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「あ、そうそう。丁度良くリュクレス嬢の名前が出たことだし、フメラシュのことに話を変えても構わないです?」
「何かあったか?」
「偶然、なんですけど。ついさっき、公女付きの侍女が薬草園の中を彷徨いていました。丁重に追い払っておきましたけど、あの目は絶対諦めてないだろうなぁ」
「薬草園の警備は強化したはずだが?」
「ああ、俺が引かせました。彼女の目的を知りたかったんで」
「フォロイ家の娘か」
「ええ。薬草を物色していた目つきといい、あの薄気味悪い笑顔といい…お近づきにはなりたくない女性でしたね。俺、もっと可愛い子が好きだなぁ」
「誰もお前の好みを聞いてはいないだろう」
ため息まじりの副官に構いもせず、チャリオットはぺろりと舌を出す。その子供っぽい態度にそぐわない冷たい声が、剣呑な内容を伝えた。
「彼女が手を伸ばした花から作られるのは、麻痺薬。本来は鎮痛のために使うらしいですけど、作り方によっては、心の蔵を止める効果があるらしいです」
無味無臭で使い勝手は良いけれど、そこまで純度を高めて精製するのには技術がいるらしいというのは、宮廷薬剤師からの情報だ。
「どうやら、手助けがなくなって自分で動くしか無くなったらしいな」
ヴィルヘルムから放たれる空気が一気に零下まで下がった。それに怯える者はここにはいない。彼だけではない、侍女が行わんとしている卑劣な行為に、全員が機嫌を降下させている。
公女に手を貸していた貴族は、賢明にも手をひいたらしい。
彼女は孤立無援の立場に陥った。
それでも、彼女は諦めず、自分で動くことを選んだ。
ならば。
此処はフメラシュ公国ではない。守られた環境ではないことを、そろそろ理解してもらうべきだろう。
「何か手は?」
「もちろん、打ちました」
人畜無害な顔をしてチャリオットがにっこり笑う。彼は、見た目通りの優しい男ではない。軽率短慮に見せながら、煮ても焼いても食えない、なかなかの食わせ者だ。
実際お調子者ではあるが、場合が場合ならば、計算高く、どれほどにも非情になれる。
だからこそ、冬狼将軍直下の伝令騎士なのだ。
「彼女相当焦れているから、それほど待つことなく捕縛できると思いますけど。ね、将軍、いつまであの公女を好きにさせておくつもりです?」
伝令のためについ先ほどまで王城に不在だった男は、それを感じさせないほど情報に精通しているようだ。
「珍しく勤勉じゃないですか」
皆の気持ちを代弁するように、ソルが口を開いた。
「んー、だって、前に守るって言って守りきれなかったから。今回は罪滅ぼしというか、まあ、ただの自己満足?」
言わないが、チャリオットは公女のような自分勝手な王侯貴族は大嫌いだ。
その大嫌いな輩に、気に入っている女の子が虐められようとしているのをじっと見守るなんて冗談じゃない。リュクレスは、それこそ将軍にとっても、目に入れても痛くないくらいに大切にしている女性なはずだ。
相手が相手だからといって、いつまで守りに徹しているつもりなのかと、あからさまに不満顔をしてみせる。
「彼女のせいでフメラシュとの関係がぎこちなくなったと思われたくない」
「それ、おかしくない?どう見たって、お嬢さんのせいじゃないでしょ」
手を出してくるのはあちら側、リュクレスは何もしていない。
むっとして口を尖らせたチャリオットに、ヴィルヘルムは平素の冷静な態度を崩すことなく、それを肯定した。
「そうだな。だが、今この状態で公女がリュクレスの身分を出しにこちらを非難したとしたらどうなると思う?」
考えなくても、その答えは明白だ。…しかし、チャリオットは分かっていてもそれを口にはしたくない。
「事実、彼女の騎士はそうやって俺を糾弾した。彼に対してしたように、正面から受けて立つのは簡単だ。反論を許さぬところまで追い詰めることも出来る。だが、その不満は俺にじゃなく、リュクレスにいくだろう?」
リュクレスという存在がなかったとしたならば。
きっと、単純に交渉として、将軍は公女との縁談は断れたはずだ。
だが、ヴィルヘルムが平民であるリュクレスを選んだことで、フメラシュ側に、オルフェルノを批判する口実を与えてしまった。ヴィルヘルムを快く思わない貴族たちからすれば、個人的問題ではないと、彼を非難する格好の理由となる。
ヴィルヘルム自身は非難も、面と向かった罵倒でさえ今更で、痛くも痒くもないはずだ。
彼が回避したいのは、その矛先がリュクレスに向かうこと。
フメラシュとの関係が上手くいかなかった原因とされるのは、将軍でも、公女でもなく、リュクレスになるだろう。例えヴィルヘルムが盾になろうとも口さがない誹謗中傷は防げない。
姿かたちのない刃ほど守るのに難しいものはないから。
それに終わらず、今後の憂いを断つためと、空っぽの正義を振りかざし彼女を排斥しようとする者がいたとしたら?それは、例え、防ぐことができたとしても、リュクレスの心に傷を残すことになるだけだろう。見も知らぬ相手に、生きていることを邪魔だと思われることは、誰だって気持ちのいいものじゃない。
高々、平民か、貴族かの違いで、これほどにリュクレスの立場は弱い。
不愉快な感情を隠しもせずに、チャリオットは歯噛みした。
それに比べて、将軍には苛々した様子も、怒りも感じている様子も見受けられない。唯唯、冷たい眼差しがそこにあるだけ。
ふてくされるチャリオットに、ヴィルヘルムはひどく冷淡な口調で尋ねた。
「それにな、チャリオット。…もし、公女の標的がリュクレスでなければ、お前はどうしてた?」
将軍の婚約者に害をなそうとする公女の行動を、自分ならば?
いつもなら。
「俺なら?…たぶん。…たぶん、静観、してたかな。実害がないように動けばいいことだし、フメラシュに貸しが作れると思うんじゃないでしょうか。…畜生」
反射的に答えを返して、そういうことかと、舌打ちする。
嫉妬に狂った公女とその周囲の者たちが何かするとして、ここはスヴェライエ。彼女たちにとって慣れない他国の王宮だ。出来ることなど所詮たかがしれているし、事実、彼女たちの行動は将軍に把握され、彼の掌の上で踊っているに過ぎない。
リュクレスに投げつけられる悪意は届く前に、必ず阻止できるだろう。
そして、政治的な悪意よりはよほど、リュクレスにとっても受け入れ易い状況でことを完結させられる。
ならば、後顧の憂いを断つためにも、彼女たちには愚行に走ってもらうほうがいい。
そうすれば、状況はひっくり返る。
どれほど愚かでも、フメラシュ自慢の公女。家族にとっては愛する娘であり、妹である。
その公女を断罪すれば蟠りが残り、後を引くことになるだろうが、彼女自身が消しようのない行動に出たとしたならば、オルフェルノが非難されることはないだろう。そして、リュクレスは被害者となり、彼女に謂れもない罵りを向けることは出来なくなる。
チャリオットは深々と息を吐いた。
いつもなら、事を起こして自滅する公女を遠巻きに嗤っていられただろう。でも被害を受けるのがリュクレスならば、泣かされていないかと気が気じゃなくて、高みの見物をする気にもなれない。
大切な者に害をなそうとしているのが明らかな相手と同じ空気を吸いたくもないし、そんなものが傍にいることが、まず許せない。先に相手を片付けてしまいたい。
けれど、そう思っているのはきっと将軍、ソルも一緒。
いや、もっと苛烈な想いを抱いているはずだ。
害を為す全てのものから遠ざけて、あの笑顔が曇らない様に守りたいに決まってる。
だからこそ、感情に流されず、慎重な態度を崩さないのだ。
将軍は、リュクレスが危険に晒されることを予測していながら、敢えて相手が行動に出るのを待っている。
全ての非が公女にあると、言い訳のしようが無くなるまで、フメラシュ側を追い詰めるつもりだ。二度と彼女がこの国に来ることがないように、そして、母国に帰ってからも何かさせないように。
納得は出来るけれど、だからと言って腹の虫が収まるわけではない。
むしゃくしゃした感情を飲み込むように、残ったお茶を流し込んだ。
……ん?
間違っていないはずなのに、何か違和感が残る。
寝不足の頭の中、からんと片隅で音を立てたのはソルの声。
帰ってきた時に、ソルはなんと言っていたっけ?
「…ん?あれ、でも将軍、クラウス公子に接触したって、…ソル言ってた、よね?」
矛盾する行動に、首をかしげる。
ようやく気づいたかと、呆れた顔をしたソルが、「だから早く寝たほうがいいって言ってるんですよ」と苦笑した。
「いつもなら、とっくに気が付いても良いことなのにな」
先程までとは異なり、ヴィルヘルムも表情は読ませないが、それでも、その声はどこか柔らかく、呆れて聞こえた。
「こちらから行動を起こさなくても、彼女は自滅する。その方が、後に問題が残りにくいこともわかっているが…。クラウス公子の人柄を信じることにした。それならば、リュクレスを囮のように扱うこともせずに済むからな」
将軍も、我慢が効かなかったのだ。嬉しくなってチャリオットは破顔する。
「さっすが、将軍っ!」
「だが、やはり兄妹だからな。どこまで、公女を抑えられるかはわからん。警戒は続ける。さすがに、そちらの侍女が毒を盛ろうとしていると言うわけにもいかないしな。フォロイの娘は、詳細は伝えずにフメラシュの騎士と共に現場で捕えろ。現行犯であれば納得するしかないだろう」
「承知しました。そっちは任せてください。ついでに、ちょっとぐらいは憂さ晴らししても、許してもらえます?」
のらりくらり、いつも暢気に笑っている男の珍しい様子に、ベルンハルトがチャリオットとヴィルヘルムを交互に見た。
仮面のように凪いだ顔で表情を伺わせないまま、ヴィルヘルムが淡々と確認する。
「結果が変わらないならば」
「そこは当然!」
「なら、好きにしろ」
チャリオットの目が不穏な光を覗かせて、その唇は弧を描いた。
「何を、する気だ?」
勢いよく立ち上がり、ぴしりと隙のない敬礼をしたチャリオットを、ベルンハルトは呼び止めた。
「とりあえずは、寝まーすっ」
気の抜けた声が返り、吸い込まれそうなほど大きな欠伸を残すと、彼は扉の向こうに姿を消す。
そんな事が聞きたいわけではなかったが、躱されたベルンハルトは腹を立てることもなく追求を止めた。不快に思ったわけではなく、聞かなくてもいいと思い直したのだ。
不安に思う必要がないくらい、お調子者のその目は、真剣な光が宿っていたから。




