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「フェリージア様」

すごく心配そうな顔で出迎えた侍女に、フェリージアはほっとして息を漏らした。

知らず強張っていた身体から力が抜ける。

「やっぱり、全然違う」

リュクレスの表情の豊かさに癒される。ふわふわとした柔らかさは似ているのに、その質は全く異なる。それをしみじみと実感する。

あの姫は気持ちが悪い。無神経な無邪気さは不快なのだ。

この子の傍はこんなにも居心地がいいのに。

「将軍が手放さないはずよね」

「え…?」

「なんでもない。こっちの話よ。それより少し疲れたわ。お茶をお願い」

「はい」

返事をしたリュクレスは、脇テーブルに準備してあったティーセットへいそいそと向かうと、いつものように丁寧に紅茶を用意して、ソファに沈むように座り込んだフェリージアに差し出した。

「なんだかいつもより、用意が早くない?」

「…そろそろ戻ってくるかと思って、先にカップを温めておいたんです」

ふにゃんと笑うリュクレスは、こんなふうに何も言わなくても気を利かせて、さりげない気遣いを見せてくれる。押し付けがましくないのが、またこそばゆい。

「…このお茶、初めてね」

「少し疲れているように見えたので。疲れが取れるお茶なんですよ」

「いい匂い」

黒い前髪を揺らして、リュクレスは嬉しそうに微笑んだ。ささくれだった感情はあっという間になだめられて、ついフェリージアも笑い返す。

「ねえ、リュクレス」

「はい?」

「ちゃんと幸せになってね?」

「え?」

「貴女が幸せな顔で笑っていれば、周りにも幸せが伝わって広がるから」

とても真面目な顔をしてそう望めば、リュクレスは少しだけ驚いて、それから緩やかに微笑んで見せた。透けるような瞳が、綺羅々と星のように光を瞬かせる。

「…とても幸せですよ?大好きな人がいて、大切な人たちに囲まれて、今だってフェリージア様たちが私を守ってくれるから。その気持ちが嬉しくて、輝いて、宝物みたいです」

その言葉に目を見開く。

「気がついていたの?」

リュクレスはにっこり笑うだけ。溜息を漏らして、フェリージアは彼女が言わなかった言葉を理解する。

彼女に知らせずに、公女と対峙しに行ったはずなのに、どうやらばれていたらしい。

不機嫌そうに顔を顰めたフェリージアに動じもせず、リュクレスはにこにことしたままだった。

それが、不器用なフェリージアの照れ隠しだと彼女はもう知っているから。

「そんなにわかりやすかったかしら?」

「…ちょっとだけ、ですよ?」

くすくすと少女が陽だまりのように柔らかに笑う。

あの公女にリュクレスがどれほど素晴らしいのか、思い知らせてやりたい。

さっきまでのやるせない無力感も、後味の悪い嫌悪感も、話しているうちに軽くなる。

姉曰く、将軍には勿体無いくらいに素敵な娘なのだ。

…最近は、その勿体無いには大いにフェリージアも同意する点が増えている。

けど、仕方ない。リュクレスも将軍を好きなのだから、そこは折れてもいい。

可憐さで言えばリュクレスだって負けていない。少し子供っぽいところもあどけなくて可愛らしい。

そして、その中身はどれほどに大人びて、懐深く優しいか。

内面の美しさが顕われる、その得も言われぬ魅力的な瞳は、まさに至宝のようだ。


天鵞絨の宝石箱に仕舞っておきたい程の美しく繊細な輝きは、けれど、こうやって誰かのために何かをしている時が一番綺麗なのだ。


地味なお仕着せでさえ、これほど可愛い。

着飾らせたならば、あの姫に負けるはずがない。


「もうすぐ私の帰国に合わせて、夜会が開かれるでしょう?」

突然話が切り変えられて驚いたのか、リュクレスは大きな眼を瞬かせた。帰国の話は初めて聴かせる話ではなかったはずだが、近づいてくるその日に少し寂しそうな顔をする。

「せっかくだから、貴女も参加しなさい」

「え?」

「ドレスは私が準備しておくから。ああ、それから将軍には秘密にしておいてね」

実を言えばずっと前から、彼女のために準備を進めていたのだ。ドレスも、アクセサリーも、彼女に似合うものを、もう、見つけてある。

「…あ、あの、でも」

「将軍は貴女が恋人だと、もう隠すつもりはないわ。だから、大丈夫」

慌てふためくリュクレスを強引に丸め込んで、フェリージアはにやりと口角を引き上げる。

「将軍を驚かしてやるわ」


そして、仲睦まじいふたりを見て、公女が今度こそ諦めればいい。


浮き浮きと計画を練り始めたフェリージアを、リュクレスは少し呆然として見つめた。

さっきまでとても疲れたような顔をして、顔をしかめていたフェリージアが、本当に楽しそうに目を輝かせるから。

リュクレスはおろおろと戸惑いながらも、止めることができなかったのだ。








****



「意地悪で怖い方。噂通りね」

背筋のぴんと伸びた綺麗な後ろ姿に、アリューシャが小さく悪態をついた。

「殿下」

「なぁに?」

くるりと振り返ったその顔には悲しげな涙がまだ浮かんだままでいる。


侍女たちに敬遠される我儘で癇癪持ちのスナヴァールの王女。

噂に違わぬ苛烈な瞳、ぽんぽんと、遠慮のない言葉。


「私に酷いことを言うのは、私と比べられる八つ当たりなのね。そう思うと可哀想な人」


…そういうことではない。

あの王女が怒ったのは、人として自分の侍女を大切にしているからだ。


「殿下」

もう一度、彼は公女を呼んだ。その声音に何かを感じ取ったのか、彼女は口を噤み、首を傾げた。


「貴女が魔法使いというあの侍女の名をご存知ですか?」

オルソは、静かに尋ねた。


一番長く、アリューシャに仕えている女性だ。時に姉のように、母のように傍らに寄り添う存在。

きょとりと、大きなまなこが、不思議そうに彼を見つめた。

何を今更と、アリューシャが、呆れたように微笑む。

その言葉に、ほっと肩から力が抜けた。


そうだ、自分たちを慈しんでくれる彼女が、知らない訳がないではないか。


しかし。

無邪気に彼女は小首をかしげ、当然のように甘やかな声で続けた。




「なぜ知る必要があるの?侍女は侍女でしょう?」



期待は、脆くも崩れ去り。

喜びは、切り裂かれ、安堵は木っ端微塵に消え去った。

殿下は慈愛に満ちた優しい娘。


自分のこの目は、何を見ていたのだろう。この耳は、何を聞いていたのだろう。


オルソは唇を噛み締め、こぼれそうになる悲嘆の声を飲み込んだ。

私の侍女、私の騎士…大切にするからそう呼ぶのではなかった。

誰でもいいのだ、彼女にとって侍女も騎士も。

構築されていた信頼が瓦解する。


崩壊の音が響く中、オルソはこの姫の何に惹かれていたのかさえ。

もう、分からなくなっていた。









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