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ほっと、どこか安堵するような微笑みだった。


道の片隅に、ふと見つけた花のような長閑な光景に、心が和まされる。

「ね、将軍が大切にするものわかるでしょ?」

オルフェルノの伝令騎士に嬉しそうにそう言われ、オルソは、少しだけ困ったような顔をした。

心苦しさをぐっと噛み締める。…それから、緩やかに微笑んだ。

「ええ、本当に。幸せであれと、願いたくなる笑顔だ」

その笑みを奪おうとした自分に、そんな資格ありはしないのに。

その声が届いたのか、花を抱いた少女がオルソの方を見た。褐色の瞳を真っ直ぐに見返す瞳は、淡く、吸い込まれそうな色をしている。将軍に守られた彼女は、とても真剣な顔をして口を開いた。

「無理して笑っていれば、いつかその笑顔は本物になるかもしれません。でも、無理して笑うなら。…その前に、しっかり泣いたほうがいいです」

「…え?」

耳に届いたその声は、鈴の音のように涼やかで、丸く、とても柔らかだった。

しかし、どこにも鋭さのない声音が告げるその意味を理解した瞬間、オルソは、ぎくりと肩を強ばらせた。隠していたものを暴かれるような感覚に背中が粟立つ。

それでも、不快感がわかないのは余りにも澄んだ瞳のせいか。

「いっぱい、いっぱい、色々なものをちゃんと吐き出してから、笑いましょう?じゃないと、いつか。自分が泣きたいのか、笑いたいのかさえ分からなくなると思うんです」

リュクレスの素直で飾り気のない言葉が騎士の心を揺らす。その透明な眼差しには憐憫も同情もない。

ただ、真心の詰まった言葉だけが、オルソに差し出される。

「私もそうだったんです。でも、ヴィルヘルム様が泣けばいいって言ってくれたから、いっぱい泣いて、そしたら、無理してじゃなく、本当に笑うことができたから。悲しい時には泣いて、嬉しい時には笑うんだってこと、思い出せたんです。だから、忘れる前にちゃんと、いっぱい泣いてください」

彼女の目は、心の傷の痛みを知って、それを忘れることなく昇華した者の目だ。

あれほどに柔らかに笑う娘が、嬉しい時には笑い、悲しい時には泣く、そんな当たり前のことを忘れるほどに、苦しんだことがあるのだということに驚く。

そしてなによりも、その想いを知っていて、ああして笑うことができる彼女に、オルソは尊敬の念を抱いた。

見守っていた将軍が、苦笑する。だが、オルソに流される視線には、どこか牽制が潜んでいた。

…なるほど、これでは心配は尽きないだろう。

「男は、はいそうですね、と人前ではなかなか泣けないものなのですよ。彼も、誰もいないところで、ちゃんと吐き出すでしょう」

花束を抱えた娘は、自分を包み込む恋人を見上げた。

「ヴィルヘルム様も、ですか?」

心配そうな眼差しに目を眇め、うっすらと色気さえ漂わせて将軍は微笑んだ。

「私には君がいるでしょう?泣きたくなったら君の前で泣きますから。ちゃんと慰めてくださいね?」


静かな庭園が、一層の静寂に包まれた。

冷たいはずの空気が何故か、生ぬるい。


……


(ないわー)


(将軍なら、打ち拉がれるどころか、絶対にやり返して溜飲を下げるだろうよ…)


心の中の言葉を全員が飲み込む。

だが、ヴィルヘルムを見上げている少女は気づかず、ほんのりと頬を染め、柔らかにはにかんだ。

「もちろんです」

大切な人の役に立てることを喜び、柔和な瞳で見上げる娘の純粋な思いやりに。


「うわぁ、失恋したばかりの男の前で、惚気けるって将軍それどうかと思うよー。でも、ま、お嬢さんの真っ直ぐな返しに、強烈な一撃を受けた分、痛み分け?」

「…チャリオット、煩い」

年下の娘を振り回そうとして、振り回されている将軍の、ただの男の部分にオルソは思わず吹き出した。

興味津々に事の成り行きを見守っていた騎士たちも、堪えきれずどっと笑い始める。


どこかやりきれない想いを抱いていたフメラシュの騎士たちにさえ。

それはとても穏やかで、暖かな、心を癒される光景となった。








しかし、その晩。

酒場には涙を、酒とともに流し込むオルフェルノの騎士たちがいたとかいないとか。

まあ、それは別の話。




そして、国王夫妻の寝室では、しくしくと後悔に泣き出した妻を夫が献身的に慰めていた。

珍しく駄々を捏ねるように泣きながら怒る可愛らしい妻の様子に、国王はたじたじとなりながらも、緩む表情を必死で取り繕う。

「将軍は私の所に来てまで、リュシーのことを頼んでいったのですよ、私はてっきり…」

「てっきり?」

「全力で守るものと、そう思っていたのです!私も、エステルもクランティアもカナンもアスタリアもあの子を守ると約束したのに…何もできなかったっ。あの子が、ジアのところにいる時が、一番安全だと勘違いしていたのです。一人になることが一番多いなんて…気がつかなかった私が許せない」

「ルチア、ちょっと待て。そんなに自分を責めるな。公女がこうして手を出してくることはある程度予測していたことなんだ。だから、彼女への実害はなく済んでいるだろう?」

ふいに、静かな怒りを膨らませた妻に、国王はぎょっとした。

「…つまりは、また、リュクレスを囮に使ったということですか?」

王妃は、怒り心頭にも関わらず、冷笑まで浮かべて、夫へと詰め寄った。

「いや、そういうわけではなくてだな…」

しどろもどろなアルムクヴァイドの様子は、ルクレツィアの怒りに油を注ぐばかり。

「でも、そういうことでなのしょう?将軍ならば、リュクレスに全く危険が及ばないように守ることもできたはずなのに…。今後の蟠りが出来ないように、だなんて…っ。こちらには、もうすでに蟠りなんて絡みすぎて解けないくらい、大きなものが出来上がっていますっ!それは、水に流せとでもおっしゃるつもりですかっ…!も、もうっ。知りません!アル様も、将軍も大っきらいですっ!暫くはリュシーも絶対に会わせませんからっ」

「おい、どこへ…」

「私の寝室ですっ」

伸ばされた手をぺちりと叩いて、美しい薄紅の髪を靡かせたルクレツィアは素早く寝室を出て行ってしまった。

どうやら、国王も夫婦別室を強いられることになるらしい。

涙目で睨みつけるルクレツィアが可愛くて、ついにやにやしている間にとんでもない事になってしまった。

「おいおい、勘弁してくれ。ヴィルヘルム、恨むぞ」

アルムクヴァイドは、共犯である親友に八つ当たる。

陶器のように透き通る肌。柔らかく滑らかな身体を抱いて眠るようになってから随分立つ。ひとり寝など、いつぶりだろうかと、そのぬくもりを恋しく思いながら、深々とため息を付いて。

自業自得という後悔を背負い、女の友情に対する敗北感に、アルムクヴァイドは諦めて、広々とした冷たい寝台に転がった。








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