はなかなか寄りかかってはくれない。

こんな時を利用して依存させてしまいたいのに、狡い男の思惑が読まれているところを見ると、彼女の背後にルーウェリンナの影を感じるのは、気のせいではないのかもしれない。

「考えてみれば、わざわざ、王妃が絶対に君に会わせないと言ったのは、この夜会に君が参加することを私に予想させないためだったのですね」

まさか、これほど用意周到に、リュクレスの社交界デビューを準備されているとは、ヴィルヘルムも思っていなかった。


「ごめんなさい」

複雑そうな顔で曖昧に笑った恋人に、思わずリュクレスは謝罪した。

「謝らなくても良いですよ。驚きましたが、嬉しい驚きですから」

その割にあんまり機嫌は良く無かったように思うのに、彼は優しく微笑んだ。

「こんなに可愛らしい君を、ほかの男になど見せたくはなかった。先ほども言ったでしょう?私は君に関しては独占欲の塊ですからね。見せびらかす優越感よりも、君を独り占めしていたい気持ちのほうが強いんだ」

そんな風に目を細めて愛おしげに囁かれるのは、低くも、甘い声。

それは、リュクレスは心の心を揺らして、小さな波紋を作った。

きっとそれは、…不満だ。

だって、それでは、ヴィルヘルムだけがリュクレスを独り占めしたいと思っているみたいだ。

……そんなことはないのに。

リュクレスだって人並に独占欲は持っている。

ヴィルヘルムに恋する視線を投げる令嬢達はたくさんいて、その熱烈な視線に「見ちゃダメです」ってそんな風にこっそり思うことだってあるのだ。

自分の心の狭さに、後でとても落ち込むのだけれど。

でも、ヴィルヘルムの静けさを湛えた氷のような灰色の瞳も、優しく逞しい腕も、蕩ける様な笑顔も全部、リュクレスに向けられていることを感じられるから。

リュクレスは自分の思うまま、その手を彼に伸ばすことを躊躇わずにいられる。

不満は、不安だ。

ヴィルヘルムの想いはちゃんとリュクレスに届いている。

だから、不安にならずに済む。

ならば、ヴィルヘルムが不満なのは、リュクレスの想いが届いていないから、だろうか。

ずっと、不安に思っていた?

余所見なんてしないのに。

(ヴィルヘルム様だけを、想うのに)

届いていないのなら、ちゃんと届けたい。

彼の不安が消えてなくなるように。

視線を合わせて、この瞳に全ての想いを乗せる。

「私が大好きなのは、ヴィルヘルム様です。…ヴィルヘルム様だけ、です」

願うように、リュクレスは、自分の想いを素直に口にする。

彼の心が安心して、平穏でいられますように。

温かい体温に子供のように身体をすり寄せれば、ぼそりと声が落ちてきた。

あまりにも小さな声に、何を言われたのか聞き取れなかったけれど、そこにはどこか憮然した表情のヴィルヘルムがいた。

…やっぱり機嫌良くない気がする。

せっかく逢えたのに、嬉しいばかりなのは自分だけなのだろうか?

ダンスの時はとても幸せそうに笑ってくれたのに。

抱き上げられているから、顔も近い。穏やかの表情に隠していても、その目に宿る不機嫌さをリュクレスは簡単に読み取ってしまうから。

少女はヴィルヘルムの腕の中から手を伸ばして、さらりとした彼の髪に触れた。

髪を梳くように、頭を撫でる。

不機嫌な顔が、少しだけ驚いた顔に変わる。

せっかくなら、笑って欲しい。

だから。

「いっぱい甘えてもらえるように、私頑張りますから。…だから、ご機嫌、直してくれませんか?」

ヴィルヘルムが固まったように、足を止めた。

広間の人熱ひといきれを抜けて進む人気のない廊下は、ひんやりとして少し肌寒いくらいだけれど、ヴィルヘルムが温かいから、リュクレスはヴィルヘルムも寒くないようにと上半身を起こしてヴィルヘルムの肩に腕を回した。

手足は冷たくっても、子供の体温は、温石変わりになるくらいには温かいはずだから。

少しの沈黙。それから、呻くような小さな声。

「拷問なのか、ご褒美なのか、……本気で悩むところですね」

今度はリュクレスの耳にも届いた。けれど、意味はわからなくてきょとんとする。

彼は、もう不機嫌そうではなかった。

少しだけ困ったような、でもどこか嬉しそうな顔。

「幸せであるということは、間違いないのだけれど、やたら焚きつけられている気がするのはどうしてだろうね。リュクレス、頼むから、そういうことを言うのは私だけにしてくださいね?」

「ヴィルヘルム様以外に言う人はいないですよ?」

好きだと想うのは、それを伝えたいのは、ヴィルヘルムにだけだ。

その想いを伝えることに躊躇いはない。

振れることのない、真っ直ぐな純情が向かう先は、きっと一生変わらない。

伝わって?

「私だって、ヴィルヘルム様を独り占めしたいって思ったり、するんです」

いろんな人に必要とされる人だと知っている。

とても素敵な人だから、そんな事を思うなんてすごく身勝手だと思うけれど。

思うくらいは許されないかな?

ヴィルヘルムが逞しいから、彼の首に回す自分の腕がひどく頼りない。

それでも、自分なりの精一杯で想いを伝えようと、リュクレスは自分から彼の頬へと、そっと触れるだけの接吻を、した。

ヴィルヘルムが息を呑んだのを、間近で感じる。

大胆なことをしでかして、リュクレスの心臓は壊れそうなくらいに暴れている。

「…っ。……ねぇ、リュクレス?」

「は、はいっ」

少しだけ声を詰まらせた彼が、低く名を呼んだ。

甘えるような響きがリュクレスの鼓膜を震わせて。

合わされた視線が、絡み合う。

彼の静かな瞳に、喜色と、どこか悪戯な光が混じり込んだ。

「君は、ここがまだ廊下だって、覚えている?」

楽しそうな声音が紡いだその言葉の意味を、ゆっくりと咀嚼して。

理解した途端、リュクレスの思考は真っ白に停止した。





…廊下?



…廊下?!


「?!」


慌てて、ヴィルヘルム首に回していた腕を外し、身体を離した。とはいえ彼の腕の中、大して距離は開きはしない。所在無げな手をあわあわと胸の上に戻して、周囲を見れば、そこには見て見ぬふりをしてくれている騎士が一人。

頭の頂辺から火が出たように全身が熱くなる。恥ずかしくて仕方ないのに、蕩ける様な笑みを間近で浮かべたヴィルヘルムに釘付けになって、顔を隠すことさえ忘れてしまった。

固まって、声もなく目を白黒させるリュクレスの熱を持った林檎のような頬に、彼はお返しのように、唇を寄せて口付ける。

騎士が目を見開いたのが、視界の片隅に見えた。

恥ずかしさに、口から心臓が飛び出しそうなリュクレスとは反対に、御満悦な様子のヴィルヘルムを前にして、何処か遠くでぽつりと思う。






…将軍様のご機嫌は、どうやら治った御様子です。










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