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王宮の中でも、国王夫妻の生活する居住地区への立ち入りを禁じられ、リュクレスと逢うことも許されなくなったヴィルヘルムは、大人しく外郭へと籠っていた。
毎日、彼女が花を取りに温室に向かうのを遠目に確認するくらいしか、彼女の姿を目に映す機会もない。
それに関しては自業自得と心得ているから、文句を言うつもりはない。
だが、こうして強制的に離されれば離されるほどに、彼女をもう手放せない自分を自覚する。
情けない話だが、自分から望んだ罰だというのに、気が付けばあの娘を自分の元に攫いに行ってしまいそうで、とにかく仕事に没頭した。
そうしていれば、余計なことを考えずに済む。
都合よくというべきか、フェリージア王女の帰国に会わせて開かれる予定となっていた夜会の準備に追われ、ヴィルヘルムの仕事は少なくない。
それでも、要領の良い男は、さっさとそれをそつなく終えてしまうから、時折漏れるため息を殺しきれずに天井を仰ぎ見た。
椅子にもたれ掛かり、眼鏡を外して机の上に放り投げる。
インクの瓶に当たったそれが、小さく高い音を立てた。
目を閉じる。真っ暗な視界の中にさえ、愛おしい娘の面影を探している自分に呆れを通り越して笑うしかない。
それは、リュクレスが、姿の見えないはずのヴィルヘルムを探すからだ。
庭園から城に戻る途中、必ず彼女は立ち止まる。そうして外郭の壁に視線を滑らせ、じっとあの透明な眼差しで、この部屋を見つめる。
カーテンに遮られたこちらは決して見えないはずなのに、ヴィルヘルムの姿を探すかのようにその目が彷徨う。そうして、少しだけ微笑むと何かしら言葉を落として去っていくのだ。
「ソルの読唇術習っておいて正解だったな」
リュクレスのもたらす言葉なら、一言だって漏らすことなく受け取りたい。
優しい娘が毎日置いていく言葉は、ヴィルヘルムを慮るものばかり。
ちゃんと眠っていますか
お仕事お疲れ様です、あんまり無理しないでくださいね
ご飯片手間にしちゃ駄目ですよ
頑張りすぎていないで、休憩もしてくださいね
頭痛くなっていませんか?
おはようございます、今日は休めましたか?
…会いたい、です
重ねられる心配する声に、不意に零れ落ちる彼女の想い。
聞かれていないと思っているからこその、彼女の本音に、……たまらなくなる。
リュクレスのために怒る王妃たちの想いと、ヴィルヘルムの懺悔の感情。
その狭間でリュクレスは自分の気持ちをしまって、静かに待っている。
「結局、俺は君に我慢をさせているだけなのか」
そう思うと笑えもしない。これでは、ヴィルヘルムの罰にリュクレスを巻き込んで、何の罪もない彼女にまで罰を与えているようなものではないか。
「二度と君に会えないなんて罰を受けなくてもいいように、これからは君をもっと甘やかして、大切にするから。だから、もう少しだけ、待っていてください」
夜会の数日後が、フェリージアの帰国の日となる。
(彼女が帰ったなら、直ぐ様君を攫いにゆく)
ヴィルヘルムはそう決めて、瞼を上げた。
ジリジリとした煮え切らない何かは消え、灰色の瞳は冷たく硬質に輝く。
眼鏡を拾い上げて掛けると、彼は何事もなかったかのように仕事を再開した。




