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…夢を見た。
とても素敵な夢。
将軍がアリューシャの手を取り、優しく引き寄せる。逞しい身体は、いとも簡単に、華奢な身体を捕らえて、微笑んだ。
「踊っていただけますか?私の姫」
「…はい…!」
差し込んだ光に意識が浮上して、アリューシャはゆっくりと目を開けた。
温かな寝台の中から起き出す。
ふわりと、金色の髪が、顔にかかった。そのくすぐったさに、これが現実だと知る。
あれが、夢?
この悪夢が、夢ではなく?
邪魔な髪をそのままに、眉間を押さえる。
何故?
アリューシャは静かな混乱の中にいた。
将軍へ会いたいと、何度伝えても色好い返事は返ってこない。
婚約者という女性を諭そうにも、邪魔が入って会うことさえままならない。
それどころか、ひどい言葉を投げつけられて、柔らかい彼女の心はズタズタに切り裂かれた。
止めを刺すかのように兄からは将軍との結婚話は無くなったのだと、彼を諦めるよう再三言われ、アリューシャは昨日の夜、寝室に逃げ込んだのだ。
神の試練としても、こんなのはひどすぎる。
何故、私ばかりが虐められなければならないの?
魔法使いの魔法はまだ効いてこない。
私の騎士は、お兄さまのところへ行ってしまった。
「私は神に愛された娘。神は大いなる試練を与えてくれているの。辛いのは私だけではないわ、将軍もだもの。耐えるのよ、アリューシャ。ヴィルヘルム様と幸せになるために」
膝を抱え小さくなったアリューシャは、涙を堪えて、言葉にすることで悲しみに耐える。
物語はいつだって、『幸せになりました』で終わるはずだから。
「物語は佳境。辛い思いをする私を、颯爽と彼が助けてくれるのだわ」
初めは真実胸を刺した痛みを嘆き、いつの間にか、彼女は不幸に襲われる自分が可哀そうと、自分を哀れむ行為に酔いしれてゆく。
現実をまるで見ようとはしない彼女には、その行為は、現実逃避ですらない。
今までは、彼女の立場と彼女の周りにいる人間が、その結末を強引に引き寄せていたから。
フェリージアの忠告など、彼女には残ってはいなかった。
覚えているのは酷いことをされた、悲しい記憶だけ。
兄の言葉さえ、悲しみを彩る飾りでしかない。
寝台から降り、窓辺に向かう。カーテンを開ければ、明るく輝く白い世界。
眼下に侍女が温室に向かうのが見えた。普段であれば、気にもとめないその景色に、アリューシャは釘付けになる。
細く小柄な侍女の後ろ姿は、魔法使いに知らされ、遠目に一度だけ確認した仮初の婚約者によく似ていた。誰かに声をかけられたのか、立ち止まって振り返る。言葉を返し、頭を下げた彼女の瞳の色は、ここからでもわかる、藍緑。
宝石を見慣れたアリューシャから見ても、その目は確かに美しく、一度見たら忘れられない色彩だった。
見間違えるはずがない、彼女だ。
「ああ…!神様はやはり私の味方なのね」
アリューシャは感嘆の声を上げた。表情を輝かせ、侍女たちを呼び寄せる。
早く、早く、彼女に会わなければ。
この偶然は、神の必然。転がってきた好機を逃すわけにはいかない。
「皆さん、おはよう。お願い、早く着替えを」
慌てるアリューシャに驚いた彼女たちは、一様に戸惑いを浮かべた。
昨夜、クラウス公子から公女を部屋から出さないようにと厳命されたばかりなのだ。困惑しつつ、視線を交わしあう彼女たちは、しかし。
慕う姫の懸命な眼差しに難なく陥落し、アリューシャを止めることなく準備を始めてしまった。
そのとき、すでに。
魔法使いと呼ぶ侍女がいないことに、アリューシャは気づいてさえいなかった。




