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蒲公英と冬狼  作者: 雨宮とうり(旧雨宮うり)
湖水の君と舞踏会
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3



フェリージアは苦笑して、ルクレツィアもわかっていると知った上で、あえて言葉を口にした。

「確かにそうやって格好よく『リュクレスは私のものだから手を出すのは許さない』なんて、将軍があの公女に伝えていたのなら、私たちは胸のすく思いだったでしょうね。けれど、それはそれで、色々問題があったのだと思うわ。公女のあの執着と思い込みは病的よ。将軍がリュクレスを大切と言えば言うほど、危険は増したのではないかしら。強く彼女を拒絶すればするほど勝手に燃え上がって、もっと突発的に強硬な手段に出た可能性を…私には否定できない」

妹から見ても、ルクレツィアは品行方正で平等に人を見ることのできる高潔な女性だ。

全く性質の異なるアリューシャ公女のあの歪んだ人格を理解することは難しいだろう。実際、対面したフェリージアでさえ、あれほど人を醜いと思った初めてだった。彼女の考えは未だに理解できないし、したいとも思わない。

「それに護衛が付いていたのよね?」

「はい、ソル様がずっと傍にいてくれていたみたいです」

リュクレスが生真面目な面持ちで頷く。

ソルという、今までその存在自体が秘されてきた将軍の従者。

その彼は、リュクレスが兄のように慕う人間らしい。

「隠れた護衛…、それもリュクレスが心を許している相手。…まあ、独占欲の強いあの方が他の騎士を四六時中、リュクレスと一緒にさせて我慢できるとは思えないのだけど。公女が手を出せないように、公然と近衛騎士の護衛を付けたとしたら、リュクレスはとても気を使ったはずだし、事は長引いたでしょう。安全な部屋に閉じ込めて、将軍の傍に置いておくのでは、籠の鳥と一緒よね。彼は安心するでしょうけれど、同時にそれは不本意なのだと思う。縛りたいくせに、野に咲く花をこそ、あの将軍は愛したのでしょうから」

言葉にすればするほど、表にされない男の心の葛藤が、つまびらかになっていく。

リュクレスは立ち上がり、ルクレツィアの傍らに寄り添うと、膝の上で拳を作る白魚のような繊細な手を取った。身体を屈めて、絨毯の敷かれた床に膝を付くと、下から覗き込むように俯くルクレツィアを見上げる。

「ルチ様が私を心配してくれるのも、大切にしてくれるのも、とても嬉しい。思うだけでなく、こうして皆が言葉にして一生懸命伝えてくれるから、私は胸が暖かくて、いっぱいで、……だから、私頑張ろうって、戦おうって思えるんです。私、果報者ですね」

ぽかぽかとした陽射しのように温かな笑みが、ルクレツィアの眉間から皺を消す。幸せそうににこにこするリュクレスが相手では、怒り続けるのも、落ち込み続けるのも難しい。

「ルチ様が思う以上に私は我儘なんですよ?…ヴィルヘルム様が私のためにずっと傍に居てくれようとしたなら、私はここにいて本当にいいのかって、きっと、悩んだと思います。ヴィルヘルム様がちゃんと自分のやるべきことを優先してくれるからこそ、私は悩むことなく、傍にいることを望むことが出来る。足枷にはなりたくない。それは、私の我儘なんです」

リュクレスが申し訳なさそうに苦笑して、ルクレツィアを見つめた。

二人を見守りながら、フェリージアはリュクレスの言葉を繋ぐように言う。

「ジレンマを抱えていたのは将軍の方かもね。公人であることを優先させたのはそれがリュクレスの願いだから。実際、本当に早く片付けたいなら、リュクレスが狙われているのを誰にも知らせなければよかった。でも、そうせずに、私たちにリュクレスを守らせたのは、リュクレスの心を守りたかったから。違うかしら?」

たぶんそれが真実。

リュクレスを傷つけようとする者がいようとも、彼女を取り巻く多くの人間が、皆、守りたいと思っていることを、彼女自身がちゃんと知ってくれたなら。

それは、リュクレスの心を守る盾になる。

「一番、忸怩たる思いを抱えていたのは、きっと将軍ね。独占欲の塊だもの。本当なら自分の手で守りたいと思っているでしょう。誰かになんて守らせたくないはず。それでも、リュクレスが大切だから、きっと私たちに託した。私たちがどう動くかわからない分彼は大変だったでしょうけれど。そう思うと、少しだけ彼を許しても良いかなと思いませんか?」

「…まるで私だけが駄々を捏ねているみたい」

「たまには良いのでは?いつもと逆で私は楽しかったし。それに、完璧な仮面をつけていたときよりずっと、親近感が沸いたもの。今の姉様の方が私は好きよ」

楽しそうに笑うフェリージアに、ルクレツィアは複雑な顔をして、それから、堪えきれなくなったようにくすりと声をあげて笑った。


「ねぇ、リュシー。本当に貴女は彼に腹は立てていないの?」

ようやく笑ってくれたルクレツィアにほっとしていたリュクレスは、少し困った顔で俯いた。

思い出すのは、リュクレスを守り支えたときの、彼の表情。

「ヴィルヘルム様…苦しそうだったんです。とっても、とっても、悩んでくれたんだろうと思うし、分かっているのに、傍観するだけなのって辛かったんだろうなって。優しい人だから。とても我慢していたんじゃないかなとか。たくさん心配してくれただろうなとか。そっちのほうが、苦しいです」

きゅうと痛んだ胸を上から抑えて、リュクレスは眉を寄せる。

「もう、気にしていないといいなぁ」

その声は、とても切実に、真摯に響いた。

健気な娘の心のなかには、彼を気遣う思いしか詰まっていない。

ならば、二人を隔てるようなことしているルクレツィアたちの行動は、余計なお世話以外の何ものでもないのだろう。

それでも、リュクレスが彼のもとに行かず、ここにいるのは周囲の思いを正確に受け止めているからだ。

フェリージアは苦笑を秘めて、悩む振りをした。

「折れどころの問題よね」

「折れどころ…ですか?」

ふむと、フェリージアが形のよい顎に指を乗せ言った言葉を、リュクレスが首を傾げて聞き返す。

「そう。男に対しては、最初が肝心とも言うし、甘やかしては駄目だと思うの。リュクレスには申し訳ないけれど、もう少しだけ我慢をして頂戴。これは、彼への罰なのだから。で、私たちも将軍の意図はわかってはいても、納得するのに切っ掛けが要るの」

「はぁ…」

わかったような、わからないような…?

そんな素直な表情に、フェリージアはにんまりとした。

意地っ張りなフェリージアだって、将軍の肩を持つようなことを言ってはいるものの、要するにまだ許してはいないのだ。

「だから、リュクレス、貴女がお願いすればいい。私の大切な将軍をいじめないでくださいって。そうしたら、私たちも矛先を収められると思うの。仕方ないから折れてあげましょう」

悪戯っ子のような顔で、王女が笑う。

罰を本当に必要として要るのは、将軍その人なのだろう。

リュクレスは余りにも優しいから、責めるなんてきっと出来ない。

でも、責められないことが、かえって辛いこともある。

リュクレスは、それに気がついているからこそ、ルクレツィアとフェリージアに感謝する。

そしてほんのり笑って、ペコリと頭を下げると、フェリージアの言う通りに、「お願い」を口にした。

こんなやり取りがあったと将軍が知ったら、彼はどんな顔をするのだろう?

3人の娘は堪えきれずに、顔を見合わせ笑いあう。

「ルチ様も王様と仲直りしてくれますか?」

ふと、リュクレスの心配そうな瞳がルクレツィアに向けられる。

返されたのは、なんだか悪戯っ子のような微笑みだった。

「ふふ、もう少し」

まだ怒っていると言う訳ではなさそうだ。

きらきらした菫色の瞳がやんわりと細められる。ふわりと口元に浮かぶ笑みと色付く頬。

ルクレツィアはとても魅力的な微笑みを浮かべて人差し指を唇に押し当てた。

「内緒にしていてね?私の機嫌を一生懸命取ろうとするアル様が可愛らしくて…もう少しだけ、ね?」

小悪魔のような可愛らしい言葉に、フェリージアは苦笑する。

恋する女性はいつでも愛する男を振り回すらしい。

ぱちぱちと目を瞬かせるリュクレスの隣で、喜々として。

「さて、では王を振り回すのは姉様に任せるとして。将軍には、貴方の花がどれ程魅力的で、目を離せば他の誰かに摘まれてしまうかもしれないって、ちゃんと危機感を持ってもらわないとね」

フェリージアはそう言うと、企むように笑った。










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