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「陛下御夫妻が、夫婦喧嘩の真っ最中でして」
とても姿勢の良い立ち姿に、堅苦しく感じるほどに丁寧な態度はいつもと変わらない。
至極真面目な顔をしてそう言ったのは、侍女長ティアナであった。
「…は?」
会話の流れが唐突だったわけではない。だが、彼女の言葉にフェリージアが気の抜けた返事を返したところで無理はないと思う。
聞き違いではあるまいかと、まじまじとそれを告げた来訪者を見つめる。
しかし、実直な侍女長はその表情を崩すことなく、簡潔明瞭にことと次第を話し始めた。
無駄のない理路整然とした説明に誤解などしようもなく、フェリージアは正確に状況を把握する。曰く、王と将軍がリュクレスをまた囮にしたことを知って、ルクレツィアが激怒した、ということらしい。
そう、また、と言うところが問題なのである。
リュクレスは以前、囮役を引き受けて怪我をしたことがあったそうだ。なるほど、それを姉が知っているのならば、大切な友人のために腹を立てていても不思議はない。それも相手は、平民を人とも思わないあの公女様。
事のあらましを聞くに、どうやら公女の齎した嵐は、変則軌道で国王夫婦にも直撃していたらしい。
呆れた顔をしたフェリージアに、「そう思われるのはごもっとも」と、頷きながら、侍女長は深々と頭を下げた。
「王妃に避けられて悄気げる王など威厳も何もあったものではありません。この国の威信にも関わります。…どうか、王妃の怒りを鎮めていただけないでしょうか?」
さながら子供のした悪さを謝る母親のような行動は、子供の頃から知る王のため。その心境は、事実母親に近いものに違いない。
無碍にすることが出来なかったのは、なんだかんだ言ってフェリージアが人が良いからなのだろう。
頭を上げようとしない侍女長に、王女は、渋々と、本当に、渋々と頷いた。
「まあ…、仕方ないわね。姉様と話してみるわ」
「感謝致します」
安堵の滲む感謝の声に、しかし、フェリージアは違和感を覚えた。
訝しむ感情は、顔を上げた侍女長の顔をみて、形になる。
……なんて晴れ晴れしい微笑み。
面倒事を押し付けられた!
と、気がついた時には、すでに時遅し。
言質を取った侍女長は用件は済んだとばかりに颯爽と退室していく。
その背中を見送って、フェリージアは。
……しばし呆然とした後、取り残された部屋の中で一人、痛みを訴え始めた蟀谷をぐりぐりと押さえた。
立っているものは親でも使えというが、多忙な侍女長は王女であろうとも使うことに躊躇いがないらしい。そういえば、彼女は最初から遠慮がなかった気がする。
迷惑をかけた記憶がないわけではないフェリージアとしては、今更断る訳にもいかず、深々とため息を付いた。
聡明で、物分りの良い姉を思い浮かべる。
「姉様らしいというか…、らしくないというか…」
リュクレスのために怒るというのは彼女らしいが、この国の王妃として王と将軍の選択は理解できないものではないはずだ。にも関わらず喧嘩(…いや、この場合、一方的に怒っていると言ったほうが正確なのだろうけれど)になったならば、単に夫に甘えているだけの話なのだろう。
遠慮なく喧嘩ができるということは、二人がお互い気持ちを正直に伝えられるほど信頼し合っているということだ。
ならば、これはどう見たって、犬も食わないただの痴話喧嘩。
そんな面倒くさいもの、放っておくに限るのに。
…頼まれてしまったからにはそういうわけにもいかなくなってしまった。
(これぞ、正しく貧乏くじというやつかしら?)
ふと自問して、フェリージアは慌ててそれを打ち消した。
いやいやいや、肯定などしたくない。
げんなりと肩を落とし、ふと、その喧嘩に巻き込まれたもうひとりを思い浮かべる。
ふんわりと微笑む幼げな少女。
いや、同い年なのだけれど。
精神的にはどう考えたって彼女のほうがお姉さんなのだけれど。
それでも、佇むその姿は守ってあげたくなるくらいにあどけない娘。
彼女と将軍が隣り合う姿を、フェリージアは、まだ見たことがなかった。
「あの子はきっと、将軍の傍に居たいんでしょうに」
彼女が不平不満を言うことはないけれど、逢いたくないはずはないのだ。
好きな人と同じ場所に居ながら、逢いたくても逢えない。
それはとても切ないことではないのだろうか。
「それでも、我を通して逢いたいとは……言わないでしょうね」
あの優しい子は、のんびりとした笑顔に自分の望みを隠すことを覚えてしまっているようだから。
(私でも、わかることを、将軍や姉様がわからないわけないのに)
大切にする方法を間違えてしまっては意味がないだろう。
笑って?
みんなのためにではなく、心を隠すためでなく。
リュクレス自身が幸せを感じて、微笑んでいて欲しい。
痴話喧嘩になど関わりたくはないけれど、彼女のために出来ることがあるならば。
フェリージアは仕方なく、姉の御機嫌伺いに向かった。




