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「公子の言われたとおり、貴女の騎士達は全て捕縛しました。そして、貴女の侍女も、こちらで拘束しています。魔法使いと言われる侍女、と言えば誰かわかるでしょうか」
アリューシャは大きな瞳を瞬かせた。
「あら、どうして?」
「許可されていない薬草園に無断で立ち入り、王家の花を摘もうとしたのです」
「不慣れですもの、きっと、知らなかっただけですわ」
「それはありません。騎士から彼女は忠告をされていた。その上で、彼女はその花を望んだのです。貴女の望みを叶えるために。彼女の魔法とやらが、毒を使った何かしらであることはすでに明白。今回摘んだ花も、生成方法によっては死に至る毒になる。無実を主張されていますが、他国の禁域に無断で入り、剰えその場の花を摘もうとしたこと自体がすでに重罪だ。この国で処断してもよろしいか、それとも貴国で誠実に対応されるか?我が王は貴女が二度とこの国に足を踏み入れず、罪を犯した侍女が正当にそちらの国の法に則って裁かれると約束をするのならば、彼女の身柄をそちらに返しても構わないと言われた。騎士たちも同様に」
それは破格の温情である。クラウスは息を飲んだ。
実際足元を見られて、今までに詰めてきた交易の契約を白紙に戻し、オルフェルノ有利にすることも、賠償金を求められ国交が切られることさえ有り得た話だ。
そして、オルフェルノがここで収めず、フメラシュを非難したならば、鉄壁の外交で他国と渡り合う母国にとって多大な打撃となったはず。
それをせずに罪人を自国で裁くことを許し、公女の愚かな行いも咎めないという。ならば、二度とアリューシャがこの国を、将軍を煩わすことがないこと、それだけはこちらから確約しなければならないだろう。
アリューシャに問いかけながら、将軍は彼女からの答えを期待していない。
なぜならば。
「嫌ですわ!何故侍女の罪で、私が罰を受けなければならないのですか?私は貴方の傍に居たいのです。ヴィルヘルム様。私は、貴方を、お慕いしているのです」
愚かなる妹は、最後までフメラシュという己の国を全く省みることはなかった、から。
「迷惑ですと、申し上げても貴女には届かないのでしたね」
目を潤ませ、熱烈な眼差しで愛を乞う公女を無視して、ヴィルヘルムはクラウスに視線を投げた。
それを受け取り、彼は粛々として、頷いた。
「ご好意感謝する。その約束は必ずや、我が国の誇りにかけて果たすと誓う」
「フメラシュ公国とは友好的な関係でありたい。それは、こちらも同じ。ですが、私は自分の大切な女性を危険に晒すことも、我が国の中で好き勝手されるのも好まない」
「…当然のことだと思う。迷惑をかけた。婚約者の女性にも謝罪をさせてもらえないだろうか」
「お兄様、何故謝罪などするのです。彼女は私の幸せを邪魔する存在なのですよ?」
「アリューシャ、黙りなさい」
「…謝罪は不要です。あの子もきっと受け取らないでしょう」
言葉少なに、将軍は婚約者への謝罪を拒否した。
「それほどに、怒っているのか。それとも、怖がらせてしまったのか?」
消沈する思いを奮い立たせ、ならば尚更に謝罪をさせて欲しいとクラウスは重ねて願う。
だが、将軍は首を振った。
「いえ、そうではありません。クラウス殿下自身が行ったわけではない罪に対して、謝ってもらうことをあの娘は望まないだけです。貴方は何もしなかった。謝罪をされたところで、彼女は困るだけでしょう」
クラウスは…ぐっと言葉を詰まらせる。それでも、そのまま押し黙らなかったのは、公子としての責任感だった。
「…っ!そう、何もしなかった。妹を止めることさえも…っ。だから、私にも責任がある」
挑むように将軍を見返すが、冷え冷えとした美貌は何を考えているのかなど窺わせない。
僅かな沈黙の後に、彼は静かに告げた。
「そう思うのであれば、言葉など不要です。公女とともに帰国し、どうかフメラシュの安定を。彼女への償いを望むのであれば、戦争のない平穏を、どうか守ってください。彼女は戦争で家族を失った。彼女が望むのは人々が安穏と暮らせる平和です。…だからこそ、私が此処まで我慢しているのだ、ということを。…理解してください」
安易な謝罪などいらないと、灰色の瞳が語る。苛烈な怒りが一瞬火柱を立てたように見えた。
将軍自身は全く、アリューシャを許してはいない。おそらく、個人的にはクラウスの行動さえも苦々しく思っているのだろう。
再びこの国に来ようとでもしたならば、渡る前にアリューシャの命は露と消えるに違いない。
それは予測でもなく、事実だ。
彼がしまいこむ、殺意をも含んだ激情。
純粋で優しいアリューシャの想いを知れば、将軍も心を動かされるのではないかなどと、安直に期待した己の愚かさと、妹の真実の姿を受け入れられず、後手後手に回った行動。
彼に忠告されたとき、もっと迅速に、事の重大さを理解して動いていたならば、これほどに、将軍を激昂させずにすんだのかもしれない。
フメラシュを託されていた己への信頼を裏切ることになった自分に、クラウスは打ちのめされた。余りにも甘かった責任感を後悔しても今更遅い。
それでも将軍が公人として、己の感情に蓋をして、公女ひとりの我儘で国同士の関係まで崩すことを望まないという王の意向に沿うから。
故に、オルフェルノはこれほど寛容な姿勢でフメラシュに向き合ったのだと伝えるから。
「…わかった」
クラウスはなけなしの矜持でもって、フメラシュの正使としてその言葉を受け止めた。
「帰国の時まで、侍女と騎士たちは開放しません。開放はスヴェライエの外でとします。ここから先はそちらの問題。クラウス殿下に託します。私は王のもとに報告に戻ります」
「みっともないところをお見せした」
「…今回のことは、一部の者しか知りません。我らの胸にしまっておきましょう。それでは、失礼いたします」
「待って、ヴィルヘルム様っ!私は貴方を幸せにしてあげられる。貴方は私の手をとっても構わないのです。降嫁は許されているの。遠慮などしなくても、あの娘ならば、私がちゃんと言い聞かせるから…っ」
去ろうとするヴィルヘルムにアリューシャは縋るように手を伸ばす。
…その手をとることはないと、いつになったら気がつくのか。
「貴女自身も、貴女が与えるものも。何一つ、欲しいとは思いませんよ」
彼は踵を返し、振り返りもせずに吐き捨てた。
憎悪の視線さえ、公女は恋の激情と思い違いをするだろうから。
一瞥すら与えることなくヴィルヘルムはその部屋を後にした。
この先は、フメラシュの問題。ヴィルヘルムの口を出すことではない。
それでも、ちりりとした不快感が胸に燻る。
それは、彼女の己への執着と、他人への無自覚な残酷さに対する危機感だろうか。
…それとも。
本当は彼女を殺してしまいたいと思っている自分の冷酷な部分だろうか?
「…君に、会いたいよ。リュクレス」
思わず落ちた本音に、ヴィルヘルムは嘆息する。
はにかむ柔らかなあの笑みが、今は無性に恋しかった。
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ヴィルヘルムは知らない。
無邪気な姫が、ことりと首をかしげたのを。
「ねえ、私の騎士。結局、あの娘はまだ生きているのね?でしたら、私を不幸にする酷いあの娘を退治してくれる?ああ、顔だけは綺麗に残しておいてね?剥製にして飾ってあげるの」
笑みを浮かべたアリューシャの頭の中では自分が選ばれ、剥製にされた彼女を前に優越感に浸る妄想が繰り広げられているのだろう。
うっとりと夢見るようなアリューシャには、自分の思い通りにいかない現実など何の意味もありはしないのだ。全てを拒否して、己の思う通りの現実を強引に引き寄せようとするその姿は、余りにも醜い。
欠けているのは、感情か、良心か、思考か。それとも、感覚か。
なんにせよ、人にとって欠けてはならないものが欠けているのは間違いない。
アリューシャの真実の姿を目の当たりにし、公子と、騎士は息を飲む。
純真無垢で可憐な可愛らしい、守るべき姫。
…そんなもの、どこにいる?
「…オルソ、帰国の準備が整うまで、アリューシャを決して部屋から出すな」
「承知…致しました」
崩壊の音が響く中、彼らにとって、彼女はすでに守るべき姫ではなくなっていた。
早く、この国から連れ帰らなければいけない。
これ以上、何か問題を起こす前に。




