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蒲公英と冬狼  作者: 雨宮とうり(旧雨宮うり)
一部  恩返し
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16



東西と北の3方を黒い森に、南を城壁都市ヒュリティアに囲まれた、スヴェライエ湖。


その中央に浮かぶ王城スヴェライエは自然の城塞でもあるが、堅固で緻密に設計された城でもある。

外壁の厚さは優に10メートルを超え、そびえ立つのは6つの塔。

その内側にはもう一つ外郭が巡らされ、そこには兵舎や、武器庫、厩などがぐるりと配置されている。外郭と外壁の間には有事の際、市民が避難出来る施設が設けられていた。地下には広い貯水槽と貯蔵庫を持ち、数か月の籠城に耐えうる造りになっている。

この城は、侵略を繰り返し受けてきた、この国の最後の砦でもあるのだ。


実用的な外郭施設を抜け中央を望むと、そこには王の住まう宮殿が豪奢な姿を現す。

北に大聖堂、南には美しい花で飾られた庭園が開け、途端に優雅で華やかな雰囲気を纏う。


庭を視界の片隅に捉えながら、ヴィルヘルムは、王の執務室に向かっていた。

いつものように外郭と宮殿を結ぶ回廊を渡る。与えられた部屋と仕事用の書斎が、王城の外郭にあるためだ。高級将校であるヴィルヘルムが外郭に部屋を持つのは異例である。

郊外に構えた屋敷に帰るのも稀な男は、ほとんど王城を住処としている。ゆえに無為に雑音に煩わされるのを嫌い、彼は外郭を好んだ。

王に近しい臣下は総じて王宮内に執務室を持っている。仕事部屋だけでも移動すれば効率は良いのだろうが、単純に情報漏洩を避けるためにそれもしていない。

外郭の彼の部屋の周囲には騎士団の仕事部屋や、訓練場、また住居が並ぶ。勘の鋭い彼らが生活する場に間諜など入る隙間はなく、加えて、ヴィルヘルムは外郭の構造を細部にわたるまで把握している。侵入経路となり得る場所は全て潰すだけでなく罠も仕掛けてあるから、裏をかいて侵入しようとしても、たどり着くこともできはしないだろう。


ドレイチェク領を拝領するヴィルヘルムが、常時王都に身を置くことは領主としては本来ありえないことだ。実質的な領地の管理が行えないからである。

故に、王の補佐にかまけて自分の領地の仕事を蔑にしているなどと影では言われているらしい。

実際、将軍の行動はそうとられてもおかしくはないのだが、これには理由がある。


ドレイチェク辺境伯を賜った理由、それは「国境領土の保守」その一言に尽きる。


軍を率いて他の領地に入る場合、その土地の領主の許可を求められることがある。緊急時であっても、王命を確認できなければ通さない様な頭の固い領主もいたのだ。

その手間と、無駄な見栄のために7年前オルフェルノはノルドグレーンまで侵攻を許した。ドレイチェク伯は亡くなり、ヴィルヘルムが叙爵されたという訳である。

ドレイチェクは戦場になることが多く、領民が領主へかける期待は大きい。だからこそ、冬狼将軍が領主となったということに意味がある。ヴィルヘルムは領民のための名ばかりの領主であり、実質的な領地の管理をしているのは、ヴィルヘルムの弟、ジルヴェスターだ。国境領だからこそ、その地で治めることが重要で、彼の管理能力は疑いようもなく優秀だ。領地の事は弟に託し、ヴィルヘルムがドレイチェクに行くのは国境の安定を確認するためだけだ。


3日に一度はリュクレスの元を訪れ、通常の政務をこなしつつ、情報収集を兼ねて、領の境界まであちらこちらに跳んでいる。忙しくないはずがない。

だが、自由に動き回るその機敏さと労を惜しまない行動力があればこそ、彼は26歳という若さで将軍と言う名に恥じない様々な勲功を上げたのだ。

そして今、常のその行動が、城にあって彼の不在を目立たせることなく、相手にヴィルヘルムの動きを把握させないでいた。

国境のあたりでは、不穏な情報が複雑に折り重なってきている。

「そろそろオスカリの方でも情報がまとまった頃か」

ドレイチェク領オスカリ砦。そこはスナヴァールとの国境の砦、最前線である。

騎士団と、三分の一に近い数のロヴァルが滞在しており、歴戦の勇者が最も多く駐屯する場所である。

国境域ゆえに情報量は多い。

その為、ヴィルヘルムは少々遠くても自分で足を運ぶようにしている。

王の暗殺計画もオスカリでもたらされたものだった。

その時点で国内だけの問題でないことは明らかだ。

だからこそ、慎重に計画を動かした。

国内外の諜報と、王の保護、そして罠。


(自分がもう一人くらい欲しいな)


そう思いながら。


書斎から王の執務室に向かう回廊で。


穏やかな日の光に照らされ、豪奢な装飾の柱、美しい絵画を横目に。


(この阿呆の相手を頼むのに)


薄ら笑みを浮かべて、閃かせた苛立ちを隠す。


向かってくる男はヴィルヘルムの倍はあろうかという年齢と、体重を持つ男だった。

黒い髪には白いものが混じり、そのふくよかな顔と体型に、痩せた少女を脳裏に思い浮かべた。少し分けてやれと思い、即座にこんな汚い脂身はいらんと思い直す。

「オルヴィスタム卿。こちらにおられたか」

「おや、ホルエルム伯どうされました?」

旧臣の一人、ヴィルヘルムに言わせれば、毒にも薬にもならない人物だ。

穏やかな微笑みで冷笑を消すと、ヴィルヘルムは驚いた様な顔をして見せた。

「どうなされましたかではないでしょう!王の事です。足繁く愛人の元に通っておられるとか。スナヴァール国との関係もありますのに、王妃を蔑にする様な行動を何故王にけしかけましたか!」

「けし掛けるとは、また…王に対し些か言葉が過ぎるのでは?」

「いいえ、これは王にも諌言したこと。今さら言葉を変えてなんになりましょう。今はまだ、スナヴァールとの関係も不安定。国の安定のためにも、王が下らない愛妾遊びにうつつを抜かしているなどあってはならないことです」

真っすぐに語られる言葉は理にかなっている。彼は王に対し誠実だ。だが、少し考えが足りない。

「今の愛人は貴方が紹介したとか。どこの馬の骨かもわからないような娘を、王に献上し、この上、王の信頼を得ようとはあまりにも浅ましい」

…羨ましいならそう言え。ヴィルヘルムは心の中で吐き捨てる。

「ロヴァルといい、妾といい貴方が王に与えるものはいつも下賤なものばかり。いい加減、王を貶めるような行動は慎んではいかがかっ!」

「さて。私が王に進言したごときで、王が堕ちるとは私は随分と高く買われたものですね」

「…!」


…さて、王を蔑にしているのは果たしてどちらだ?


すっと、ヴィルヘルムの瞳に冷たい光が宿る。


「王は己で決められる方だ。ロヴァルの傭兵部隊は、誰よりも功績をあげ、この国の守護に貢献した。彼らが地位を求めないから貴方方は平穏でいられるのに。…人を蔑む前に己を顧みなさい。貴方は王にとってどんな価値がある臣下です?何が出来る」

斬る様な鋭い口調に、男は後ろに一歩下がる。

それでも立ち去らないのはこの男なりの矜持か、それとも貴族の見栄か。

「愛妾についてもそうですよ。王は孤独です。孤独を癒すものを欲していたのに気が付かなかったのは何処のどなたか。王妃との結婚は政治的政略です。王妃が王の心中を支える存在となると、貴方は本当に思っておられるのか?」


答えは、是。

王妃ルクレツィアは、王を支える支柱となっている。

慈愛に満ちた人格も、見識の深いその知性も。


だが、男は言い淀んだ。

「王に愛妾が居てはいけないと、誰が決められました?以前は王宮内に後宮さえあったではありませんか」

ヴィルヘルムは尚も追い詰める。

「どこの馬の骨と申されましたが、彼女は子爵の娘。侍るに問題のない身分を持っております。王は、娘をお気に召したようだ。王を癒し、愛情を一心に受ける者。これ以上、かの娘を軽視する言葉は王の不興につながると思いますが…まあ、自ら諌言に行かれた貴方だ。その程度の覚悟の上でしたね」

つるりと丸い顔に浮かぶ冷や汗。顔色は目に見えて蒼白となってゆく。

それに冷笑を返し、ヴィルヘルムは綺麗な所作で一礼した。

「もう、用はお済ですね?私はこれで失礼いたします」

動けない男から視線を外すと、彼の横を通り抜ける。


背中に感じる視線。


それはしばらくすると静かに消えた。

その視線はずっと、二人のやり取りを見つめていた。

それに気づきながら、気が付いたそぶりも見せず、わざと、この会話を聞かせたのだ。

ホルエルム伯は丁度良い、噛ませ犬になってくれた。


(さて、誰がどう動く?)


動きは活発になるだろう。

また忙しくなりそうだ。

口元に湛える笑みはそのままに、硝子越しの灰色の光は酷薄に輝いた。






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